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38.異常感情罹患の疑い

 

・ ・ ・ ・ ・



「いざ来たれ 群れなし天駆あまがける光の粒よ、高みより高みよりいざつどえ」



 そうしていつも通りの戦線生活が始まる。灰青色の空の下、僕ら第六十三隊は前列塹壕に並んで立ち、聖樹の杖を構えて詠唱した。



「……つどい来たりて しき物ののわざより 我らを隔てる壁となれ……」


つどい来たりて 我が敵をつ するどき風のやいばとなれ」


つどい来たりて 我が敵をつ あかき春雷となれ」


つどい来たりて 我が敵を刺す せんよろずの根となりて」



 皆、すっきりと力のこもった声調だった。


 ホノボ兄弟の作る光の泡の防御壁が、のたうち回る巨大な≪敵≫、海竜を水中に押し戻す勢いで膨らむ。



花麗かれいなる一撃ぃぃぃ」



 後ずさりして再び頭をふり立てかけた海竜の上空に、ばら色の雷撃がびかっと光る。



あおき鉄槌を下せ!」



 硬直したその長い身体を、青い風の刃がざくざくと切り裂く……そこへ。



「……しき敵の核を貫け!」



 巨大な海竜のうろこ表面を、めきめきと這い上がる真っ黒いが、網状に広がって身に食い込む。


 苦しみもがくようにひとうねりして、≪敵≫は後方の海面下に潜っていった。ばしゃん……! 派手な飛沫。



「各自、“防御壁”の詠唱続行ッ」



 塹壕の中で、新兵イスラとホノボ兄弟の基本詠唱が低く続いていく。



『ええどー、モモイ! 海竜のやつ、攻撃つどもえ喰らっては、当分出て来られへんわー』


「……」



 見えない親友イスラの声に励まされ、積極的に攻撃に転じている僕を、小首を傾げてサミが見ていた。



・ ・ ・ ・ ・



「ちょい、モモ君……。一体ぜんたい、どうしたん? 最近やたらめったら、攻撃とばすやんか」


「そうかい?」



 隊室前の廊下で、聖樹の杖を拭いていた僕に、そうっと寄ってきたサミが言った。


 変人は、周囲に他の耳がないかと見回してから、声をひそめて続ける。



「……しかも、“うらっこ”でぶすぶす丁子刺しって……。あれは本来なら浜辺に敷いて、上がりかけた敵を撃退させる防御やのに」



 僕は油布を扱う手を止めず、サミに笑いかけた。



「……僕の攻撃なんて地味だから、花形サミ副隊長の春雷が引き立っていいじゃない」


「そうでなくってぇー、防御の術で攻撃しとるモモ君の曲芸がわからへん。今までこんな奇抜なこと、したことなかったんに」


「人間、芸風変わるときゃ変わるよ」



 もちろん僕の芸当ではない。僕の肩のあたりにくっついて戦線配置点に来ているイスラが、相変わらずの天才観点で次々指示を飛ばしてくれるのに、僕は従っているだけだ。



「芸風ぅー? んなわけあるかいな。もう、詠唱もきれきれやし、妙に威力も上がっとるし……。モモ君てばおかしいわ。短い休暇の間に英気養ったにしても……何ぞ良いこと、あったのかえ?」


「べつに」



 僕はとぼけた表情で肩をすくめた。うん、すごくあったね。



「第六十三隊、モシャボ隊長とクイ=シンボ三位さんみ



 いきなり事務的に冷えた声がして、僕とサミはそちらを振り返った。背の高い予備役伝令が立っている。



「指揮部から呼び出しです。両名直ちに、基地本部の第三談話室へ行ってください」


「はい」



 また新兵イスラの経過報告だな、と思って僕はうなづいた。 ……あれ? “両名”??



「うちも?」



 サミがきょとんとしている。



・ ・ ・



「第六十三隊長モシャボ三位と、副隊長クイ=シンボ三位。ここのところ、攻守ともに精度威力が上がっていると、聞いていますよ!」


「恐れ入ります……」



 戦線基地本部の談話室。殺風景なへやの中で待っていたのは、以前個別に面談した中将二人である。どちらも微笑を含んで、今日もやわらかい表情だった。


 卓子の向こう側から、年輩の方が僕とサミとを、じじっと見る。



「……休暇は、楽しかったですかな?」


「はい」「はい」



 サミと僕の短い答えが重なった。



「そうですな、休みの後と言うのは誰でも英気を養った分、一時的に術の威力が上がったりします。ごく自然なことです」



 ……何を言いたいのだろう? 自然なこと、と言うその年輩中将の言い方が不自然な響きを帯びていて、僕は何となく身構えた。



「……いやはや、もしや第六十三隊内に禁忌・・の現象が起こっているのではないかと。とんだ勘ちがいをしてしまいました。としは取りたくないですなぁ? 中将」


「ははは、何をおっしゃるのですか中将。杞憂きゆうに終わるに越したことはありません」



 なごやかな雰囲気のままに、中将どうしの会話に入ってしまっている。僕は恐るおそる、たずねた。



「あのう、禁忌と言うのは……?」


「恋情ですよ、モシャボ三位」



 若い方の中将がにこやかに、短く告げる。


 うぁっ!と、僕は思わずお腹の底に冷ややかなものを感じた。



「周知の事実の繰り返しになりますが。我々理術士は戦線に立っている限り、生殖欲をいだかないのが普通です」



 海竜相手に強力な攻守の理術詠唱と発動を続けていれば、摂取した栄養の全てはそこで消費されてゆく。あとは食べたい・寝たいという生存欲だけ、そこに加えて女性と仲良くしようという衝動は起きないものとされている。よって恋情もうまれない。たいていの理術士は、四十前後で除隊してから結婚して家庭を持つ。



「しかし、恋情を保ちつつ高威力の理術を発動し続ける者が、たまに現れます。それは得てして、生殖外恋情罹患者であることが多い。これが発覚した場合、当該者は即刻除隊となり、市民籍剥奪の上に追放刑となります」



 そう。男性と女性が思い交わす以外の恋情、生殖を目指さない性衝動はティルムン創初期からの大罪とされている。現在はだいぶ減刑されたけれど、数世紀前までは死罪だった。


 僕の隣にかけたサミの、怒気がめらめら燃えたつ気配が伝わってくる。



「第六十三隊には、今年入った若年のバルボ五位がいるでしょう? こういった例外的な存在に調子を狂わされ、他の隊員が異常感情に罹患してしまう事態になっては、と危惧していましたが。要らぬ心配でしたな。ははは」


「……つまりぃぃぃ」



 地響き低音でサミが発した言葉に、僕はぎくりとする。


 つまり、あんたらはうちらがあのわらべによってたかっていやらしいことをしてるんでないかとそれこそいやらしい想像をしたんかこのすっとこどっこい老害じじいとたかびしゃ若僧め春雷うったるわあんちくしょう、とサミが言いかけているのが瞬時にわかった。



「つまり! 我らが第六十三隊全員、ふるさとへの帰省を満喫しただけなのです!!」



 僕はここ一番の強め早口をサミの言葉にかぶせ、以降つづくであろう変人の暴言をぶっ潰した。



「何と言っても、バルボ五位は初めての帰省でしたし! ホノボ四位たちもクイ=シンボ三位も、久し振りに家族と過ごせて実に楽しかったと! 今でもまだまだ余韻たっぷり、自由時間はその話題で盛り上がってばかりですので……! そうだね、クイ=シンボ三位さんみッ!?」



――こらえろ、サミっっ。



 その含みを顔いっぱいにのせて、僕は変人に笑いかけた。



「……モシャボ三位の、言う通りでありますぅぅぅ」



 おでこに緑色のすじを立てながらも、サミは何とか僕に同調してくれた。すばらしい、変人もエネイラお義姉ねえさんとの一件で、ちょっとは学んで進化したのかもしれない!


 うんうん、と中将二人はうなづいた。



「そうですね! 生粋のティルムン市民である三位たちの第六十三隊で、そんなよこしまな現象が起こるわけはないのです。ただ心配なのは、バルボ五位の方なのであって」



――え? ……新兵イスラが……?



「バルボ五位はもちろんティルムン市民ではありますが、異民族の血が濃い。あのように遠方の民の性質が出ている理術士と言うのは、よくよく注意しておく必要があるのです。優秀である場合は特に……、」


「ま、いいじゃないかね? 中将。第六十三隊には何の心配もないとわかったのだし」


「は、さようですね! 中将」



 引き続きの活躍を期待していますよ、と至極にこやかに締めくくられて、僕とサミは基地本部の談話室をあとにした。


 ……扉を閉めて、日砂の明るい廊下をゆく。


 前に来た時は全く気持ちに余裕がなくて、指揮部の人間達のいる場所を詳しく見てとることもなく、僕はそそくさと通り過ぎていた。


 今だって余裕はない。けれど身体中に警戒意識と敵対感情がはりつめているから、視界がぐうんと広く鮮明になっている。


 ひと気のない通路の出口近くには、大判の板が壁にかけられていた。戦線の配置図だ。細く長い塹壕の数線、見慣れた地形の各所には、小さな札がびょうで留められている。五十二、五十三、五十四、五十五……。現在、実際に配置点で戦っている隊の番号だ。


 ここの人たちにとって僕らは、その上に記された数字でしかない。



 衛兵二人の間から、通用口を出る。基地本部を振り仰ぐ。日干し煉瓦の平屋建物、そのずっと後ろにずんぐり大きな石塔が見えた。指揮部、……将軍と呼ばれる人たちとその部下がそこにいて、≪敵≫に対する理術士隊の配置を考え決めている場所。


 どれだけの高さなのだろう、と思った。


 全ての≪敵≫を……迫りくる海竜たちを、ぜんぶ察知しきれる高さなのだろうか。


 その高みからは、戦線に立つ全ての正規理術士たちを見下ろせるのか。


 ……何でも見通せるほどまでに高いとは、僕には思えなかった。


 と言うより、何でも見通せると思い込んでいるらしき上の人々に、僕は少なからぬ嫌悪感をいだいた。



 そうして今までぼんやりと考え疑っていたことも、……そういう会ったこともない人達への不信とごた混ぜになって、一緒に胸の内で煮えたぎり始める。


 中将たちは身ぎれいだった……。髪や衣から砂粒が卓子の上に落ちることもなくて、さやかな表情で微笑んでいた。



≪きれいごと言ってる奴の腹ん中が、いちばん汚ねぇって言うじゃねえか≫



 ふっと僕の頭をよぎった台詞せりふは……誰の言葉だったっけ? 『常緑ときわの森』の十一巻あたりで、山賊親分が言っていたのだっけかな。ほんとだよ、と僕は同調する。……。


 年少の新兵イスラのことを気遣ってくれている、実はいい人達なのだと思いかけていたのに。


 僕はまぬけのお人好しだ、……やはり指揮部の人間は、僕らを人間として見ていない。家畜のように監視して、≪敵≫にぶつけるだけの駒と思っているのだ!


 僕の身体を今、怒りが静かに巡っていた……。


 禁忌、生殖外恋情罹患、除隊に市民権剥奪、追放刑……。全部知識としては知っていたことだ。ティルムン市民なら、誰でもわかっている常識だから。


 けれど自分の目の前で、こんな風に当事者のように突きつけられて、どうしてだかその一連の常識・・に僕は黒ぐろしいまでの反発感をいだく。


 ……なぜなのか。


 その整理がつかないまま、僕とサミは一般宿舎の方へずんずん歩いていった……。


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