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37.かわらずに恋い想う

 

・ ・ ・ ・ ・



 休暇最終日、出立の朝。


 早いから朝食にはありつけないだろう、と思いつつ荷物を持って階下へ降りると、食堂の方が明るかった。


 のぞいてみるとイスラのお婆さんがばら色割烹着をつけて、一人で厨房を仕切っているらしい。配膳台の近くの席に、にゅうんと変人の大っきな姿がある。



「お早う。品数少ないけれど、食べてお行きよ」


「モモ君、お先ぃ」



 いつも通りに戻ったふり・・をしたサミが、お椀を手に言って見せている。


 生姜しょうがの辛みの利いた菜湯をお腹に詰め込んで、僕らは玄関口へ出る。



「女将さん、本当にすみません。こんな早くに」


「いいんだよ、年寄りは朝に強いさ。元気でな、でかいの」



 お婆さんはサミの腕あたりをぽんぽんと叩いたのだが、やしの木変人は屈みこんで彼女を抱きしめた。



「おおきにありがと。お婆やん」



 サミの平生を知る僕としては、震撼級の素直さだった。


 お婆さんはやっぱりと言うか当然と言うか、まったく動じず「また来るがいい」と言っている。


 そして僕に、……僕らに向き直り、にこッと笑う。


 お婆さんはふわりと僕を抱きしめて、低く囁いた。



「あんたらふたりも、またおいでな」


「……」



――ふたり・・・



「さあさあ。舟着き場ゆきの馬車をつかまえるんだろう? 気をつけてお行き」



 淡い曙光の中、全身くまなくばら色にきらめくお婆さんに見送られ、僕らは南区パバルナンの下宿屋をあとにした。



『……またなぁ。婆ちゃん』



 ♪ ワタシトトモニ アナタハアル… 



 僕の背中にもう一度、あの≪歌≫が触れ流れたような気がした。



・ ・ ・



 市門のところで、馬車を待っていた新兵イスラと合流する。両親に抱擁して、少年兵はぐずつく様子もなく、さっさと車に乗った。


 途中、各地点で次々兵士達をのせてゆき、ホノボ兄弟が乗ってきた頃にはどの馬車も満席に近くなっている。僕を含め、だいぶ荷物の増えた兵が多い。



 やはりこんがりと日にけたホノボ兄弟の間に挟まって、新兵イスラは「むぎ刈りが」と絶え間なく喋っている。兄弟も、ふんふんと絶えることなく相槌を打っていた。


 馬車はやがて舟着き場に到る。ひときわ高くそびえる王城の尖った塔と、その周りにごちゃついていた建物のかたまり……ティルムン大市はもう遠方にかすれてしまって、ここは白河の水緑域大帯の外れだ。


 がらにもなく、僕はもの寂しさにとりつかれていた。これを郷愁、感傷というのだろうか。移動中、しだいにかすれていく水緑域の緑色に、とりすがるように僕は見入っている。


 イスラをなくしてから十四年、こんなに楽しみばっかり詰め込まれた十日間なんてなかった。


 親友のいないティルムンはただの人と建物の集まりでしかなかったけれど、再びイスラを取り戻した今、ティルムンはもう一度僕の≪故郷≫に戻っていた。帰る所ができたのは、少しこそばゆいような嬉しさだ。


 次に来るのはいつだろう……。来季の休暇が、すでに楽しみに思える。



 天幕の多く群れたつ舟着き場。馬車を下りて、砂舟の順番を待つ。遠方地域や辺境の町へ行く通運業者の舟もたくさんあるけれど、これだけ人間を荷物に積んでいる一団はない。僕らは見るからに、軍属移動として周囲から浮いていた。


 第六十二隊が乗りこんでいるのを、ホノボ兄弟、新兵イスラとともにじっと見ているところへ…… ふと、声がかかった。



「若様、お忘れものがございます」



 サミの横に、年配男性がごく目立たないように寄り添ってきた。


 変人自身はぎょっくり驚いた様子で、男性の押し付ける布片を受け取る。



「……第六十三隊、どうぞー」



 僕は振り返って、真っ先に舟に乗る。



「第六十三隊長、モモイガ・モシャボ三位さんみ


「第六十三隊、ハガティーウ・ホノボ四位」


「第六十三隊、ラガティーウ・ホノボ四位」


「第六十三隊、イニーシュラ・バルボ五位」



 舟上の予備役が、次々に名乗る僕らを名簿で確認してゆく。



「……第六十三隊、サミーピア・クイ=シンボ三位……」



 少しどもりながらサミが言って、砂舟はするりと沙漠の中を走り出した。


 長座席に座り込んで、ぼうっとしたような隣のサミの腕を、僕は肘でつっついてみる。



「……誰? さっきの人」


「うん……、」



 サミはちらりと、反対側の席にいるホノボ兄弟と新兵イスラの方を見た。三人とも、消えゆくティルムンの方角を見つつも、やはり何やらしゃべくっている。



「エネイラ義姉ねえやんの実家の、使用人のおっさんやと思うねんけど……」



 サミは膝の上、手中の布片に視線を落とす。僕もそちらに目を向ける……サミや、と書いてあるのが見えた。便たよりだ。



「……これ、エネイラの字ぃや。モモ君、……うちに読んだって」


「はぁ!? 何で僕? 自分で読みなよッ」


「やだ。何か怖いし」


「大のやしの木が何言ってんのッ」


『声を落として突っ込むのは、割と難度高いのに……。芸に磨きがかかっとるで、モモイ……』



 ああ、もう……。


 僕はやけくそで布片をひらいた。まるっこい字が並んでいる。



「サミや、色々あったけれどわたしは元気で」


「いや、音読でなくて要約おしえて」


「……。こんな短い便たより、さらにはしょれないよ。エネイラさんもお腹の赤ちゃんも問題なく元気だから、次の休暇も必ずまた会おうねって書いてある。両親とお兄さんの説得は、自分にまかしとけってさ」


「……そんだけ?」


『あっさりした奥さんやねんな』



 サミもそうだが、僕も拍子抜けした。イスラも。



「……そっか。エネイラ元気で、まかしとけ、てか……」



 くくくっ、と笑ってサミは顔を上げた。


 途端、変人の巻き巻き金髪がぶわっと風に流れ、くるくる毛先が僕の顔面をめった打ちにする。うぇっぷ。



「エネイラが変わらへんなら、うちもそのままでいたろ」



 悲しみを飲み込んで、寂しさをたたえて、……それでも陽にあたった変人の表情は、何だか晴れやかだった。



・ ・ ・



 戦線の宿舎に帰って来て、狭くむさ苦しい第六十三隊室の壁際寝台に、どさりと軍用麻袋を置く。


 保養施設に寄って、預けておいた軍備を受け取ったから、今の僕はもう完全にモモイガ・モシャボ三位さんみ、第六十三隊長に戻っていた。


 砂色外套、獅子頭の術士帽を胸にさげ、聖樹のティルムン国章が彫られた丸い小盾を背にかけている。


 そして聖樹の一部だった杖、親友イスラの杖は、ちゃんと僕の手に戻ってきた。金環の内側に巻き付けておいたひもにも動かされた様子はない。慣れ親しんだ感触を握って、僕は安堵した。



 新兵イスラとホノボ兄弟、変人とそろって夕食の席を囲めば、どの顔もぜんぶやわらかかった。


 サミですら、新兵イスラとぺちゃくちゃだべっている……。主にティルムン犬の美しさと、競犬への情熱を語っていた。こらこら。


 明朝の配備連絡を受ける。


 けれど今の僕には、もっと先の未来が見えていた。取り戻したイスラ、かえってきた親友イスラと待つ≪その先の世界≫が、はるか先でぼんやりと……しかしきらきらと輝いているように思えて、仕方がなかった。



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