34.未来に楽しむ本を買う
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夕方。僕らはティルムン大市にたどり着く。
別れ際に改めて、僕は新兵イスラの両親にお礼を言った。
「ご親切のおかげで、思いがけなく聖樹参拝できました」
「いえいえ。モモイさんがいて下さって、楽しかったですよー」
「また、ご一緒しましょうね!」
ずっと朗らかだったバルボ夫人は、誰かによく似ている。自宅へ戻る一家と別れ、下宿への道をたどる途中で、僕はようやく気づいた。
――イスラのおばさんも、ああいう風に言っていたんじゃないか……。
また来よし。一緒にごはん食べようなぁ! イスラと訪れた学校休暇の終わりに、いつもそう言ってくれていた。ほっそりしていたイスラのおばさんとふくよかなバルボ夫人、外見がかけ離れているから意識しなかったけど、言い方が似ているというのは当たり前かもしれない。二人の女性は姉妹なのだから。
「……」
『どうかしたんか? モモイー』
街路樹の立ち並ぶ路を歩く……右肩上あたりから声が聞こえた。
「うん。イスラのおばさん、どうしてるかなって……」
僕は十四年間、会っていない。会えるわけがなかった。会ったら全てを話さなきゃならなくなる、どうしてイスラがいなくなってしまったのか。
『元気やでー?』
何気なく返ってきた答えに、僕はがくんと前につんのめった。
「会ってたのッ?」
人通りは多い。一人で喋ってる危ない人という印象を周囲に与えないよう、僕は口の中でイスラに向けて囁いた。
『うん、ずーっと前やけど会いに行った。まぁ向こうは俺のことわからんし、会ってる言うのか知らんけどー。いもうと二人が続いて生まれてな、忙しく楽しく暮らしとる。モモイが戦線行ってからは、俺も向こうにずっと居ったから、長く会うてへんけどな。心配いらんよ、大丈夫』
「……今は、会いに行かなくていいの?」
『ええねん』
イスラの声は、はっきりと言った。
『お母ちゃん達のことは、心配いらん』
「……けど、僕のことは心配なん?」
『うむ! 実にたよりなげ、はかなげで心配やー』
「三位の正規理術士だよ? 隊長で、大人なんやけど……」
『ちが~う、モモイそのものでなくてな。モモイに置いてけぼりにされて、ひとり途方に暮れる俺自身が心配なんよ』
「そんなこと、するわけないやん」
僕は苦笑せずにいられない。
……あの日の前も、イスラは割とこうだった。平気な顔してぶっ飛んだ組み合わせの理術詠唱をしたり、教官が舌を巻くような小論文を提出したりするくせに、しょっちゅう弱気になっていた。二人で本を読んだり、予習復習をしている時にそれを僕にぽつりとこぼす。
僕はイスラがそばにいれば、自分も強く賢くなれた気でいた。そういう強いイスラだったのに、どうして小さな不安にこだわるのか、不思議に思っていた。
再会した今になってようやく、その理由もわかりつつあるのだけれど。
賢いゆえに先のことを考えすぎて、心配でたまらなくなっているのだ。自分で自分を不安にしている、とも言える。おちゃらけた態度は、まじめな素顔を隠すためのかくれみのだった。
声のするところ、右肩上の宙に、右手のひらをあてた。案の定そこが温かい、この辺イスラだ。
「……じゃあまっすぐ、お婆さんの下宿に戻ろう。もう僕はお腹空いちゃって、どうしようもないよ」
『あんだけ攻撃すればな~』
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それから休暇残りの八日目・九日目を、僕とイスラはまったり満喫した。
遊泳のできる白河の川浜辺、いるかの影を水面下にみとめた時、僕らはもう我慢できなくなった。下穿き一丁になって、僕は飛びこむ。
ティルムンの川いるかは、人間が大好きなのだ。ゆるく並泳してくれる。
派手に飛沫をたてつつ平泳ぎでもがく僕の横(※溺れてはいないよ)、いるかは白いおでこを水面に出して、ゆるゆる進む……。何となく親近感をおぼえるのっぺり顔のこの生きものを、僕らは昔も今も気に入っている。
『にゃあーん』
反対側ではイスラの声が、水中でいるかが発していると言う鳴き声をまねしていた。
浜辺屋台のおじさんに割れ目を入れてもらったここやし果汁をすすり、ぱりっぱりに揚げたさめ肉を挟んだ平ぱんをぱくつき、さらに一緒に買ったなつめやしの実とその辺のいちじくを食べた後は、書店に向かう。
西区と南区の大手をまわって、イリー世界やその先の東部に関する資料を検索してもらった。
あまり目ぼしい情報は得られなかったけど、それでも僕とイスラはなるべく多くの書物を開いて読んだ。
閲覧席で一番広いところに陣取り、全開にした布巻き本を机の上に並べられるだけ並べる。それをイスラが読んでいった。腰掛けに座って僕が一冊読む間に、イスラは八冊読んでいる。
そして帰りがけに、またしても書店員さんのおすすめ本を十数冊買う。イリーや東側世界に関するやさしい学術書と、トキワ本……。下宿の寝台上に並べて積むと、今まで買ったのとあわせて小山になってしまった。
「……ちょっと、買いこみ過ぎたかなぁ……」
この先戦線に戻ってから、イスラと一緒に毎日の自由時間に読むつもりの備蓄だ。未来の楽しみを買った気でいたけど、……さすがに多いかもしれない。荷物としてもかなりかさばる。帰りの砂舟で、予備役に叱られてしまうかもと思った。
『いや~! 待てモモイ、こんな時こそ俺の出番やぞ! “真空圧縮”の小技を使えッ』
「はぁ~? あれは食べもの保存に使う術やろ?」
しかし親友の声に促されるまま、書店おまけ手提げ袋二つに布巻き本をぎちぎちに詰め込んで小技をかけたところ……。おお、袋ふたつは四分の一にぎゅうっと小さくなったではないか!
「すごいッ、これもイスラが考えた応用!?」
『ふっふっふ……。昔読んだ、「お婆ちゃん理術士のまめ知識」ちゅう本にのってたんや……。旅行する時の衣の圧縮に使えるんなら、布巻き本にもばっちり応用できるっちゅうこっちゃ! さすが俺』
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明日は戦線に帰るという、実質的に休暇最終日の九日目は、パンダル君とロラン君に昼食をおごった。
イリー留学生たちは恐縮したけれど、僕は彼らに本気で感謝していた。この二人に出会って様々なことを教えてもらわなければ、イスラの声が聞こえるようにはなっていなかったと思う。親友の存在を取り戻せたこと、その詳細を話してお礼を言えないのは残念だけど。僕らは明日の早朝出立するし、二人とはこれでさよならなのだ。
書き上げた小論文になかなか良い評価をもらったロラン君は、晴ればれとした表情だった。その隣、例の権威をそこはかとなく漂わせながら、友達を誇りに思うパンダル君も朗らかな笑顔である。
同じ店で同じ魚の揚げ物、同じ気楽さ。
本の話題で長く盛り上がってから、ロラン君が手提げをごそごそ探った。
「モモイさん。これ、僕ら二人からあなたに贈りものです」
「えっ?」
手渡されたのは、布巻き本に見えるものだった。けれど市販の規格ではない……。柔らかい筆記布をつないで合わせた、いわゆる≪自家製複写≫である。
表題は『深淵なる東部世界の慣習と文化』。びっくりするくらい堂々と立派な達筆で、そう記してあった。
「けっこう古いのですが、私たちが知る中で、最も東部に詳しい書物だと思うのです。モモイさんはイリーと東側世界に興味を持って下さったので、今後の読書のお役に立てばと思いまして」
僕は口を開けたまま、そうっと中を開けてみる。……表題同様の達筆で、きれいな文字がびっしり書き込まれている!
「……写してくれたんですか!? 僕のために……!」
「あの~……。実はその本、イリー学者が書いたものなので。原本はイリー語表記なんです」
「それをロランがティルムン訳して、私が清書しました」
二人はちょっとだけ照れくさそうに、微笑しつつ言う。
「ありがとう……。本当に、ありがとう!」
実は、僕はこの本の存在を知っていた。検索してもらった時に書店員が教えてくれたのだけど、綴りが大幅に異なるイリー語版で、ティルムン訳版はないと言うから、僕はあきらめて手に取らなかったのだ。
正イリー語というのは、元はティルムン語と同じものである。三百年前イリー植民とともに東進し、そこで抑揚と書き文字、綴りが大幅に変化した。こつを掴めば相互変換して読み書き可能になるとは言われているけれど、もちろん僕にそんな才覚はない。
「赴任先に持って帰って、ゆっくり読ませてもらいます」
「一番最後のところに、僕らの連絡先を書いておきました。名刺がわりに」
「私たちはあと二年ほどこちらで勉強を続けて、その後はマグ・イーレへ帰ります。書物のことやイリーについて、何かお話をなさりたいことがあったら、ぜひご連絡ください。イリー現地から、詳しいお便りを差し上げますよ」
「パンダルの在所はちょっとややこしいので、僕の実家住所を書いておきました。でも色々すっ飛ばして、≪マグ・イーレ市、本屋のロラン≫ってだけ書いても届きます!」
「……他に、書店がないからねぇ。うちの城下には」
「増えて欲しいけどねぇ」
ふふふふ、はははは。イリー青年二人の笑い声が、低く穏やかに響き合う。
『ええ兄ちゃんらやなぁ。俺も読むの、楽しみやで! ふふふ』
肩のあたりで、イスラもそうっと笑っている。
『また、どこかで会えたらええなぁ。元気でいてな!』




