33.砂嵐VSモモイスラ
東に向かう砂舟の一行を見て、しばらく進んでからのことだった。
船尾からの詠唱が途切れた。僕が振り返ってみると、船頭理術士二人は何やら話し込んでいる。前へと送り出す風を失って、宿舟はみるみるうちに速度を落としてゆく。
船頭二人は右舷と左舷にそれぞれ向かい、そこに突き出た操作杭を、同時にぐいいっと引き下げた。両翼の補助胴がぐっと向きを変えて、砂地に埋まる。
宿舟は完全に停止した。
「砂嵐が来ます。皆さん、船倉の方へ入って下さい」
びっくりして、僕は顔を上げた。
後ろの方の空が、いきなり二層になっている! 青の下に暗い灰色の段、北方から砂嵐が迫っているのだ。
新兵イスラとその両親とともに、狭い階段を下りて船倉内の室へ入る。
一家が宿泊したその二室を区切る引き戸を開け放つと、余裕のある空間になった。後ろからついてきた若い方の船頭が、天井戸を開けて日砂の灯りをつけていった。
「一刻ばかり、ちっと揺れるかもしれませんが。この船は吹っ飛ぶようにはできていませんから、心配は要りませんよ」
ティルムン市民は、砂嵐には慣れている。軽いものなら月に数回やってくるし、年に二・三回は大きいのがぶち当たる。数日間太陽が見えず、暗い赤褐色の砂塵の中で過ごすこともあった。
……けれど僕が長く過ごした戦線の北海岸に、ほとんど砂嵐は来ないのだ。久し振りに遭う嵐に、正直僕は少し動揺していた……。こんなのだったっけ??
新兵イスラの両親、バルボ夫妻は全く落ち着いていた。
「さっき見たけれど、あれは北東へゆく感じだったねぇ」
「ええ。こっちへは来ないんじゃないかしら? でも、とばっちりだけでもだいぶ揺れるわねぇ」
寝台の上に腰掛け、お父さんは経済雑誌、お母さんは編み物片手に、穏やかに語り合っている。
もう一つの寝台、僕の隣に座った新兵イスラにも動じた様子はない。少年は暇と感じたか、お母さんに毛糸を分けてもらい、あやとりを始めた……。
ごごごごごごごごごごご……
『揺れる、うなるぅぅぅ。大自然の驚異や、ちがった脅威や。人智の及ばん猛威やぁぁ、おそろしいぃぃぃ』
「……」
僕と見えない親友イスラだけが、動揺をつのらせている。日干し煉瓦の建物の中以外で、砂嵐を越した経験なんてなかった。正規理術士だって怖いものはこわい。
ごうごうとうなる音が強くなって、バルボ夫妻の会話も全く聞こえなくなる。
ともすれば、がくぶる震えてしまいそうな自分の注意を逸らそうとして、僕はここまでに読んできたイリー入門書の内容について考え始めた。
横で一心不乱にあやとりをしている新兵の頭、暗色髪をちらりと見やる。この暗い髪色と違って……イリー人の毛髪は明るい。僕らティルムン人と、ほとんど変わらない。イリー人の祖先というのはティルムン人であり、“白き沙漠”を越えて東へ移住していった人々だからだ。
――そもそも何で、そういう移住があったのかと言うと……。
三世紀以上も前、ティルムンで大きな集団断罪があったらしい。
どういう罪だったのかは、どの本にも書いていなかった。なにか複雑な事情……政治的な罪だったのでは、と僕は推測する。それなら後世の……つまり現在のイリー諸国との関係上、あんまり公にはできないから一般にはふせておく、という姿勢もわかる。まあ機会があれば、そのうちもっと詳しい書物で知ることがあるかもしれない。
とにかく有罪とされた人々は、“白き沙漠”で置き去り刑にされた。これは本当にひどい刑だ。水も何の装備もなく、ただ身ひとつでおいて行かれるのである、沙漠のまっただ中に。運が良ければどこかの水緑域にたどり着けるけど、見込みはほぼ絶望的だ。実質的には死刑と言えるかもしれない。ちなみに人道的観点を重視する王権支配の現在では、この刑はもちろん廃止されている。
……しかし三百年前に、その置き去り刑にて取り残された人々は生きのびた。
≪黒羽の女神≫なる存在に救われて、渇死することなくイリーの地へとたどり着いたのだと言う。これこそがイリー都市国家群で広く信仰されている≪守護神≫らしい。
この守護神については、入門書ではほとんど詳細は語られていなかった。一番最後の植民都市、テルポシエに眠っているということだけ……。どんなものなのか、僕には想像もつかない。女神、というからには女性なのだろうか?
こんな果てしもない沙漠、時々今みたいに砂嵐だってよぎる広大な砂の海を、人間達に歩いて横断させるなんて……。どれだけすごい力を持っていたのだろう?
……と、その辺まで思い返して、僕はふと気づいた。
……沙漠を、横断させる……? さっき見た人たちだって、あんな小さな舟で沙漠を渡っていくところだったじゃないか……。
「隊長。沙漠の上に、月ができました!」
いきなり、くるりと向き直って新兵が告げる。
ごごごごごー……。砂嵐の轟音の中でも、実によく響く声だ。どや顔の前に掲げたあやとりは、……ほんとに沙漠の上のお月さんである。
引き攣れる顔にむりやり笑いを浮かべ、少年の両手のあいだに出現した線の芸術を称賛しようと、僕は口を開けかけた。
「いま、“じごく耳”かけてるんですけど」
しかし、新兵の言葉の方が早かった。平らかに言ってくる。
「え……?」
「砂嵐は東寄りに向かってます。船頭さんたちも、上でそう言ってる」
「……」
「さっき、東へ向かって行った人たちに当たるかも。大丈夫なんでしょうか」
言いつつ両手をくしゃりと縮めたから、新兵イスラの手中にあった小さな絶景は、一瞬にして消滅した。
「……俺、ちょこっとだけ上を見てきます」
言い残し、両親に何ごとかを告げると、階段を上がって行ってしまった。僕も慌てて立ち上がり、後を追う。
新兵が踊り場の戸をわずかに開ける。僕はその頭の上の隙間から、外をのぞいてみた。
明るかった。
そうっと手を外に出してみる、風は強い。……けれど吹きすさぶ中に、ぶつかってくる砂は少なかった。
「隊長、あれ。やっぱり東へ行っちゃってます」
新兵イスラが指さす方向、空に向かって広がった巨大な逆三角錐が、確かに東へと流れ進んでいる。嵐はたつまきの形を取っていた。
「波のままだったら難しいけど。ああやってまとまっているんなら、何とか勢いを削げないかな!」
頭巾を深く引きかぶり、襟を立ててあごを覆いながら、新兵は大声で言った。
「イスラ? 何する気なんだい!」
「これ、人命救助だと思うんです。モモイ隊長、休暇中でも人の命にかかわる場合は、理術攻撃使ってもいいんですよね?!」
新兵イスラ同様、なるべくたくさんの顔面積を外套その他の布地で覆いつつ、僕はぎょへーと思う。
「まさか、あのたつまきに攻撃をぶつけるつもりなのかいッ」
「そうです! あのまま行ったら、さっきの舟の一団に当たるからっ」
言われてみればその通りだ。あの小さな舟では、間違いなく吹っ飛ばされて粉みじんになる……!
『乗っかってるんは、密航者でも何でも、とにかくティルムン人やもんな。正規理術士たるもの、危機に瀕した市民を放っとくわけにはいかんやろう……』
頭巾内側、うなじのあたりで親友イスラがにんにん低く囁いている。
『問題は~、威力不足かいな。モモイもイスラ君も、聖樹の杖なしでたつまきにがちんこ勝負を挑むんは、ちっと無謀とゆうものやで……』
親友イスラの天才肌も、新兵イスラの優秀さも持ち合わせていない凡人三位の僕はしかし、大人である。
「……待ちなさい、イスラ」
踊り場の戸を出かけた新兵が振り返る。引き留められると思ってか、不満のまなざしを投げてきた。
その横を通り抜け、僕はそのまま甲板の船頭室に近づくと、扉をがんがん叩いた。
がちゃりと開けたところから、若い方の船頭が顔を出す。理術士の術士帽とはだいぶ違うけれど、玻璃の目元覆いのついたかぶりものをつけている。砂嵐の中で、外を見張るためのものなのだろう。
「お客さんッ? どうかしたんですか!」
「……緊急事態につき、お二方の杖を拝借できますでしょうか」
大人の正攻法。ずどーんと、頼んだ!
・ ・ ・
「いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ、高みより高みよりいざ集え」
杖と一緒に貸してもらった、砂塵よけの目元覆いを通して東方のたつまきを見据え、新兵イスラと僕は詠唱を始めた。
ぶわん!!
拝借した船頭たちの聖樹の杖、その先端の三つ重こぶこぶから白い光が噴き出す。
「するどき風の刃となれ。蒼き鉄槌を下せ!!」
新兵イスラの杖から、次いで僕の握る杖から風の刃が勢いよく伸び上がって、一直線に砂嵐へと向かってゆく。
青い筋は褐色の逆三角錐に確かに当たったが、吸いこまれて見えなくなる。
「……連続して攻撃。詠唱継続!」
ひたすら風刃攻撃を送り込むだけではあるけれど、新兵イスラにはやはり指揮が要る。
防御はいらないのだから、今回ばかりは僕も攻撃に徹した。風刃は両イスラの十八番、僕が撃っても大して効きゃしないのではと思いつつも、地道に十数回繰り返し撃ち続けた。
『ええぞ~! モモイ、やっぱ根元部分を攻めるんが効くんとちゃうか? 微妙に勢い削げてるっぽい。どんどん撃てまえ~』
疲れを知らない親友が、元気に応援してくる。
『むっ! イスラ君、さすがにこの連打では疲れてきたか? 戦線では、でっかいお兄の合間撃ちやしな……、無理もない。ようし、代わったろッ』
え、まさかここで、と僕が見下ろしたその先で、目元覆いの下の顔がにやーりと見返してきた。新兵の身体を、親友が拝借したもよう。
「いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ、高みより高みよりいざ集え 集い来たりて 我が敵を撃つ 風刃の戒めとなり…」
ぐーんと響いてくる、親友の力強い詠唱。聞きつつ僕もつい破顔してしまった、この調子はやっぱり僕のイスラの詠唱でしかない。
「白き氷の華をまといて 敵のその身を凍みくだけ」
イスラの杖から勢いよくほとばしった青い風刃の流れは、ところどころ白っぽく光りながらたつまき根元へぶつかっていった。
「蒼き鉄槌を下せ!!」
ぶる、ぶるっっ……!
僕の目には、あたかも砂嵐が震え上がったように見えた。
その旋回がふわり、と解け広がる。
「おおーう。やっぱし温度落とすんが、効くらしいな」
「……氷凍かい!? イスラ!」
親友はうなづく。
「ほなモモイ、たつまき根っこに冷えひえを撃ったってや。俺は風刃で、そいつをきりきり混ぜたるし!」
「ようし、わかった……!」
僕らは一緒に詠唱する、……しながらやっぱりイスラは最強なんだ、と思った。
「いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ、高みより高みよりいざ集え」
攻撃理術の同時詠唱組み合わせなんて、何をどうしたら思いつくんだ。と言うか、そういう名人芸を実践しているあたりの格が違う。
「集い来たりて 我が敵を撃つ 白き氷の華をまといて 敵のその身を凍みくだけ!」
「集い来たりて 我が敵を撃つ するどき風の刃となれ 蒼き鉄槌を下せ!」
白い氷と青い風を、その後僕らは四半刻ばかり叩き込み続けた。
どんどん薄くなってきた褐色たつまきは、やがてふわぁんと宙に解けて見えなくなる。
「弱ーい風になって、まだ渦巻いてはおるけど。あんなのに吹き飛ばされる舟は、まずないやろな」
満足気に言って、イスラは目元覆いを上げた。
「モモイスラ、たつまきを征す!」
僕らの周りにも、もう砂粒は飛ばない。
生ぬるい風に包まれて、僕らはどっちも笑顔になる。




