30.聖樹まいり
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紺碧の空の下、白い砂の海を一直線に帆船が進んでゆく。
「いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ、高みより高みよりいざ集え 集い来たりて 我らを導く疾風となれ」
船尾の方にいる“船頭理術士”の声が、風と一緒に高らかに宙を飛ぶ。彼らのつくり出す理術の風が帆をいっぱいに膨らませ、大きな船を先へ先へと走らせている。
新兵イスラとその両親とともに、いま僕らは風に運ばれて聖樹を目指していた。
ティルムン大市の東門から馬車に揺られ、砂舟港でその宿舟を見た時は驚いた。
『ぬおお、でかッ』
親友イスラがすぐ脇で仰天声をあげ、僕は口を四角く開けていた。
休暇入りの日、北海岸の戦線からティルムン大市まで帰ってきた時の舟とは桁が違う。たっぷり六倍はありそうな、ごつい船だ。
中央部分に一つ、船倉に二つ室があって、そこに泊まれる。だから宿舟と呼ぶのだ。
甲板に突き出た箱型船室の前、取り付けられた長床几に座る新兵イスラの両親は、ゆったりふくよかな外見だった。のんびりした調子で、時々僕や息子に話しかけてくる。
粗毛地の卸商と聞いていたけれど、そういう大きな商家の上に立っている人に僕は初めて会った。
イリーの国々から獣皮や毛を買いつけて定期通商船で運ばせ、ティルムンの工房に卸すのだと、新兵のお父さんは僕に気さくに教えてくれる。
「内陸フィングラス産の羊毛や山羊毛なんかは高品質で、軍の工房用にもかなり輸入してますね。あとは希少価値の高い“うに角獣”だとか。ファダンに提携畜産園があるんですよ……」
「向こうへ買い付けに行かれることも、あるんですか?」
現実的なイリーの話が聞けるかも……、とちょっと期待を込めて聞いてみたが、新兵のお父さんは首を横に振った。ふくよかなあごが揺れる。船に乗ってテルポシエへ行くのは番頭さん、買い付けもイリーの現地業者がしているから、自分たちは売るだけなのだと言う。
『にしても……すごいな~、おばちゃんてば羽振りええな~! こんな大っきな舟に乗るん、俺はじめてやー』
時々こっそり詠唱声調で名前を呼ぶから、イスラの声は絶え間なく僕に聞こえてくる。
『前にモモイと一緒に来た時は、たしか……。普通の砂舟で、白河の水緑域ぞいに行ったんかな。日帰りで行って帰って、けっこうしんどかった気がする~』
そう。あの日の一年前に、僕らは一緒に聖樹参りをしたのだった。
東区に住んでいた親友イスラの両親が僕を誘ってくれて、やはり錬成校の休暇中に行ったのである。よく考えたら、僕が聖樹に詣でるのはそれ以来なのだ。
「……イスラは、もう何度も来ているのかい。聖樹参りに」
横の席にかけている少年に問うてみる。
見えない方の親友イスラとはっきり区別するつもりで、新兵イスラには少々上から目線、戦線にいる時の調子で話すようにしていた。……と言っても太平まぬけ顔の僕である、威厳なんてみじんもないのはわかっているけれど。
「はい、毎年きてます」
長床几の上には陽よけ布がかかって、陰を作っている。ホノボ兄弟のところでこしらえた日焼け維持中の少年が答えた拍子に、その歯並みがやたら白くあらわれた。
「昨年は三回来ちゃったのよね~。イスラが試験に無事合格しますように、って願掛けに」
「ご利益があって良かったよねぇ。今回は息子の、お礼参りってところなんですよ~」
ふくよか夫妻はのんびりと言ってよこす。どちらも典型的なティルムン市民の容貌だった。金色の髪に、明るい瞳。新兵イスラはお母さんにもあんまり似ていなかったけれど、話しながら時折うなづくその仕草が、そっくり同じだ。おやこである。
何度か短い休憩を挟みながら、船は走り続けた。
船頭理術士二人が交互に詠唱していくから、走行の速度も軍の砂舟よりよっぽど速い。この人たちは砂舟の航行に特化した民間の理術士なのだ。兵士でないというだけで、もぐりと呼ぶのは憚られる。
熱気の揺らめく午後の終わり、白い地平線の向こうに、僕らは聖樹の姿を見出した。
はじめ小さく見えた樹が巨大に迫って来るにつれて、白い砂地が緑の草地に変わってゆく。さらさらと砂を割っていた船底が、やがてざりざり乾いた音を立て始め、沼のほとりの小さな砂舟港へとたどり着く。
普通の砂舟に乗ってきた参拝客は、ここから驢馬車に引かれて聖樹の根元に至る。しかし宿舟の船頭理術士は、舳先船尾と前後に取り付けてあった車輪を二人がかりで引き下げた。
再び詠唱が行われ、船は荷車のようにごろごろ、がらがらと草地の道上を前進してゆく。
『けったーい! おもろーい!』
僕の肩先あたりから、見えないイスラのはしゃぎ声が聞こえてくる……。
せやね! とはしゃいで言い返せない自分が、ちょっともどかしい。
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聖樹は何の木なのか。
誰だって気になることだ、僕も以前は気になっていた。けれど聖樹は聖樹なのである。他にある木と同じ、と思って何の種類なのか考えること自体が、そもそも正しくない。
太い幹にもさもさと枝葉が茂っているさまは、花たまなだとか丸きのこに似ている気もする。しかし、いかんせん巨大だ。ティルムン王城がはかなく見えるくらいの、壮絶な大きさなのである。
はるか大昔に栄えたという古代都市の復元予想図を、錬成校の図書室でイスラと見たことがある。そこに描かれていた城塞が、ちょうどこんな感じだった。そしてその周りを取り巻いていた町が、聖樹の森といったところか。
崇拝対象の周りには、≪森≫がある。ずっと背の低い樹々と草が、豊かに緑を織りなしていた。
参拝客を受け入れるための施設もたくさんあって、小さな集落ができている。大方は宿屋と食事処、そして石積みの倉庫のような建物がひとつ。
いくつか並んだ宿舟専用とおぼしき場所に、船頭理術士たちは船を駐めた。
いってらっしゃいませと見送られ、地面に降りる。
新兵イスラと両親は慣れていて、迷わず聖樹のもとへ向かう小径をたどって行く。ちらほら行き交う人々も多かった。手入れがなされているから自然そのままの姿ではないのだろうけど、僕らが唯一知る≪森≫は、やはり不思議なところだ。
一番後ろを歩きつつ、僕はそうっと、見えない親友イスラに囁いてみる。
「緑が濃いね」
『ほんまやなー』
あいづちの囁きが返ってきた。
頭上が翳って、聖樹の枝がつくる薄暗さの中に入る。鋼でできた天蓋型の専用通路を通って、僕ら一行は聖樹の根元、祭り壇の前に来た。ここまで来るとほぼ暗闇、そこかしこに置かれた蜜蝋灯りがなければ、天蓋通路の中では何も見えない。物語に出てくる洞窟と言うのは、恐らくこんな感じだろうと思う。僕は本物を見たことがないけれど……。
先客を少し待ち、順番が来て、新兵イスラと両親が次々に聖樹に触れた。
もりっと盛り上がった大きな根のところは、長年参拝客になでられ続けたせいで、ごつごつした樹皮がなくなっている。いまやつやつやになった表面は、にぶい灯りをぺかっと照り返していた。
だいだい色の蜜蝋に照らされた根元の表面に、僕も右手のひらをあてる。
――ありがとう。
教え込まれたティルムン市民のしきたり通りに、≪感謝≫をする。
僕らの生命を支えてくれていること、水を河に送り込んでくれていること。僕ら理術士に、理力を分け与えてくれていること。
ティルムンは聖樹ありきの文明だ。ここ“白き沙漠”のど真ん中に根を生やして、地中深くに水をつくり出しているこの樹がなければ、人は生きられなかった。
――イスラを還してくれて、本当にありがとう。
個人的には声を大にして叫びたいことも、感謝する。
つきつめて考えれば、死んでしまったはずのイスラがなぜこうして存在するのか、僕のそばに居られるのかは、まだ謎のままで全然わからない。
聖樹のおかげではないのかもしれない。それでもとにかく、参拝は感謝の場だ。
隣から声は聞こえてこなかったけど、僕はイスラの名を呼ばずに参拝を済ませた。
僕が感謝と、……願いを口に出して言わないのと同様、イスラも沈黙のうちに聖樹に向けて、何かしらを思い願っているのだろうなと思ったから。
そう、願いは口に出さずに想うもの。それが実現したときに初めて、はっきり言葉にのせて喜ぶものだといつか誰かが言っていた。……錬成校の先生だったかもしれない。
サミの分と自分のと、お布施の貨幣を燭台脇に佇む管理係の人に差し出して、僕らは暗い通路を引き返した。




