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29.夢おちだったら怖いけど

 

・ ・ ・ ・ ・



 夜更け過ぎまで、いやもう時間の感覚なんてなくしてしまって、僕はイスラへの詠唱を続けていた。


 普通に話しかけたり、名を呼んだだけではやはりだめだ。


 理術詠唱の集中と気合をもって、本気で“イスラ”と呼ばなければ、イスラの声が僕に届くことはない。けれどはじめにそうして呼んでおけば、基本詠唱なしでも声が聞こえてくるし、イスラは僕としばらく話すことができる。


 呼びだめ・・はできるのか。そこそこ大きい声で呼ばないといけないのか。囁いてもいいのか。


 色々と試しまくって、こつをつかもうとした。大昔、実技試験の前にイスラと練習した時と同じのり・・で。



『……あのなー。いくら何でも、そろそろ休んだほうがええのんと違うか? モモイ』


「せやね……」



 下宿の自室には“音ふせぎ”の小技をかけてあるから、隣の人達に僕のうなり声は聞こえないはずだ。しかし、さすがに深夜である。


 イスラに言われて、そこで僕はようやく疲れを覚え始めた。とたん、身体が重くなる。



『ほれ、さっさと寝よし。また明日、話そ!』


「うん……」



 寝床の毛布にくるまり、卓上の小さくなった蜜蝋みつろう灯りを指でつまみ消そうとして……、僕はためらった。


 眠い。ものすごく眠い、つかれた……。しかし。



「……朝起きたら、今日あった全部が夢おちだった、ってことになりそうで怖い」


『珍しいな? モモイがそういう心配するて。まぁそしたら、もいっぺん今日にもどって、同じこと繰り返したらええや~ん?』


「……」


『あはッ、そういう空想冒険小説あってんな。大丈夫や、どっちみち俺はモモイのそばにるよ。パンダル君の言葉も信じよし!』


「せやね」



 僕は指の間に、小さな燭を消した。周りに闇が満ちる。



「……ところで、イスラの声って」



 無意識に引き込まれる直前、眠りの淵で僕は問うた。



「他の人にも、聞こえるんかな……?」



 たとえば僕みたいに理術士やっている人が、イスラの名前を詠唱の声調で呼んだなら。その人にも、イスラの声は聞こえるようになるのだろうか。



『ああー? そら~ないやろ。そもそも十四年も前にいなくなった俺のこと、憶えてる理術士がおらんし。俺のこと、ここに俺がいるってことをわかってて、名前よべるんはモモイだけやもん』


「そっか~……」



 ぐう……。眠りに垂直落下する寸前、毛布の上の右手がぼんやり温かかったのは、気のせいだろうか。


 ……すでに夢にさしかかっていたのかもしれない。寝入りばなは、夢と現実の境界が揺らぐところだから。




・ ・ ・ ・ ・



 次の日は、朝食からとばす・・・


 起きしな、恐るおそる詠唱声調で名前を呼んだら、上機嫌なイスラの声が即時に返ってきた。



『おーーっっす! モモイー!』



 昨日あった全てのこと、イスラの声を聞けるようになったのが夢じゃなかったとわかったら、安堵のせいか壮絶な空腹をおぼえた。



「モモ君……。ようけ食べるな、成長期かえ? まさかとうとう、横に育ってまうの?」



 そう言ってくる相席のサミだって、菜湯おかわり三杯目である。


 昨夜に引き続き、変人も機嫌が良さそうだった。四つ目ゆで卵の殻をむきながら、僕は聞いてみる。



「サミ、昨日はお義姉ねえさんに会えたのかい?」


「うん! 一緒に買い物して、ごはん食べたわ。めっちゃ元気そうやったー」



 変人らしからぬ、しみじみとした常識的発言である! 僕もつられて、ついほっこりしてしまった。



「そう、良かったね……!」


「ほいで今日はぁー、一緒に競犬行くねんか~~!」



 サミは長い巻き巻き金髪の先っちょを、虫の触角みたいにふぁんふぁん揺らしながら嬉しそうに言う。僕は噛んでいたぱんを、うッと喉に詰まらせかけた。



「犬の話したら、エネイラ義姉ねえやん顔色かえたわー。言うても、へちゃむくれなんは同じやったけどな? 久し振りに行きたい言いよるしー、従順で温厚な紳士のサミとしては、仕方なくつき合うしかないやろ~~?」



 何となく危なっかしい先行きが想像できるが……。僕が口出しすることではない。



「サミさーん。モモイた……さーん」



 若い声がして、振り返ると新兵イスラである。少年はひょいひょい近づいてきて、僕らの卓子脇に立った。


 うっかりモモイ隊長・・と呼びかけてとどまったその声は、僕の親友イスラの声とは微妙に違っていたことが、今ではわかる。すごく似ているけど。



「おはようございまーす」


「おやー、わらべや!」


「おはようイスラ。どうしたの、こんなに早く?」



 ひょいと空いた腰掛に座ると、新兵イスラは屈託なく言った。



「今日、俺んち聖樹へお参りに行くんです。砂舟に余裕あるし、隊の人たちもお誘いしてみたら、ってお母さんが」


「えっ!」



 僕とサミは、同時に声をあげた。


 ティルムン大市から約八十愛里、“白き沙漠”を東に行ったところに白河の水源地がある。


 いくつもの湖沼に囲まれたその中心こそが、聖樹だった。


 僕らの国を生かし続けている、全ての生命の源。ティルムンにおける唯一の崇拝対象にして、理術の力の根源でもある。ティルムンの民ならば、数年に一度はその根元に参拝するのが恒例だった。


 と言いつつ僕はもう、十年以上も行っていないけれど……。願ってもない話だ。



「……いいのかい?」


「はい。サミさんは?」



 変人は口をすぼめて、思案していた……。しかしお義姉さんへの想いが、信仰を上回ったらしい。競犬への情熱が上回ったんじゃないといいけど。



「うちは先約あるし、やめとく。モモ君、行くんやったらうちの分も、聖樹にお布施ふせあげといてくれるぅー? お金わたすし」


「うん、いいよ」


「それじゃ隊ちょ……モモイさん、とおの鐘に東門の馬車乗り場で待ってます。ああそうだ……、宿舟やどふねなので、帰って来るのは明日の午後になりますけど。いいですか?」


「えっ、宿舟なの!?」



 なんて豪華な! そうだった、新兵の実家は粗毛地あらけじ問屋……大店おおだなである。ここのお婆さんだって、こんなに大きな下宿を余裕しゃくしゃくで回しているのだから、お金持ちに違いなかった。



「ふぬ~~……。ええなあ……」



 サミが残念そうな顔をしている。


 らくらく高級旅行手段で聖樹参拝か、恋い慕う義姉と競犬あいびきか……。胸の内で天秤にかけて、ぐらぐら揺れているのだろう。しまいに、きりっと凛々し気な表情になった。



「いや。うちは、犬に賭けるんやっっ……!!」



『こらッッ、義姉ねえやんの方が最優先事項やろうがぁー!?』



 新兵のでない、もうひとつの声が微かに突込みを入れている……。

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