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28.僕らの第一歩

 

・ ・ ・ ・ ・



 そろそろ授業に向かうと言うパンダル君と別れ、僕は橋を渡って北区へ歩いて行く。


 北の河岸にたどり着いた時、その石橋のたもと近くに生えていた大きないちじくの樹が目に入る。何の気なしに、格段でっかい花果をひとつ、もいで食べた。



「……いちじくって、種ないな……」



 まぬけな顔なりに、僕は真剣に言ってみる。



――そら、そうや~~! いちじくはぁー、実とちゃうねん! 花やねんからぁ! 花と種とは、同居せえへんのが世のことわりや!



「……パンダル君が言うように。あんずの実がイリーの人間なら、いちじくはティルムン人なのかな~……。食べきっちゃったら、何も残らないよ」



――それは独白なんか、モモイ……? 確かに人通りはまばらやけどな、ここ……。あんまり考えてることじかに口にしんほうが、いいのとちがうか……。ほれ、そこゆくお姉さん方が引くで~?



「どう思う、イスラ。イスラは杏かい」



――あほう、俺は男の子や。くだものと違うわ、つうか何で今日はぼけと突込み反転しとんねん!!



「……」



 僕は足を止めた。そよ風にまぎれて、“あほう”と言うイスラの声が聞こえた気がしたから。



「……やっぱり。そこ、るんよな」



 自然と、僕の口元に微笑が浮かぶ。力強く言い切ったパンダル君のあの不思議な権威を、僕は信じることにした。


 すぐそこにいるはずのイスラ、僕の親友イスラと、再び自由に話しあえるようになりたい。そう希望する僕は、この願いを自分で成就させるのだ。



・ ・ ・



 昨日に続いて訪れた北区の大手書店で、僕は初めて書店検索を頼んだ。東部大半島の一般知識についての書物、なるべく最新版。


 店内の一画にある閲覧席に通されて、書店員の持ってきてくれた幾つもの布巻き本を前に、ようしと気合を入れる。


 店員は僕が手ぶらなのを見て、硬筆貸し出しと半布販売もある、と言ってくれた。



「あっ、大丈夫です。あまり書かないので……」



 それで書店員さんは、僕の素性をすばやく察したらしい。うなづいて、そうっと去っていった。


 理術士は暗記中心、他の人のように筆記に頼ることはほとんどない。大切なことは記憶に刻み、繰り返し繰り返し口にして自分の一部にしてゆく。理術はそうやって、身につける。



 運んでもらった文献は、地理と社会情勢についての記述がほとんどだった。特に最新情報として、≪流入≫問題が大きく取り上げられている。


 近年、海賊が沿岸地域の集落を襲うようになり、それによって故郷をあとにする人々がやや増加しているらしい。もともと、イリー諸国や北部穀倉地帯と細く交流はあったが、それらと全く質の違う人口移動が起こりつつあるのだそうな。



「ふーん……」



 イスラのお婆さんの親は、もっとずっと前にイリー世界へ来ていたはずだ。


 この現実問題は、僕の親友には直接関係ないかなと思う。僕はどんどん、先を読み進める。



・ ・ ・



 気がつけば、もう夕方も終わりに近かった。じきに閉店時間と囁かれて、僕は慌てて店員に書物を返却する。時間の過ぎるのがあっという間、という感じがした。


 イスラの魂に関する目ぼしい情報は、全く得られなかった。ごく一般的な浅い知識は増えたけど、やはりパンダル君が言ったように、東部ブリージ系の人々については研究が全然なされていないらしい。


 それでも、徒労は感じなかった。目を通した布巻き本のかさばり具合、その分だけでもイスラの謎に近づいたはずと思えたから。



 薄闇の降りる中を、南区に向けて歩く。


 途中、あかりを煌々とつけた王城の姿を左手に見た。中に住んでいるのは僕と関係ない人達だけれど、そうやって闇の中にぼんやり浮かび上がる宮のたたずまいは美しい、と思う。


 その付近は、官吏御用達のこじゃれた高級店が立ち並ぶ一画である。


 王城に負けじ、とどこの店でも明るく灯をともしていた。室内では、西から運んで来た日砂ひずな玻璃はりばり天井に輝いている。


 戦線の宿舎や軍施設でもふんだんに使われているこの砂は、日中陽光にさらしておくと、それを含んで長時間みずから発光し続ける。“白き沙漠”の一部、ティルムン領北西部の限られた場所でしか採取できない。砂そのものではなくて、その中にんでいる目に見えない程の小さな生物が、陽光を体に含んで光っているのだそうだ。


 ここの界隈は昼間のようだった。豪奢な店内の飾りつけも、中で飲食している人たちの笑顔も、広い窓を通してよく見える。



 ……と、そういう店の脇を通りかけた時、見おぼえのある後ろ姿があるのに気づいた。


 二度見すれば、やっぱりサミだ。あのでっかい図体ずうたいと、かさばる長い巻き巻き金髪を見間違うわけがない。



「……!!」



 僕は目をばちばちばち、としばたたかせた。



――でっかいにいやん!? と、前に座ってるんがくだん義姉ねえやんかいッ。何をどうしたら、へちゃむくれなんぞと言えるんや? めっちゃ美人やんけー!



 何やら高貴なお料理の皿をつつきながら、その丸顔の奥さんはやわらかい笑顔でサミに向かい、うなづいている。みるからに人のさそうな、優しげな女性だった。


 ひらひら、ぐねぐね、卓子の上に肘をついて両手のひらで謎の身振りを絶えず作りながら、サミはしゃべり続けているらしい。絶好調のしるしだ。仮にサミに触角とかしっぽが生えていたなら、それらを振りまくっているに違いない。



 後ずさりをして、僕はそこを離れた。


 歩いて歩いて、最終的に小走りになる。僕はお腹の底からこみ上げてくる大笑いの発作を、必死で抑えていた……。


 後ろ姿を見ただけでも、わかる。≪義姉ねえやん≫に久し振りに会えて話せたサミは、楽しくて嬉しくて幸せなのだ! あのあまのじゃくの変人が、あれほどまでにかわいこぶりっこしている姿は、いまだかつて見たことがない!



「ぶはぁっっ、あはははは」



――ぬぁはははー!



 橋を渡り切って、南区側の河岸にたどり着いた時、僕はとうとう耐えきれずに噴いた。


 自分の笑い声にもう一つ、別の笑い声が重なった気がして、僕はあたりを見回す。


 もう誰もいない。夜のとばりが降りた土手に来た。



「イスラも見たかい。サミ、別人だったよねー? ……ぶはぁ!」



――見た見た、ばっちり見たー! これでモモイは、でっかい兄やんの弱みを握ったな~!



 ひとしきり笑って、笑いの発作をおさめてから、僕は深呼吸をする。



「……でも、サミのやつ。あんな変人なのに、大切な人がいるんだ」



――うん。倫理的にどうかとかは置いといて、兄やんも人間、ちゅうことがわかったな~。



「イスラ。僕の言うことは、全部聞こえてるんだろ?」



 目の前の空間に、人影はない。返す声が聞こえなくても、僕は話しかけ続けた。


 今日パンダル君に教えてもらったこと、書店で学んだこと、だいたいのことをまとめながらイスラの意見を問い続けた。


 けれど僕のとなりは、やっぱり音のない空虚だった。



「……」



 僕はそこを見つめる。


 イスラはそこにいる、と信じている。信じて確かめたかった。


 見えなくても、聞こえなくても、そこにいるはずのイスラの存在を。


 見えず聞こえない存在になっても、僕と一緒にり続けてくれた親友を、……。



≪見えないけれど確かにるというものは、結構たくさんあります≫



 パンダル君の言葉が、頭の中にふいとよみがえった。



「……理術も、そうだ……。本当に」



 はた、と思う。僕は正規理術士である。よってこの資格・経験および能力をかして、イスラとの交信に利用できないものだろうか?



「うーん」



 しかし、人間以外のものと交信する術なんてのは、もちろんない。


 昔は犬ねこや牛馬ろば、家畜と簡単な意思疎通をする小技があったとか言われているが、動物医療の発達した現代ではすたれてしまって、教科書にはのっていなかった。と言うか、イスラは動物ではない……。



「いや……。技以前に、理術詠唱の基本をかすとしてー……。詠唱の声調でイスラに話しかけたら、どうなるかな?」



 さっそく試してみよう。凡庸理術士、数うちゃ当たる。



「いざ来たれ 群れなし天駆あまがける光の粒よ、高みより高みよりいざつどえ」



 僕はそうっと、始める。


 理術士の言葉に宿ることで、その力を貸してくれる大気中の極小無数の粒に向かって、その降臨を乞う基本の詠唱。


 続けて、呼んだ。



「……イスラ」



 呼び続けた。



「イスラ。イスラ」



 目に見えない力を発動させる時にだけ使う、その声調で呼び続けた……暗い土手の闇の中に向かって。



「イスラ……」



『モモイ~』



 はっきりと、親友の声が僕の名を呼んだ。



『はぁー、けなげに呼んでもらって申し訳ないなー。一体いつになったら、俺の返事モモイに届くんやろ? これ、呼びかけ繰り返してばっかしやったら、モモイがもの忘れじいちゃんに見えてまうわ。切なすぎ』


「……イスラ……」


『はーい。イスラですよ、ごはんはさっき食べたでしょー……てな~、あーあ。いいかげん突込みどころやで、しかし』


「……ごはんはこれから、食べに帰るんやないか」



 僕ら・・の間に沈黙がおりる。けれどそこはもう、空虚ではなくなっていた。



「よっしゃあーっっっ」


『やったなぁぁ、やりよったなー! モモイ? お前わりと、天才ちゃうー!!』



 周りに誰もいないのをいいことに、僕ら・・は思いっ切り叫び、よろこんだ。




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