27.パンダル君 たましいを語る
「安心してください、モモイさん。実は我々イリー人にも、その辺をきちんと説明できる人はいないのです。要するに皆、なあなあで魂を語っているに過ぎません!」
「えええッ??」
堂々どや顔でパンダル君に言われ、僕は前につんのめりそうになった。
「一応ですね、身体という≪有限体≫の中に、魂という≪無限体≫が入っている、というのは皆が認識しています。それで、死んで肉体が機能しなくなったら、魂だけがふいと出てゆく、どこか遠くへ去ると考えるんです」
「丘の向こうへ行く……っていうのは、そのことですか?」
「そうです!」
パンダル君は、双眸を輝かして笑った。
「それで、そのどこか遠く……“丘の向こう”へ行った魂は、いったいどうなるのかと言うと。行きっぱなしなのではなくて、再び我々の住まう現世界に還ってくることもあるのではないかと、皆そういう希望的観測を持つのです」
「あの……? 還ってくる、と言うのは? 具体的には……?」
「新しく生まれる赤子の身体に、その還ってきた魂が入りこむのです。つまりまた別の人間として、あらたな人生を開始するのです」
「……」
「ただ遠方に去った時点で、魂はそれまでの人生にて経験した全てを忘れてしまう。還ってきた魂は、何も知らないまっさらな状態で、生きることを学び直してゆくのです。 ……まあ、それはそうですよね。仮に過去あまたの人生経験をすべて記憶として蓄積していたら、人間は皆、賢者になってしまいますから」
「たしかに……」
僕は相槌をうった。本と比べると、パンダル君の説明はだいぶわかりやすいが、それでも内容が突飛すぎる。人間が多重構造になっていて、その一部分だけが再利用(?)され続ける、というのは実に不思議な考え方だった。
「……と、色々言ってしまいましたが。これは私が理解しているだけの部分です。イリー世界でも国や地域によってだいぶ考え方は異なりますし、体系だてて論文や著作をなした学者も今のところいませんから、正解はないのです。民間……、田舎の農家さんを訪ねたら、ご老人がさらに発展させた怪談を話してくれるでしょうしね」
「怪談……?」
「ええ、精霊の怪談です。ほら、もう一冊お貸しした方にありましたでしょう? 向こうに棲んでいる悪い精霊は、人間を魂ごと食べてしまうんですよ。お化けに食べられれば魂だってそれっきり、丘の向こうへ行くことも還ってくることもできなくなる。それもあって、怖さ倍増なんです」
「ああ……なるほど!」
この部分だけは、変に納得できた。確かに怖い。
「それとですね……。精霊おばけ伝承もそうですが、こういった魂にまつわる話と言うのは、だいたいが東の果て、東部大半島のブリージ系原住民に源流を発しています。我々の祖先、イリー植民が彼らと接することで組み込んでいった文化の一端ですから、本当につきつめて魂のことを考察するのであれば、まずは東部文化の研究が必須ではないか、と私は思います」
そこでふと、パンダル君は渋い顔をした。ティルムンよりもずっと東部大半島に近いイリー都市国家群ではあるが、学問的観点からのブリージ系研究は、全然すすんでいないらしい。
「東端テルポシエの辺境では、だいぶイリー化したブリージ系住民もいるようですし。よく言われるような、野蛮な未開の人々なんかではないと、私は思うのです。ほら、下宿の女将さんもテルポシエのご出身でしょう? お父さまが東の方なんだと、前にちょっと仰っていましたよ」
イスラのお婆さんから孫に話題が及ばないか、と僕は少々焦った。と言ってもパンダル君に知られて、別に悪いことなど何もないのかもしれないけれど……。
そこで今朝、よくわかるイリー入門書から仕入れた知識を差し込んでみる。
「あの……、ちょっとずれますけど。パンダル君たちの国マグ・イーレと、テルポシエとは、好敵手の関係にあるって読んだのですが?」
これは読んでいて感じた、素朴な疑問だった。恒久平和を宣言し、国家間戦争を永久放棄したティルムンにとって、そういう存在はないからあまりぴんと来ない。でも仮にあったとしたら、その敵国の人が異郷で営む宿に、お世話になったりするものなんだろうか……?
「ああ、それは支配層……。執政官と貴族たちの話ですよ」
青年は、ひらひらっと優雅に手のひらを振った。
「人間どうしが集団を作れば、どこにでも対抗意識は生まれます」
特に資源の乏しいイリー都市国家群においては、隣の人間どうしで物を交換しなければ、やっていかれない状況である。実際のところ、一般庶民の中にそこまでの敵愾感情はない……、とパンダル君は言った。
……パンダル君自身も貴族だと思うのだけど、この辺はロラン君に感化されているのだろうか。貴族側のことを、何となく他人ごと風に言っている感じだった。
「下宿の女将さんも、イリー留学生であれば分け隔てなく受け入れているそうですしね。本当にありがたい方です、相部屋のことを了承してくれるし、食事もおいしいし……。 あっ、そうだ」
思いついたように言って、パンダル君は脇に置いていた革鞄を開ける。隠しの部分から、杏の実を取り出した。
「朝食のをいただいてきたんです。モモイさん、先ほどの魂の話ですけど、この杏でうまく説明できるかもしれません」
「……?」
「この杏を、人間だと考えてみて下さい」
僕が首をかしげていると、パンダル君は手巾で杏をさっと拭き、続いて取り出した折りたたみ式の小刀で、くるりと二つに切った。半分を僕に差し出す。
「この、身の部分は我々の身体そのものです。でもこうやって食べてしまっても」
僕とパンダル君は、半分この杏をもぐもぐ噛んだ。甘いが酸っぱい。
「……種は残ります。これが、≪魂≫です」
小さな褐色の種を、パンダル君は指につまむ。
「魂はやがて新たなる芽を生やし、若木となり成長して、次の世代の杏をつくっていく。魂とはちょうど、この杏の種のような存在と言えませんか? 決して滅びることなく、命と時を紡いでゆくものです」
「……」
甘酸っぱい身を飲みこんで、僕は考える。この現象をして、あの本の題は『魂の再来』だったのか。種は……種は腐らない、消えてなくならない。何十年も前のものが、平気で残っていたりする。
じゃあイスラは、……消えてなくならず、身体だけをなくして僕のそばに在り続けるイスラは、≪魂≫なのだろうか?
――いや? 魂と言うのは、身体の滅びた後に、全てを忘れてしまうものではなかったっけ……?
「それで、ですね。お貸しした『魂の再来』で述べられていた、ややこしい第三の要素というのが……」
パンダル君は小さな杏の種に、小刀をあてて何やら奮闘している。
「うーむ……ふうむ、かたいな~……。よいしょ、……ああ! 開いた」
こじ開けた褐色の種の内側には、真っ白な粒が入っていた。それを手のひらの真ん中に載せて、パンダル君は満足気に微笑する。
「杏仁です。ティルムンでは食べますか?」
「え? ええと……」
僕は答えられなかった。これを見たのは初めてだったし、他の人が食べているところを見たこともない。家族のない僕は、食材の知識が乏しかった。生前イスラがだいぶ教えてくれたけど……一緒に食べる機会を失ってからは、自分で進んで知ろうとはしなかった。だから食堂で出されるような、ごくごく一般的な食べ物と食べ方しか知らない。
「おいしいんですよ、どうぞ。たくさん食べると体に良くないので、一日にひとつだけ」
強い芳香を放つその小さな粒を、僕は噛んだ。
「……この、杏仁にあたる核が、魂にも入っていると考える人がいます。お貸しした本の中では、感情だの性格だのと呼ばれ、最終的に≪心≫と称されていましたが」
小さな粒は甘かった。
「私としては、その人が生きた事実そのものと捉えましたね。何を想って、どう感じ考えて、生きたのか。かれ自身の記憶、と言えるかもしれない……。いずれにせよ、種同様に簡単には消えてなくならないものです」
ごくり。僕は杏仁を飲み込んで、言った。
「……けれど、パンダル君。杏の種と杏仁は、見える……。人の≪魂≫と、≪心≫は見えません……」
うなづいて、イリー文学青年は微笑した。
「ロランに対する私の尊敬や信頼も、見ることはできませんが確かに存在しています。今あなたと語り合った言葉も見えませんが、話し合ったのは事実でしょう?」
「……」
「語られただけで布や皮紙に書きとめなければ、物語や詩も見えませんし……。そうそう、歌も見えませんよね。見えないけれど確かに在るというものは、結構たくさんあります。ティルムンで言ったら、理術士の人が使う術の源も、その詠唱も見えません」
何気なく付け加えてきたパンダル君に、僕の動悸は聞こえていないだろうか。
聡明な彼のことだ、もしや僕の正体なんてとっくに知っていて、そう言っているのかも……? いや、思い過ごしだ。きっと。
「モモイさん。見えないものを信じたって、良いと思いますよ。私は」
パンダル君の言葉は、やけにまっすぐ僕に響いた。
「実際、そういった見えない数多のものに囲まれ支えられて、私も生きていると思うのです。たとえばあなたの大切な友人が、あなたへの想いから近くにとどまって、モモイさんを見守っているとしても……私は驚きません。それを生きている人間同様に慈しむのも、ありだと思います。その気になれば、そういった存在と対話することだって、可能になるかもしれない」
「……できると思いますか。パンダル君」
「ええ。あなたがそう希望するのなら、いつか必ず成就します」
僕をまっすぐ見る瞳に、静かな権威が灯っていた。
こんな雰囲気を持った人を、僕は他で見たことがない……。指揮部の中将たち、歴代の隊長達、錬成校の教官……。
いいや、全然ちがう。
見たことはない。けれど物語に出てくる≪王様≫という人たちが、恐らくこんな感じなんじゃないだろうか。なぜか僕には、そう思えた。
――モモイ~~!! あのな、杏仁はな、適当に食ったら絶対あかんのやってばー! もちろん食べていいやつはある、けどそうわかってる種類以外のはあかん! 今のはたまたま運が良かった、でも二つぶ目はどうしたってだめや! 昔読んだ推理ものにな、濃ゆーく煮詰めた杏仁毒を使うって手口があったん思い出したわー……。そうッ、じつは毒やねん! 杏仁!! かんにーんッ!! じっさい、赤んぼ子どもが中毒死してまうこともあんねんで!? うっかりこんなんでモモイ死んでもうたら、俺どないしたらええのん!? きーっ、もう、聞いてんのかモモイーっっ。って全然きこえてへんわ、あんちくしょうッ。




