17.モモイ乱読の夜
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「……」
パンダル君とロラン君、二人のイリー留学生に貸してもらった二巻きの本を手に、僕は自室の狭い寝台にあぐらをかいている。
小卓に置いた蜜蝋手燭の灯りのもと、まずは『魂の再来:イリー世界における死生観』を開いてみた。イリー諸国を旅したことのある、ティルムン学者の著書ということだ。
::……文明発祥の地、ティルムンを去ってわずか数世紀の間に、イリー植民の精神世界は我々のものからかけ離れていった。厳しい環境下、より短い間隔での世代交代があり、そこへ東部の原住文化が融け込んでいったとみられる。今や、イリー人は死亡することを“丘の向こうへ行く”と表現する。これは我々にとり、実に珍妙きわまりない、いかれた表現だ。そもそも誰が丘の向こうへ行くのか、死者本人か。著者は初め、猫のことを考えた。死期の近さを悟った獣は、自ら静かな死に場所を求めて飼い主のもとを去るという、あれである。イリー人はねこの如く、死に場所としてのどこか特定の場所、“丘の向こう”へ行くのかと想像したのだが、そうではなかった。イリー世界のどこで死亡しても、不滅の“魂”が有限の身体から分離して、別の次元……異界としての“丘の向こう”へと赴くのだそうだ。
――……はあー……??
何だそりゃ、と冒頭あたりから僕は混乱し始めた。一人の人間が、得体の知れない部分構造……たましい/身体に、わかれるということなのか?
::……しかして、イリー世界の人間観、人生観にはもう一つ、重要な三つ目の要素がある。身体という有限の器の中に在る魂、さらにこの中核として、はめこまれているものがあると言うのだ。これについてはイリー人有識者の中でも、認識のずれが多くみられる。それを個人特有の性格と表現する者もいれば、喜怒哀楽といった感情のようにとる人々もいる。まちまちではあるが、本書においては×××氏の著書にならい、“心”と呼称する。ここで、その×××氏の名著『深淵なる東部世界の慣習と文化』からの引用をあげておこう。イリー世界を含む東側世界の死生観を、端的に表している。
“世界は、終わりなく諸所につながり、再生を遂げる組紐文様でできている。そこを流れながれる魂もまた、無限の存在。喜び悲しみ憎しみ、すべての記憶はその線上に咲く、我々の生の証である。”……
この辺まで、僕はどうにか理解しようとがんばって読んでいた。
しかし以降、“・・・氏の研究視点から言えば”だの、“~~氏の意見に反して”だの、やたらめったら他人への言及や引用が多くなってきて、つらくなってきた。書いた本人も辛かったんじゃなかろうか、と変な心配をするくらいにつまらない。
おそらく……恐らくではあるけれど、この著者もたぶん、本当のところはよくわかっていないのだ。だから他の研究者の意見を借りている。
巻きをほどいて終わりの部分を見ると、びっくりするくらい長い参考資料と書籍情報がついている。この辺を全部網羅しないと、『魂の再来』を読むことはできないのだろうか?
正規理術士ではあるけれど、僕にそんな芸当はできない。途方にくれる。大昔に親友イスラが何やら言いよどんでいたこと、≪魂≫という言葉に何となく導かれるようにして読んではみたけど……。
僕は溜息をついて、『魂の再来』を丸めた。
「モモ君~~! モーモーくーん!!」
その時である。かなしげに気ッ色わるいサミの声が、廊下から聞こえてきた。
「いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ、高みより高みよりいざ集え 集い来たりて扉を壁とし 我が身を邪なる瞳よりかくし護れ」
僕はとっさに、超高速で詠唱した。“かくれみの”の小技応用である!
「あれ~……。あれー。モモ君のへや番号が……見当たらーん……。どこや、モモ君ー」
サミの声が遠のいて行った。僕はすかさず扉に飛びつき、錠がしっかり下りていることを確認してから、再び寝台にあぐらをかく。もう一本の布巻き本をほどいた。
『おぞましきイリー水棲怪物譚・十八選』は、打って変わってとびきり面白かった。
アイレー大陸の東側世界には、僕らティルムン人が思いもよらないような、ふしぎな怪物……≪精霊≫と呼ばれるお化けがうじゃうじゃ棲んでいるらしい。その中でも水中にいるやつらの話だけ集めて、昔の伝承を現代風に読みやすくした物語集だった。
十八の話のうち、大方は“水棲馬”という凶悪なばけもの馬の話だ。見た目はただの馬、しかし近づく人間を海に引きずり込んで食べてしまうのだそうな。テルポシエ近くのシエ湾に多く出現するが、湖にもいるというから油断ならない。一方で、“水棲牛”はおとなしくって、わりと良いやつらしい。深海に群れすむ“海の娘たち”は、魚と人間が同化したようなおぞましい外見をしているらしい。それならどうやって、お嬢さん達と判別できたのだろう……謎だ。
「……」
短い話ばかり、すぐに読めてしまう。昔イスラが語ってくれた怪談も、いくつか含まれていて懐かしかった。……でも、手掛かりにはならない。
読み終わって、ようやく自分がしていたことを知る。
僕は海竜の正体を探していた……。
けれど僕らの≪敵≫に似通ったものは、本の中にはいなかった。あの大きさ、強さ、凶暴さに匹敵する水棲の精霊は、イリー世界にはいないらしい。
やはりあの長い管虫の怪物は、ティルムン北海岸だけに出現するのだろうか……。
『おぞましきイリー水棲怪物譚・十八選』をくるくると丸めながら、僕はふと気づく。
パンダル君とロラン君……あの二人の読書量は、とんでもないに違いない。しかも、彼らは生粋のイリー人なのだ。僕が休暇中に読める量なんて、たかが知れている。あの二人に聞いてみれば、よっぽど効率よく本の内容を知ることができるんじゃなかろうか?
明日、本を返す時に少し話を振ってみよう、と思った。
決めた後は、割り切って自分用の娯楽作品に飛びこむ。寝落ちするまで、僕は『常緑の森』の影響作品に浸りこんだ。 ……
――そう! 俺らが寝落ちするんが先か? 蜜蝋の寿命が尽きて、消えるんが先か? どっちになっても、それが読書時間の終わり、一日の終わりや! なんぼ優秀な理術士かて、一日の時間のばす芸当はできひんからな~! あーあ。こうして、一緒に読んでるうちが永遠になって。ずーっっとそこにとどまれたら、ええねんけどな~。ふう……。




