15.運命の出会いは書店から
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休暇三日目。
お婆さんの“いちじく蜜煮”は、不思議な味だった。いちじくという気も確かにする、けど全くの別ものでもあるような……。肉桂の香りが利いている。
サミを避けて早めに朝食に来たというのに、何でか変人も早起きしていた。結局一緒に食べることになる……かなしき腐れ縁だ。
「十分甘ったるいいちじくに、蜜を加えると言うのは背徳の限りではないか。何という蛮行、けしからぬ」
言いつつ、黒ぱんにどっぷりつけて食べているサミ。ほんと、あまのじゃくだ。
「ほんじゃあ、サミ出陣。今日は余裕をもって競犬場にゆき、その辺にたむろしている賭け狂いのおっさん達に、犬どもの動向を聞くんよ……。ふふふ、さすがうち。情報戦略的ぃ」
にたつきながら変人は食堂を去った。故郷の言葉で低く話し合いながら食べているイリーの若者たちの間に、僕は一人取り残される。
何か……ぱっとしたことをしなくては、と思った。親友と新兵、二人のイスラの妙な関係は、たまたま僕にめぐり来た偶然でしかない。それなのにどうしても、胸中にわだかまってしまっている。
そういうのは、戦線にいる日々の中で考えればいい。今はせっかく普通の世界に戻っているのだし、もう少し有意義で実際的でお気楽なことをしよう……。
「あ」
ようやく思いついて、僕は思わず小さな声を上げた。
――そうだ、例の物語の新刊! 本屋に行こう。ついでに面白そうな他の本も買い漁ろう。ここで読んだっていいんだし、戦線に持って帰ってもいいんだから。
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時間もあることだし、僕は足をのばして東区の“プリムリーボ書店”にやって来た。
ティルムンには本屋が多い。本の種類、分野ごとに建物の棟を分けているような大きなところもいくつかあるし、小さな古書店ならいたるところで見かける。文明発祥地は学問の都でもあるから、各種学校のそばには、それこそ群れるように本屋が店を構えていた。
まわりの風景はずいぶんと変わっていたけれど、プリムリーボ書店の構えと内装は十数年前とほとんど同じだった。扉をくぐったとたんに鼻孔をつく、あの独特の本のにおい。
「いらっしゃい」
勘定台の店員に会釈して、僕はだだ広い店内を歩く。ずいぶんと客の入りが良くて混んでいる。高い天井までみっしりと組まれた書棚の中に、布巻き本が整然と積まれていた。階段口の鴨居には、“上階・希少皮紙本”と表札がかかっている。僕はその先の階段をのぼったことはない。親友イスラはけっこう、行っていたらしいけど。
……子どもの頃、僕には読書習慣がなかった。教科書のたぐい、つまり理術教本を読むくらいで、小説や物語本にさして興味を持っていなかった。それを変えたのは、イスラだ。
一見おちゃらけた性格の親友は、実は本の虫だった。錬成校の休暇で、初めてイスラの実家へ遊びに行った時だったろうか? 寝室の半分が、布巻き本で埋まっているのだ。僕はそれを見てたまげた。
≪イスラはこれ、全部読んだん?≫
≪ん~、三分の二は積読やねんか……。題みて面白そうー!て思うて買うても、冒頭で惹かれんと巻き直し、ちゅうのばっかり。ま、大人になったら読むかもしれんし、一応とっとこと思うて≫
だからなのか、イスラは面白い話をたくさん知っていた。とくに怪談系、こわい話や不思議な物語。それを自分流の語り口で端折って教えてくれるのがさらに楽しくて、僕はイスラとつるむようになり、親友になったのだと思う。
≪モモイも自分で、読んでみ?≫
錬成校の図書室で、僕とイスラは手分けして読み始める。僕が一冊読む間に、イスラは八冊読んでいた。そうして後からお互いに、大ざっぱな内容をはしょり伝える。今思えば、とんでもない遊びだった。
ここプリムリーボ書店にも、イスラに連れてこられた。……ああ、それであの人気長編『常緑の森』も、二人で一緒に買ったんだっけか。イスラは第一巻しか知らない。いなくなってしまった年に刊行されたんだから。
――年に一冊の頻度で新刊が出ているんだ。第十四巻、あるかな……。
人だかりの多い≪一般・娯楽≫の棚でさっそく、目当ての『常緑の森』第十四巻が大量に平積みされているのを見つけた。よしよし。
同時に、他の平積み物語作品もいくつか手に取って開いてみたら、やたら面白そうなものばっかりである。本屋に来たのが久し振りだし、最近の流行なんて僕にはほとんどわからない。けれど、どうやら『常緑の森』の成功を受けて、同じ方向性の物語を書く作家が増えているようだ。
物珍しさも手伝って、僕はあれもこれも、と次々左肘の内側に挟んでいった。気が付けば十四本。
勘定台の年輩女性店員が、嬉しそうな顔でそれを大きな布包みにしてくれる。
かさばる包みを受け取ろうとした時、僕の背後で怒りを含んだ男性の声が上がった。
「困りますよッ」
振り返る。もう一つある勘定台の前で、背の高い店員が布巻き本を手に、客らしき若者ふたりをどやしつけていた。
「うちの赤い縫い取り糸がついたまんまだ! これはあんたの持ちものじゃないでしょうッ、わからないと思ったかね? 万引きは犯罪ですよッ」
「違うんです、本当にちがうんです。僕、この本を手提げに入れたおぼえなんて全くないんです! 何かのはずみで、落ちたのが入っただけなんです……たぶん」
丸い頭をつるっときれいに剃り上げた若者が、おろおろした調子で言い訳をした。ややたどたどしい彼のティルムン語に、僕はおやっと思う。
「友人の言う通りです。我々が求めていたのはこちらの二巻きであって、そちらの本には全く興味がありません。よって盗む意味もない。ただの誤認で、事故なのです」
明るい栗色髪のもう一人が、やたらもったいぶった調子で続けた。こちらは少々さまになったティルムン語だが、強いイリー訛りがある。
「そんな言い逃れは、ティルムンじゃ通用しないよ。ここは、イリーの田舎やあらへんでぇー」
わらわらと集まって来ていた客たちの中に、がらの悪いやつがいたらしい。侮蔑的な野次が、後方から飛んだ。
ぎりッ!!
引き結んだ口の中で、歯を噛みしめたらしい。栗色髪の青年の横顔が、憤怒でさっと赤く燃え上がった。
紺色の麻短衣を着て、革の鞄を背負っている。地味な出で立ちではあるけれど、どことなく品のある身なりの良さだった。
剃髪の友人が、震える手でその青年の腕をつかんだ。栗色髪の青年は、意志の力で怒りをのみ込もうと、落ち着こうとしているらしい。
「イリーの野郎が、読めもせん本を盗ってどないすんのや? けつを拭くにゃあ、ちっとお高くついたなぁ!」
「とっとと東へ帰りよし。帰って、頭のわるい戦争でもしてなはれー」
「牢にぶち込んだ日にゃ、うちらの税金で食わせなあかんくなるやん。もったいないで」
どうしてそこまで、と思えるような意地の悪い下卑たからかいが渦を巻く。
「……パンダル。君には関係ないだろ、行っておくれ。これは僕一人への言いがかりだよ」
「だめだ、ロランの問題は私の問題だよ。……ディルトを、呼ぼう」
「そんな! それこそ、いけないよッ」
粗野な野次が飛び交う中で、どうして僕が彼らのイリー語を聞き取れたのか。摩訶不思議だった……、“じごく耳”の小技も使っていないというのに。彼らが目にためていた、悔し涙にほだされただけなのかもしれないけれど。
体格の良い別の店員二人がつかつかと近寄ってきて、二人の若者を奥の方へ引っ立てていった。その場にいる客たちの関心が、無抵抗でうなだれ歩いてゆくイリーの若者たちに集中しているのを見てから、僕はそろりと背の高い店員に近づいた。
「……あの。休暇中の、軍属です」
「は?」
「ちょっと、確認しますね。 いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ、高みより高みよりいざ集え」
僕は素早く、詠唱する。
「集い来たりて 不義をおかした悪き手を示せ」
店員の手中にある、赤い縫い取り糸のついた本……。『年頃女性の口説き方:中流編』と、でかでか題してある布巻き本が、さっとだいだい色に光る。
僕は低く詠じ続けながら、野次馬たちの方を見た。
「うわッ、何やこれッ」
ある一人の中年男性が、すっとんきょうな声で叫ぶ。その右手が、やはり煌々とだいだい色の光を放っていた……。
「あの人が仕組んだんですね。若者たちは、盗っていません」
店員は、ばちばちと目をしばたたかせて僕を見る。
「……あなた、正規の……?」
うなづいた僕にうなづき返し、店員は慌てている中年男のそばへ歩いて行く。むんず、とその肩をつかんだ。
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他の客たちの目を避けて、プリムリーボ書店の裏口から外に出してもらった。
「あ」
狭い路地脇、先に出されたらしきイリー青年二人がそこにいた。日干し煉瓦の建物壁際に立って、僕を待っていたようだ。
「……あなたが真犯人を見抜いて、指摘して下さったんですよね?」
栗色髪の青年が、僕をまっすぐ見て言った。
「おかげで、濡れ衣を着せられずに済みました。本当に、ありがとうございました」
「助かりました……!」
剃髪頭の青年も、はにかみながら僕に向かって頭を下げる。
「いいんですよ。あなた方こそ、とんだ災難でしたよね……」
「いえ、それがっっ」
二人はなぜだか、きらきらっと笑顔になった。
「ここの書店のご主人が、誤認して悪かった、と謝って下さいまして。我々が本当に買うつもりだった二冊を、大幅に割引して下すったのですッ」
「浮いた分でまた明日、新しいのが別に買えちゃうよねぇ! パンダルっ」
嬉しそうだ! 貧乏学生なのだろうか……。つられて僕も笑いつつ、二人が手にしていた布巻き本に何気なく目をやる。……ぎゅっと胸を締め付けられる気がした。
こーん……。 鐘が遠くで鳴る。
「はっ、いけないね。授業が始まる。……それでは我々は、これで失礼します」
「あの、ほんとに……ありがとうございました。どうぞ、よい読書を」
二人はもう一度ずつ会釈をしながら、足早に路地裏を歩いて行った。
大きな布包みを抱えて、僕は立ち尽くす。
イリー青年二人の購入した本の表題が、目の奥に焼きついてしまっている。
『魂の再来:イリー世界における死生観』
『おぞましきイリー水棲怪物譚・十八選』
――僕の知りたいことの全ては、彼らの買った本の中に書かれているんじゃないのか?
……そんな気がしてきた。




