13.いちじく蜜煮と二人のイスラ
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ティルムンという地名は、“いちじくのなるところ”と言う意味のティール・ノナ・ムンドース、が縮まった形である。
……まぁ諸説あって、本当のほんとにそうなのかと問い詰められれば、僕も肩をすくめてちぢこまるしかないのだけど。そういうことにしておいて欲しい。
でも実際に、いちじくの木がそこらじゅうに生えているのがティルムンだ。たくさん種類があって、年二回それぞれ花果をつける時期もまちまちだから、かなり長いあいだ生のいちじくを食べる機会に恵まれている。
緑地や公共の場にあるものは、誰でも自由に食べてよい、という旧い決まりもあった。そのおかげでティルムンの民は決して飢えない、いちじくはティルムンの豊かさの象徴ともされている。
いい感じに紫色に熟れていた、白河の土手の一本からもいだ花果を、僕は一つ二つ食べた。川岸を歩き続ける。
昼をまわっているはずなのに、空腹を感じない。詠唱をしないと、こんなに腹持ちがするものなのか……。
音楽が、耳に入りこんで来た。とぎれとぎれの旋律は、土手のずっと下の方から流れてくる。
水際で何か楽器の練習をしているらしい、女の子たちの集団がいた。
短い縦笛、長い横笛に、平太鼓……。同じところを何回も繰り返し、さらっている。その合間あいま、ふんだんに笑い声が挟まった。
音楽、歌、笑い声、若い女性……。どれも本当に、久しぶりに感知するもの。そして僕はそこに、何の感覚もいだかない。笛の奏でる旋律は、沙漠で頬をかすめる砂粒まじりの風と同じだった。
僕は静かに、土手を離れて街へ向かう。
≪理術士でない普通の人≫として、僕は他にやること、行くべきところも思いつかない。パバルナンの下宿に、結局のこのこと帰って来てしまった。
大きな家の前庭にあるいくつかのいちじくの樹々、その一本の下でうごめいている影があった。新兵イスラのお婆さん、女将さんである。銀の髪をばら色布で頬かむりに包み、花果をとっているらしかった。
「手伝いましょうか?」
僕は申し出てみた。どうせ暇なのだ。
お婆さんはうなづいて、高いところにあるのをどんどん採ってくれ、と言う。そこで僕は幹の近くに分け入って、しなる枝をぐぐっと下ろす。紫がかった大きないちじくを、次々にもいでいく。どれもかなり熟れていて、赤みがかった果肉が割れのぞいているのも多かった。布手袋をはめた手で、お婆さんがそれを受け取ってゆく。大きな籠二つが、いっぱいになった。
「どうもありがとう。てっぺんのは、鳥と蜂に残しといてやろう……」
重い籠を、涼しい厨房へ運び込む。
「これ、全部干すんですか?」
「いや。煮るんだ」
お婆さんの答えに、僕は首をひねった。生で食べきれない分のいちじくは、干して保存用にすると相場が決まっている。乾物としてそのまま食べる他、刻んで料理の甘味付けにしたり、発酵させてぱん種にもする。干しいちじくは年間を通して、ティルムンの食生活に欠かせない主要食糧のひとつだ。戦線に配置される時も、僕ら正規理術士は腰の革製物入れに、干しいちじくを携帯している。
「イリー風にね、蜂蜜で煮るんだよ。……あんた、お昼すましたのかえ?」
「はぁ……」
「朝食ぱんの残りがそこに何本かあるだろう。よかったら、乳蘇でもつけてお食べよ」
大きな島型調理台の隅、僕がもそもそ食べている前で、お婆さんはいちじくを洗い、切り、どでかい銅鍋をかまどにかけて、蜜煮なるものを作った。
あんまり手際が良すぎ速すぎる、……しかし理術は使用していないらしい。当たり前か。
鍋から湯気が立ちのぼってきた。お婆さんは袖をまくり上げ、たくましい腕でゆっくり絶え間なく、中身をかき混ぜている。
「あの子……イスラは、うまく働けているのかね。あんたの下で」
背中を向けられたままお婆さんから話しかけられて、……僕は少々どきりとする。
「ええ。詳しいことは言えないんですけど、よくやってくれています」
「そうかえ」
それ以上、聞いてこない。彼女としてもできる孫を信頼しているのだろう、心配する様子はなかった。
「……イリーの国々ではな。果物はこうして、煮てとっておくことが多いんだ。うちの下宿はイリーの若いのばかりだから、少しは懐かしいものも食わしてやるのさ。……と言っても向こうじゃいちじくはとれんから、ティルムン折衷の妙な蜜煮ではあるが」
「女将さんは、ご出身がテルポシエでしたっけ?」
新兵イスラの言葉を思い出しつつ、言ってみる。
「そうだよ。イリーの東の端っこにある国」
東の話題ついでに、聞いておこうと思う。
「あの……。お孫さんの名前も、イリー風なんですよね?」
「いや。イニーシュラ、ってのはもうちょい東に行ったところの古い名前でね。あたしの親父さまからもらったんだ」
「向こうで、人気の名前なんですか?」
「……なんで?」
お婆さんはかまどの正面から少し身体をずらして、肩越しに僕を見た。
「いえ、あの……。前に、同じ名前の人が、いたので」
ぐるッ。お婆さんは僕に向き合った。木べらをつかんだ右手だけが、鍋をかき回し続けている。
「あんた。あの子を、 ……死んじまったイスラを、知ってたのかい?」
僕もたまげたが、お婆さんはもっと驚いていた。
新兵イスラと僕の親友イスラ、彼女は二人の共通のお婆さんだったのだ。
動揺したお婆さんは、いちじく蜜煮を焦がす寸前までいき、話す言葉がイリー発音にかたよった。それでも僕はなんとか、ややこしい話を把握した。
お婆さんには、娘が二人いる。
まずイリー人の旦那さんとの間に、テルポシエで生まれた上の娘。そして商売のためにティルムンへ移り住み、ここで先夫が病死してしまった後、再婚したティルムン人夫との間に生まれた下の娘がいた。
上の娘は早くに結婚して東区に住んだ。テルポシエ出身のこの人こそが、親友イスラのお母さんだったのだ。僕も知っていた、“イスラのおばさん”。
お婆さん自身は、ずっと南区に住んだ。旦那さんが亡くなって、粗毛地問屋を下の娘夫婦に任せた後は、道楽でこの下宿をやっているのだと言う。新兵イスラは、その下の娘の子……つまり、僕の親友とはいとこになる。
僕らが親しかったこと、そしてイスラがどうして死んでしまったのか、僕はお婆さんに言わなかった。……言えるわけがない。
「離れて住んでいたからね。東区のイスラとは、そんなに会うこともなかったんだ。……けれどあの子が、訓練中の事故で死んでしまって……そのすぐ後に、南区のイスラが生まれてさ。父親違いでも娘どうしは仲がいいから、下の娘は慰めと供養の意味で、おんなし名前をつけたらしいよ。……この頃はずいぶん似てきたもんだから、ほんとにあの子がかえってきたんかと、時々どっきりすることがある。なかみはまるきり、別ものだがね」
うなづく専門、お婆さんの話をひたすら聞きながら、僕は必死で感情をまとめようとしている。安堵する方向に。
新兵イスラと親友イスラは、祖母もどっきりするくらいよく似ている。他人の僕が困惑して当然の相似。しかしそれは何でもない、当たり前の現象なのだ……二人はいとこ同士なのだから!
そう、新兵イスラと親友イスラは、血縁関係を持った二人の別人。
僕の親友が還って来たなんて、やっぱりそんなことがあるわけなかったのだ。
鍋の中に肉桂粉を入れて火を止めた後も、お婆さんはたゆまなく木べらでいちじく蜜煮をかき混ぜている。
「名は体を表す、と言うのはよく言ったもんだよね」
「?」
「イスラ……イニーシュラ、と言うのは。あたしのご先祖、東部系のことばで≪還り来たる者≫という意味のある、古い名前なんだよ」
「そうなんですか」
「……さあ、蜜煮もできたかね。冷えてからの方が断然うまい。明日の朝食に出すから、ぱんにつけてお食べよ」
午後なかば。甘い香りの充満する厨房を、それで僕はそうっと辞した。




