7人目
7人目・「カトリーヌ」/ルイーズ・リシャール
あの日、革命軍の追手が迫る中で私と夫は数名の側近と共に王宮に避難した。それも計画通りだった。
とりあえずとして客間に通されそこに腰掛けることにする。
夫は常に機嫌が悪かった。それはそうだろう、彼にとっては忠実な僕だと思っていた国民にいきなり反旗を翻されたのだから。
しかし、それを事前に感じ取れるだけの違和感はあっただろうし、仮に本当に気が付いていなかったとしたら、もうかける言葉もない。
「なぜこうもあいつらの行動が上手く行くんだ。軍隊や警備兵は何をしている。」
近くの物に当たり散らす。そんなことをしても意味が無いのに。それに軍隊や警備兵は自分で機能不全に追いやったではないか。
落ち着きなく部屋の中をうろうろする夫を興味なく眺めていると、廊下から大勢の足音が近づいてくる。
扉が開け放たれて、十名ほどの革命軍が部屋になだれ込んでくる。
その最前列に居る革命軍リーダーが声を上げる。
「アラン・リシャール陸軍大臣だな。観念して大人しく捕まれ。」
「はん。貴様らのような下民どもが粋がるな。本来であればこの俺に謁見することすら望めぬような立場だろうが。」
そういいながら腰に下げていた剣を抜いた。それを見て革命軍リーダーも構え直す。
「一対一で勝負を決めよう。あの会談の時、俺に頭を下げなかった事を後悔させてやる。」
そうして彼らは一騎打ちでの勝負を始めた。
序盤こそ夫が力で優勢に見えたが、次第に形勢逆転し革命軍リーダーが有利な展開となっていく。
一瞬のスキをついて、革命軍リーダーの鋭い一撃が夫の利き腕に刺さる。
たまらず剣が手からこぼれ落ちる。
「下民風情が、お前らは常に俺たち貴族に搾取され続けていればいいんだ。
逆らわずただただ屈服して地べたを這いずり回っていればいいものを。
お前らの命が俺の命に比べて無価値なように、この腕一本ですらお前ら数人分の価値があるんだぞ。
もう許さん。お前ら革命軍もお前らを庇護した下民どもも全員死刑にしてくれる。たとえそれで国民が著しく減ろうとも関係ない。どうせ勝手に増えるだろうし。」
夫のたわごとを覚えているのはその辺までだった。
頭に血流が行き過ぎて耳鳴りがする。鼓動を同期して頭がずきずきする。
そこらへんに落ちていた夫の剣の飾り紐を手に取る。未だに何か騒ぎ続けている夫の背後に近づき手に持った紐をその首にかけて思い切り引き締めた。
「な、ルイーズ、や、やめろ。何を、している。」
「あんたがどんなに愚かでも、国は民の為に有るっていう大原則は外さないと思っていたのに。
あんたみたいな器と性格じゃあ、国を治めるなんてできやしない。
あんたは知らないだろうけどね、この紐の1本1本の為にどれだけの国民の血と汗と命が失われた事か。
あんたら貴族っていうのは何も気にもしないで重税をかけるだけだけど、その裏でどれだけの人が亡くなったか。
今ここで、私の両親が最後に味わった苦しみをあんたに教えてあげる。」
もがいて暴れていた手足が徐々に動きが鈍くなり、ついには動かなくなった。
完全に動かなくなった事を確認して、手の力を緩めた。顔を上げてあたりを見回すと、革命軍の人達が遠巻きにこちらを警戒している。
革命軍リーダーと目が合って、わざと明るく言った。
「ごめん。堪えてようと思ってたけど、我慢の限界だった。これじゃあ予定通りに行かないね。」
「まあそこは別のプランで行くだけだ。替え玉用の死刑予定の政治家は多数居る。
それよりも悲願の達成おめでとう。感想は。」
「最悪。全然気が晴れない。」
「仇討ちなんてそんなもんだ。」
「ただ、ようやく何か肩の荷が下りた気がする。さあ、やりたいことは済んだわ。私を拿捕してちょうだい。」
「本当に良いのか。君までこいつと一緒になって罰を受ける必要はないんじゃないか。」
「そう思えるのは裏側を知っているからだけだよ。公表されている事しか知らない国民にとって私も夫と同じでしょう。」
「しかし、君が居なければこの革命は成功しなかった。さらに言えば俺が立ち上がるきっかけが無くなって、革命軍そのものが無かったかもしれない。」
「それは可能性の一つでしかない。私が君に声を掛けなくても君は革命軍を作っていたかもしれない。」
「・・・」
「ああ、そうだ。一つ面白い事を思いついたから少し時間をくれるかな。」
「逃げる気の無い人を拘束しても意味がない。お好きなだけどうぞ。」
「では、カトリーヌ。君も付いてきてちょうだい、一人では出来ないから。」
「かしこまりました。奥様。」
私の一番の側近であるカトリーヌ。彼女はとても賢い。他のメイド達に比べてもその才は頭一つ抜けていた。そんな逸材をリシャール家のハウスメイドの中から侍女に引き上げた。
話をしてみると彼女自身も寒村の出身らしく、お互いに近い原体験を共有できてとても身近に感じることができた。
そんな彼女に私の野望を話した事が有る。野望と言ってもただの仇討ちだが。彼女は今までに見たことの無いような勢いで強く賛成してくれた。
彼女自身にも心の奥底に特権階級への復讐心が有ったのだろう。
それから彼女は私の共謀者の一人になった。
カトリーヌを従えて王宮内をうろつく。目当ての部屋はすぐに見つかった。
王妃の私室。そのクローゼットには目的の王族だけが着ることが許される濃い青のドレスが掛かっていた。
それを自分の体に当てて鏡を見る。
「カトリーヌ、どう、似合う。」
「お似合いにはなりますが、奥様が何を考えているのかが私には理解できません。そんな恰好をしたら、」
「そうね、国民から大ひんしゅくを食らうでしょうね。この格好で国民の前に立ち、そしてできる限りの上から目線で国民をなじる。そう、夫のようにね。」
「なぜそんな事を。」
「私はこの国に襲い掛かる嵐になりたいの。その強風で腐敗した老木をなぎ倒し、その大雨で長年の汚れを洗い落とす。
国民にも多少は被害が出るかもしれない。でも、その後には雲一つない澄み切った青空が顔を出すでしょう。
後は国民が次の嵐に備えられるようにと対策を意識させれば完璧。そのためには、私は国民から嫌われれば嫌われるほど良い。」
「何もそれら全てを奥様がしょい込まなくても。」
「私にも罪は有るわ。一番は夫があそこまで使えないという事を見極められなかった事。もう少し使えれば、革命軍の奴らと組んでより良い方向に進めたのに。」
「それはもう致し方ありません。」
「そうね。では早速着替えに取り掛かりましょう。あまり待たせるのも悪いわ。」
「・・・わかりました。その前にどうぞ。」
見るとカトリーヌはこの私室に置いてあった水差しとコップをお盆の上に乗せて持っていた。
「先ほどの荒事からここまで全然休まれておりませんので、せめて一息ぐらいついて下さい。」
「そういう細かい心遣いが出来るあなたを侍女として召し抱えて本当に正解だった。ありがとう。」
「私風情には十分すぎるお言葉です。」
コップの水を一気に飲む。飲んで初めて自分の喉が渇いていた事を自覚した。
その水は酷く苦かった。
一瞬で全身の力が抜けて立って居られなくなる。悪寒が走り冷汗が出る。
「カトリーヌ、なに、を、」
何とか首を動かし見上げたカトリーヌの顔は引きつった笑みを浮かべていた。
「今まで何人もの人をその謀略に嵌めてきたのに、ご自身が罠にかかるのは初めてですか。
安心して下さい。その毒で死ぬ事はありません。ただ向こう1週間は自力で起き上がる事は不可能でしょう。」
「それでは、予定が、」
「そう、「ルイーズ・リシャール」の処刑には間に合いません。奥様は大人しくベッドの上で寝ていてください。
因みにこの事は革命軍リーダーも承知の上です。」
「・・・。」
既に言葉を発することもできなくなってきていた。
「奥様にこの私の一世一代の大芝居を見てもらえないのが唯一の心残りですが、致し方ありません。
奥様には生きていただいて革命軍と共にこの国の復興をお願いします。」
「・・・!」
声を振り絞ろうにもただうめき声が出るだけだった。
「私は奥様を心よりお慕いしておりました。もし、出来ることならそんな私の事を心の片隅に置いて下さいませ。」
とうとう意識も薄れた。
意識が飛んで、次におぼろげながら気が付いたのはベッドの上だった。遥か遠くの広場の方から大人数の歓声が聞こえた気がした。
はっきりと意識を取り戻した時、ここには既に王国は無くなっていた。
ベッドの上で悲しみ、考え、そして答えを出した。
私はこの先、生きている限りは「カトリーヌ」を全うしよう。
それがカトリーヌの遺志だと思う。
しかし、彼女を忘れない為にこの手記を書き残す。私が生きている間は誰にも見せるつもりは無い。
ただ、私が死んだ後この手記が発見され彼女が再び日の目を見る、その日を祈って。