本当はそばにいたかったのに
***
フワリ肩からかけられたマント。
ほのかに香るのは、針葉樹と眠気を誘う穏やかな花の香り。
それは、ラティと同じ香りだ。
「メルシア」
「ん……」
「風邪を引く。メルシア」
目を擦って体を起こす。いつのまにか、陽が傾いて、少し肌寒い風が吹いている。
穏やかで甘い声。遠くから見つめていても、声だけはなかなか聞くことが出来ないから、とても貴重だ。
「とっておけたら、いいのに」
「ふ、何を」
「その、声を」
「…………」
そう。例えばオルゴールにでも仕舞い込んで、この声を閉じ込めておけたらいいのに、とメルシアは思う。
そうすれば、ずっと聞いていられるのに、と。
「……メルシア」
今日は、妙に夢の続きが長い。
(こんなふうに、名前を呼んでもらえたら、どんなに幸せだろう。でも、鼻血も見られてしまったし、婚約者にしてもらっても、気の利いた会話のひとつもできなくて)
そろりと、まるで壊れ物を扱うみたいに、頭を撫でられる。
ここまできて、さすがに夢ではないということを認識したメルシアは、密かに冷や汗をかきながら目を開けた。どこからが、現実なのだろう。
(寝起きに、聞いて欲しくないような寝言を口走った気がするよぉ)
「……ランティス様」
「こんなところで眠ったら、風邪を引く。さ、馬車を用意したから、乗るといい」
肩にかけられていたのは、ランティスのマントだった。しっかりした生地で作られて、耐魔法の機能がついているから、ズッシリと重みがある。
「あ……。私、勝手に上がり込んだ上に」
以前だったら、「気にすることはない」と、そっけない返事が返ってくるだけだった。
無表情だから、怒っているかもわからなくて、メルシアは、何度も不安になったものだ。それなのに。
(ずるい……。ずるいよ、そんな顔)
ランティスが、微笑んでいる。
こんな顔、推し活で追いかけていた時だって、婚約者として過ごした日々だって、一回も見たことなかったのに。
「来てくれてうれしかった。また、来てほしいんだ。もしも、メルシアさえよかったら」
ランティスは、いつのまにか、違う人格にでもなってしまったのだろうか。それくらい違う。それほど甘くて。
「うっ……。本当に来てもいいんですか?」
「ああ。……ラティも待っているから」
「迷惑じゃ、ないんですか?」
「俺が、会いたいんだ。メルシアに」
(それなら、どうして婚約破棄……)
胸がドスンと、重くなる。
それなのに、はっきりと答えを聞くのは怖くて、メルシアは言葉を継ぐことが、出来なかった。
メルシアの表情の変化から、ランティスは、言いたいことを察したのだろう。ためらいがちに、言葉を紡ぐ。
「……メルシア。婚約破棄……しようと、言ったのは」
「ランティス様」
「……ああ、もうこんなに時間が経ったのか。……時間が、足りないな」
「どうしてですか?」
ランティスは、基本的に無表情だ。
遠目ではあっても、ずっと見ていたからメルシアはそのことを、知っていたはずだ。
それなのに、今日のランティスは、なぜこんなにも表情豊かなのだろうか。
「……本当は、そばにいたかった」
「どうして」
笑っているのに、どこか泣きそうで。
まるで、泣きたいのを堪えている、我慢強い幼子みたいで。
指先に、そっと口づけが落ちるのを、メルシアは呆然と見ているしかない。
「ごめん。時間がないから……」
離れがたいとでも言うように、名残惜しさを感じるほどに、ゆっくりと離れていく指先。
「……これで、失礼する。馬車を門の前に止めてあるから」
それなのに、メルシアを置いて行ってしまうランティスは、今までと何も変わっていないように見える。
(あんな顔、見せておいて)
理解が追いつかないまま、メルシアは馬車に乗る。
「本当のことを、知らなくちゃダメなんだよね。きっと」
婚約破棄の申し出には、理由があったのだろう。
あまりに、ランティスの態度は、一貫性がないけれど、それでも、ランティスが、理由なくそんなことする人じゃないと、メルシアは知っているし、信じている。
ずっと、その姿を追いかけてきたのだから。
ジレジレです。両片思いです。
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