ちょっと、王国の危機ではないですか?
結婚式を間近に控えた、ある日の朝。
ランティスは、持ち前の行動力と権力と財力と知力すべてを総動員して、ロザリス公爵家のトップを挿げ替えてしまい、フェイアード侯爵家にはようやく平和が戻りつつあった。
その断罪劇は、しかし王都の住民たちに知らされることもなく、秘密裏に行われた。
騎士団、侯爵家、王家の協力。それは、新しい貴族内の勢力図を意味していた。
けれど、まだまだ危険一杯という理由で、メルシアは相変わらずフェイアード侯爵家に暮らしている。
そして、今朝目覚めてみたメルシアは、ランティスの様子がおかしいことに気がついた。
「っ……?!」
近い距離。否、近すぎる距離。
「ランティス様?」
「なに、メルシア。好き」
「……?!」
目覚めの推しの破壊力。
確かにランティスは、目覚めた時にラティみたいに素直に甘えてくることがある。
だから、今日だってそうに違いないとメルシアは考えた。
けれど、最初に感じた違和感が、やはり間違いではなかったことにメルシアが気がつくまで、それほど時間はかからなかった。
「ランティス様」
「なに、可愛いメルシア」
「えっと、そろそろ目を覚まされては……」
「え? 何言ってるのメルシア。もっと近くに来て?」
そのまま、メルシアの頬をぺろりと舐めたランティス。
そういえば、最近は変身のコントロールができるようになったせいで、狼姿になってもランティスはランティスだ。
(えっと……。ラティに会えなくてさみしいなんて思ってしまった罰なのかしら? どうしよう……)
抱き着いたまま離れないランティス。
幸いなことに、本日はランティスは非番だ。
けれど、このまま元に戻らなかったら…………。英雄ランティスが、戦えなくなってしまったら、王国の危機なのではないだろうか。
ひそかにメルシアの背中を冷たい汗が伝う。
「メルシア……。俺といるのにそんな顔」
「ひぇ!」
「そんな声…………」
そっと頭を撫でられて、ランティスの長い指の間から、淡い茶色の髪の毛が零れ落ちていくのを、メルシアはぼんやりと見つめ、そして赤面した。
「あ、あの。ランティス様!」
「ラティ…………」
「ら、ラティ!」
「うん。メルシア、好き。メルシアは?」
「す……好きです」
(どうしよう……。ランティス様が、完全に狼化してしまった)
ランティスは、もしかしたらラティに時々変身したほうがいいのだろうかと思い悩むメルシア。
一向に、狼姿になる様子もなければ、元に戻る様子もないランティス。
結局、そのあとも一日中、ほとんどゼロ距離のまま二人は過ごした。
メルシアも、途中で吹っ切れてしまい芝生を転げまわって遊んでしまった。
芝生の上で、抱きしめられて夕焼け空を見上げる。二人とも泥だらけだ。
平和な一日だったのかもしれない。
その時、メルシアの体をランティスがひときわ強く抱きしめた。
「楽しかったけど……。これは呪いなのかと思わなくもない」
「ランティス様?」
「――――思いのほか、ラティ姿でいることで、幸せを味わっていたのかな」
「えっと…………。私は、どんなランティス様も」
「今は、正常な判断が出来そうもないから煽らないで」
……それならいったいどうしたらいいのか。
その答えは出ないまま、メルシアはもう一度ランティスの腕に擦り寄り、夕焼け空を見上げた。




