手負いの狼は手なずけられる 1
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アイリスが、転移魔法で降り立ったのは、クルルクが合流したシンとマチルダの目の前だった。
一瞬だけ、目を見開いたシンは、鍛え上げられた精神力でどうにか平静を装う。
「……なんであんたがいるんだよ」
「弟子を助けに来たの。何か問題でも?」
「明らかに、さっき無茶な広範囲探索魔法使っていただろう?! 俺に質問するという選択肢はなかったのかよ」
「……子どもが、気にするようなことじゃないの。守られていなさい」
アイリスがチラリと目を向けた先には黒髪の女性。
潜入捜査を主にする彼女とアイリスが任務を共にしたことはないが、お互いに顔見知りなのは間違いない。
「……案内しなさい。子どもたちがいる場所を知っているわね?」
「逃げ切れないわ」
「……どうかしら? フェイアード卿は、絶対に彼らを追い詰めるわ。群れを率いる狼だもの」
マチルダは、一瞬だけ大きく瞳を揺らす。
子どもたちの安全と自由を秤にかけているのだろう。
だが、結局答えは一つしかない。
「ついて来て」
「賢明だわ」
扉には見えないように、厳重に隠された壁の際に、その仕掛けはあった。
通常は、許可がなければ開けることが出来ない。その場所を見つけることすら、知らない人間には不可能に違いない。
「――――相変わらず、ずいぶん厳重に閉じ込めているわ。……忌々しい」
それでも、フェイアード侯爵家の強固に固められた馬車の封印すら簡単に壊したアイリスにとっては、それを壊すだけなら造作もない。もちろん、万全の状態であれば……だが。
「ふふっ。上級魔道士アイリス参上……」
おそらく、今の状況でこれだけの封印を解除すれば、アイリスは魔力を完全に使い切るだろう。
それは、かつてのランティスやメルシアが陥った状況に似ている。
先ほど無茶をしたアイリスはもっとひどい状況に陥るに違いない。
けれど、晴れやかな気持ちで、アイリスが触れようとした指先は、魔法の幕に阻まれた。
「――――え」
「させない」
掴まれた腕は、後ろに引き寄せられて、代わりに無骨な指先がいとも簡単にカギの形をした封印を壊した。
「……どうやって」
「……特級は上級より上だから」
「――――口数少ない癖に嫌味な男」
頬を膨らませたアイリス。フードを被り直したマーシス。
その先には、身を寄せ合うまだ幼い子どもたちと、その子どもたちを背中にかばおうとする少し年上の子ども数人がいた。
「――――やっと、この場所に立てた」
「もうすぐ、ここも崩れそうだ。証拠を消す気だな」
「――――させない。子どもたちに転移魔法を」
「ああ」
次の瞬間、部屋の床全体に魔法陣が構築された。
「な、なんて無茶」
「自分がしようとしたことだろう?」
「え? 子ども達だけよ! それにマーシスは、闇魔法」
「――――得意ではない」
「命知らずなの?!」
アイリスの呆れかえったような言葉は、余韻のように部屋に響き、そして消えた。
***
そして、全てが終わりかけたその頃、ようやく白銀隊の四強は、メルシアとランティスのいる場所へたどり着こうとしていた。
「おいおい、どう見ても公爵家の暗部の本拠地だろうこれは」
「危険度一級レベルでしょうか」
「そのわりに、惨状が目を覆いたくなる感じです」
室内では戦いに不向きな大剣の代わりに、おもちゃみたいに見えるロングソードを振るいながらバーナーが呟く。バーナーの言葉に、珍しく同意を示すカルロス。怯えをにじませるディン。
「……誰かの手引きがあったようですね。それが、メルセンヌ伯爵令嬢を巻き込んだというのが問題ですが」
おびえていても、冷静な分析。騎士団では上位の腕でも、弓には劣るロングソードで戦うディンは、巻き込まれたというより始めからなぜかメルシアが狙われていたのではないかと疑っていた。
ランティスと戦っていた日々、縮まらない距離を不思議に思うほど、今思えばランティスの視線はいつも渦中のメルセンヌ伯爵家令嬢、メルシアに向かっていた。
狼に姿を変えることが出来る隊長が、執心するメルセンヌ伯爵令嬢。
メルセンヌ伯爵領を襲った魔獣の大量発生には、いまだに謎の部分も多い。
ロザリス公爵家が関係していたのではないかと、勘ぐってしまうのは、あまりに必然だ。
「――――どちらにしても、これは早く抜け出さないとまずいようだ。おそらく崩壊するぞ」
狼が食い荒らしたかのような惨状の廊下を走り抜け、一番奥の部屋に向かった三人。
すでに、副隊長であるベルトルトが入っていった部屋だ。
その部屋に突入しようかと、機会をうかがっていた時、珍しく緊張感を露わにしたベルトルトが、気配を消して部屋から出てきた。
「――――副隊長? いったい何が……」
「とりあえず、ここは問題ない。迅速に帰還せよ」
「え? それはいったい」
ほどなく、眠ってしまったメルシアを横抱きにしたランティスが、部屋から出てくる。
あふれ出す殺気は、経験豊富な騎士たちの足をすくませる。
「死にたくなければ距離をとれ。人間の姿をしているが、潜入捜査中の狼姿のまま、丸一日経過した隊長だと思ったほうがいい」
「え……やば」
思わずディンから漏れ出した言葉を誰が責められるだろう。
潜入捜査をしている時、自ら姿を変えても時間を追うごとに、あるいは手負いになるたびに狼姿のランティスの行動は野性味を増していく。
その事を知っているのは、ここにいる四人と、騎士団長、元副団長、そしてアイリスくらいだ。
「……とりあえず、手負いの隊長は自力で脱出するでしょうから。……巻き込まれる前に撤退を指示する」
「は……」
四人のその判断は正しいのだろう。
ここまでくる間の惨状が、その事実を物語っているようだった。
ほぼ、ランティス一人でなんとかしました(´・ω・)




