番外編 姉の婚約者(弟目線)
***
ランティス・フェイアードは、多忙な業務の合間、久しぶりに騎士養成所の訓練を訪れていた。
「……今日も容赦がない」
ジークは一人呟いた。しかし、倒れた騎士候補生に手を差し伸べている姿を見れば、やはり「厳しい戦場で生き残ってほしいと嫌われ役をかって出ている」というメルシアの意見も正しいのだろう。
「次は誰だ」
「ジーク・メルセンヌです。ご指導宜しくお願い致します」
「……メルセンヌ」
少し目を見開いたランティスに、ジークはひそかに「おやっ?」と思った。
メルセンヌの姓に、反応したランティス。
ジークの勘が、正しいのであれば……。
しかし、やはり容赦ない指導に、ジークは数分もしないうちに、地面と仲良しになっていた。
「――――大丈夫か?」
「はい」
「少し、左足の踏み込みが弱いようだ。指導担当の騎士に訓練メニューを追加するように指示しておく。精進しろ」
「はい!」
やはり、目の前に差し出される美麗な顔に似合わない無骨な剣だこだらけの手。
その手を掴めば、力強く引き起こされる。
そして、ジークと目が合った瞬間、ランティスの瞳がほんの少し見開いたのを、ジークは見逃さなかった。
「……ありがとうございます」
ジークの瞳は、メルシアとまったく同じエメラルド色だ。
何事もなかったかのように去っていく、ランティスの背中をジークは見送る。
(……フェイアード卿は、姉のことを知っている。しかも好意を持っている?)
それから、ジークはランティスの観察をそれとなくするようになった。
その結果、ジークが得た感想は、メルシアが言っていることは一理あるということだった。
隊長であるランティスは、ベルトルトに指示をして、よく隊員たちのフォローをさせている。
騎士候補生の指導をしたときには、必ず弱点の修正の指示も行っている。
「――――姉さんは、時々真実を見抜くところがあるからなぁ」
だが、ジークは失念していたのだ。
姉であるメルシアが、異性からの好意に、信じられないほど疎いのだということを。
そして知る由もなかった。
完璧に見えるランティスの唯一の弱点が、メルシアであることを。
***
それから、半年が経過した。
メルシアは、相変わらずランティスの推し活に精を出して、楽しそうに過ごしている。
公開訓練に現れる度に、ランティスがメルシアを見ている視線になんて、気がつきもしないで。
(なぜだ……。姉は、なぜ気がつかない)
ジークの抱いた小さな疑惑は、もはや確信に近づきつつあった。
あの視線……。それにメルシアが働いている治癒院に併設された孤児院。
定期的にベルトルトが訪れているが、それだってランティスの指示だ。
(間違いない。フェイアード卿は、姉さんに思いを寄せている)
いったい、いつの間にそんなことになったのか。それは、ジークのあずかり知らない事ではある。
もともと、フェイアード侯爵とメルシアとジークの父メルセンヌ伯爵は、長年の友人だ。
だから、ランティスとメルシアは、どこかで面識があってもおかしくない。
ランティスは、メルセンヌ領が災害に見舞われた時に、騎士になり、しかもメルセンヌ領赴任を志願したという。
「……え? まさか、ずっと前から?」
今日は、ランティスが騎士候補生の指導に訪れる日だ。
だから、ジークは少しだけ、ランティスの出方を探ってみることにした。
ほんの出来心ではあったし、あまりに二人の距離がお互いの気持ちの割に遠い気がしたから、ジークとしては少しだけ背中を押す程度の気持ちだった。
ランティスの聴力が、常人のそれをはるかに上回るという情報を、すでにジークは入手している。
(それにしても、諜報員かと疑われないように気を付けないと、というレベルでフェイアード卿について詳しくなってしまった……)
メルシアが、ランティスの話を聞くと、あまりに純粋に喜ぶから、ついジークはランティスについてのうわさ話や情報に敏感になってしまったようだ。
少しだけ、ランティスと離れた位置。
確実に聞こえるであろう、絶妙な位置で、友人に相談を持ち掛けるように、何気なく会話する。
「実は最近、メルセンヌ領を支援するなんていって、姉にたくさん縁談が舞い込んでいるんだ」
「そうか、お前のところの領地、大変だったらしいからな」
「このままだと、姉は領地の支援と引き換えに、年老いた豪商に……」
実際、現状でもメルセンヌ領は、復興しきったとは言い切れない。
それでも、状況は上向きになってきている。ジークの生活だって庶民と変わらないが、メルセンヌ領が完全に復興するまで、贅沢しようとは思っていない。
領地の復興を優先し、社交界からは縁遠くなってしまったメルセンヌ伯爵家。
だが、それでも領地への支援とともにメルシアへの縁談を持ち掛けてくる豪商や貴族がいないわけではない。
……もちろん、メルセンヌ伯爵が、そんな縁談は握りつぶしている。
メルシアには、幸せになってもらいたいというのが、家族全員の総意なのだ。
(こちらに、視線を向けた。え?)
あまりに深刻な表情、握りしめられた手。しばらく地面を見つめていたランティスは、踵を返し、そのまま走り去っていってしまった。
「――――なんてな? 俺たちがそんな縁談握りつぶしているけどな?」
「そうか。まあ、家族には幸せになってもらいたいものだよな」
「そうだな……」
ランティスの様子の変化から、もしかしたら余計なことをしてしまったかもしれないという気持ちと、してやったりという気持ちがせめぎ合うジーク。
それから、たった数日後のことだった。
正式な手順が踏まれ、メルセンヌ伯爵領復興への惜しみない支援と豊富な支度金、もちろん持参金不要の破格の条件付きの婚約申し込みが、フェイアード侯爵家から、メルセンヌ伯爵家に届けられたのは。
通常、これだけの資金を動かすことも、貴族同士が婚約するための正式な手順を踏むことも、すべて長い時間がかかるはずだ。
(やば。フェイアード卿の本気を見てしまったかもしれない)
「えっと、なぜ私に? え? 明日死ぬのかな?」
「姉様は、見た目だけはいいから。どこかで、見初められたんじゃないかな?」
「…………え?」
キョトンと丸い瞳を瞬かせるメルシアは、確かに絶世の美女ではないかもしれないが、庇護欲をそそる可愛らしさだ。絶世の美女より、メルシアのほうが好みという異性は多いに違いない。
そして、フェイアード卿は、その有能さと人脈と権力すべてを使って、メルシアとの婚約を短期間で成立させてしまったのだった。
婚約が決まってから、しばらくの間、元気がなかったメルシア。
だが、遠征訓練に出かけていたジークが、そのことを知ることは出来なかった。
もしも、ジークが近くにいたなら、姉の様子を心配して何かしらの手を打ったのだろうが……。
ジークが戻ってきたときには、メルシアは、以前よりも幸せそうに……。
「それでね! 訓練の時にベルトルト様と打ち合う姿がとても素晴らしくて、訓練場にいた私たちの心が一つになったように思えて……」
「えっと、姉さん」
「なに?」
「その人、姉さんの婚約者だ」
「え?」
「…………ランティス・フェイアード卿は姉さんの婚約者だ」
「え?!」
(え? 婚約者になったはずだよな……?)
婚約者という割に、なぜか相変わらず遠いように思える二人の距離。
もしかしたら、メルシアが推し愛より強くランティスに恋するのには、もう少しだけかかるのかもしれないと、ジークは思う。
(え? フェイアード卿、大変だな)
ほんの少しだけ、ジークは未来の義兄に嫉妬と同時に同情した。
***
余談だが、ジークの初めての遠征は、大量の魔獣に出くわし、訓練ではなく命がけの本当の遠征になった。
騎士団の合流まで誰も命を落とすことがなかったのは幸運か、それとものちに騎士団のエースを多数生み出す、ジークたち騎士養成所108期生の実力だったのか、それは誰にもわからない。
次回、新章はじめます(*'▽')
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