月夜の狼 6
「ランティス様! やだ! 逃げて!」
ボロボロとひっきりなしにこぼれる涙。
(もう、30分以上経ってしまった)
だから、早く狼の姿になって、ここから逃げてほしいとメルシアは願う。
自分のことなど、置いて逃げて欲しいと。
その一方で、今までの日々で嫌になるほど知ってしまっている。
こんな場面で、ランティスが逃げるはずなどないのだと。
「ランティス様!」
メルシアは、バンバンッと音を立てて、窓を叩いた。
ランティスは、未だ人の姿のままだ。
だが、尋常ではないほど、滴り落ちている汗。
(早く、早く狼の姿になって!)
「……メルシア」
遠くから見ているなんて嫌だと、メルシアの頬を大粒の涙が伝う。
視界の端に、メルシアの涙を捉えたランティスが、少しだけ口元を歪ませる。
「泣かせたくなかったのに」
ランティスが振るう剣は、いつもの洗練されたものではない。
荒々しくて本能のまま振り下ろされる剣は、どこまでも重い。
ほんの数分しかたってないのか、長い時間がたっているのか、それすらもわからないままに剣は振るわれる。
「わ、とと……。これは、さすがに」
その時、小さなつむじ風が起こった。
その風は、徐々に強く激しくなって、メルシアの乗っている馬車を揺らす。
「――――あら、フェイアード卿がピンチに陥ってるなんて」
暴力を宿した風が吹き荒れる中、その高くまとめた黒髪も、ローブもほんの少し揺れることすらなく、女性が近づいてきた。
「ね、あなた」
着崩した詰め襟の騎士服。
その隙間から、黒いリスが姿を現す。
可愛らしいその外見には似合わない、黒い霧を纏って。
黒い霧がなければ、普通のリスに見えるだろうそれは、直前までランティスと剣を交えていたフードの男の頭に飛び乗る。
直後には、ドサリと鈍い音がして、フードの男が地面に倒れた。
それと同時に、はらりとフードが外れ、その素顔が明らかになる。
メルシアは、馬車の中から茫然と、その事実を確認した。
(まだ、子どもだわ……。それにしても、王立騎士団の騎士服を着ているあの人……。助けに来てくれたの?)
騎士服の上にローブを被っているということは、王立騎士団所属の魔道士なのだろう。
彼女の足元に倒れるのは、黒い髪を持った、まだ幼さの残る少年。
おそらく、まだ十二、三歳くらいだろうか。
「ふふっ。私と同じ、黒髪なんて……」
いとも簡単なことのように、魔法の鎖を作り出して少年を拘束した女性は、メルシアの乗っている馬車のカギを、無造作に壊した。
「あの、私……。メルシア・メルセンヌと申します」
「メルシア嬢は、気を失っていたから初めましてだね? お初にお目にかかります。王立騎士団所属、上級魔道士アイリス。以後お見知りおきを」
妖艶に笑ったアイリスは、軽く会釈をすると、ぼんやりと馬車を見つめて立ったままのランティスを半ば無理やり馬車に押し込んだ。
「無茶するよね……。君と君の婚約者は」
アイリスが花火のような魔法を空に放つと、走り去っていたはずの馬が戻ってくる。
その馬を、魔法の鎖で再び馬車に乗せ、アイリスは御者に告げる。
「あまりいい状況とは言えない。フェイアード卿。とりあえずフェイアード侯爵邸に戻るよ?」
「…………ああ」
そして、再び馬車の扉が閉められる。
アイリスは、紫色の瞳を深めて、上から下までランティスの姿を確認するように見つめた後、御者の隣に座った。
「ランティス様……」
相変わらず、その頬を汗が伝って、ランティスの呼吸は荒いままだ。
珍しく寄せられたままの眉から、よほどの苦痛を耐えていることが察せられる。
「――――無事」
ランティスが、そっとメルシアを抱きしめる。
失ってしまいかけた、大事な人とようやく再会したみたいに。
その体は、火傷しそうなほど熱い。
「ランティス様……」
涙の痕が渇ききらないままのメルシアの頬をランティスの熱い手が拭う。
高すぎる体温で、もうろうとしているのだろうか。
ランティスは、ほんの少し焦点が合っていないまま、メルシアを見つめてほほ笑む。
「……俺はちゃんと守りきれたのかな?」
「――――は、はい。完璧に守ってもらいました。傷一つないですよ?」
「そか……。よかっ」
ランティスの重みが、メルシアにのしかかる。
メルシアは、ランティスの背中に腕を回して、発熱する体を抱きしめた。
「――――着いたよ。いま、従業員の皆様を呼んできたから。メルシア嬢も一緒に来て」
浮かない顔のアイリス。
普段、騎士団では軽薄な印象で笑っていることが多いアイリスのそんな顔は珍しい。
もちろん、初対面のメルシアは、そんなこと知る由もない。
ほのぼの…………_(:3」∠)_
ランティスが元気になったら、ほのぼのするとお約束します。
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