騎士は婚約者を密かに愛でる
***
時は遡り、婚約破棄宣言の少し前。
午後の優雅なお茶会。
セッティングされた色とりどりのスイーツと、甘い香りを漂わせるミルクティー。
ランティスの目の前には、淡い茶色の髪に、磨き抜かれた宝石のようにキラキラ輝く緑の瞳を持つ、世界で1番可愛らしい婚約者が座っていた。
薔薇の蕾が咲き誇るのを待ち望む優雅な庭。
全てが目の前の婚約者、メルシアのために用意されている。
おそらくそんなことは知らないメルシアは、俯いてどこか憂鬱そうだ。
それはそうだろう、とランティスは思った。
メルシアは、疲弊した領地への援助を申し出たフェイアード侯爵家からの婚約の打診を、断ることができなかったのだから。
「……そろそろ時間のようだ。失礼する」
「はい。ランティス様」
メルシアが、ランティスを引き止めることはない。たとえ、引き止められたとしても、ランティスには、この場に居られない理由があるのだとしても。
言葉数も少なく、侯爵家の嫡男であることと、騎士であることくらいしか取り柄のない男。
それがランティス・フェイアードという男だった。
少なくとも、本人はそう考えている。
もしも心の声が聞こえたのなら、こんなすれ違いはなかったに違いない。だが、人は普通、心の声を聞くことはできない。
「……遠くから見ていた君は、あんなに幸せそうに笑っていたのに」
メルシアから距離を取ったランティスは、つぶやいた。
騎士団の訓練を観に来ていたメルシアは、いつもニコニコと微笑んでいた。
きっと、騎士団に意中の騎士がいたのだろう。
たとえば、命の恩人、ベルトルト・シグナー。
次の瞬間、体が熱く燃えそうになり、ランティスの体は狼のそれになる。
ランティスは、出会って恋に落ちてしまった幼いあの日から、メルシアのそばでは、先祖から受け継いだ先祖からの力のコントロールができない。
ましてや、普段であれば隠密活動くらいは、狼姿でもこなせるのに、感情のコントロールすらできない。
「ワフ!」
ランティスは、踵を返すと四つ足で走り出した。
メルシアは、まだあの場所にいるに違いない。
そばにいたい。
会いたい。
恋慕だけが心の大部分を占める。
メルシアの元に、本能のまま走り出したランティスは、それでも心のどこかで、一方的な婚約を終わらせなくてはいけないのだと、決意していた。
***
婚約破棄を決意した理由は、それだけではない。
騎士の仕事は、危険を伴う。逆恨みした人間から、あるいは敵国から、次期騎士団長と目されるランティスの弱点が狙われる。
それに、メルシアは、メルセンヌ伯爵領の騒乱のせいで、社交界から縁遠いままだ。
だが、フェイアード侯爵家の嫡男であるランティスとの婚約を継続する限り、社交界から離れたままということもできないだろう。
純粋なメルシアを、水面下での腹の探り合いばかりの社交界に連れ出すのは、はばかられた。
――――だが、それ以上に……。ランティスと、メルシアが一緒にいるのは不都合がある。
少なくとも、ランティスが騎士の職務を全うできない程度には。
ランティスの目の前にいるベルトルトは、焦りをにじませている。
いつも、ニコニコと腹の読めない笑顔をしているベルトルトにしては珍しい。
髪の毛をかき上げれば、その直後にパラパラと鮮やかに指の間から零れ落ちていく赤い色彩。
ほんの少しの沈黙のあと、ベルトルトは口を開いた。
「それで、これからどうするおつもりですか。ことの詳細を教えてもらえるのですか?」
「……ああ。なぜかわからないが、俺はメルシアのそばでは、30分も経つと、狼の姿になってしまう」
「……その力、コントロール出来ていたではないですか」
「メルシアに、初めて会った時からだ。彼女の前でだけは、この力を制御できない」
ベルトルトは、なぜあんなにも頑なに、ランティスがメルシアのそばにいることを拒んでいたのか、ようやく理解した。
「騎士であることよりも、彼女のそばを選ぶということですか」
「それは……」
「いいえ、そもそも隊長が騎士になったのも、フェイアード伯爵領を初赴任地に選んだのも、メルシア様のためでしたね」
「…………」
誰よりも大事に思っていて、いつも陰ながらメルシアを助けているのに、煮え切らない態度。
かと思えば、副隊長であるベルトルトにすら、突き刺さりそうなほどの牽制をかけてくる。
それに、ランティスがあんな風に、愛しげに、優しげに視線を向ける相手など、メルシアしかいないこともベルトルトは理解している。
ようやくパズルのピースがはまったようだと、ほんの少しの安堵をベルトルトが感じたのも事実だった。
「……はぁ。わかりました。しばらくは、休暇を取って下さい」
「……だが、問題が起きたのだろう?」
「今のあなたがいても、足手まといです。問題が起こったのは事実ですが、俺が処理しておきます。ああ、隊長代行の書類だけ貰えますか? ここにサイン下さい」
用意されていた書類。
父である先代騎士団長だけでなく、国王陛下のサインまで入った書類。
用意周到であることから、あらかじめこの展開を予想していたのではないかとさえ思える。
ランティスは、いつだって、なんだかんだ文句を言っても、誰かを見限ることや、困っている人間を見ないふりすることができない、お人好しのベルトルトの背中を見送った。
ヒーローとヒロイン二人のすれ違い。
そして、いい人枠ベルトルト様。好き( ;∀;)
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