かくれんぼと人食い鬼
「うわぁ、本当に廃墟ね」
「な? 言った通りだろう?」
夏の午後。空が朱色に染まるにはまだまだ時間がかかるであろう時間帯。
そんな時間帯に、その二人はとある場所にいた。
都心から車で一時間ほどのとある寂れた田舎町、その外れに存在する廃墟である。
「ここって、元は小学校なのよね?」
「そうだよ。ここ、俺の母校なんだよね。今は別の町に住んでいるけど、高校を卒業するまでこの町に住んでいたから、この小学校に通っていたんだよ。でも、俺が小学校を卒業してすぐに廃校になっちゃってさ」
廃校と化して既に十数年。いまだに取り壊されることなく存在し続けるこの廃墟を、二人は見物に来ていた。
人気のまるでない廃墟の中を、二人──年若い男性と女性の二人組──は楽し気に会話しながら歩いていく。
「一応、教室とかの名残りはあるんだ……」
女性がかつて教室であったであろう空間を覗き込む。
かつては子供たちの声が賑やかに響いたこの空間も、今はひび割れた床に割れたガラス片や砂埃、風と共に入り込んだ雑草が生えるばかりの寂れた空間となっていた。
机や椅子はほとんど残されていないが、一部は朽ちた状態で残っている。黒板もそのまま教室の壁に残されているが、そう遠くない未来に壁から落ちて砕けてしまうだろう。
「あら? これって足跡……?」
「俺たち以外にも、誰かが以前に入り込んだんだろうな」
砂埃の積もった床に点々と、足跡が見て取れる。その大きさからみて、足跡の主は子供だろうか。
「廃墟に入り込んで、遊んでいたんだろうな」
「子供って、こういう所に入り込むのが好きだものね。特に男の子は」
くすくすと笑う女性は、笑みを絶やすことなく周囲をゆっくりと見回した。
「こういう所だと、どんな遊びをするのかしら? やっぱり、かくれんぼとかが定番だったり?」
「確かにここなら隠れる場所には困らなさそうだな。鬼になった奴が困り果てるんじゃないかってぐらいに」
男性も女性と同じように、周囲を見回しながら笑う。その視線には、どこか懐かしいものを見るような光がある。
「そういや、この小学校に通っている頃、休み時間に校庭で友達とかくれんぼをしていた時にさ」
ふと思い出したことを、男性は口にする。その顔には確かにノスタルジックな色を浮かべていた。
「ふぅん、あなたでもかくれんぼなんてしたんだ?」
「そりゃ、子供なら誰だって一度ぐらいはやったものだろ? で、当時の俺が隠れていた時、近くまで鬼が来てな」
「で、あっさりと見つかった……と?」
「違ーえよ。まあ、当時の俺たちのかくれんぼのルールが、ただ鬼が鬼以外を見つけるだけじゃなく、とある場所……校舎や体育館の壁の一部とか木とかを『鬼の巣』と指定して、その『鬼の巣』に鬼以外がタッチしたら鬼の負けとなって、そのまま鬼を続行するってものだったんだ」
「へぇ、かくれんぼとポコペンを一緒にしたようなルールだったんだ」
「俺たちだけのルール、いわゆる『ハウスルール』ってやつだけどな」
かくれんぼは世界中で親しまれている遊びであり、その単純さゆえに小さな子供から大人まで楽しむことができるゲームである。
そのため世界各地、または時代などによって様々なルールのかくれんぼが存在する。
一緒に遊んでいる仲間内だけに通用する独自の「ハウスルール」があっても、それは不思議なことではないだろう。
「で、だ。鬼の隙をついて隠れていた場所から飛び出し、『鬼の巣』を目指したわけだが……その途中ですっ転んじまってな」
「ぷぷ、カッコ悪い」
くすくすと笑う女性に、男性は苦笑してみせる。自分でも確かにカッコ悪いと思うからだ。とは言え、それはもう十年以上前の話。今では単なる笑い話でしかない。
「丁度雨上がりで地面がぬかるんでいたんだよな。で、そのぬかるみで足が滑って、側溝に落ちたわけだ」
「あはははははは! ホントにカッコ悪い! でも、怪我とかはしなかった?」
笑い顔から一転、女性は少し心配そうな表情を浮かべる。
「いや、右足の膝のちょっと下を三針ばかり縫ったよ」
「ええええっ!?」
男性の言葉に女性は驚く。彼があまりにも軽く言っていたので、怪我も大したことはないと思っていたのだが、思いのほか酷い怪我だったようだ。
「しかも、どういうわけか傷口が『T』の字に切れてさ。保健室へ行ったら間の悪いことに保健の先生がいなくて、上級生女子の保健委員が数人いただけ。で、その保健委員たちは傷口を見て『気持ち悪い』とか言い出して手当てしてくれねーしさぁ」
「それって、何のための保健委員?」
「まあ、確かに深く切れていたし、傷口から黄色い脂肪か何かがはみ出していたし、確かにグロかったから、保健委員たちの言い分も分からなくもないけどね。保健委員とはいえ、小学生でしかないんだし」
「それでどうしたの?」
「自分で適当に消毒して、その後は呼び出された親と一緒に病院直行。で、傷口を見た外科の先生が『どうやったらこんな器用な傷口になるんだ?』って笑っていたのをはっきりと覚えているよ」
確かに軽い怪我とは言えないが、それでも骨が折れたというような話でもないし、後遺症が残ったわけでもない。男性自身、ただ単に思い出したから怪我の話をしただけだろう。
「今でも右足に傷口が残っているんだぜ? 見てみる?」
「あなたの足なんて見たくもないわよ」
「ちぇ、『俺の足を見せたから、きみの足も見せてね』って方向に話を誘導しようと思ったんだけどなぁー」
「そんな下心見え見えの手には乗りませーん」
そんな言葉を残し、一人廃墟の奥へと進む女性を、男性はひょいと肩を竦めた後、その背中を追いかけていった。
廃墟──廃校の中はどこも荒れ放題だった。
各教室、理科室、家庭科室、音楽室、そして職員室などなど。どこもかしこも荒れ放題で、特に理科室だった空間の床には、ホルマリン漬け標本だったと思しき様々な骨が散乱していた。
「ホルマリン漬け標本なんて、どの業者に依頼して処分したらいいのか、よく分からなくて困ったんじゃね?」
「で、そのまま放置してあったのが、こうして散乱しているってわけ?」
それはつまり、誰かがここに入り込んだであろうということ。実際、床には様々な足跡が残されている。
子供と思しきものから、大人に間違いないものまで。子供は遊び場として入り込んだのだとしても、大人の足跡はどこかの廃墟マニアのものだろうか。それとも、ホームレスあたりが一時的に我が家としていたのかもしれない。
「いや……もしかすると、あの噂を聞きつけた連中かもしれないな」
「あの噂?」
「まあ、この手の廃墟にはよくある……怪奇現象的な噂だよ」
いわく、この廃墟に足を踏み入れた者は、二度と生きて外に出られない。
いわく、この廃墟で自殺した者の幽霊が現れる。
いわく、この廃墟のどこかに異次元へと繋がる扉がある。などなど。
「ま、よくある類の噂だよな。でも、そんな噂を聞きつけた誰かが、確かめるためにここに出入りしたのかも」
「肝試しってわけ?」
「昔はそうだっただろうけど、今はほら、ネットで噂が真実かどうか検証するって内容の映像を配信したりするだろ?」
「ああ、確かによくあるわよね、そういうの」
いわゆる心霊スポットに赴き、そこで心霊現象が実際に起きるかどうか検証する、という内容の映像をネットで配信する者たちは数多い。もしかすると、そんな配信者たちがここに出入りしていたのかもしれない。
「スマホで検索すると、ここの映像が案外たくさんヒットするかもな」
「そうかも。それで、あなたはその噂を信じているの?」
「いや、基本的には信じていないよ」
基本的に、と男性は言う。ということは、噂の中には信じているものもあるということだろうか。
「この廃墟にまつわる噂の中に、こんなものがあってな」
それは、この廃墟でかくれんぼをしていると、本物の人食い鬼が出る、というもの。そしてその人食い鬼は、かくれんぼをしている者を見つけ出し、食い尽くすという。
「俺が高校生の頃、ここに入り込んだ子供数人が行方不明になったことがあったんだ。俺も町中総出のその捜索に参加したけど……」
「……発見されなかったの?」
沈んだ様子の女性の問いに、男性は無言で頷いた。
「ここに入り込んだ子供たちは、かくれんぼをしていてさ。で、かくれんぼの最中に人食い鬼が現れ、子供たちは全員食べられてしまったってわけ」
この廃墟で数人の子供たちが行方不明になり、当時は大騒ぎとなった。町の駐在所だけでは手が回らず、近隣の市町村や県警からも応援が来て、町の住民や各地から集まったボランティアも加わった大捜索が行われたのだ。
だが、子供たちは一人も発見されなかった。
「いなくなった子供たちは、出かける際に家族に告げたそうなんだ。友達とかくれんぼをして遊ぶってな」
「でも、それだけじゃ行方不明になった子供たちが、この廃墟に入り込んだって証拠はないんじゃない?」
「そこは目撃証言があったんだよ。町の住民の一人が、子供たちがこの廃墟に向かって走っていくのを見たっていう証言がさ。だから……いなくなった子供たちは、ここでかくれんぼをしていて、人食い鬼に出会ってしまったんだよ」
きっぱりと言い切る男性。そんな彼を、女性は冷たく見つめる。
「どうしてそこまで断言できるの? まるで──」
──実際に見ていたかのようじゃない。
そう続けようとした彼女だったが、その言葉は喉に引っかかって出てこなかった。
なぜなら。
いつの間にか自分をじっと見つめる男性の視線に、正体不明の「モノ」が含まれていることに気づいたから。
「そりゃ断言できるさ。だって…………………………」
にたり、と。
男性の口元が弧を描く。
「…………………………俺がその人食い鬼だからね」
びりり、という布が裂ける音が、廃墟に響いた。
音の正体は、女性が身に着けていたTシャツ。そのTシャツを、男性が力任せに引き裂いたのだ。
夏場で薄着だったせいか、Tシャツが裂けると同時にその下のブラジャーまでもが引きちぎれ、大きくはないが形のいい乳房がまろび出る。
女性は悲鳴を上げ、残っていたTシャツの残骸をかき集めるようにして胸を隠しながら、二歩、三歩と後退して男性から距離を取る。
「俺、昔っから子供が大っきらいでさぁ」
手元に残ったTシャツの切れ端を足元に放り捨て、男性はゆっくりと女性に近づく。
その際、女性は男性の手に銀色の輝きを見た。どこかに隠し持っていたのだろうナイフを、男性は引き抜いたのだ。
「あれは……大学受験を控えた年だったかな? 人が必死に受験勉強しているってのに、やかましく外で遊びまわりやがってさ。ホント、子供の声って聞いているだけで気分が悪くなるよね」
吐き捨てるように言いながら、彼は手にしたナイフへと視線を向ける。
「で、ここで遊んでいた子供たちを全員殺しちゃった。一人ずつ順番に首をへし折ってやったんだ。ほら、当時は受験勉強のストレスとかいろいろあってイライラしていたし? あ、人食い鬼とか言っているけど、もちろん殺した子供を食べたわけじゃないぞ? 殺した子供の死体は地下に放置しただけだ。もっとも、十年以上経っているから、死体は全部白骨化しているだろうね」
「……ち、地下……?」
「そうそう、ここの校庭の隅にある体育用具倉庫の地下に、ぽっかりと空洞が開いているんだよね、なぜか」
手にしたナイフを様々な角度から眺めながら、男性はゆっくりと女性へと近づく。
女性も胸元を必死に隠しながら、後ろへと下がる。だが、すぐに壁際まで追い詰められてしまった。
「地盤沈下でもしたのか、それとも戦時中の防空壕か何かだったのかな?」
男性は粘ついた笑みを浮かべながら、一歩一歩女性へと近づいていく。彼が手にしたナイフが、窓から差し込む陽の光を反射してぎらりと凶悪な光を放つ。
「あの用具倉庫、なぜか床の一部が板張りなんだよね。で、その板をどけるとその下の空洞に繋がっているわけ。普段は板で隠されているからぱっと見ただけでは分からないけど、俺がまだここに通っていた時に偶然見つけたんだ。事件当時、子供たちの捜索には俺も参加していたから、その倉庫の近くにはあまり他の人が近づかないように誘導したんだ」
くつくつくつ、と。当時のことを思い出しながら男性が嗤う。
そんな男性を、女性は怯えながら────同時に、どこか冷めた目でじっと見つめていた。
「自分で言うのもアレだけど、当時の俺……小中高と表向きは文句なく優等生ってやつでさ。周囲の大人たちからそりゃあ信頼されていたものさ。その俺が行方不明になった子供たちの捜索に自主的に参加したいと言ったら、大人はみんな「さすがだ」やら「君なら任せても大丈夫だな」やら言って無条件で信じやがるんだ。いやぁ、あの時は笑いを堪えるのにかなり苦労したよ」
そして、捜索中は用具倉庫周辺を自主的に担当し、他の人間の目を倉庫から逸らせることに成功したんだ、と男性は続けた。
「で、さ? 最近、またちょっとイライラすることがあったんだよねぇ。職場の上司がヘマして、その責任を俺に押し付けやがってさぁ」
手近にあった椅子の残骸らしき物を男性は蹴り飛ばした。それは勢いよく女性とは別方向へと飛んでいき、壁にぶつかって粉々に砕ける。
「ホント、無能の屑のくせに、上に取り入るのだけは上手いやつで、どう手を回したのかあのクソ上司の失敗は全部俺の責任になっちまった。俺の方がクソ上司よりはるかに仕事ができるから、普段から妬んでいたんだろうけどさぁ」
くひ、と男性の喉が鳴る。そして、すっかり狂気に染まった双眸が、じっとりと女性の肢体の上を舐めるように這い回る。
「あんまりイライラするから、ついつい昔のことを思い出しちゃったんだよねぇ。あの時は……子供どもを順番に殺していった時は本当にスカっとしたんだよぉ! だからさぁ……きみを殺させてくれない? そうしたら、このイライライも全部吹っ飛ぶと思うんだぁ……子供の首を絞めて息絶える瞬間、ぶるぶると激しく痙攣してさぁ! あれ、癖になるよねぇ! 前は全員首を絞めて殺したけど、今度はナイフで刺し殺してみたいんだぁ! きみのその白い肌にナイフを突き立てた時……どんな感触がするんだろうねぇ? 楽しみだなぁ!」
完全に狂気に飲み込まれた男性が一歩踏み出した時──いや、その直前。
女性は弾かれたかのように、胸元を押さえたまま勢いよく廊下へと飛び出した。
「あははははは! 鬼ごっこかい? それともかくれんぼ? だったら、『もういいかーい』とか言った方がいい?」
ばたばたと激しい足音が遠ざかっていく。それを知りながら、男性はゆっくりと歩き出す。
逃がさない。俺から逃げられるわけがない。
そんな絶対の自信に支えられ、男性は遠ざかる足音を追って歩いていく。
「もぉーいーかーい?」
おどけたようにそう言ってみる。もちろん、それに応える声はない。
「何だよ、ノリが悪いなぁ。ちゃんと『もぉーいーよー』って応えてくれよ」
くつくつくつ。くつくつくつ。
男性は一人嗤いながら歩を進める。
廃校になったとはいえ、かつては六年間通った場所だ。ここの地図はまだ頭の中にある。
そして自分が子供の頃、この学校は遊び場だった。実際に友達とここでかくれんぼもした。そのため、隠れやすそうな場所の心当たりはいくらでもある。
「廃墟になっちゃったから更に隠れる場所が増えたけど……問題ないっしょ」
軽い足取りで男性は歩く。足音が遠ざかって行ったのは……体育館の方角か。
この小学校は校舎と体育館が渡り廊下で繋がっている。当然、その渡り廊下も荒れ放題だろう。だが、渡り廊下と言っても地上部分にあるので、全く通れないということはないはずだ。
「体育館に逃げ込んだのかな? どうせなら、校庭から校門へと逃げればいいのに……ホント、馬鹿だよねぇ。ま、それでも絶対に逃がさないんだけどさ」
鼻歌を口ずさみながら、男性は体育館を目指す。そして渡り廊下へと出ると、体育館が視界に入る。こちらも荒れに荒れており、壁の一部が崩れ落ちているほどだ。
「そういや、例の体育用具倉庫、どうなっているかな? 地下のあの穴、今もまだ残っているはずだよね」
体育館で死角になっているが、その向こう側に例の体育用具倉庫があるはずだ。そしてその倉庫の地下にはぽっかりとした空洞が存在する。子供数人分の死体を放り込んでもまだ、余裕があるほどの空洞が。
あの空洞がどうして、いつできたのかと疑問はあるものの、男性にとってそれはさほど大きな問題ではない。彼にとって重要なのは、あそこがまだ死体の隠し場所として使えるかどうかだ。
「あの女を素っ裸にひん剥いてぇ、満足するまで楽しんでぇ……で、その後は殺してあの穴に放り込みゃそう簡単にはバレないだろ」
実際、十数年前の時はバレなかった。自身が捜索に参加して真相から遠ざけるように周囲を誘導したことに加え、あの空洞が存在することを知っている者もいなかったのだろう。もし、あの空洞のことを知っている者がいたのなら、あそこを捜索しないはずがない。
誰も知らない体育用具倉庫地下の空洞。まさに「鬼の棲み処」と呼ぶべき場所。
警察犬が使われた時のことを考え、用具倉庫の周辺にライン用の石灰をばら撒き、倉庫内は念入りに石灰を撒き散らした。
場所が場所だけに石灰は最初からそこに大量にあったし、倉庫周囲に石灰が零れていてもさほど不自然ではない。倉庫内は石灰の保存袋が破れて床に散乱したように上手く装った。
「当時の俺が周りから信頼されていたこともだけど、運が相当良かったのも真相がバレなかった理由の一つだよな……でもほら、昔から運も実力の内ってよく言うしさ」
そう独り言ちながら、男性は体育館へと踏み入る。埃臭い空気が充満した体育館内をぐるりと見回せば、朽ちかけた演壇横にある扉が僅かに動いたことに気づいた。
「見ぃーつけぇたぁ」
にたり、と粘ついた笑みを浮かべた男性は、ゆっくりとした足取りでその扉へと向かった。
扉を開ければ、中は薄暗い。とはいえ、天井に穴が開いているので暗闇というわけでもなかった。
扉の向こうは、体育館によくある演壇の舞台袖へと続く場所であり、演壇へと登るための階段がある。もっとも、その階段もすっかり朽ち果て、その役目を果たすことはもうできないであろう。
そして、その階段の向こうにはもう一つの扉。この扉は体育館の外へと繋がり、反対側の舞台袖に裏側で移動できるようになっている。
その外へと繋がる扉が開いている。どうやら、彼女はあそこから更に外へと逃げたようだ。
「こりゃ、都合がいい方向へ行ってくれたねぇ。この扉の向こうって、あの倉庫の近くだし」
死体を運ぶ手間が省けるなぁと考えながら、男性は女性を追いかけて外へ出る。
そして周囲を見回せば、件の体育用具倉庫に女性が飛び込む瞬間が見えた。
「ホント、あの女は馬鹿じゃねえの? よりによってあそこに逃げ込むかな?」
呵々と笑いながら、男性は倉庫へと近づく。そして、倉庫の扉を勢いよく開けた。
「見つけちゃったよぉ? さあ、観念して俺と楽しもうぜぇ!」
ナイフをしっかりと握りしめ、男性はゆっくりと倉庫の中に足を踏み入れる。
倉庫の中を見渡せば、積み上げられた古びた木箱の陰に誰かがしゃがみ込んでいた。当然、あの女性以外に考えられない。
「さぁて、鬼である俺に見つかったから、今度はきみが鬼だねぇ」
男性は木箱を回り込んで女性へと近づき、ナイフを持っていない方の腕を伸ばして彼女の上腕をぐっと握る。
「ん?」
その時、男性は違和感を覚えた。
掴んだ女性の腕の感触が、何とも変だったのだ。
柔らかさと程よい弾力を併せ持った若い女性の体の感触ではなく、まるで泥でも掴んだかのようなぐじゅり、とした異様な感覚。
同時に、異臭が男性の鼻を刺激する。何かが腐ったような悪臭──を、たくさん集めて凝縮したかのような酷い臭いだ。
「え?」
掴んだ女性の腕が、まるで粘土でできていたかのように、ぼろりともげる。
そして男性の手には、肉も腱も神経もぐずぐずに腐り果てた、小さな腕があった。丁度、小学生ぐらいの大きさの腕が。
「………………は?」
手の中にある腐り果てた腕を呆然と見つめながら、男性は事態が理解できずに呆然とする。
──この腐った腕は何だ? どうして俺はこんなモノを握っているんだ?
混乱する思考。周囲に満ちる悪臭。男性は目を大きく見開き、女性を……いや、女性であるはずのモノを見た。
「あーあ、見つかっちゃった。ううん──」
ゆっくりと女性が……いや、小学生ぐらいの女の子が振り向く。
「──ようやく見つけてくれたね」
どす黒い皮膚、どろりと白く濁った両目。半分ほど髪が抜け落ち、頭皮どころか頭骨が覗いている頭。
口や鼻の孔からは大量のウジムシがぼろぼろと零れ落ち、女の子が動くたびにその体から腐肉がぼとぼとと剝がれ落ち、床でびちゃりと湿り濁った音を立てた。
「私たち……かくれんぼをしていただけなのに……」
「突然、喉を絞められて苦しくなって……」
「お兄さんが僕たちを殺したんだよね……」
気づけば、男性の周囲には数人の子供たちがいた。
皆が皆、土と腐汁で汚れた衣服を着て、体中にウジムシがたかって腐り果てた、まるでゾンビのような姿の小学生たちが。
「ひ、ひぃ……お、おまえたちは……」
驚愕と恐怖にがたがたと男性の歯が鳴る。
──これは何だ? 一体、何が起きている?
思考が纏まらないまま、男性はただ周囲を見回す。彼を取り囲むように数人の子供たちが立っていて、その包囲が徐々に縮まっているように彼には思えた。
子供たちは濁った目でじっと彼を見つめる。そこに感情のようなものはない。ただ、じっと彼を見つめるばかり。
──このガキどもは、かつて俺が殺した連中なのか? あの時のガキどもが今頃になって化けて出たとでもいうのか?
「ど、どうしてい、今頃になって……お、俺がここにまた来たからか? だ、だからおまえたちは……お、俺はただ、女を殺そうと…………」
と、そこで男性の思考がふと止まった。
──お、女? そ、そういやあの女は誰だ?
男性は女性のことを思い出そうとするが、まるで思い出せない。住所も連絡先も名前も、……そして、顔さえも。
あの女性がどこの誰で、どのようにして知り合い、どうして今日、あの女と一緒にこの場に来たのか。
それらがまるで思い出せないことに気づき、男性は愕然とする。
「え? は? あ、あれ……?」
──この廃墟に来るまで、俺は何をしていた? 今日は平日だから当然仕事があって……午前中は外回りをして…………。
そこから先がまったく思い出せない。
──この廃墟までは社用車で来た……ということは、外回りの途中で……?
そのことに思い至り、男性は強烈な恐怖に囚われ、体中が震え始める。
そして気づけば、子供たちは彼のすぐ傍まで来ていた。
「さあ…………今度はお兄さんが隠れる番だよ?」
「僕たち……もう長いこと隠れていたからね」
「ほら、早く隠れないと…………」
人食い鬼が来て食べられちゃうよ?
◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇
───町の旧小学校跡地にて、男性の変死体が発見されました。
警察は事件と事故、そして自殺の各方面から捜査しているとのことです。
また、男性の死体の周囲には子供のものと思しき白骨が数人分散乱していたらしく、警察は男性とこの白骨の関連も調べているそうです。
また、この町では十数年前に数人の子供たちが行方不明になった事件があり、その事件と今回の件がどう関わってくるのかも調査中との発表がありました。
では、次のニュースに────
かくれんぼ中に怪我をして、病院で三針縫ったというエピソードは実体験だったり(笑)。