鬼
緊張のあまり聖海は力加減を間違え、大きな音を立てて襖は柱に激突した。一瞬にして目の前は開け、掛け軸や花瓶、畳の香りが漂う和室が聖海と部長を出迎えた。
静かな空間に張り詰めた緊張が走った。その刹那、予め用意しておいた型の書かれた和紙を床に置き、その上から右手でグンッと下に力を加え、部長は叫んだ。
「……雷式結界!!!!」
―― バチバチバチッ!!
「ヒ、イ……ギャアァアー!!!!」床から半円状の結界が現れ、部長と聖海を包み込んだ。青白く光る凄まじい電流が駆け巡り、結界に触れた者を拒む。辺りに肉の焦げた臭いと白煙が立ち込めた。
「やはり罠だったか」
「読み通りでしたね!」
母に違和感を覚え、聖海が部長に先に伝えていたことが功を奏した。襲ってくると分かっている相手には対策を練ることができる。
二人の背後に立っていた聖海の母に化けたあやかし、和室で待ち受けていたあやかしが二体、計三体のあやかしが同時に襲い掛かってきた。どうやら、手っ取り早く挟み撃ちでケリをつけるつもりだったようだ。
「本物の母は、どこに」
「大丈夫だ、今のところはな。先に、コイツらを片すぞ! 」
「え!? 片すって……まさか、私もですか!?」
「……俺だけで片せと?」
「え、いや……ほ、ほら! 足でまといになるのは目に見えてますし、ね?」
「自分の厄介事を人に擦り付ける気か?」
「わ……分かりましたよ、やればいいんでしょ!!」
「いいか、立花。人はピンチの時こそ、本領を発揮する」
「【火事場の底力】ってやつですか?」
「そうだ。お前の眠っている能力も開花するかもしれない」
「あー、なるほど!! てっきり、部長に見捨てられたのかと……」
「俺も、そこまで冷血じゃない」
―― お前なら大丈夫。
部長が放った言葉だが、耳に届いた声は祖母のものだった。
「い、今のは……?」
「ん? どうかしたか?」
「いえ……何でも」
まただ。何かを掴めそうな……。すごく重要な何か。けれど、それが何なのかは分からない。頭の中は、まだ霧に包まれている。モヤモヤと一部分だけ濁っているような感覚だ。……忘れている、忘れちゃいけない大事な何かを……。ゆっくりではあるが、その答えに聖海は確実に近づいていた。
「貴様……。やはり、あの 【雷】のガキか」
先ほどは部長の影に隠れ、身を守るのに必死で、あやかしの姿をしっかり見る余裕がなかったが、今は違う。結界の中からハッキリと聖海はその姿を見ることができた。
「……の、能面の鬼……」
無表情な顔がジッと聖海と部長を捕えている。服装に目を向けると、小豆色の生地に金の刺繍が施された平安時代の貴族を思わせるような着物を身にまとっているが、裾は解れ、ボロボロに朽ちている。頭からは二本の太い角が突き出し、牛を連想させる。170cm近くある母と背格好が近く、母に化けていたのはこの鬼のようだ。
「これは好都合。我ら、雷家に怨みを持つ者なり。小娘共々、血祭りに上げてくれよう!!」
他の二体のあやかしも むくりと起き上がり、ゆらゆらと近付いてくる。このあやかしたちもまた人の姿をしているが、顬辺りから角が突出している。おそらく、目撃情報に上がっていた鬼たちが彼らだろう。
一体は、白い花柄の入った黄色の着物を着た江戸時代の町娘風の少女。もう一体は髷を結い、草原色の着物を着た無精髭を生やした浪人風の侍。
「あの……部長。この鬼たちって……」
「あぁ。コイツらは、元々人間だ。死んだ後、残された強い執念や無念、怨みが魂を喰らい、鬼と化した。……立花、情は捨てろ。情けをかけるなら、コイツらを倒せ! それが、コイツらを助けてやる術だ」
世の中には常に残酷が付きまとう。知らなければ、見えなければ、出会わずに済んだ世界。その中に足を踏み入れさせてしまった。この事を部長は後悔してばかりだ。
今いるメンバーの他にもう一人、部員になるはずの男子生徒がいた。しかし、彼は逃げ出した。この世界を彼は受け入れられなかったのだ。
「こんな世界なんて見たくなかった。お前が……お前さえ現れなかったら、知らなくて済んだのに!! ……もう疲れたよ、雷……」
この言葉を最後に、彼は一家総出で姿を消した。もしかしたら、聖海も彼と同じように自分を怨んでいるかもしれない。聖海を見るたび、自責の念が部長を襲う。
「部長!! どうしますか? このまま、ここに籠っているわけにもいかないですよ!」
聖海の声で現実に意識を戻せば、鬼たちが同じところを何度も鋭い爪で攻撃しており、結界の威力が弱まってきていた。
「思った以上に手強そうだな。……立花、さっき背中を叩いた時に少しだが俺の妖力をお前に分けておいた。自分の身を守るくらいには役に立つはずだ」
「ありがとうございます!!」
「俺は、あの二体を引き受ける。お前は、能面の方を頼む」
ジッと部長を見つめたまま、静かに聖海は頷いた。その顔に不安はあるものの、迷いは無かった。この世界を受け入れ、立ち向かう覚悟をした勇ましい表情だった。
少しだけ、部長の気持ちが軽くなった。本人は無意識のようだが、キリッと鋭い切れ長の目は目尻を下げ、安堵の笑みを浮かべていた。
「部長、凄いなぁ。こんな状況でも笑ってる……。余程、自信があるんだろうな」そんな勘違いを聖海が抱いているとも知らず、部長はズボンのポケットから和紙と筆ペンを取り出すと、サラサラと型を書き出した。これまでと違い、長い文が和紙を埋め尽くしていく。まだ終わらないのかと聖海が覗き込むと、部長は筆ペンをキャップに戻した。
「準備は出来た。……行くぞ、立花」
「はいっ!」




