妖術師のルーツ ②
書物庫というだけあり、小屋の中は大半のスペースを本棚が占拠していた。部長は、その中から一冊の分厚い書物を持ってきた。見た目は、国語辞典のようだ。小豆色をしたカバーは色褪せ、年代物だということが一目でわかる。
難しい話が始まると察し、風見は「俺、向こうにいる」とその場から、そそくさと逃げ出した。水守は気になる書物を見つけ、「ここでしか読めないから」と席を外した。烏も皆にお茶を振る舞うと言い、奥の別室へ姿を消していった。
丸テーブルを囲むように残った聖海と影助と部長は座り、書物を広げた部長は説明を始めた。
「俺たちがいる世界だけが、この世のすべてじゃない。同じ時系列には無数の世界が存在している。俺たちの世界と縁がある天界や魔界も、ここに含まれる。俺たちの世界で生を終えた者たちは、天界か魔界へ逝く。現世を全うした者は天界へ昇り、次の人生の準備を行うが、負の感情を抱いたまま、命を落とした者は魔界へ堕ちる。ただ堕ちるだけならいいが、底まで行き着かず、さ迷う者もいる。それが──【あやかし】だ」
本の中に描かれた【あやかし】は、鬼のような角を生やし、鋭い牙を剥き出して威嚇する女性だった。補足として書かれていたのは、『あやかしとて、元は【ヒト】である。この女は愛する男に騙され、憎悪の念が膨張し、鬼に魂を喰われて魔物と化した』
「元々、魔界には鬼や黒い心を持った妖怪がいる。アイツらにとって、人間の負の感情ほど好ましい物はないだろう。だから、アイツらは俺たちの世界にやって来るんだ。──獲物を探しに」
話しながら、分厚い本のページを部長は捲っていく。それもサラサラと。どこに何が書かれているのか、部長はすべて把握しているかのようだ。これも雷家の教えの一つ。三歳で読み書きを叩き込まれ、五歳になる頃にはこの分厚い本を毎日朗読し、七歳には完璧に頭に入っているようにしなければいけない。というのも、大事な書物はこれだけではないからだ。他にも覚えておかなければいけないことが山ほどある。『妖術師の長を務めるようになるには、とことん突き詰めなければいけない。並大抵の努力など無意味に等しい』それが部長の祖父の口癖だった。少し頑張ったくらいでは誉めてもらえない。それ以上の努力を部長は積み重ねてきた。祖父に誉められたくて、彼の大きな背に少しでも近づきたくて。
「怒りや負の感情を持たない人間は存在しない。おまけに、アイツらにとって俺たちの世界は都合がいい。妖怪や鬼が見える人間は稀だからな。物色し放題の食べ放題、ってわけだ。それを野放しにしておいたら──ヒトは滅びる」
「妖研は、その取り締まりをしているってことですか?」
「ざっくり言えば、そうだが……。式神の力を借りたり、時に天界にいる神の力を借りることもある。まぁ、それは召喚師が行うことだが、俺たちの活動は主に鬼と化した【あやかし】を見つけ、魔界へ強制送還したり、消滅させたりしている。時々、魔界から厄介者が来ることもあるがな」
「厄介者?」
「妖術師を食らうのが好きなやつもいるってことだ」
「……太刀打ちできないんですか?」
「向こうもレベルを上げて来る。常に俺たちもレベルアップしていかなければ、アイツらの腹に収まることになる。慢心が一番の敵だ。常に強くならなければいけない。この戦いに終わりは無いからな。それに──敵は、魔界の者たちだけじゃない」
「あー、あの人たちか……」何かを知っているように影助は呟いた。
「まだ奴らの素性は掴めていないが、元を辿れば同じルーツだろう。陰陽師がいた時代から、陽と陰は切っても切れない縁がある。おそらく、俺たちとアイツらは陽と陰の関係だ」
「つまり……?」
「人を助け、守ろうとする俺たちと、人を呪い、貶めようとする奴ら。対極にいる両者が分かち合うことは難しいだろう」
「同じルーツなのに、ですか……」
「考え方は人それぞれだ。【正義】の形も、考え方の数だけある。今のところ、奴らが俺たちに何かしてくるようなことはないが、もしもの出来事は常に想定していないといけないだろうな。何か動きがあれば、すぐ知らせる」
妖怪、あやかし、鬼、そして──同じルーツの謎集団。妖研の彼らが抱える問題は、部活動の域を遥かに越えている。これが、選ばれし者たちの使命……。その重みを自分も背負わなければいけない。自分に務まるのだろうか。不安と心配が聖海の小さな体にのし掛かる。その気持ちを察してか、部長は聖海に告げた。
「立花。誰しも初めは、不安だ。──未だに、俺だって不安だ」
「部長が、ですか?」聖海よりも先に影助が驚きの声をあげた。
「おい、えーすけ。俺だって、人間だ。血の通っていないサイボーグじゃない。当然、不安や心配、緊張もする。それに──俺は、部長だからな。常に部の中でトップに居続けなければいけない。俺が弱くては、誰が部員を守る? 俺が判断を誤れば、仲間が危険に曝される。……俺たちは、妖術師だ。俺たちがやるしかないんだ」
重みのある言葉に聖海も影助も言葉を失った。務まるかどうかは問題じゃない。選ばれてしまった以上、やるしかないのだ。
「お茶をお持ちしました!」重圧感漂う空気を変えたのは、烏の明るい声だった。ほうじ茶の香ばしい薫りが辺りを包む。散らばっていた風見と水守も合流し、皆で丸いテーブルを囲んだ。
烏から手渡されたマグカップを両手で抱え、湯気の立つ赤寄りの濃い茶色に視線を落としながら、聖海は呟いた。
「なんだか、妖術師って──このほうじ茶みたいですね」
「はぁ!? なんだ、それ? 全然意味分かんないわ……」
「風見さんには、分からないだろうねー」
「おい、えーすけ! 俺にはってなんだよ!!」
いがみ合う風見と影助を置き去りにし、水守は会話を進ませた。
「確かに、そう言われてみれば似ているかもしれませんね。このほうじ茶も、煎茶も、番茶も、紅茶も、烏龍茶も、元は同じ茶樹から出来ていますから」
「なるほどな……。味も見た目も違うが、【ルーツは一緒】か」
聖海と同じようにマグカップの中のほうじ茶を部長は感慨深く見つめた。
「だから、なのかもな……。お前たちを仲間──家族のように思うのは」
「どうしたの!? 鬼のように冷徹な龍ちゃんが詩人のようになってるぞ!!」
「……雷くんにも、こんなロマンチシストな一面があったとは驚きです」
「あーぁ……。部長まで、まともじゃなくなっちゃったよ……」
部長は顔を真っ赤に染め、お湯の湧いたやかんのように声を張り上げた。
「立花! そもそもお前が変なことを言うから──」
「このほうじ茶、美味しいー!!」
「おい、人の話を聞けっ!!」
「烏さん! おかわりって、ありますか?」
「たーちーばーなー!!!!!」
妖術師の彼らにとって、【何もない日】は珍しい。束の間の休息が何よりの安らぎであった。
「龍人様。皆様も集まっていることですし、ご報告があるのですが……」
そして、その平穏も長くは続かない。部長は烏に先を促した。
「では、ご報告致します。二日ほど前、鬼の目撃情報が多数寄せられました。というのも、一体ではなく、何体か同時に魔界からやって来たようです」
「……懲りない奴らだな。それで、現在の足取りは?」
「調査中ですが、今回の鬼たちは頭脳犯のようで……申し訳ございません。現時点で、まだ足取りを掴めていません」
「……そうか。この場にいる全員に伝えておく。もし、どこかで鬼と遭遇した場合、遠慮することはない。──即滅しろ」
即滅──ただちに相手を滅する。悠長な時間は無いということだ。それだけ鬼は危険であり、脅威の存在だということが部長の発言から分かる。
「立花、お前は俺と極力行動を共にしろ。今のお前では、鬼に太刀打ちできないからな」
「わかりました!」
「いいか? 全員、気を引き締めろ。いつ鬼と遭遇してもおかしくない。油断が命取りになる。いいな? 全員、何があっても生き延びろ。では、本日はこれにて解散!」
人は異世界へ行けないが、人ならざる者たちはその壁を越え、こちらの世界へやって来る。見えないだけで、人が住むこの世界は常に脅威に曝されているのだ。それを守っているのが、妖術師である彼ら──六星高校 妖怪研究部なのである。




