選ばれし者
──お前は選ばれた。いずれ、【その時】が来るだろう。いいかい、忘れるんじゃないよ。お前は……
「立花! 立花聖海!」
「……はっ、はい!?」
突然呼ばれた名前。寝ぼけつつも反射的にガタッと音を立て、聖海は勢いよく椅子から立ち上がった。周りからクスクスと聞こえてくる笑い声。涎でもついていたのだろうか。慌てて口の周りを拭いながら黒板に目を向けると、縦書きの文字が並んでいる。そうだった。今は、古文の授業中だ……。
「まったく、編入したばかりだと言うのに。随分と慣れるのが早いんじゃないのか?」教壇から皮肉たっぷりな言葉を投げかけてきたのは、古文を担当している中野先生。妖怪アニメに登場するネズミの男を実写化したような人物だ。生徒たちの間で、あだ名にもなっている。
「そこが長所でして……すみません」
「まったく、とんでもない大物が来たもんだ」
「あははは……」
「笑って誤魔化さない! ほら、みんなも笑ってないの! 立花も早く座りなさい。それでは、教科書の──」
再開された授業。けれども、聖海の耳には届いていなかった。先ほど見た夢。あれは何だったのか……。単なる夢では無い気がする。あの声を忘れるはずがない。あれは、間違いなく大好きだった祖母の声。今年の春先、桜の開花を待たずに一人暮らしをしていた自宅で祖母は天国へと旅立った。亡くなる直前まで会っていたが、現実世界で祖母から「お前は【選ばれた】」など言われた記憶は聖海には一切無い。
── キーンコーンカーンコーン……
気づけば、チャイムの音が鳴っていた。挨拶を終え、中野先生が教室を出たと同時に、ドドドドドッ!!と複数の足音が遠くから、もの凄い勢いで迫ってくる。そして、教室の前でピタリと止んだ。
「立花! 今日こそ、我が剣道部に!!」
「いいえ、私たちのテニス部に!!」
「いや、バスケ部に!!」
「陸上だ!!」
「吹奏楽部に是非!!」
扉が開かれた瞬間、各部の部長による勧誘が始まった。編入して まだ一週間ほどだが、この光景にも見慣れたものだ。
五月下旬。聖海は、この街に引っ越してきた。両親が転勤族な事もあり、全寮制の高校は無いかと探したところ、ここ六星高校を見つけ、編入した。六星高校は勉学だけでなく、各部活にも力を入れており、全生徒に部活入部を義務付けている。そのため、各部の部長たちは新入生確保に血眼になっているのだ。
特に入りたい部もない。しかし、義務。入らなければいけない。困ったものだと項垂れていると、コンコンと二回教室のドアがノックされた。
「……立花 聖海、というのは? あー、お前か? 少しいいか? 話がある」
そう言った男子生徒を見るなり、他の部長たちは肩を落とし、去り始めた。「チッ……【選ばれた人間】だったのか」「あの人が来たら、諦めるしかない……」そう口々に言い残して。
なぜ、他の部長たちは去っていくのだろう。状況が掴めずにいると、近くにいたクラスメイトの女子生徒が話しかけてきた。
「あの人は、【妖怪研究部】の部長さん」
「妖怪研究部!? あの人、あんなにイケメンなのに、変わった趣味をお持ちなんだね……」
ドアに凭れ、こちらに視線を送っている妖怪研究部の部長。スラッとした色白の細身に色素の薄いサラ艶ストレートヘア、切れ長の目に銀縁メガネがよく似合っている。落ち着いた雰囲気をまとい、勉学に長けていそうな見た目と整った顔立ちから女子生徒に人気があるようだ。その証に彼が現れた途端、街中でアイドルにでも出会したのかと思うほど、クラスの女子たちが黄色の歓声を上げていた。
しかし、それとこれとは話が別だ。いくら部長が魅力的だろうと、【妖怪研究部】──名前からしてオカルトチックな香りがプンプン漂っている。あまり、オカルトは得意ではない。むしろ、苦手な類だ。行かないとダメだろうか……。気が乗らない聖海に女子生徒はさらに追い打ちを掛けてくる。小さな声でヒッソリと。声の通りがいい彼女の声は、耳の奥までしっかりと伝わった。
「相当、ヤバイ部活みたいだよ。何でも、【選ばれた人】しか入れないんだって。部員が何人いるのか、どんな活動をしているのか、知っているのは部長と部員のみ。まさに──ミステリー!!」
「何か嫌だな……」
「おい、まだか? 待ってるんだが」銀縁メガネが鋭く光っている。これは、行かないわけにはいかない。待っている彼の元へ聖海は小走りで向かった。
「立花 聖海。人を待たせるとは、いい度胸をしているな」
「す、すみません……」
「フン。……ついて来い」
行き先も彼の名前も知らぬまま、聖海は後をついて行くことしか出来ない。一体、どこへ行くのだろう……。