4 疑念
今日会った人に対し、彗は嫌悪感を抱いていなかった。
小野寺先輩似だったし。うちの学校の女子なら悪意を抱けるはずがない。うん。
何より彼が何かしらこの村の闇を突き止めてくれたら、彗は罪を犯す前に解放されるかもしれないのだ。その期待もある。
―両親に対する裏切り行為だろうか?
けれど彗は兄に冷たい両親があまり好きではない。自分のことも娘というより、次代の呪術師としか見ていないようだ。
その晩、両親が遅く帰ってきて、珍しく夕飯は残っているかと訊いてきた。
「お帰り、細川さんのところで食べて来なかったの?」
細川さんというのは、この村唯一の下宿をしている家だ。
排他的なこの村では、ほぼ星野家のお弟子さん専用で、両親は外での仕事の時は大体その下宿先で夕飯を御馳走になる。ついでに今後の相談なんかもそこでしている。
なので細川さんも星野家の事情に詳しい。もちろん口は堅い人だ。
「夕飯どころじゃなかったのよ。もう遅かったし、外で解散になったわ」
ご飯をかきこみながら母が不機嫌そうに答える。
彗が聞いてもいい話だろうか。気になってはいたが。
今日会った人の事も話題に上るかもしれないと期待した目で見ていると、察したのか両親が口を開いた。
「後で改めて話すけど、川で死体が上がったの。呪い殺された形跡と共にね」
「うん、聞こえた。知ってる人だった?」
「田上さんのところの叔父さんよ。長治さんって言ったかしら」
てっきり外部の人だと予想していた彗は凍りついた。
え、知り合い?信兄のところの身内?
しかし思い出そうとしたが彗には誰だかわからなかった。あそこの家は親戚が多い。
「誓って言うけど、うちは関与してない」
「…つまり、誰かうちのこと知ってる人が呪いに見せかけて殺したの?」
「いや。彗は見た事があるから知ってると思うが、呪いの対象者に出来るあの痣はそうそう真似出来るものじゃない。
やるとしたら死ぬ前にあらかじめ刺青を掘っておくか…、」
あの蛇の形を似せるって相当な技術が必要だろう。普通の痣よりは黒っぽかったし、視覚でも判別出来そうだ。
…その前に、殺されると分かって刺青を掘る人間はいないだろうが。
「ちゃんと術の気配を感じ取ったでしょう。何を見ていたの?」
母に咎められ父は口を閉じた。
「…じゃあ、うちを辞めたお弟子さんの誰か?」
「まさか。呪術師は生涯職で、辞めたとしても村から出る事は出来ないし、最近の代で辞めた人は居ないわ。」
「村から出られないんじゃ仕事も少ないから、普通は辞めない。」
お弟子さんってそうなのか。結構覚悟がいるんだな。
「家族によると、昨日の夜9時頃に相談事があるとかで誰かから呼び出されていたそうよ。家族は先に寝てて、帰って来てないのに気付いたのは翌朝だった。
私達と、術式を知る弟子達はその時間まだ祭壇の間にいた。
…彗、あなたその時間何してた?」
「……え?」
何を言われてるかわからなかった。
「し、信じられない! 娘を疑うの!?」
「心当たりを探るのは当然でしょう。逆に貴女の、身内の仕業ならまだ始末のつけようがあるのよ。うちの他に呪術師がいるなんて事になったら、もっと厄介だわ」
「お兄ちゃんは診療所だし、私は一人寂しくTV観てた時間だよ!何なら内容言おうか!?」
子供を放置する親への当てこすりもあった。
二人は観ていないのだから聞いても知らなくて当然だが、その時間同じ番組を観ていた他の家に訊くと言い、彗はやるせない思いながら内容を吐き捨てるように伝えた。
―もう、頭の中は色んな思いでぐちゃぐちゃだ。
本気でこんな家継ぎたくない。家出しようかな。
協力者を呪い殺されないようにどうやったら家出できるか、両親が呪い殺せない相手を必死に思い浮かべながら、彗はそれ以上の詮索をやめて部屋に戻る。
誰が後片付けなんてするか。昼間のお兄さんも格好良いが所詮他人だ。もう知ったこっちゃない。
とりあえず自らの憩いの場へと戻り、冷静さを取り戻す事に専念した。
…家出の受け入れ先候補は細川さんとお弟子さん、田上本家くらいかな。
駄目っぽい。
一晩明けて頭の冷えた彗は、いつもの習慣で修行の支度を始める。
今日はまだ日曜日だ。昨日の様子からもっと詳しい話がされるのかもしれない。
そう構えていたが、修行はいつも通りに始まり肩透かしを食らった。昨夜彗は怒っていたのに、両親は涼しい顔で師匠として立っている。
ここで昨日の話を持ち出しても私事はどうのこうのと説教が始まるだろう。
今日はお弟子さん達は休みのはずだが、異常事態だからか何人かは来ているので迷惑にもなる。
休憩時間近くになって、ようやく本題が切り出された。
「―とりあえず、観ていたという番組の内容は一致したわ。口裏を合わせられないよう、彗が知らない人に聞いたから信じて良いでしょう。
入院中の恒については宮田先生に確認を取りました。夜に見回った際、その時間は寝ていたのを看護婦が確認しているそうです。
という事で、彗達の仕業でもなかった」
…本当にそこまでするとは。と言うか入院中の兄まで疑っていたのか。
不機嫌を隠さなかったが、最早怒りを通り越し両親に呆れている。
お弟子さん達を見る限り、誰も彗達がやったと思っていなさそうなのは救いだった。
「となると、本格的に外部の所業か…。
しかも呼び出されたというのも妙ですな。通常、呪殺は距離など関係無い。自宅にいる間に行って問題無いはずなのに、わざわざ・・」
「…我々とは術式の条件が異なる一派でしょうか?
当主、星野家の他に呪術師の家系はこの村に残っているのですか?」
両親が目配せし合う。多分父は知らなくて母に頼った。
「私の知る限りではいません。現状星野家が唯一の呪術師の家系です。
ただ何代も遡って調べた事は無いので、その可能性もゼロではない。その辺りは田上の家に調べてもらっています」
「…もし呪術師が他にいるなら、何もこの村に限っての事じゃないですよね?殺されたのは村の人間だし…」
母にじろりと睨まれた。子供が口を挟むなという事か。修行の時は一人前扱いするくせに。
母の身勝手さを怒りながら素知らぬふりをする。
「呪術で相手を突き止められないんでしょうか?」
犯罪者を突き止められるくらいだ、そのくらい可能と思われがちだが。
「相手が同じ術者ではそれも難しいでしょう。まして同じ蛇使いであれば、御神体まで同じである可能性もある。」
「もしそうなら、相反する呪いはかけられない…か。」
相反する、つまり互いを呪い殺す事は出来ないという事だ。御神体が反発し合うだろうから。
呪殺以外の他の術をかけようとする場合も同様で、通常は効果が無い。
しかし村の人間を狙った以上、相手はこの村の敵である可能性が高い。
ふと、昨日の男性が頭をよぎった。
知人がこの村に来て、おそらく呪術で殺された。
もしそれを疑っていたなら、彼はこの村を恨んでいる。
彼はあれからどうしただろう。忠告を素直に受けて帰っただろうか。