君のつぶやきは雨音みたい
しとしと、しとしと。
まさにそんな様子で、静かな雨が降り始めていた。教室の中にいたらその雨音に気が付かないような、そんな小雨だった。
放課後になり、静かな雨が降り始めた事に気が付かないまま、アヤネとカナは二年二組の教室にやってきていた。噂話をしていた生徒、椎名と桃井を捜してやって来たがその二人が帰っていない事を願い上級生の教室に入ると、すぐ傍にいた男子生徒を捕まえ、両名の居所を尋ねる。
「桃井さんはいないっぽいけど、椎名さんなら……」
そう言って指さしたところに、椎名という女子生徒を発見できた。
「あ、ありがとうございます」
アヤネがぺこりと上級生の男子に頭を下げるが、カナはもう歩き出して椎名のほうに向かっていた。
アヤネはすぐにその後に続く。
「椎名センパイですか?」
「んー? なにアンタ?」
椎名はカナに声を掛けられ、相手が下級生と分かってか不遜な態度で応じた。最も、カナも相手を上級生だからと敬っているような態度はしていなかったが。
「ちょっと、お話聞きたくて。『運命の人』のおまじないのコト」
単刀直入にカナは切りこんでいく。アヤネは、少しばかり様子見をした方がいいのではないかとも思ったが、カナはそんな事もじれったいという様子だった。
「え、何? ワザワザ私にその話を一年生が聞きに来たの? なんで?」
椎名はこんなぶしつけに『おまじない』の話を聞きに来た見知らぬ下級生を訝しんだ。どういう目的で、態々上級生の教室くんだりまでくるというのか、それが気になった。
「『おまじない』の内容自体は知ってるんです」
「じゃ、何が聞きたいっての?」
「そのおまじないの話、誰から聞きました?」
「誰からって……耳に挟んだというか……、聞こえてきた噂っていうか……」
椎名が眉をよせてカナに対して益々表情を険しくしていく。おまじないのやり方を聞きに来たのではなく、どこで聞いたのかなんて訊ねられるとは思いもしなかった。
カナは鋭い眼光で椎名に訊きこむが、アヤネは椎名の言葉に、頷いていた。
アヤネ自身、この椎名と桃井が『おまじない』の噂を語っているのを、まさに『耳に挟んだ』からだ。
本来、『噂』はどこかから、耳に入ってくるものだ。その発生源なんて、辿ってみたところで靄の中に消えていくと思っていた。
何時の間にか、みんなが話している。世間が噂している――。それが『噂』なのだ。正体不明の掴みどころがない、話題。
勝手に広がって、形を変えていくそれは、普通なら他愛ないものだっただろう。
だが、その話題に憑りつくという怨霊がいるとなれば、これほど厄介なモノもないと、アヤネは今になって思い知った。
「この噂の発端を調べてます。何か知りませんか?」
「変なこと聞くなー。発端なんて言われても……私も桃井から聞かされたし、分かんないわよ」
そういうと、椎名はもうめんどくさそうな表情を浮かべるだけだった。
「桃井なら部活してるだろうから、バレー部に行けば会えるよ」
そこまで情報を獲得し、カナとアヤネは次はバレー部に向かう事にした。早々に立ち去っていく二人の一年生を呆気にとられたように見送った椎名は、暫しその場から動けなかった。
そして、帰ろうと席から腰を持ち上げた時だ。
「あの、ちょっとすみません」
また見知らぬ下級生に声を掛けられた。
今度は、随分と胸が大きな少女だった。思わず名札を確認すると、そこには『桧山』と書いていた。
「なによ、今度は……」
「さっき、一年生の女の子が二人来ましたよね。なんのお話をしていたんですか?」
「はぁ? 『おまじない』の話だよ。何、一年のほうでも流行ってんのコレ?」
そう言って、椎名はスマホをフリフリした。
それを見ていた『桧山』という一年生は、スマホをまじまじと見て、更に顔を寄せて訊ねてきた。
「『おまじない』のお話、聞かせてくれませんか?」
椎名はその言葉に、ちょっとばかり心が刺激された。
人から聞いた話を、誰かに伝える。それがどこか、自分のなかの小さな欲求を埋めるようだった。
こんな些細なことで、話とは伝搬していくのだろう――。
人の社会に張り巡らされたネットワークは、今や世界中に発信可能だ。
自分の小さな『つぶやき』を発信するだけのサイトが、こうも人気を博しているのは、ヒトがコミュニケイションを必須とする動物だからかもしれない。
自分の知る、小さな話題を大きな瞳で興味津々に聞いてくるこの下級生に、椎名は思わず、語ってしまうのだ。
自分の知りえた『噂』を――。
※※※※※
「ま、まだ続けるんですか?」
アヤネはカナの後に続きながら、思わず弱音を吐き出してしまう。よもやここまで『探偵ごっこ』が大変だとは思わなかった。
バスケ部の桃井を訪ねたら、今度はサッカー部マネージャーの佐々木に誘導され、佐々木の次は国府田、国府田の次は折笠……、とにかく、『噂』を誰から聞いたかを追いかけていくと切りがないように思えてしまったのだ。
それに、この噂がまだシェイドに繋がるのかも、はっきりしていないのに……、カナはなんだかとても活発に行動していく。
アヤネはそれがどこか楽しそうにしている、という印象すら受けてしまった。
「あ……、ごめん。疲れた?」
「い、いえ……でも学校中を走り回ってもう一時間過ぎたし……外の雨も強くなってきましたよ」
アヤネの声を受けたカナは、ちょっと冷静になったように、足を止めた。確かに、外は雨が強くなっている。
「ごめん、ちょっと張り切り過ぎた」
そういうカナは気恥ずかしそうに視線を横に背けた。カナは、アヤネと一緒に調査をしていることに、ちょっとばかり浮かれてしまっていたのだ。
ずっと独りでシェイドを追いかけていたカナにとって、初めてできた仲間であり、パートナーであるアヤネが出来た事は、ちょっとしたイベントだったのだ。
自分の中で気持ちが浮ついていると自覚して、頭を冷やす。どうしてだか、アヤネを見ていると、胸の鼓動が変に乱れる。でもそれがちょっと心地よかったりもする。
「ちょっと、情報を整理しませんか?」
「ああ、うん。このままやっても埒が明かないか」
アヤネとカナは、自販機コーナーのベンチに腰掛け、噂を辿り走り回った足を休めて話をまとめるために落ち着く。
「まず、そもそもなんですけど、この噂って『シェイド』が関係すると思いますか?」
アヤネがこの事案に関しては先見の明があるカナに率直に訊ねた。
カナは、少しばかり唸った。
正直なところ、カナはこの噂の調査に動き出した一番の理由は『シェイド』事件云々ではなく、『アヤネがもってきた情報』だったから、であった。
カナは自分の仲間ができたことで、舞い上がっていたのだ。だから、アヤネがせっかく仕入れてきた情報だからと熱をもって行動に移したのだ。もちろん、シェイドの事件に関わる可能性がまったくないわけじゃないし、調べて何もないならそれでいいのだ。
カナにとっては『二人で行う最初の共同作業』にワクワクしていたというのが、真実だった。
「……ごめん、アヤネ。私……ちょっと舞い上がってた」
「えっ?」
「……やっとさ、仲間ができたからって……アヤネと一緒に活動できるって、それで……アヤネの持ってきた情報だったからって……無碍にしたくなかったんだ」
そもそも、この『おまじない』の情報は、アヤネが掴むよりも以前にカナ自身メモに残していることから、すでに調査している『噂』だったのだ。
でも、せっかくアヤネが持ってきてくれた情報を「あ、それもう知ってる」と切り捨ててしまうのが、カナにはできなかった。アヤネをガッカリさせるんじゃないかとか、色々考えてしまっていたのだ。冷静さを欠いていたのは良くない事だ。カナは、一呼吸してのぼせている頭を冷まさせようとした。
「そ、そんなこと、気にしなくて良かったのに……」
「私はさ、ずっと独りでシェイド事件に向き合ってきたから……、今度こそ仲間が出来たんだって思ったら、舞い上がっちゃったみたいだ」
素直なカナの言葉に、アヤネは彼女の意外な一面を見たように思った。
どこか斜に構えている態度が多いカナだったから、こんなに素直に、自分への想いを告げる事が、意外に見えた。ひょっとすると、カナは誰よりも寂しがり屋なのかもしれないと思うと、アヤネはちょっぴり笑顔になった。
そして、アヤネのほうが冷静になっていくと、カナの言葉の端に浮かんだ疑問が気になった。
「今の……『今度こそ仲間が出来た』って……どういう意味ですか?」
今度こそ――。つまり、以前にどこかで仲間が出来る可能性があったのではなかろうか――? でもカナは独りだ。その時は結局仲間にはならなかった誰かがいたのかもしれない。そんな風にアヤネは思った。
「……ああ、うん……。私の……最初の友達だよ」
「最初の……?」
その言葉にアヤネが最初に浮かんだ顔は、カナの幼馴染だというハルカだった。
どうやら、それは図星だったらしい。カナはどこか寂し気な表情を浮かべて笑っていた。
「ハルカと最初に出逢ったのは、小学生の時でさ。私の『シェイド』退治の被害者になっていたのが……ハルカだったんだ」
「えっ……」
「あいつ、今でこそあんなに元気はつらつって感じだけど、昔はすごく病弱だった。……その原因こそが『シェイド』の仕業だったんだけど、私の仕事はそのハルカの『病魔』を払うってものだったんだ」
病魔――。それはウィルスだとかそういうものではなく、悪霊として存在していたハルカの肉体を蝕んでいたモノなのだろう。
「じゃあ、ハルカさんはシェイドやカナさんの事……?」
「いや、知らない……。……消した、から」
記憶の整理――。奇怪な事件は無かったことにする。それがカナの仕事なのだと彼女は言った。
かつてシェイドに襲われたのを救ったというカナの事を、ハルカは覚えていないのだろう。
「実はさ、ハルカは一度覚醒してるんだ。チカラに」
「ハルカさんが……?」
「うん。でも、あの当時のハルカは本当に身体が弱ってた。……だから、覚醒したチカラに肉体と体力がついて行かなかったんだ」
思いがけない情報に、アヤネはそのまま押し黙り、カナの言葉を待つしかなかった。
アヤネは思うのだ。最初の友達、と言ったハルカの記憶を消すしかなかったカナの心境がどれほど寂しかったのだろうか、と。
最初の友達に、偽の記憶を入れて、だます様にずっと友人で居続けたカナの孤独感は、どれほどに切なかったのだろう――。すぐそばに居るのに、遠くから見ているような、そんな感覚。
「ホントはさ、無理やりでも記憶は消さないで、ハルカのチカラを残したままにしたかったんだけど、そうしたら、あいつの身体がもたないって分かってさ……」
「…………」
「で、どうせなら病院で出逢った事も記憶から消しちゃった方がいいと思ったんだよ」
カナはベンチに腰かけたまま、自分の爪先をじっと見ているようだった。
つらつらと過去を語ってしまう自分が奇妙にも思えた。アヤネにこんな話をしても、何もならない。なのに、アヤネは静かだから……。聞いてくれようとしているのが、心地よかったから……、カナは口が動いてしまうのだ。
「でも、記憶を消す時……、あいつが言ったんだよ。元気になったら、ちゃんと友達になれるよって」
その時のハルカの笑顔は今でも鮮明に思い出せる。
あんなに温かい感情を与えてくれたのは、ハルカが初めてだった。
友情、なんてまだ分からない小さな年齢のころのことだ。
でも、だからこそ、これは無くしたくないと、カナは願っていた。
だから、カナの記憶修正はぼんやりと行われたのだ。
そのため、ハルカの記憶はいつカギが外れてしまうか分からない曖昧なものになってしまった。その結果二人は幼馴染だという繋がりが残り、その実、根っこの本当の部分がぼやけている不安定な状態だった。
それは、カナがハルカに対して真実を語れないもどかしさを現わしているようにも思えた。
おぼろげな綱でつながった、二人の友情は、いつか終わりが来るのかもしれないと、なんとなくカナに思わせていたのだ。
「だから……アヤネがチカラに目覚めた時……、私は昂った……。『今度はちゃんとできるかもしれない』って」
カナがアヤネに対して抱いている思いのカケラを見れたような気がした。
アヤネは、終始足先を見つめて語り続けるカナの横顔を見つめ続けていた。
――リサがこっそりと教えてくれたことがある。
「カナはぶっきらぼうなトコがあるけど、あいつが前向きな時は、ちゃんと顔を見て話すよ。だから、誤解するかもしれないけど、アイツ、いい奴だから」
そんな風に笑ったリサの洞察力は間違いないと思った。
いま、こちらに目を合わせて語らないカナの表情の寂し気な様子といったらなかった。
きっと、カナは今も想っているのだ。アヤネのことではなく、ハルカに対して。
――どうして、ホントの友達になれないんだろう――。
本当はきっと、誰よりも『真実』を語りたい相手はハルカなのだろうと思う。
「カナさん」
「……ゴメン。ちょっと冷静になるよ」
「ううん……」
雨の音が、どこか気持ちよく響いていた。
梅雨が始まるのだろう。




