『自立支援』という暴力?(重)
ちょっと前に知り合いが、「仕事をクビになった」という話を聞きました。
こんな不況ですから、どこにでもある話かも知れない。でも、当事者には死活問題ですし、かと言って若干、身体と精神に障害を持っていると、就職先というか、面接先さえ見つからない時代。でも、働かなくちゃ・・・というコトでハロー○○○へ行きますが、だいぶ通っても受け入れ先が無い。で、やっと見つけて行ってみると、なかなか効率的な作業が出来ず、試用期間満了を見ず、解雇という結果に。
今や、色々な人に『自立』という言葉が無神経に迫っている気がします。
ニート、
引きこもり、
お年寄り、
障害者、
病人などなど、
何年も前ですが、一人の自立可能とされた身体的、知的障害者夫婦の話をひとつ。
支援の甲斐あってか、アパートを借り、少しの身体の障害は乗り越え、子を産み、支援されながらの育児、生活、社会参加。
医療関係者から見れば、お金の管理が出来、社会的に害を与えず、税金などの義務を果たせていれば、それは自立なのかも知れません。が、
地元では、「困った人」のレッテルが貼られました。
子供同士で遊ぶ仲間から、なんとなくハズされてるようです。
学校行事などの、親の協力での、送迎などでも、「頼まれなかったから」で、ハズされてます。
こども会からは、入会案内も無かったみたいです。入会されても、ちょっと…というカンジ。
なぜか?
町内会には不参加、町内清掃不参加料の不払い、ごみの仕分け不十分。PTA不参加、皆が順々に無理をしてやっている役員…無視。お子さんが、他の子供の三輪車、おもちゃなど、勝手に持っていってしまう。などなど。
周囲にかける迷惑がいろいろあるので…。コミュニケーション不足と言ってしまえば、それまででしょう。でも、知的障害ってそもそも…。
身体的障害は無知な人でも、なんとなく配慮が必要と気付く。でも、知的な障害者は気付かれにくい。だからよけい、その夫婦には、子供には、尾ひれの多い偏見が飛ぶ。
援助者や民生委員でも、最低限の事に配慮するのがやっとの現実があるし、まさか、いろいろな役員など、ボランティアで代理、という訳にはいかんのでしょう。
でも、みんなキツキツなんです。
善意だけじゃ、持たないみたいなんです。
だから『なるべく、どんどん、自立しましょう』という掛け声は困るんです。『自立』が前提になると、頑張らなくちゃでしょうし。
迷惑をかけない様に…が『自立』なら、あえて、行政で唱えなくても、当事者が一番、ずっと最初から一番、プレッシャーを受けているのですけど。
でも、最も悲しい話は、
大企業(工場)の、障害者雇用枠で就職した、知的障害の女の子の話。(私から見ればまだ“女の子”)就職して数ヶ月、何となく彼女から手話を習っていた私に生き生きと話してくれたこと。
「付き合ってる人いるんだ」(聞き取りにくいが慣れると分かる発音)
「へぇ、すごい。どんな人」
「同じ工場の人! ○○○○さん」
凄く自慢気な顔。でも、偶然、私、その男性の奥さんが知り合いでした。つまり不倫ということ。でも、彼女は、彼が独身だと思っているのでした。
彼女を私の車に乗せ、家へ送って行った途中のことは忘れない。
「あそこっ! (ラブホテルを指差して)あそこは、結構きれい。部屋もいいんだ」
「こっちのは、外だけきれいで、中はダメ」
「そこのは安いから、給料日前に行くところ」
彼女は初めて出来た彼氏に夢中。生きがいと言っていい。彼中心の生活。イキナリ無くなったらどうなっちゃうか…。
職場の人たちだって、その男が既婚者なのは知っているハズなのに。(結婚式盛大だったし)こうなる前に止めることは出来なかったのか悔やまれます。
知的障害者にも、『自立支援』は残酷な面が多いです。




