淘汰されなかった悲しみ(重重重)
僕の前でパソコンを覗き込みながら医者が言う。
「先日の検査の結果ですが、良いお知らせですよ。…IQは128でした」
僕の後ろに立っていた両親から『ホッ』とした空気が流れる。椅子に座っていた僕から彼らの姿は見えないが、ハッキリとした喜びが診察室を包んでいく。ジワジワと。しかし圧倒的な雰囲気で。それに反比例するように僕の中には怒りが膨れ上がっていく、なんでなんでなんで、納得できない。
喜んでいる彼らが不快。耐えられないその価値観。
IQが標準を超えると『良い』のか。もし下回っていたら『悪い』お知らせなのか。育児書もカウンセリングの良書も読み込んでいるハズの父と母。専門家のハズの精神科の医師。それでも違和感がないのだろうか。
いっそ僕の知能指数が0なら良かったのに。そうして本気で悩めばいいのに。
医者の結果を聞いて、どこか安心している両親。全く何も変わっていない現状の中で、それでも、何としてでも安心できる材料を探している。何も良くなっていないのに、原因が自分たち、そして僕の中には無いことを断固として探し続ける空しい作業。
原因は見えているはず。他の検査だっていろいろあるんだ。
けど、どんなに見えていても、彼らは目を逸らす理由を探し続ける。医者までその手助けをする形が出来上がっている。ドクターショッピングをする側とされる側。現実を置いてきぼりにしながら、診察という形の悪循環が出来上がる。
解決の糸口を探り当てた医者がいなかった訳ではない。むしろそちらの方が多かったかもしれない。しかし、そういう時に限って、次に僕が連れて行かれる病院は別の所に変わっているのだ。頑固な両親と無力な僕の虚しい旅。
だけどね。
日本中、気付かれず虚しい旅を続ける人が、今はいっぱいいるみたいなんだ。
「無理やり生まれて良かったのかな? 僕」
『不妊治療とか、早産予防とか…、お金も手間もかけさせて生まれてきたのに、それからも、多分一生…“フツウ”の子より負担かけるよ。僕。』




