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5.変化

 ふたりが一緒に住み始めてから一か月が過ぎた。

 その間にリヤーフはフィーニスとの生活にも慣れたし、森の狩りにも慣れた。

 砂漠の狩りとはかなり勝手が違ったが、フィーニスの指導が良いからか、リヤーフの筋が良いからか、その両方か。狩りの腕はめきめきと上がった。

 しかし、それ以上に上達したのは釣りで、リヤーフは自分にこんな才があったのかと驚いた。

 ただし、保存加工にはとことん向いていないらしい。何度か挑戦してみたのだが散々な結果で、どう頑張っても『食べられなくはない』程度の出来にしかならない。早々に諦めたリヤーフは、それ以来フィーニスの手伝いに徹している。


 第二城壁の中で働いている小作人たちとも、リヤーフはあっという間に打ち解けた。

 王子が蛮族の娘を娶ったということに初めは驚いたようだが、今ではリヤーフを「奥様」と呼んで、フィーニスにするのと同じように親切にしてくれる。

 身分卑しい者と虐げられる小作人と、蛮族の娘と蔑まれるリヤーフ。両者の間に言葉にはならない連帯感のようなものさえ生まれつつあった。






「フィーニス様! 今日の釣りは終わりです!」


 口のほうまでたっぷりと詰まった魚籠を見せれば、フィーニスは目を丸くした。

 今日は干物を作るための魚を釣りに来たのだが、魚籠をいっぱいにするには一日かかると踏んでいたのだ。それがまだ午前中のうちに終わってしまった。


「早いな。さすがリヤーフだ」


 手放しで褒められて彼女は頬を赤くする。


「この中からニ、三匹もらっていいかな? 先日、トーリに塩をもらったんだ。その礼にしたい」

「もちろんです! これと……、これと、これ。それから、これが大きめです」


 リヤーフは、空のままのフィーニスの魚籠へ魚を数匹選り分けた。

 トーリというのは小作人頭で、6人ほどいる小作人を取りまとめている。

 彼はなにかれとなくフィーニス夫婦を気にかけてくれ、ことあるごとに差し入れをしてくれるのだ。

 初老の頑強な体格をした男だが、フィーニスは彼が『最近は肉より魚をうまいと思うようになった』と話していたことを覚えていた。


「ありがとう。じゃあ、そろそろ行こうか」


 ふたりは連れ立って池を後にした。

 フィーニスの後に続くリヤーフは一度だけ池を振り返った。その池に流れ込む小川の上流には滾々と地下水の湧く泉があるらしい。

 水が澄みすぎて魚はいないのだという。

 だから足を運んだことはまだないが、そのうち行ってみたいと彼女は思う。

 砂漠の民にとって、滾々と湧き出る清い水は憧れなのだ――






 父王や王子、貴族たちと顔を合わせなければ、質素だがそれなりに幸せな生活。

 もし顔を合わせたとしても、じっとしていればすぐに嵐は過ぎていく。何を言われても特に腹は立たなかった。

 フィーニスもリヤーフもただ今の生活が続けばいいと思っていた。

 仲睦まじく、静かに、ふたりだけで生きる。

 そのために、彼ら夫婦は三つのことに細心の注意を払っていた。

 一つ目は目立たぬこと。

 二つ目は逆らわぬこと。

 三つ目は子を成さぬこと――

 結婚して二年が経つ王太子にも、半年ほど経つ第三王子にも、子がなかった。

 ここでフィーニス夫婦に子ができれば、大問題になるに違いない。

 城を追われるくらいならいい。

 下手をすれば親子三人、暗殺され闇に葬られる。

 だからふたりは清い関係を続けていたのだ。

 しかし、周りの者はそんなふうには思っていないだろう。ふたりはそのこともよくわかっていた。

 それゆえ、目立たないように努めていたのに。


 臆病者は、凪いだ水面にわざわざ波風を立て、池から水をなくそうとするものだ――






 「フィーニス様。わざわざ食事を運んでいただかなくても、自給自足でどうにでもなりますよね。なぜ、断らないのですか?」


 いつも通り、運ばれてくる少ない食事を分け、いざ食べ始めようとしたその瞬間。リヤーフはふとした疑問を投げかけた。


「そうだねぇ。私たちが勝手に狩りや釣りをしていることがばれたら、小作人たちも咎を受けるだろう? 今のまま、少ない食事でどうにかやりくりしていると思ってもらえたほうがいい。それに……」

「それに?」

「いいや。なんでもない」


 それきりフィーニスは口を閉ざした。

 フィーニスの生活は王の情けなくしては立ち行かない。だから逆らわない――そう思ってもらったほうが好都合なのだ。

 フィーニスが自立していると知れば、王は彼がいつ歯向かうか、反旗を翻すかと気を揉むはずだ。

 挙句に濡れ衣を着せられて投獄されたり処刑されたりしたらたまったものではない。


「そんなことよりも早く食事にしよう。今日はいつも以上に腹が減って仕方がない」

「そうですね。いただきましょう。私は実はお腹が空いて仕方なかったのです」


 フィーニスが屈託ない笑顔を浮かべ、リヤーフはその笑顔につられるように匙を手にした。

 ごく僅かばかりの野菜が浮いたスープ。

 澄んだ琥珀色なのは美味そうだが、具材が少ないのは残念だ。そう思いながらひとさじ目を口に運ぶ。

 口に含んだ途端、舌にわずかな苦みと痛みを感じた。

 口中のスープを吐き出すより先に、いままさにそれを口へ運ばんとしているフィーニスの匙を叩き落とした。


「リヤーフ!?」


 突然のことに目を丸くするフィーニスを残し、リヤーフは外へ飛び出し、スープを吐き出した。

 塔の中へ戻ってみれば、フィーニスはさっきと同じように席に座っていた。

 すでにリヤーフが叩き落した匙は拾われ、こぼれたスープも綺麗に拭き取られている。


「大丈夫かい?」


 彼女を見つめるフィーニスの目は、恐ろしいほどに冷静だった。


「はい。突然、失礼しました」

「毒、だね?」


 フィーニスの目をまっすぐに見つめながら、リヤーフは無言で頷いた。


「いったい誰かな」


 淡々とこぼす彼の脳裏には、父王と、兄、弟、三人の顔が次々と浮かぶ。あの三人のうちの誰かだろう。しかし、王は残りの二人に比べ、フィーニスに対して無関心だ。

 とすれば、兄か弟か。どちらにせよ、王位継承者が増えるのを喜ばない輩たちだ。もしどちらか一方に男子が生まれれば、表では祝いの言葉を述べつつ、刺客のひとりやふたりぐらい送り合うだろう。

 そんなふたりが、フィーニスとリヤーフの間に子どもが生まれるのを黙ってみているわけがない。


 ――もう少しおとなしくしていると思ったけれど、予想以上に短気だな。


 ある程度こういうことが起こるとは予想していたので、何の感慨も浮かばなかった。ただ面倒だという思いばかりが湧いた。

 リヤーフのほうが随分と衝撃を受けているようだ。


「リヤーフ、大丈夫かい? 毒は飲み込んでない? 体調は?」


 矢継ぎ早に聞けば、彼女は「大丈夫です」を繰り返すばかり。

 毒の混入を飄々と受け止めているフィーニスに非難めいた視線を送っている。


「フィーニス様はどうしてそんなに落ち着いていらっしゃるんですか! 犯人に目星はついていらっしゃるのでしょう? すぐに捕まえねば!」


 すぐにでも犯人探しに飛び出して行ってしまいそうな勢いだ。

 フィーニスは、怒り狂う彼女の両肩に手を乗せ「落ち着きなさい」と諫めた。


「落ち着く!? これが落ち着いていられますか!」


 赤茶の目が怒りのせいでキラキラと煌めく。

 ああ、綺麗だなぁ――フィーニスは現状を忘れて思った。


「食事に毒を盛るくらいなら可愛いものだろう。直接刺客を送ってきたわけでもないし、今はまだ様子見をしたほうが良い」


 リヤーフの勢いが少しずつ萎んでいく。


「確かに混入していた毒は強いものではありませんでした。飲んでもたぶんお腹を壊すぐらいで……。でも!」


 故郷を発つ前に、ひと通り毒に対する訓練を受けてきている。

 その時に培った知識が正しければ、今夜盛られた毒は即、命にかかわるものではない。

 だが、恒常的に飲めば体を蝕み、緩やかに死へ向かう。

 それに次はもっと強い毒が盛られるかもしれない。一刻も早く犯人を見つけて排除してしまいたかった。

 なのに、彼は首を横に振るばかりだった。


「今はまだ早いよ、リヤーフ。下手に騒ぎ立てれば黒幕まで行きつかない。蜥蜴の尾よろしく、実行犯だけが斬り捨てられて終わるだろう」


 だから、耐えてくれ。そう言われては反対もできなかった。






 それからは数日おきに毒が混ぜられた食事が運ばれてくるようになった。

 運んでくる召使は毎回違う。

 何度かカマをかけてみたが、彼らは本当に何も知らないようだった。


「せっかくの食事を捨てるだなんて勿体ない……」

「そういう問題じゃありません」


 恨めしそうな顔をするフィーニスの前から、食事をさっさと片付ける。


「でもなぁ……勿体ないものは勿体ない」


 長年の困窮生活で染みついた節約魂はなかなか消えないようだ。


「では、せっかくの食べ物を食べられない物に仕立て上げる卑怯者を恨んでくださいませ」

「そうだねぇ……」


 フィーニスから戻ってきたのは歯切れの悪い返事だった。

 運ばれてきた食事を片付け、リヤーフは自分たちで作った保存食を食卓に並べた。


「トーリさんがパンをくださいましたので、今日の食事は少し豪華ですよ」


 王侯貴族が食べるような柔らかいものではないが、素朴な味がして二人は気に入っている。

 何よりも、安心して食べられるのだから、これに勝るご馳走はなかった。


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