1.謁見
謁見の間に足を踏み入れたリヤーフは、一瞬、歩みを止めた。
興味津々といった表情で、彼女を見つめる貴族たちの無遠慮な視線に臆したわけではなく、まぶしさに目がくらんだからだ。
等間隔に配されたシャンデリアから透明な光が溢れんばかりに降り注ぎ、室内を昼間のように明るく照らしている。
あまりに多くの蝋燭が使われているからか、光は揺らぐことすらない。
しかもそれだけ使っているにも関わらず、油が焦げる不快な匂いは全くしない。
蜜蝋の蝋燭を使っているのか、とリヤーフは心の中で驚嘆した。
一夜を照らすだけで、どれだけの金が費やされているのだろうか。
リヤーフの生まれ故郷であるアキーク国では王城であっても獣脂蝋燭を使う。
蜜蝋の蝋燭を使うことなど年に数回、特別な祭祀の際に限られていた。それほどに蜜蝋は高価なものなのだ。
蝋燭一つでも国力の差をまざまざと見せつけられる。その事実にリヤーフは人知れずため息をついた。
――私がここに来たのは、正解だった。こんなに国力が違う国と剣を交えても勝ち目などない。父の判断は間違っていなかった。
道の両脇からひそひそと何かを囁き合う声が聞こえるが、彼女は一顧だにせず、まっすぐ前だけを見つめていた。
「陛下、アキーク国王のご息女リヤーフさまのご到着です」
リヤーフを案内してきた男が恭しく首を垂れ、口上を述べた。
それと同時にリヤーフは両膝をつき、目を伏せた。
このケントルム王国式の礼に適っているはずだが、周囲からくすくすと忍び笑いが漏れた。
『あら、お辞儀ができるのね』
『でもいかにも猿真似ですわねぇ』
そんな声が聴きとれた。
蛮族の娘ごときが、この国の言葉を知っているはずがない。そんな教養があるはずない。そう思っているからこその陰口。
貴族たちの意地悪な囁きは玉座まで届いているだろうに、そこに座る男はたしなめることもなく、それどころかニヤリと口を歪めさえした。
人質にとって居心地の良い場所ではないだろう。そう覚悟してやってきたつもりだったが、心が重く沈む。
「そなたがリヤーフか。遠いところをよく来た。面を上げよ」
「はい」
促されて顔を上げた彼女は、怯むこともなく国王と視線を合わせた。
年老いた男の瞳には何とも言えない威圧感があった。決して好ましいものではない。酷薄さを含んだ顔立ちだった。
「さすがは砂漠の民。女のくせに長旅をものともしないか。あきれるほど丈夫だ」
酷い言われようだ。
半ば無理やり呼び寄せながら、無事に着かねば良かったと言わんばかり。
では、途中で客死でもすればよかったというのか。
しかし実際にそうなればなったで、さらなる金品だの人質をせびった事だろう。
「恐れ入ります。陛下のご威光により、無事にまかりこすこと叶いました」
皮肉を受け流せば周囲がどよめいた。そして国王は面白くなさそうに、ふん、と鼻を鳴らす。
「なんだ。我が国の言葉がわかるのか」
つまらないとでも言いたげだ。
「簡単な言葉だけでございます。これからもっと学びたいと思っております」
「ほう。そなたら砂漠の民にも異国の言葉を覚える程度の知能はあるということか」
王は自分の放った言葉が気に入ったようで、高らかに笑う。王が笑えば、追従するように周りの者たちも笑う。
何が面白いのか……リヤーフは悟られぬように唇を噛んだ。
悔しそうな顔をすれば、それは王の思うつぼだ。憤るな。彼女は自分自身に言い聞かせる。
砂漠の民には砂漠の民の誇りがある。
こんな蔑みくらいで、その矜持は折れたりしない。
ケントルム王国の東には広大な砂漠が広がっている。
点在するオアシスを中心としてできた小国家が無数に存在しており、リヤーフの故郷であるアキーク国もその国家群のひとつだ。
砂漠という厳しい環境で生きるリヤーフ達の生活は機能を第一に追求するがゆえに質素である。
緑が豊富なケントルム以西の国々には、それらが文化の遅れと映るらしい。
蛮族だ、未開の地だと蔑まれることになった。
逆に砂漠の民は西の国々を軟弱者と謗る。
互いの間には無理解による深い溝ができていた。
それでも数十年前まではまだ良かったのだ。住み分けができており、目に見えた諍いはなかった。
事態が変わったのは、現ケントルム王の治世になってからだ。
ケントルム王は戦に長け、即位するや否や近隣諸国を次々と武力で併合していった。そうしてあらかた西側諸国を併呑した王の目に映ったのは、小さく弱い砂漠の国々。
オアシスを核とした小国家が、大国ケントルムに武力で勝てるわけもない。
次々と大国の前に膝を折った。
もちろん、中には屈するをよしとしない国もあったが、例外なく滅ぼされた。
ケントルムの魔の手は東へと延び、とうとうアキーク国にも達したのだった。ケントルムの使者は、恭順の意を示せ、人質を差し出せと居丈高に要求して去り、アキークは恭順したほうが良いという穏健派と最後まで抵抗をと主張する過激派の衝突で荒れに荒れた。
長い議論の末、リヤーフの父は恭順の道をとった。
そうして人質として選ばれたのは、末の娘リヤーフだったのだ。
「わたくしは、このケントルム王国の文化を学び、祖国に広めるためにやってまいりました。どうぞよろしくお願いいたします」
ケントルムの文化を学ぶ……それが建前である。
だが、実情は人質だ。そして、人質とは王に献上された貢物に過ぎない。
彼女の前にも何人もの娘が砂漠の国々からケントルム王のもとへやってきている。彼女たちはみな王の慰み者となり、欲望のはけ口として王宮に止め置かれ、あるいは些細なことで不興を買って処刑され、そうでなければ心無い仕打ちに心や体を病み、どこかへひっそりと消えていく。
差し出された娘のうち、故郷へ戻った者はだれ一人いない。
彼女たちの末路を知りつつ、それでもリヤーフはここへ来た。
自分が拒めば姉たちが、もしくは側近たちの娘がここへ送り込まれることになっただろうし、もたもたしていたら国は攻め滅ぼされてしまっただろう。
「せいぜい励め。――しかし、そろそろ蛮族の娘には飽きた。朴訥なのは悪くないがなぁ、みな同じような反応しかせん。実につまらん」
王の唇から漏れた下卑た笑いに、嫌悪感がむくむくと湧き上がった。
――飽きた? 笑わせる。こんな下品な男に、誰が心を預けるというの。砂漠の女を馬鹿にする前に、その女たちから愛を返してもらえなかった自分を恥じたらどうなの?
心の中で悪態をついて、ひとまず溜飲を下げた。
飽きたというのなら無理に抱いて貰わなくてもいい。なんなら下働きにでも落としてくれたほうがいっそ幸せだ。
だが、下働きをしたいとはっきり言っていいものか、それとも情けにすがる姿勢を形だけでも見せたほうが良いのか。リヤーフは一瞬悩み、黙り込んだ。
そのすきに王は「おお、そうだ!」と何やら楽しげな声を上げた。
まだ顔を合わせて間もないが、彼が楽しげな声を上げる時はろくでもない事態が起こると察しがついた。
今度はどんな無理難題を口にするのかと思いつつ、リヤーフはじっと次の言葉を待った。
「おい、フィーニス! お前にこの娘をやろう」
静まり返った室内にしわがれ声が響く。
「父上、しかし、それは……」
声のしたほうをそっと伺えば、ひとりの若い男がうろたえていた。
年の頃は二十歳を少し過ぎたあたりか。
顔形は悪くない。線が細く、中性的な顔立ちはむしろ美しいと言われる部類に入るだろう。しかし、圧倒的に覇気が足りない。精彩を欠いたその男の印象はまるで幽鬼だ。
蝋燭の光に溶けてしまいそうな淡い銀髪も相まって、生きている人間だとは思えないほど影が薄い。
――だれ?
王を父と呼んだことから、王子であろうということは見当がついた。
現王には三人の息子がいる、と聞いている。
王太子べリス、第三王子テネルは父によく似た風貌、性格であるという噂だ。彼らの話は調べずとも勝手に舞い込んできた。曰く、どこそこの戦場でこんな武勲をたてただの、どこそこで害獣を退治しただの。それに伴って、よくない噂までもが流れてきていたが。
――なら、第二王子?
勇猛を誇る兄と弟に挟まれた第二王子の噂は、ほとんど聞かなかった。
故郷を出立する前にあれこれと調べてみたのだが、名前すら分からずじまい。王宮の一角にある古い塔に引きこもる世捨て人、知れたのはそれだけだ。
噂が真実とするなら、フィーニスと呼ばれた男が第二王子と見て間違いないだろう。
「遠慮などするな。ちょうどいい結婚相手ではないか。軟弱者のお前と蛮族の娘。これほど似合いの夫婦もないぞ」
呵々と笑う男。そして、それにおもねるような忍び笑いが場を満たす。
その場の雰囲気から、フィーニスがこの国においてどういう立ち位置にいるのか、おおよその察しがついた。
「父上……」
「お前は儂の言うことが聞けんというのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「なら、黙れ」
うるさそうに遮られて、フィーニスは押し黙った。
彼の横に並んでいた大柄な男ふたりがここぞとばかりに口を開く。
「そうだぞ、フィーニス。せっかく父上がお前のために似合いの嫁を見つけてくださったのだ。ありがたく受けるのが筋と言うもの」
「べリス兄上の言う通りだ。なのに、口答えとは。フィーニス兄上はずいぶんと偉くなったものだ」
最初に口を開いたのが王太子、追従したのがテネル王子だろう。
ふたりの嘲り声も意地悪な顔も、王によく似ている。
が、王太子は父王に比べていささか落ち着きがなく神経質そうに見えたし、テネルの視線は粘着質であり、狡猾な印象を受ける。彼らの本質は臆病なのではないかと、リヤーフは漠然と感じた。
父が強大であればあるほど、子どもは様々な脅威や圧力を感じながら育つ。それが良い方向へ出ればよいが、こと、この国においてはどうやら裏目に出ているようだ。
飛ぶ鳥を落とす勢いで拡大を続けてきたケントルムだが、未来に陰りが見え始めているのはまず間違いない。
己の身の振り方が決まるやり取りの間だというのに、リヤーフはそんなことを考えていた。
王の寝所に侍らずに済むのなら、下働きでも、誰かに下賜されるのでも、別にどうでもよかったのだ。
「兄上のおっしゃる通りです。私が間違っておりました」
諦念の混じった力のない声が、フィーニスの口から漏れた。
彼が謝罪すれば、兄弟は満足そうに鼻を鳴らす。
「――父上、大変失礼いたしました。このお話、ありがたくお受けいたします」
「うむ」
王は鷹揚に頷くと、それきりリヤーフとフィーニスに興味を失った。
玉座のすぐ近くに控えていた煌びやかな女たちを手元に呼び、戯れ始めたのだ。
女たちはみな雪のように白い肌をし、金の髪を美しく結い上げている。リヤーフのように黄みを帯びた肌も、赤い髪も、赤茶の瞳もいない。
なるほど、あのような女性たちが好みなら、砂漠の娘を抱くのはほんの気まぐれ、つまみ食い程度でしかないだろう。リヤーフは冷静に判断し、王が気まぐれを起こさなかったことに感謝した。
こうして砂漠の国アキークの王女リヤーフは、ケントルム王国第二王子フィーニスのもとへ輿入れすることになった。




