『恋人のふりイベント』
「……はい?」
「何呆然としてるの。古今東西、古来よりラノベと言えば『恋人のふり』イベントじゃない!」
「うっ、ちょっと分かるなって思ってしまった自分が憎い……」
『恋人のふり』。それはライトノベルに限らずオタク文化が築き上げてきた伝統の一つだ。
何らかの理由があってヒロインから恋人の代役を頼まれ、しぶしぶ引き受ける主人公。
状況によっては身を隠すためにキスしたりしなかったりもある。
その後それをきっかけに意識し合ったりしなかったりも……ある。
「決まったわね。私たちは恋人のふりをしましょう」
決まってしまったらしい。
「理由もなくですか?」
「理由ねぇ。どうしても欲しいって言うなら一計を案じるけど?」
そんなものに一計を案じてる時点で本末転倒すぎる。
普通、困った事情に対して一計を案じた結果が『恋人のふり』なんじゃないのか?
でもないよりマシか。一応聞いてみようかな。
「はぁ、例えばどんな感じですか?」
「うーん、そうねぇ。両親にさかんにお見合いを勧められて困ってるとか」
「重っ!」
ズドンと響く一撃だった。
「失礼ね。最近ダイエットしてたのに」
「体重の話ではないです!設定が重いって言ったんです!」
30代独身女性ですか!しかもなんかちょっとありそうな話で怖い!
そういう感じを出してくるサブヒロインな先生とかはちょっと好きだけど、実際に言われると怖い。そもそもメインヒロインの感じが全然しない。
「あ、そうだ。せっかくだから私の両親を呼んで挨拶しとく?」
「だから重っ!何のせっかくですか!気軽に凄いイベント入れないでくださいよ、嘘でしたとか後で言えなくなりますって!」
「私の両親、私がちゃんと恋愛できるか不安そうにしてたし、喜んでくれると思うわ」
「いや話を進めないでください!そういう滅茶苦茶なところがご両親も不安なんですよ!」
結婚できるかじゃなくて、恋愛できるかで不安がられてるところがガチっぽい。
「全く失礼しちゃうわね。私の顔をもってすれば、結婚相談所で相手を探すくらい楽勝よ」
「自信があるんだがないんだか分からない発言やめてください」
自力で相手を見つけられないことは確定してるじゃないか。しかも恐らく顔情報では多くの男が騙されそうなところは正しくてひどい話だ。
「大丈夫よ。そうならないために今の内から彼氏を作っておくんじゃない」
「……え、俺結婚前提?」
重すぎないか、この人。ラノベがどうこうって話は吹けば飛ぶような軽さなのに。
「嫌?じゃあ…………そうだ!!思いついたわ!!はい!!」
先輩はビシっと手を挙げて当ててほしそうにする。
ヤバい、絶対ろくな事じゃないぞ。
「はい、渚さん……何をですか?」
「恋人のふりをする理由よ!お互い、彼氏を作るための予行練習ってことにしましょう!」
「彼氏は一生作りませんよ、僕は」
「言葉の綾ちゃんよ」
誰だよ、綾ちゃん。
「とーにーかーく!ふりがしたい!ふりで付き合いたいの!」
こんな告白、かつてあっただろうか。
しかも照れ隠しとかでは一切ない。純度100%でそのままの意味だと思う。
「……ふりで付き合うって、実際どんな感じなんですか」
「うーん、じゃあ試しにちょっとやってみる?」
「試しにって……」
試しに、ふりで、付き合う。
もう何が何やら分からない文字列になってきたぞ。
「はい、よーい恋人スタート!」
「よーい恋人スタートて」
本当に日本語なのか、それ?ってくらい意味分かんないんですけど。
「どうする?とりあえずキスから行っとく?」
「はぁ、キス…………キス!?」
素っ頓狂に声が裏返ってしまった。
「恋人と言えばキス。当然でしょ?」
まるで俺の方に常識がないみたいな言い草はやめていただきたい!
「そ、それはふりとかじゃないガチの恋人のやつと言いいますか……そもそも段階があるでしょう、段階が!」
「えぇ、だからキスがAじゃない?」
「その昭和的三段階は雑すぎですって!」
Aがキス、Bがペッティング、Cがごにょごにょっていうアレですか!?
「む、じゃあ他に何があるのよ。恋人の定義って何?」
不満そうに言う先輩。しかも話題が若干答えにくい哲学的議題になってるし。
「いやだからその、手を握る、とか……」
なんだろう、言っててすさまじく恥ずかしい。俺か。俺がヒロインか。
「はい」
「あっ!」
ぎゅっ。右手を取られてさっと握られた。
「違うわね。こうかっ!てやっ!」
「あっ!」
ぎゅっ。恋人繋ぎになった。
「握ったわ、手」
つながれたままの手を先輩は上に持ち上げる。当然、俺もつられて(釣られて)手を上げた。
…………。
…………………。
………………………。
「ちょ、軽っ!」
「あら、ありがとう。ダイエットの甲斐があったわ」
「体重の話ではないです!俺は女子にポンポン体重の話題を振る男ではないですから!手を繋ぐイベントがあっさりしすぎだって言ったんです!」
こんな適当なノリで女の子と手を繋ぐラノベなんて聞いたことねぇよ!
本来なら俺みたいな一般的高校生男子は、女の子と手を繋いだりしたらその娘のことが好きになっちゃってもおかしくないくらいなのに。
びっくりするくらいそんな気が湧いてこないんですけど!
「いやだって、今時手を繋ぐくらいでヤキモキされても読者だって鬱陶しいでしょ?ラノベは年々過激になってるのよ。とりあえず出会ってすぐにキス。これで読者のハートを掴むわ」
「そんなことないですよ!些細な事で照れて赤くなっちゃうヒロインが可愛いんですって!」
少なくとも、ソシャゲのデイリーミッションでもこなすかのような勢いで照れゼロの恋人繋ぎを敢行するヒロインは変だ。
「たしかにそれも一理あるわね……待ってて、今赤面するから」
「なんですかその宣言は!」
意識的にやることじゃない!
「大丈夫。私男の子と手を繋いだの初めてだし、全然赤面行けるわ。余裕ね」
「初めてであんな感じだったんですか!?」
尊きピュアなとある男子と女子の初手繋ぎが、たいそう軽いノリで実践されたことが発覚した。
なんだろう、すごく虚しい。
と、虚無感に苛まれてる俺を尻目に……。
「……えへへ」
「……っ!」
先輩はめちゃくちゃ可愛くリンゴのように赤くなっていた。
な、なんだよそれは!ズルいぞ!騙されないからな俺は!
「な、なんか意識したらほんとに照れてきちゃった」
「……そ、そうですか」
騙されないぞ!この人は変人なんだ!
決して実は初心な美少女とかじゃないぞ!
「う、うん。あのさ、あなたの手って、意外と『男の子の手』って感じだったよ?」
「あ、ありがとうございます?」
騙されてたまるか!そんなちょっとキュンとくる台詞で!
「大きくて……」
「は、はい」
「硬くて……」
「……ん?」
「太い?」
「何の評価ですか!」
ばっと手を振りほどく。
手が太いってどういうことなの!
「あれ?あ、ヤバ。これは初体験用の台本だったわ」
「間違え方がおかしいですよ!どこで混ざったんですか!」
「いやぁ、赤面するためにちょっとエッチなこと考えたから」
「あぁ既にそこから嘘だったんですね。手を握って照れてたわけですらなかったんですね……」
騙されていた。もっと前段階で騙されていた。
可愛い顔をして、ちょっとエッチなことを考えるな。
「というか初体験用の台本て。そんなものまで書いてるんですか……痛いですよ……」
「痛くないようにしてくれないの?」
「そういう意味ではないです」
「良かった。もしあなたがわざわざ痛くしたい趣味の人だったら、私も我慢が必要になるところだったわ」
「果たして我慢で済む話なんですかね、それは……」
嬉しそうに言ってる場合じゃない。ドMでもない限りそんな奴とは別れた方が良いだろう。
しかし、先輩は手を腰に当てて、ポニーテールと胸を揺らしながら満足げに頷いている。
「さて手も繋いだことだし、もうこれで私たちは恋人ね。実質既成事実みたいなところがあったわ」
「それくらいで既成事実になったら、フォークダンスは超重婚ですよね」
「むぅ、あなたが言ったんじゃない。手を繋ぐと恋人だって」
「それはそうなんですけど……」
だってなんか、男として本能的に『既成事実』という言葉は怖くて仕方ない。
「大丈夫よ。恋人と言ってもふりだもの。まぁ、2週間後くらいに何かイベントがあって一度は別れるも、その後あなたが男らしく本当の恋人になろうと告白してくるはずだけどね」
「ありがちな流れですね」
「ふふ、予言するわ。あなたは私の魅力にやられてそのテンプレに乗ることになるのよ。あ、さっきの台詞は伏線ね」
「伏線を最初からバラしたら、もうそれは伏線じゃない気が……」
「あー、まぁいいわ。やっぱりラノベに伏線とかいらないでしょ。どうせそんなん気にする人はラノベ読まないでしょ」
「極論ですね」
「伏線とか欲しけりゃミステリーでも読んでろって話よ。頭を空っぽにして読める小説を私たちは目指します」
「……まぁ、今までの俺たちの会話、到底頭良くはないでしょうけど」
ていうか、バカそのものな気がした。
「大体、ラノベの読者もどうせみんな頭良くないからね」
「暴論ですね!」
「むしろ読んでるだけで頭が悪くなっていく、成績は下がる、受験にも失敗する……そんなラノベを目指しましょう!」
「目指しません。テロですよ、そんな小説」
発禁にすべきだろう、それは。