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自然がほほえむとき

作者:アロウネ
 月の光が差しこむと、凍てついた書庫がよく感じられた。居並ぶ本は背表紙をただして、おごそかな儀式にのぞんでいた。ドアを開けた私さえ空気を乱す邪魔者にすぎない。それを責めるように、あの声が書棚の向こうから投げかけられる。あたりをはばかるような、乾いた咳払いである。
 闇に目をこらすと、好奇心に目を輝かせたホリデーが、開いたページから顔を上げている。私が了解の返事を送ると、満足した様子で再び本の世界へ戻っていった。

 動く屍体から連想されるモンスターのイメージはかけらもなく、群れで暮らす不死者は心優しい隣人だった。たしかに人を襲って食べることはあった。フィールドワークで群れに混じった当初はそのことばかり警戒していた。しかし木の実や葉っぱを主食としている彼らが口にする肉は、せいぜい野ウサギや弱ったシカくらいで、万が一、人と出くわしても、彼らは威嚇音を発して、せっかくの機会を追い払ってしまうのが実情だった。
 私の選んだホリデーは、不死者にしては内向的だった。群れでも孤高の若者で、露出した白い背骨の棘突起がきれいに並んでいて識別しやすい。
 しかし、なによりの決め手は別にある。

 私はしばらくの間、ホリデーとの読書の時間を楽しんだ。はたして本当に読んでいるのか。生前の習慣をなぞっているだけなのか。テストのしようがないが、その沈思黙考たる様子は哲学者の彫像めいて、あたりから不純物を押し出していた。
 本を置いて、ホリデーがおっくうそうに体を揺らしながら、そばを通り抜けていった。
 食事と排泄のたびに、不死者は外出する。その機会に群れと交わって情報交換などをすますのだが、そもそもホリデーはほとんど外出しない。なのに最近、出歩く頻度が変化していた。
 彼に続いて、私も玄関を飛びだした。ポーチの先は銀色で一杯だった。

 折り重なるブドウの葉の間から光線が降り注いで、その下に不死者たちが集まっていた。大人は中腰の姿勢から腕を伸ばしてブドウをもいで、子どもはそこからこぼれた実を口に運んでいる。月明かりの下で淡々と演じられるその様子は前衛的な芸術めいて、自然がほほえんでいるような神々しさを感じるときだった。ひとり、またひとりと仲間が増えるたびに、長いげっぷのような挨拶音が交わされる。
 不死者がよく話をするのはたしかだ。たとえば咳払いのように短く鋭く発したときは、なにか群れのルールに反した行動をとっているときだ。これをもっとも受けた個体が私である。まだ言葉に不慣れだったときは、場の空気を読めずにまちがった声を出すと、とたんにコッコッと乾いた声で注意を受けたものだ
 もともと、彼らは争いを好まない。たとえ衝突が起きても、双方が大きな声で不満を示すだけで、そこにかならず仲裁に入る。群れの年長者が間に入って、両者に引くよううながす姿は惚れぼれする。当事者たちは不満の意志を明らかにしたいので、第三者がそれを受け止めてやれば面目は立ち、それ以上には発展しない。

 社会の上下関係に興味がないホリデーだったが、最近はまわりを子どもがじゃれついても、邪険に振り払ったりしなくなった。食事を終えると、座ったまま瞑想するかのように、じっと遠くを見つめることが多い。
 そこにいるだけで十分な意思表明になる不死者社会だから、彼に反応した個体もあった。もともと群れはオスが少ない。ちょっと気になれば、かならずメスがちょっかいを出す。ホリデーも「コッコッ」で追い払えばいいのに、だまっていいようにさせていた。
 ホリデーにつきまとうメスに、私はポーカーチップの名を与えた。

 額に弾痕のあるポーカーチップは、外からやってきた若いメスだった。群れに馴染んでいく過程でホリデーの引きこもり傾向も聞いていたはずだが、彼が集まりにこないと心配して家までやってくるなど、なかなか興味深い性格をしている。
 だが、ホリデーがメスとくっついている姿は想像できない。やはり彼には氷の書庫が似合う。本棚の前で静かにページを繰る姿は、かつての父そっくりなのだ。研究者だった父も、机まで運ぶ手間を惜しんで、その場で資料を読みふけっていた。
 不死者研究に端緒をつけたのは父だった。正しく怯えるために、その生態を観察し、理解しなければならない。けれども、どれだけ研究者が増えても、実地調査に乗り出す命知らずは現れなかった。
 襲われたら、調査される側になってしまう。しかし研究者で、なによりあの人の娘なら、もっとも探求が進む場を放っておけない。父の先行研究に賭けて、私は群れに飛びこんだ。実地調査は賛否両論にわかれたが、より不死者を知りたい欲求が恐怖を乗り越えた。いまでは各地から上がる試行錯誤の報告がまとめられて、一定のマニュアルができつつある。
 不死者研究の第一人者として、私は父とともに名を残すことができた。どこかで名誉会長になって立派な椅子でも暖めていてしかるべきだが、私を研究の最前線に身を置かせるのは、くめどもつきぬ情熱と探究心のせいである。そう胸を張れたら立派だろうが、実際の理由は恥ずかしいほど子どもっぽい。
 ホリデーと住む廃屋は、もともと私の家なのだ。

 書庫もポーチも、町の広場も道も、雲や太陽さえ私のものだった。なのにある日、前線とかいうよくわからないものが近づいてきて、私たちは楽園を追い出された。母は最後まで故郷に戻りたがっていたが、父はあっさり避難先に腰を落ち着けた。
 私のフィールドワーク先は母の熱意が通じた結果かもしれない。けれども現在、仕事をしているのは父の書庫だ。そこにはホリデーがいて、眺めている私がいる。母もポーカーチップも出ていけ、ここは父と私の家なのだ。
 父は他の研究者とはちがっていた。口にするのは果物だけで、そのせいか体臭はまるでしなかった。私は父の言いつけをよく守ったし、行く先々で「小さな代理」と扱われた。本当は行きたくないが、すねていると父はかならず叱った。ただ声を荒げたりはせず、ただ静かに咳払いをして「まちがっていますよ」と自制をうながす。これが叩かれるよりも効く。父のそばにそぐわない私は、泣きながらしたがわざるをえなかった。

 ブドウ園から帰ってくると、家はもぬけの殻だった。父のいない書庫は氷がより凝り固まって、私さえ撥ねつけるようだった。いや、書庫だけでない。あらゆる場所が反旗を翻していた。台所も居間も、小さな代理に背を向けていた。私は、父を捜さなければならない。父の威光で、もう一度ここを私のものにするのだ。階段を一段ずつ、記憶をたしかめながら上っていく。踏み板のきしり、横木の手触りは屈服した。かたくなな二階の、両親の部屋は空だった。私は扉を閉める。客が来たときの部屋にも誰もいない。私は扉を閉める。そして私の部屋を開けると、ベッドの上に父がいた。「お父さん」呼びかけても、白い背骨を向けたまま返事はない。父はポーカーチップと、夢中で頬の肉を啜りあっていた。娘ほど年のちがう相手を押しつぶし、逃れられないよう脇から強くしがみついている。唾液で溶けた肉が歯の間を通って、無数の蛭が身を寄せ合っているような音を立てた。行為は機械的で、一定のリズムで肉を吸い上げていく。そこに父の姿も、動物の交尾のような気高さも蒸発して、生物の欲求が剥き出しになっていた。背中の律動、音の抑揚が私を裸にしていった。窓から差しこむ月の光は、積み上がった脊椎のひとつひとつが数えられるほど強い。腕が伸ばして後ろ髪の生え際に掛かると、ようやく父は私に振り向いた。コッコッと咳払いをして、娘の不作法を難ずる。けれども私には聞こえない。その首もとに顔を埋め、初めてのキスをすると、気持ちよく歯が通った。前歯の裏側で肉をえぐりとってやると、父はらしくない悲鳴を上げてベッドから転げ落ちた。あとに残されたポーカーチップはすでに身構えて、不格好な威嚇をヒステリックに繰り返した。とても耳障りだ。私は無言のまま、することに決めた。静かにしていればよかったのに。相手との距離を詰めると、声を発するしか能のない首をつぶしてだまらせる。彼女が最後に見たのは、四つ足で飛びかかる大きな洞窟に並ぶ歯だったろうか。最後に聞いたのは、自分の左眼が顔ごと食いちぎられる音だったろうか。それでも死ぬのを許されない不死者は、初めて絞り出す狂乱の声で苦痛の意志を明らかにしたが、加害者はその意味を理解しなかった。だがほかに聞く者はあった。引きはがされた私は壁にたたきつけられた。父はポーカーチップを抱き起こして、出口へとうながした。その背中に並ぶ美しい脊椎。ずっと触れたかった突起。すぐさま立ち直って駆け寄ると、白い宝石はあっけなく私の手に落ちた。鹿のような両脇の角にそって指を這わせていくと、手の中で震える脊髄のささやきが聞こえるようだった。あのきれいな背骨に触れている! 私にこの幸運は大きすぎた。子猫を手に乗せた時に現れる、慎重に触れねばならない意識と、相反する衝動の軋轢。力を入れたのはほんのわずかだったのに、全身をつかさどる糸の束は、器たる連絡路を失った。その感触、その音に、子供時代の無責任なわがままが調子づいた。もっと触れたい。あとひとつだけ。もうひとつだけ。そうして動かなくなった父の背中は空になった。食い散らかされた雪色の切片が輝く中で、先端に残った第七頸骨の棘突起が皮をかぶっている。ひだがなまめかしい起立筋のクレバスに、私はそろえた指先を挿入していった。骨を愛撫して傷ついた手にそって、月光が父の中へ注がれていく。私は父を内側から抱きしめていた。収縮する風船も、奥にしまいこまれたホースも私のものだ。厚い腹筋の裏側から、五指が広がって歓喜を叫んだ。私は父とひとつだった。昨日の忘れ物を取り返した充足感にしびれていた。口元は笑みを作っていたが、声は出なかった。そうして夜が明けるまで、私は父を愛し続けた。そうしてまた夜になるまで、私は父を愛し続けたのである。


「……もともと不死なんですから、死んだ仲間を埋葬するわけがありません。歴史学者なら一目で、なんらかの理由でグループに加わっていた一般の人間だったと見抜くでしょう。問題とすべきは他にあります。『なぜ不死者たちは、遺体に石まで抱かせて、あれほど深く埋葬する必要があったのか』です。
 この歴史ミステリーを解く鍵は、やはり発掘された遺体にあります。現地でご覧になったとおり、彼女は標本のようにきれいに出土しました。つまり不死者たちは彼女を食べずに埋めたんです。それはなぜか。
 わかりませんよねえ、私もわからないです。だからこれは、想像の域を出ない話ですけど……。
 キスやハグと同じで、不死者は食べあうことで愛を示します。人が不死者になるのは、このケース以外にありえません。要するに、不死者の仲間入りをするには、不死者に噛まれたあとで、人が不死者を噛み返す必要がある。体の一部を交換し合わないと、愛は成立しません。
 じゃあなぜ彼女は、その洗礼を受けられなかったのか。食べることが愛ならば、食べられないことは愛されないことを意味します。だから、彼女は仲間のひとりとしての復活を許されなかったんじゃないかと。埋葬された深さ、抱かされた石は、万が一よみがえっても地上に出てこられないようほどこされた、呪術のひとつではないでしょうか。
 けれどもこの場合、不死者にそこまでさせる罪とはなんだったのか、新たな疑問が生じます。ただ、このようなケースが唯一無二とは思えません。このような墓がほかの地でも発見され、それを重ね合わせていければ、新たな事実がわかるかもしれません」
(了)

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