第7話「猫耳少女~孤高なる戦い」
森の一角に広がる湿地帯。
差し込む日差しも僅かな為、昼間だというのにまるで日没間近のように薄暗い。
清く澄み渡る水面に猫耳少女のシルエットと、巨人像のシルエットが揺らめく。
真っ白なショートカットの髪に特徴的な猫耳、小柄で華奢な体躯には尻尾を携えている。
幼い容姿に金色の瞳の少女の名はスぺラ・エンサ。
僅かなふくらみを申し訳程度に薄絹で隠し、短パン姿という布面積が全体的に少なねな恰好にも関わらず日焼け後も見られず全身色白と言っても過言ではない珠の肌をしている。
「危なかったにゃ……。でも、中身を捨てれば本末転倒。思ったよりも重くてくたくたにゃー」
間一髪、長い苔に覆われた腕がわき腹を掠めていく。
体中に生い茂る苔が肌に高速で触れる感触は、不快であり痛みも同時に与える。
麻袋がパンパンになるまで薬草を詰め込んだ為、自由に動き回ることも出来ず巨大な歩く苔の塊に追われる羽目になってしまった。
(早く戻らないと、ミャマが死んでしまうにゃ)
薬草はこの森で採取することができる一級品の為効果は覿面。それでも、持ち帰れればの話であって、領主が這入ることを禁じている為、助けも期待できない。
むしろ領主に見つかれば、処罰されても文句は言えない。
誰にも見つからず村まで戻るためには、大木のような足の機能を奪いその隙に逃亡する他にない。
単純な速さならゴレームなど相手にもならないほどの瞬足を備えているものの、体格差が絶望的なまでにあり逃亡することも至難の業である。
5mを軽く超える巨体はスぺラの4倍近くもリーチがあり、易々と退路を塞いでくる。
例えばカバは人に比べれば体が大きく足も速い。
4m程もあるにも関わらず陸上で時速40km以上で走るというから驚きだ。
しかし、これは動きそのものの機敏さではないという事。
時速40kmで走る、人間がカバと同じサイズになれば単純にその数値は数倍に跳ね上がると言われている。
同等の体格では、元々の俊敏さが活きてくるがそれはこの場では無意味な希望的観測に他ならない。
常に相手と対等な状態で戦えるわけではないのだから。
もちろん体が体裁事もアドバンテージになりうる。
的が小さい程、攻撃を受ける可能性は少なくなる。
元々動きが早くないゴーレムではサイズが大きくなったからと言って機敏さは左程変わるものではないという事がせめてもの救いになっている。
それでも、目的地への到達時間は大幅に短縮される巨体は驚異。
油断して一撃でも受けてしまえば、少女の体なぞ耐えうるすべもない。
「こんなのがいるにゃんて聞いてないにゃ!!」
尻尾を逆立てて精一杯虚勢を張るが、巨人は意にも介さない。
大ぶりの拳が絶え間なく視界を行き来するたびに、体力が奪われていく。
「やめるにゃっ! お前と喧嘩なんかしたくないにゃーー!!」
言葉は通じているのかいないのか、知性があるのかさえもわからぬ相手に叫び続けたがやはり返事は拳のみ。
徐々に躱す為の動作も鈍くなりつつある。
ここで思い切って麻袋を遠くに放り投げた。
この場をどうにか凌ぎきったら、後からでも取りに来ればいい。
むしろ、荷物を抱えていて助かる道理などない。
重しを手放したことにより、ぬかるんだ地面に足場を取られなくなったことで動きにキレが増す。
「いつまでもやられっぱなしにゃんて思ってたら痛い目をみるにゃっ!!」
拳が降り抜けた瞬間、鋭い爪を瞬時に伸ばし勢いよくしゃがみ込むように巨椀を切り裂く。
バターを切るように、右腕がぼとりと地面へ落ちる。
「ざまーみろにゃ。所詮粘土細工に苔生やしただけにゃ。みゃーの敵じゃないにゃ」
地面に両膝を付ける巨人を一瞥すると踵を返し、長居せずにその場を離れようとした瞬間。
地面を叩くような音が静かな森に響き渡る。
「い、痛いにゃ……。あ、あ……」
切り落としたはずの右腕が突如スぺラを鷲掴みにしたのだ。
横目に見る巨人は相変わらず動く様子はない。
しかし、妙なことに無くなった肘から先を地面へと翳している様子が見受けられる。
そして、自分をつかむ腕は足元の地面から生えているのが確認できた。
そう、本体は一歩も歩くことはなく地面を経由することで腕を操っている。
こうなってしまえば力任せに脱出は不可能。
強力な力で握りつぶさんとする巨人に抗うすべもなく、徐々に全身の骨が軋むような感覚が襲う。
自慢の爪も身動き一つ許されない状況下では役には立たない。
意識が無くなれば全てが終わってしまう。
そうなる前に、最後の足掻きに打って出る。
「天駆ける……稲妻よ。愚鈍で辛辣なるみゃーに雷帝の……加護を……。『ボルティア』」
天空より轟音と共に電撃の柱がスペラを貫く。凄まじい衝撃が巨人の腕を粉みじんに猫耳少女諸共吹き飛ばす。
地面には全身に青白い雷光を纏い薄蒼に煌く髪をしたスペラがいた。
体内の魔力をすべて使い切り、身体能力を極限まで高め尚且つ治癒力を限界まで高める雷の魔法『ボルティア』を発動させたことにより窮地は脱した。
副産物として周囲が湿地帯という事もあり、凄まじい電流が当り一帯に流れた。
魔力を帯びた雷はバチバチと地表に滞留している。
しかし、相手が悪い。拘束していた腕は落雷の衝撃で吹き飛ばしたに過ぎず、本来の性質は全く生かし切れていない。
極め付けに、魔力も少なく魔法は未熟な為に持続時間は5秒と短く巻き返すこともままならない。
これが能力を使って脱出を試みることができなかった理由の一つだ。
数十倍に上がった思考速度と身体能力があったとしても、刹那ともいえる時の中では無に等しい。
にもかかわらず、ジョーカーを切ってしまった。
いや、追い込まれた挙句に切らされたといった具合だ。
腕は完全に消し飛ばしたとはいえ、もう巨人から目を逸らすようなことは出来ない。
巨人は再び立ち上がり失ったはずの腕を地面の土を使い再生させる。
何事もなかったように徐々に距離を詰めてくる。
「腕がまた生えてきたにゃ……。もういい加減見逃してほしものにゃ」
数十倍に加速した思考速度の中であらゆる手段を考えては泡沫に消えてゆく。
雷を帯びた地表を滑るように移動することで10m後方へ瞬時にたどり着く。
それはぎりぎり帯電されている範囲であり、樹木が生い茂る湿地帯の境界線を意味する。
湿地帯を抜ければ安定した足場が得られるのは巨人も同じ。
そして帯電範囲であれば、地面に足をつかずに移動することができる。
それも時間の問題、後5分もしないうちに完全に空気中に霧散してしまう。
「にゃっ!! ミスったにゃーーーーーーーーーーー!!」
重大な問題に気が付いてしまった。
帯電範囲の移動に必要な条件は術者自身が雷を帯びていなければならないこと。
既にボルティアの効果は消え、治癒の期待できず万事休す。
目の前には再生されたばかりの苔を纏っていない、真新しい腕が迫りくる。
先程味わった激痛を思いだし、思わず両目を閉じてしまう。
「ったく……。やれやれだぜ。師匠がこの森のモンスターは魔法を使わないっていうから来てみればこれだもんな」
そこには、無残にも再生したばかりの腕を地面へと切り落とした青年の後姿があった。
「もう大丈夫だ。後は俺に任せろ」
青年は振り向くと笑顔でそう言った。
立ちすくんでいたスペラは思わずうれし涙を流した。
青年には幸か不幸か見てしまう。
目の前でぼろぼろと崩れ落ちて、一糸纏わぬあられのない姿をさらす幼子の姿を。
落雷を受けて、スペラの服は全て焼けてしまい炭となってしまっていたのだ。
俺の背中には全裸の猫耳幼女が立ちすくんでいた。
事の成り行きは俺たちが烏賊モドキを切り伏せた直後に落雷を落ちるのを目撃したからだ。
磁場の影響が薄くなったのも恐らく、これが影響していたのではないかと今なら思える。
カイルがこの森で魔法を扱えるモンスターはいないと言ったことで急遽、落雷地点へ向かうことになったのだ。
「とりあえずこれを羽織って、下がっていてくれ!」
身に着けていたコートを猫耳少女を後ろに下がらせようとしたが、安心で腰が抜けてしまったのか膝から地について動けないでいる。
「足に力が入らなくて……。う、動けないにゃー」
相当過酷を強いられていたのだろう。全身生傷だらけになっていて何とも痛々しい。
「すまない、ユイナ!! この娘を抱えて安全なところまで下がってくれないか!? 俺はこいつの相手をする」
後方にいるユイナを呼び、抱えて下がらせる。
よほど軽いのか、疲れる様子もなくあっという間に巨人のリーチの外へ駆け出して行った。
「なるほど、それで右手だけ苔まみれじゃなかったってこと。なら、再生できなくなるまで粉みじんにしてやるよ!!」
切り落とした右腕が地面から生えてくるように巨人に伸び、結合し元の状態に戻るのを見届けることもなく、再び切れ伏し左腕、頭、右足、左足と捌いていく。
失った全ての部位は頭でさえも《《新しく》》再生して何事もなかったように人の形を成していく。
『モスギガス レベル40』 備考:特定条件下における超再生
条件というのは大雑把に、土があれば十分だととらえられる。
それは、纏っている苔までは再生していないからだ。
苔は年月をかけて生したものであり、右腕以外は全身苔で覆われていた。
それは、モスギガスがこの森では強者の部類に入ることを意味している。
俺が森に足を踏み入れてからも、あらゆるモンスターと戦い少しずつ経験を積んできた。
こいつは無限に再生を繰り返し、自然に長期戦の流れを構築していく。
少しでも早く有利な状況にもっていかなければ消耗して後がない。
振り上げられる大ぶりのフルスイングを、カウンターのように遠心力をそのまま利用し刀でそぎ落としていく。
そぎ落としたそばから、巨人は足から土を吸収し腕の修復を行う。
気が付けば、1時間以上も攻防戦を繰り返している。
昇り切った太陽は徐々に傾きだしている頃だろう、樹木に覆われている為確認はできないがより一層薄暗さを増しつつある。
ユイナの体力は十分回復した頃だろう。精霊術を使ってとどめを刺す。
「ユイナ!! 精霊術で一気に仕留める」
「了解!! すぐ、マナを集めて送るから待ってて!!」
ユイナは大気のマナを送り届けてくれる。やはり数をこなすうちにその技術も、効果も格段に上がっている。
見る見るうちにガルファールの刀身は暴風に包まれていく。
吹き荒れる嵐を手中に収めつつも逃がさぬように、限界を超えていく。
ずきずきとした痛みが、刀身を激しく打ち付ける疾風により絶え間なく与える。
「にゃんだか凄いにゃ!! まるで精霊様みたいだにゃ! もしかして精霊様にゃのか?」
大気のマナを集めるユイナに興味津々に、見つめていたが我慢できなくなってしがみつく始末。
猫であれば、動くものに興味が惹かれていく性質がある。
それも目の前でもやもやと漂うマナは神秘的で、周囲が自然豊かな森という事もあって幻想的に差し込む木漏れ日に映える。
「私の名前はユイナ・フィールドっていうの。ユイナって呼んでね。私はハーフエルフでエルフの血と魔族の血が半分ずつ流れてるから。だから、半分精霊に近いって事かな。正直私も精霊が何なのかはよく知らないけどね」
困ったような表情をしつつ流れを止めないように、集中するハーフエルフの少女。
「半分精霊様にゃ。半分えらいにゃ!! みゃーはスぺラ・エンサていうにゃ。契約してほしいにゃ」
「私は精霊じゃないから、無理かなぁ」
「あっちの勇者様と契約してからかにゃ!? 後で勇者様にお願いしてみるにゃ。だから頼むのにゃー」
猫耳少女はユイナが気に入ったのかしがみついている。
打ち解けるのはいいことなんだが、ユイナの邪魔はしないでくれよ。
送られてくる風が大きく乱れている。恐らく精神的に揺さぶられているのだろう。
「消えてなくなれよ! 烈風瞬刃波!!」
上段から振り下ろされた暴風による一太刀が、直線上の樹木をも巻き込み巨人を粉砕していく。
しかし、巨人は再生と破砕を繰り返し暴風の嵐が過ぎ去れば元の状態へと急速に再生し何事もなかったかのように佇んでいた。
直線距離50m程は根こそぎ樹木をなぎ倒し、荒れた土地へと姿を変えたのにもかかわらずモスギガスは最早無傷と言っても過言ではない。
それは完全修復による身体であったとしても、結果だけを見れば体力を消耗した分の対価を支払っただけで、何一つ得られるものがなかったのだから支払損と言うほかない。
「物理攻撃は効かない。精霊術を使っての攻撃も効果はいま一つ。寧ろ風の属性が通用する相手ではなかったって事か……。そう言えば雷を受けたんだったよな」
後方の猫耳少女たちは相も変わらず、キャーキャー言っている。
(にゃーにゃー言ってるのか? なんかエロイな)
脳裏に悪寒が走るがそれどころではない。
追いつめられているのはこちらなのだから。
こういう巨人の類はコアを破壊すれば忽ち瓦解すると思っていたが、一度内部まで粉々になった巨人にはコアになるようなものは一切見受けられなかったのだ。
再び、長い足で距離を詰めてくる巨人。
ぬかるんだ地面に足を取られつつもその、巨体の前では些細なこと。
人間サイズでいうところの足首まで泥沼に使っている感覚。
小学生の田植え経験があった為イメージしやすいのだが、身長の低い子供と背の高い大人ではまるで違う。もちろん、経験豊富な子供だと体で覚えている為上手にこなし、田植え職人などともてはやされたり……しなかったなぁ。
兎にも角にも、動きに制限がかかるのは主にこちら側の陣営。
巨人には思わぬハプニングは期待できない。実際に地面に伏した際には、地面に落ちたパーツさえ回収可能であった。
移動もままならないというのに、見る見るうちに距離を詰めてくる巨体。
視界には巨大な右腕を振りかざす、でくの坊。
次第に奪われていく体力。
迫りくる巨人の右腕がフルスイングで間近に迫る。
「しまった!! うっぐぉ……」
ぬかるんだ地面に足を取られ、刀の軌道がわずかにそれたことにより本来そぎ取るはずの腕にまとも切っ先が入ってしまう。
力が刀身に伝わらなかった為に刃は、腕の中心部でひっかる形で固定される。
フルスイングで放たれた拳は勢いを殺すことなく振りぬかれる。
俺は刀を離さなかった為に、地面へ叩き付けられることになった。
地面はぬかるんでいる為衝撃は多少吸収されるが、全身を叩きつけれる衝撃は凄まじい。
精霊術を刀身に収束させ、すぐに拘束から脱出する。
足両足に風を纏い5m程後方へ跳躍し距離をとる。
巨人が更なる追撃に一歩踏み出すと同時。
「時間切れだ。交代だ……。今から起こることを括目せよ」
目の前にはモスギガスなどちっぽけに見えてしまうほどの巨大な威圧感を放つ白銀の騎士の姿があった。
その出現は全く目で追うことができなかった。
ユイナたちのいた方向に遅れて轟音が響き渡ったことで瞬間移動をしたかのように跳躍してきたのだと理解した。
「これが、本当の物理攻撃というものだ」
目の前で突然姿を消したカイルがモスギガスの目前に出現する。
拳を振りかぶる動作のまま動かなくなる巨人。
砂漠の砂が舞うかのように巨人の質量の粉塵が、消えてなくなる光景が広がる。
「音速を超えた衝撃を、ぶつければいい。モスギガスにも魂はあるのだ。完全分解してしまえば魂を定着させておくことができずに消えてなくなる。上位種になれば話は変わってくるがあれはその類ではなかったという事だ」
理屈から理解ができず、見ていろと言われたが次元が違い過ぎて得られるものがなかったように思う。
師匠は教えるのが上手いのか下手なのか今一よくわからない。
それに音速で移動できるなんて、聞いてないんですけど。
何はともあれ、巨人を撃退し、猫耳少女を救うことに成功した。
そう言えば名前を聞いていなかった。
「今度こそ、もう大丈夫」
猫耳少女に歩み寄る。
「助けてくれてありがとうにゃ。みゃーはスぺラ・エンサっていうにゃ、歳は14歳にゃ。よろしくにゃ」
スペラは満面の笑顔で応えてくれたのだが。
「俺は天間天人だ。ユイナはもう知ってるな……。こっちが……」
言いかけて絶叫にさえぎられる。
「りょ、領主様にゃーーーーーーーーーーーーーーーーー」
スペラが急に立ち上がったことで俺の貸したコートはその場に取り残され、ユイナの強烈な拳が俺の意識を刈り取っていく中カイルは静かに呟いた。
「全く、やれやれだ」
(それは俺の台詞なんだけど……)
俺は生きてるよな。
「しっかりしろ、寝ている時間はないぞ」
俺はガシャガシャと鎧を鳴らしながら、カイルに揺られていた。
巨人の一撃よりも強力なのではないかと思いつつ、意識を覚醒させていく。
「にゃにゃにゃ」
びくびくおどおどしているスペラ。
カイルを見た途端に怯え出し、ふと森にちょっかい出す輩の存在を思いだす。
「村の娘がなぜこのようなところにいる。近隣の村には立ち入りを禁止する旨を伝えていたはずだが?」
「ニャマが病気で死にそうになってるにゃ! それで、薬を買う金もにゃいから森に薬草を取りに来たにゃ」
「そのようなもの、持っていないように見えるが」
「にゃっ!! 薬草を詰めた袋……捨ててしまったにゃ!! 探さなきゃいけにゃいにゃ!!」
麻袋を探しに行こうとする、スペラの腕をつかむカイル。
「おっと、どこへ行く。聞かなければならないことがある以上このまま逃がすわけにはいかん。おとなしく来い」
猫耳少女を肩に担ぐとそのまま森を抜けるために歩み始める。
辺りを見渡すがそれらしいものは見当たらない。
だからと言って、この猫耳少女が嘘を言っているとも思えなかった。
なぜかと言えば、何一つ身に着けていないのはこの目で確認したからだ。
薬草の入れていた袋があったとしても、燃えてなくなったという事も考えられる。
それに命を懸けてまで森に入る理由がこの幼い少女にあったというならば、それなりの事情だと思った。
「勝手に入って悪かったにゃ!! 謝るにゃ。だから、お願いにゃ離してほしいにゃ。ニャマが……」
急に静かになった少女に視線をやると、寝息を立てている。
相当疲れていたのか、深い眠りに入ったスペラはガシャガシャと音を立てる鎧に担がれていても目を覚ます様子はない。
「魔力を全部使ってしまったみたいで、意識を保っていられるのが不思議な状態だったの。魔力は底をついた状態でいることは、わかりやすく言うと強烈な眠気に襲われている状態かな。眠れば魔力も回復するから、本能的にそういう風にできてるんだと思う。私も同じ状態になったことがあるからわかるんだけどね」
ユイナは照れ臭そうにスペラの状態を説明してくれた。
「見つけたときは全身ぼろぼろだったしな。俺たちがたどり着く前に意識が無くなっていたら不味かったってことか。さっき少し話しただけなのに死なせなくてよかったって心の底から思うぜ」
「私も同じかな。素直でいい子みたいだし、本当に良かったよ」
「それにしても、ここまで来た理由が気になるな。ニャマが死ぬとかどうしたとか言ってたが、誰かの命がかかっているならこのまま寝かせておくのもまずい気がするが……」
「でも、ここまでぐっすり眠っているのを起こすのも大変かな。本当なら、意識を保つに必要最低限の魔力は残しておかなといけないんだけどね。そうも言ってられないほど追いつめられていた、と思うとかわいそうかな」
相変わらず、モンスターは待ってくれないようで、歩いているそばから様々な獣から土くれまで飛び掛かってくる。
しかし、この辺りで出会うモンスターの類は小物ばかりで軽くケチらせることができる。
自分の力量が急激に上がったことも要因の一つだがどうやら森の出口に近づいてきたようだ。
モスギガスのいた湿地帯からはかれこれ一時間以上歩いてようやく、陽光の良く差し込むところまできた。
この森の特徴としては中心部に近づけば近づくほど森は鬱蒼とし、入り組み樹海が広がっている。
樹木の間隔も外に向かうに従い広くなり、足場も次第に安定していく。
「理由はどうあれ、ここにいた理由を聞きださなければならん。場合によっては処罰せねばならんことを覚えておけ。時と場合によっては甘さは禍根を残す。敵の密偵ならば生かしておけばこちらの内情を他国に筒抜けになることになる。心しておけ」
カイルの考えは最もで、反論の余地などなかった。
確かに、今しがた出会ったばかりの赤の他人と言えばそれまでだ。
それでも、一言二言と言葉を交わせば最早他人という気はしてこなかった。
ユイナにしがみつき、俺のことを勇者様と呼んだ猫耳の少女。
できる事なら、もとの居場所に帰してあげたい。
「俺は……この子が敵の密偵なんて思えない。わざわざ、こんな危険な森の中を一人で探りに来るなんて考えられない」
「私も、アマトの言う通りだと思います。スペラからは邪心は感じられなかったもの。純粋で穢れのない心の持ち主だと思います」
俺の理の通らない意見に助け舟を出すようにユイナは肩をもってくれた。
「可能性の問題だ。ユイナが言うようにこの子供は嘘はついていない。しかし、嘘と真実は必ずしも相反する関係ではない。素直故に、行った行動が必ずしも正しいとは限らんのだ。現に禁じている森へ立ち入っている。正義の前ではすべてが許される道理もまた等しくないという事を知るべきだ」
口では厳しいことを言っているがその場で、処刑することだってできたし、引きずって連れていくことだってできたはずだが、ある程度気遣っている様子が見られる。
おそらく、俺たちがこれから先も似たような状況に合うことを見越してこのような物言いをしているのだ。自分の預かり知らぬところで、死なれても目覚めが悪いと思うし、なんだかんだでいろいろ気を配ってくれている。
「俺の考えるようなことなんて師匠ならお見通しでしたね」
「考えを改める必要はない。選択肢は一つではないという事だけ覚えておけばいい」
「私も何か正しいかなんてわからないけど、取り返しのつかなくなることは避けたいかな」
ユイナは俺とカイルの話を聞いたうえで良く吟味し、難しい顔をして言う。
「それが難しいんだけどね……」
俺はこの短い時間の中で、数えきれないほど選択をしてきた。
落雷にしても、無視することもできたし急がずペースを乱さず、様子を確認する程度に留めておくこともできた。
振り返れば気が付かないうちにありとあらゆるものを切り伏せてきたに違いない。
思いにふけっていると森の終わりが見えてくる。
日が沈む一歩手前。
真っ赤に燃える地平線が山の向う側に広がっているのだろう。
ようやく、俺たちは森を向けた。
通ってきた森の名前をこの時、知っていれば選べた選択肢は悲惨なものではなかったのかもしれない。
そのことに気が付くことなど永遠にありはしないのだけれど。