第6話「精霊術~華麗なる乱舞」
樹木の間を縫うように体長2m前後、大きいもので4m程であろうか巨大な枝分かれした角にまだら模様の体躯の鹿が樹木の隙間からはっきりと見えた。
個体数が63体という事から、レベルは様々だが上位個体がうまく統率しているのだろう。
乱れぬ足並みからも練度が垣間見れる。
距離は見る見るうちに詰められていく。
何もなければ時速80kmで走るほど鹿は足が速い。
まして、ここは異世界である以上それ以上のパフォーマンスは持ち合わせているはず。
『セルバエラフィ レベル11~43』 備考:速度 最速150km
(ん!? 備考なんて今までなかったぞ……)
恐らく、スキルは使い込むことで進化していき上位スキルのなるのではないだろうか。
判断材料がないので確認のしようもない。
やはり、『モンスター情報表示』は依然そのまま何も変化がない。
要、検証と言ったところだな。
おっと、今はそれどころではない。
いずれ何らかの変化があるだろう、その時になってからでも遅くはない。
それよりも、打ち合わせ通り確実に自分の役割をこなしていかなくてはいかない。
ユイナは一度拡散した大気の流れを再び、身に纏い無数の旋風が幾重にも発生し成長していく。
そして、複数の竜巻へと姿を変えたとき攻撃に打って出る。
「竜巻乱舞!!」
一つの竜巻で4~5体を巻き込んで上空へ巻き上げていく。
まだ、慣れていないせいか竜巻の大きさもせいぜい半径5m程しかなく群れをまとめて分散させるには至らない。
それを独自のステップと、状況判断により即時空気の流れを生み出す。
その都度竜巻を作りだし、セルバエラフィが地面に到達する前に舞い上げる。
一度でも地面に到達すれば、追尾は容易ではない。
俺が最後の一頭を屠るまで続けなければならない。
回転するようにステップをし、360度すべての敵を目と大気の流れで追わなければならず、全討伐は火急を要する。
唯一救いなのが『完全空間把握』のスキル効果によって、樹木の死角になるところでさえ全て完全に把握しているという事である。
スキル範囲はそれをほど広くはなくとも能力の効果があるからこそ単発の攻撃で的確に狙うことができている。
それでも、足元がおぼつかなくなっているのは体力と精神力の消耗が限界に近いからだ。
「よし、これで11体目!! 残り52体。急がないと不味いな」
単体では、臆病で逃げ惑う癖に、2体では反撃するようになり、3体で狂暴な獣へと姿を変える。
その戦闘力は、一気に跳ね上がる為3体を相手にするならば一度距離を置き一度分散させてから一体ずつ相手をした方が圧倒的に効率が良く、2体なら少々の怪我は覚悟で一体を確実に倒した方が幾分か早い。
どれだけ緊迫した状況だとしても、常に冷静に周囲を分析し最適解を導かなければいけない。
本来であれば、この群れ以外にも注意を向けなければいけないが今回に限っては後方の守りは保障されている。
「一体離脱を試みた愚か者がいたので、始末した。残りは51だ」
カイルは無造作に腕を振り下ろすと、遠目に見えたモンスターは爆砕する。
直接触れずにエネルギーを送り込んで爆砕したように見える。衝撃波が貫通した樹木には損傷が見られなかったためだ。
「すいません!!」
しくじった。相手の逃亡は新たな増援を呼ぶことになりかねない。
目的はあくまでも修行の為であって、課せられるハードルが高ければ高い程効果は絶大。
生き残ることでも、追い払うことでもない。
カイルはこの有象無象のモンスターなど一瞬にして消し去れる。
その力が行使されるという事はペナルティが課せられたのと同義。
「周囲にもっと注意を向けろ。場合によっては手傷を与えて動きを封じてから次の標的を確認するようにすればいい。殲滅する時間が同じならばその過程などにこだわる必要はない。常に最善であればおのずと結果につながる」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
かれこれ20分近く連続で精霊術を使うことによってユイナは疲れが限界に近付いている。
残りは後32体と全体の半分程倒したが、このペースではもう体力の方が持たないだろう。
(考えるんだ。同じことをしていたら何も変わらない)
強引だけど、これしかない。
カイルは確かに言った『精霊と契約すれば精霊術が使える』と。
そして、エルフは妖精の一種だと。現実ハーフエルフのユイナは他の精霊と契約せずに精霊術を使っている。
俺はユイナとパーティーという契約をしている。ならばマナをユイナから経由して集めれば理屈では俺も精霊術が使えることになる。
もちろん、それはユイナの負担が増すことになるがこのままジリ貧になれば不利なのは数で劣るこちらだ。
後は消耗しきっているユイナが提案を受け入れてくれるかどうか。
「ユイナ!! 悪いが大気のマナを俺に送ってくれないか。もちろんこれ以上負担をかければ辛くなるのはわかってる。俺に力を貸してくれ!!」
「はぁ、はぁ、はい……。や……る」
声を出すのも辛そうで、返事は短く肯定して見せただけだった。
しかし、ステップからの竜巻の連続追撃の合間に、風の流れを俺の方へ徐々に送る経路を確立する。
微々たる一本の流れが糸を紡ぐように確実に想いを届けてくれる。
「必ず決めて見せる。すまないがもう少し頑張ってくれ……」
俺はこの流れを断ち切ってしまう前にガルファールへと、意識の回路を結ぶ。
ガルファールは俺の此れからしようとすることを全て、理解しているかのように具現化していく。
高速回転する疾風が刃を煌かせる。
「全ては一瞬! 旋風瞬刃波!!」
旋風を鋭い刃に乗せ横一文字に放つ。所詮は水平の射程範囲10mとはいえ、6体をまとめて上下真っ二つに切り裂き、範囲に入った樹木も巻き込んで切り裂いた。
倒れる樹木に巻き込まれる形で3体も余剰で下敷きにしたのは思わぬ誤算であった。
この時点で残りは23体と半分を割った。
俺は3m程ユイナから離れるように移動したにも関わらず相変わらずエアーラインは繋がっている。
絶えず供給されるマナ。
「もう限界……」
両膝をつきつつも、エアラインは切断せずにいるが、複数に打ち上げていた竜巻による攻撃は止まる。
全ては俺の最後の一撃にかかっている。
失敗すれば後がない。無防備になったユイナも危険にさらされる。
今あるすべての風を集めて、刀へ定着。それでいて供給は常に持続しぎりぎりまで溜める。
これが最後のチャンス。最初の一体が地面に到達直前に放つ。
「これで、最後だ!! 烈風瞬刃波!!」
最早回転することもない強烈な風の刃そのものが押しつぶすように、落下するすべてのセルバエラフィを叩き斬っていく。
一際大きい個体が地面に落下する。分厚い表皮により致命傷にはならなかったようで、まだ息がある。
「お前で、最後だ!! チェックメイトだ……」
全体重を乗せた『烈風・月極燕落とし』を放つ。
左右に両断し、役目を終えたように纏っていた風が霧散していく。
「ユイナ、立てる?」
膝をついて肩で息をする少女へ手をそっと伸ばす。
「大丈夫……。じゃないかも」
手を取って立ち上がろうとしたが、ぐらっと倒れそうになるユイナを抱きかかえるように受け止めた。
お互い疲弊しきっていることもあって、危うく引き倒されそうになったが精一杯踏みとどまった。
流石にこのまま倒れたら情けないという思いが脳裏をよぎったからだ。
「助かった。あそこで力を分けてくれなかったら俺の方が先に倒れてたかもしれない」
「やっぱり、アマトは凄いよ。私が思いもしないことを思いつくし、状況に合わせて的確に判断して実行するなんてなかなかできる事じゃないよ」
「俺一人じゃ何もできないさ。結局、最後まで他人任せにしたんだ。偶然が重なってうまくいったと思ってる」
「それでいいと思う。いえ、私は頼られて嬉しかったよ。誰にも頼ってもらえないなんて悲しいじゃない。頼ることも頼られることもないってことは互いに必要としてないって事じゃないかなぁ……。もう一度言うね。嬉しかったんだ。ありがとうアマト」
「こちらこそ、ありがとう。これからも頼りにさせてもらう。もちろん俺は頼られるくらい強くなる」
「一緒に強くなっていけばいいんだよ」
「そうだな」
少し、ユイナとの距離が近くなったような気がした。
何も戦闘を有利に進めるのは個人の力量だけではない。
絆が強ければ、思わぬ形で他を圧倒することができるやもしれない。
こうして、修練は始まる。
屠ったセルバエラフィは最も巨大な一体の角を採取したのを除けば他の、死骸は放置することにした。
「案ずるな。この森には肉食の獣が五万といる。そのまま放置しておいても死獣の類には成らぬ。しかし、時と場合によっては死獣として復活することがあるのは事実だ。条件はさほど容易くはないがな。それよりも先に向かうぞ。想定していたより時間を要した、このままだと日没までに森を抜けられなくなる」
再び、草木をなぎ倒しながら足場を作っていく白銀の鎧騎士の後を追う。
はぐれセルバエラフィが時たま、行く手を阻むが軽くいなしていく。
モンスターとて、生きているかと思えば、思うところもある。
そんなことをカイルに問うと、草木をむやみに食い荒らす為数を減らさなけば再生が追い付かず不毛の地になる場所ができてしまう。駆除をするのが同族か異種族かの違いだと教えてくれた。
俺が住んでいた日本でさえも鹿などの獣が人里へ降りてきて田畑を荒らしたり、農作物を壊滅させたという話も少なくない。
例外なく駆除されていたのも知っている。
そう、自分たちはテレビに映る映像でしか知らないだけで、誰かが代わりに駆除を行い人の生活を守ってきたのだ。
単純に命を奪うことがいけないなどと言っていた自分は愚かだった。
汚れ仕事はしたくない。罪悪感を感じたくないという思いが少なくとも捨てきれていなかった。
これから先、恐らく複数の仲間の命を預かることになるだろう。
危険に立たされた時に、偽善で生かした命に仲間が殺される状況でも同じことを思うのだろうか。
「不安か?」
カイルは声のトーンを下げて言う。
もともと、フルフェイスの為くぐもって聞こえるが、さらに声が低く聞こえる。
「そう見えますか?」
精一杯平静を装って応える。
「抱え込むな……。お前はモンスターとの命のやり取りそのものが初めてなのだろ!? 見ていればわかる。それでも、あらゆることを瞬時に吸収する才能に恵まれている。それが神の恩恵だろうと、生まれながらに持ち合わせたものだろうと、はたまた後天的に拾った力だろうと使いこなせればみな同じだ。自信を持て。力を持つものは責任が伴うのだ、今後それを果たす時が必ず来る」
「ノブレスオブリージュ……。それをまさか俺が口にすることになるなんてな」
フランス語にそんな言葉がある。俺には権力も財力も、はたまた一学生だった為社会的地位も些細なものだった。
それが異世界に召喚された為に、生涯付きまとうことになるなんて思いもしなかった。
これだから人生は面白い。
「私も割り切れていないけど、アマトよりも16年も早くこの世界で生活してるとね。慣れちゃうんだよ。はじめのころはモンスターは怖かったし、私にはどうにもできない存在にだったけど。次第に魔法が使えるようになればむしろ、自分自身の成長の為に、モンスターを糧にしている私がいたの」
ユイナは年月をかければ次第に考えや性質が、変わることだってあるという事を言っているんだ。
それも一度すべてをリセットした状態からであれば順応することも容易いのだろう。
「みんなには心配させてばかりだな……」
「仲間だからね」
「よし!! 切り替えていこう!!」
俺は気合を入れ直し、しっかりとした足取りで歩み始めた。
あまり休んでいる余裕はなく、一呼吸おいてすぐ隊列を組みなおし再び前進を開始した。
ユイナも先程の戦闘で体力は著しく消耗しているが、歩きつつ息を整えてもらうしかない。
なぜ、休憩をとることができないかと問われれば、俺でも理解できる。
置き去りにされた血肉に群がる、上位の肉食獣が遠吠えを周囲に響き渡らせているからだ。
先程から、幾度も斬った鹿とは性質が異なる。
食物連鎖の上位に立つ位置に君臨するモンスター程、総じて強力かつ狂暴。
人間が上位に位置する昨今においては、武器を巧みに操れば武器を持たぬ野生のライオンと渡り合うことができる。故に最上位である。
しかし、この世界においては必ずしも武器の有無では図ることなどできはしない。
先刻において精霊術を纏った一撃を耐え抜き、強靭な表皮を手に入れた個体が、一種族に例外として出現することを踏まえて戦略を立てなければ、思わぬ痛手を受けることになりかねない。
「水の流れる音が聞こえる……」
ユイナは懇願するかのように零す。
わかっている。俺だって疲れたし、少しくらい休んだところでそれほど変わらないだろう。
「あの大木の向うに清流が流れる川があるが……。すぐにどうこうなることもなかろう。少し、水分の補給に立ち寄ろう」
カイルの指のさす方向には幅30m程程の大木が3本交互に立っている。
迂回しなければならない程ではないが、行く手を阻むには十分だ。
その高さは100mを優に超えていて高層ビルのように空へ伸び生い茂る枝葉が遮光カーテンのように太陽光を遮断し、鬱蒼としている。
「俺も休めるのは助かるな。こんな巨大な大木なんて見せられれば流石にな。それに少し足にもきてるし、足元も凸凹で思っていた以上に良くないときた、平地とは大違いだな」
草原地帯を歩いて来た時はばててしまうほど疲れたりはしなかった。
『痛覚耐性』が内側来る痛みも和らげる為、単純に疲労感のみが全身に重くのしかかる。
右回りに大木を回り込むように進んでいくと、水が轟音を立ててて流れ落ちる音が響き渡る。
森の切れ目を抜けると湖畔に出た。
透明に澄んだ水辺は周囲を完全に樹木に囲まれている。
即ちここがまだ、森の中であることを意味する。
音の正体は西の方角に見える幅100m程の大木だ。
中央には大穴が広がり盛大に水を吸い込んでいき、恐らく向う側では滝となって噴出しているのだろう。
湖を塞ぐように根を張る樹木の中央に穴が開いたことにより、あちら側では新しい川ができていてもおかしくはない。
「ここの水はそのまま飲んでも問題はない。常に湧き出す水が浄化された清潔な水であることは確認済みだ。森で吸収された雨は浄化され地下に埋蔵されていく。間違っても停滞している水には手を出すな」
「師匠は詳しいですね。この森に限ったことではなく、なんでも知ってるようにさえ思います」
「年の功というやつだ。我も齢200を超えている……。もう数えるのもやめてしまったがな。ジルの奴も我からすればまだまだ子供だ」
「というと、俺が一番年下ってことになるのか。ユイナはさんじゅ……うっ」
腹に鈍い痛みが背中まで伝わってくる。
「何言ってるのかなぁ、アマトくぅん!? 私は16歳だ……よ」
「冗談だって、悪かった」
「まあ、私もストレス解消ができて助かるけど、あんまり調子に乗っているともう二度と打ち込めなくなっちゃうよ。私が……ね」
にこっと満面の笑顔でユイナは小首をかしげて見せるが相変わらず目が笑っていない。
だから、それ怖いよ。いや、可愛いけど……やっぱり怖い。
「ごめんなさい」
好きな子にはちょっかいを出したくなるっていう真理。
まあ、これだけ容姿端麗な美少女だと冗談でも言わないとまともに離せなくなる年頃だったりするわけで。
「それよりも、先生のことを教えていただけませんか? 気になっていたんです。お父さんとの関係とか、国の事とか」
ユイナの興味はカイルの昔ばなしへと向かっていく。
俺は、この世界のこともそうだが身近な人間のこともよく知らずに助けてもらってばかりいたんだな。
カイルはフルフェイスの兜を外すことなく話し始めた。
俺とユイナは疲弊しきっていたが、不思議と呆けることなく耳を傾けていた。
「不武鬼となってからも世界を旅していた我は50年程前にエリヲールに立ち寄った。その頃、時を同じくして戴冠式が行われていたのだが、我の興味は国王の即位などには向くはずもなく、酒場で食事をしていた時に奴は相席してきたのだ。それが我とジルの奇妙な出会いだった。将に戴冠式の真っ最中だというのに、その主役がいないのだから騒がしくもなる。しかし、慌しさは常軌を逸していたのだ」
「ジルは真面目な奴だと思っていたが、案外そうでもなかったんだな」
白銀の兜は『そうではない』と続けた。
「戴冠式そのものが、仕組まれたものだったのだ。かつてないほど、各国に喧伝して回り各首脳、国の重鎮を呼び込みそれらを餌に不満分子、周辺諸国の刺客をあぶり出す。そして、渦中の中心人物は一般市民に紛れ真意を見極め判断を下す。結果、刺客を送りこんだ国の重鎮を刺客もろとも市井の前で処刑した。我が国にあだ名すことは罷り通らぬという意思表示を行い、国のありようを知らしめるに至った」
「お父さんが国でやっていたことは力を見せつけるようなことだったのですか? それでは恐怖支配と変わらないと思います。昔を知らない私では信じられません」
ユイナが生まれたのは村に来てからだと言っていた。
「なぜ、暗殺者や刺客などに狙われるかわかるか?」
「生きていられると邪魔だから。害にならないのなら労力を割いてまで構う必要などないのだから」
歴史では暗殺は時折行われてきた。
時の首相に関する事件も歴史の教科書には必ず載っていた。
しかし、暗殺者が捕まることは多くはない。何故かと言えば暗殺されるまで結果が見えていなかったからだ。
にもかかわらず、犯人を見つけて首謀者もろとも晒して見せた。
「その通りだ。戴冠式という各国主要人物の前で新たな国王が確実に死んだという事実が欲しかったのだ。エリヲールは閉鎖的で貿易も行わず、精霊術を使いこなす精霊術師による戦力を保有し、長寿故に知識も蓄えられている。そして最西部の一角に陣取っている為、攻め込むには兵糧が膨大に必要になる。将に目の上のたん瘤と言った具合だったのだ」
「それと、お父さんがやったこととの関係は……」
ユイナにとってはジルは実の父親に他ならない。それは裏の顔を知ってしまったかのように複雑な心境にもなるだろう。
「ここで冒頭に戻る。ジルは敢えて数百年無能で無害な《《国王》》を演じ続けていた。アマトの思っている通り戴冠式そのものが偽りだったのだ。そして、国民にも他国にも恐怖など与える必要も縛り付ける必要もなかった。知恵による支配……。恐怖というものは次第に薄れ、戦力の増強によって抗うことができるが、完全に読むことのできない思考においてはその限りではない。現に一度裏をかかれているのだから根拠としては十分だといえる」
「そういう事か……。ユイナ、ジルは最小限の時間と労力で国を守ることに関しては天才だったってことさ。攻め込むこともせず、侵攻も許さない。言うのは簡単だけど実際にやるとなると早々できるものじゃない」
「エルフは長寿だが、他種族はその限りではない。頭も変われば国の方針も変わる。昨日まで手を出すことが不可能だとしていた者がいなくなり、次代の王が打って出れば均衡は崩れさり、連鎖的に他国をも巻き込んだ戦争にもなりかねない。しかし、ジルは定期的に情報操作を行い膨れ上がった風船を割っていく。必ず割れるまで待たずに見極めて割り続けて民を守っていたのだ」
兜越しである声の奥には尊敬とも、信頼ともいえる感情が読み取れる。
「今のお父さんからは想像できないようなことをしてたんだね。あらためて王様をやってたって実感しました」
「それだけ、予防線を強いていれば師匠のような強い騎士はいなくてもいいんじゃないですか。寧ろ、他国を刺激することにもなるかと」
「ジルの見ている景色は、目の前の平静ではなかった。世界の均衡と平和と言っていた。モンスターが蔓延る世界でそれを成し遂げるのは容易ではなく、浅はかだと我は言った。それでも、長寿たるエルフであれば一世代でやれる自信もあったのだろう。我に戦いを挑み勝てれば力を貸してほしいと懇願された」
懐かしいのか、両腕を鳴らすカイル。
「お父さんは負けたんですね」
「そのとおりだ。ジルは勝てた暁には手を貸してほしいと言ったが最初から勝てるは思っていなかったのだろう。本気だったのは間違いないだろうが、目的は勝つことではなく情報取集に全神経をかけていた。それがわかったのは20年前に魔族の国ラスフェルトでのことだ。我の敗北する未来を強引に引き寄せた。正確には未来の有り様を語り、説き伏せたといったところだ。お前たちはクラウディアが未来予知の能力があることを知っているのだろ」
「聞いています。そのせいで俺がこの世界に来ることになったわけですし。やっぱり、すごいなジルは。初めて会った時から、協力関係になれるかどうか見定めていた。時折の行動は、未来を知るすべがないジルにとっては未知の領域。にも関わらず、先の先まで予測し布石を置いていたわけだから、並大抵の智将では手が出せないわけだ」
「そこから、騎士団を作り上げ天冥の軍勢との戦いに備えつつ、グランロギスの侵攻への備えも同時に行うことになった。あの国は兎にも角にも無謀なのだ。それがなければアマトもここにはおらんのだがな」
「迷惑な話だ」
「私はアマトと会えてよかった。希望を持てるきっかけになったのは確かだもの」
「結果はどうあれ、受け入れているさ。まあ、希望で終わらせるつもりはないがな」
「ここまでくれば後はそう時間はかかるまい。軽く食事を済ませたら行くとしよう」
俺たちは、軽い食事を済ませると装備を整え立ち上がる。
来た道とは反対方向へ、湖の畔を添うように歩いて行き2kmを過ぎたところで再び森の中へと足を踏み入れる。
今までの道よりも急勾配が多く、目の前には斜面が壁のような角度で立ちふさがることもある。
徐々に下っているかと思えば、崖の上に立っていることなど当たり前のように起こる。
「この辺りは感覚が乱される領域になっている。範囲は狭いが、迷えば抜け出せなくなる、それはモンスターの同じだがな」
言われて周囲を目を凝らして見渡せば、獣の骸が至る所に転がっている。
すでに苔がむして、判別はしにくくなっているが踏みしめている足の下にも嫌な感触が伝わってくる。
「脱出不可能なエリアには必ずと言っていいほどいるのがお約束なんだよなぁ」
「キャー、気持ち悪ッ!!」
(ほら出た……)
入り込んだ獲物が逃げられず弱りきったところを襲う。強いて言えばエリアボス。
目も鼻もなく、ただ口があるだけの頭。2m程の長い足は10本ほどあり、地形の影響をまるで受けず走り回る。
陸上を縦横無尽に走り回る、蛸のような生物。
『ファントムセピア レベル32』
蛸だと思ったが烏賊のようだ。
陸上にいる時点で最早どちらでもいいが、もしも以下の特徴を持ち合わせているというのなら些か面倒な気もする。
「あれは、走り回る烏賊みたいだ。墨とか場合によっては毒なんかも使ってきそうだ。足に捕まらないように注意していこう」
足と言うよりも触手という表現の方が正しいかな。ここまでくればお約束がありそうな気もしないでもない。
「なんかまた変な事考えてなかった? 目つきがいやらしいんだけど」
ジト目を向けるユイナは、心の内を見抜くかのようにわなわな震えている。
「わかってるよ!! 近寄らせるまでもなく最初から全力前回で行く!! 精霊術を使う力を貸してくれ」
「まかせて!! さあて、いくよ! さっきよりも上手くマナがコントロールできるようになったみたい」
あっという間にガルファールに暴風が纏わりつく。
あまりの激しさに、手を離してしまいそうになるが必死に限界まで耐え抜く。
「烈風瞬刃波!!」
辺り一帯の樹木をも巻き込み烏賊は粉々に切り裂かれ吹き飛ぶ。
同じ技とは思えないほど威力が跳ね上がっていることは明らかだ。
樹木は数百本根こそぎ切り倒すことになり、身体に及ぼす感覚への影響が緩和されていく。
恐らくこの一帯の樹木に原因があったのだろう。
「凄い凄い!! 一撃だね……。ねぇ、わかってて敢えて聞くけど何でがっかりしてるのかなぁ」
(お約束を自分の手で反故にしたから……なんて言えないね)
俺は、ふっと寂しい笑みを返すと再び歩き出した。