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第46話「11日目2  ディアナとの永遠の別れ 」

 宿にはルナとディアナ。

 新たに個室の一つを解放し、スミレ専用の救護室として使用することで一室を有効活用することにしたのだった。

 二人きりとなったことは今までになく、スミレの意識が戻るまでは事実上の二人きりの時間となった。

 

「こうやって話をするのは何千年ぶりかしら。昔のあなたに比べたら、ずいぶん理性的になったわね。おとなしく人のいう事を聞いているなんて、今だに信じられないわ」


「ボクはこの間……ダーリンに出会うまでは一人だったからね。でも、今はダーリンがいる。ダーリンがボクを変えたってこと…。わかってるんじゃないのかな? ダーリンはただ、特別な力があるわけじゃないってことをね」


 二人は過去に数度出会っている。

 世界は広く、そして狭い。

 人間の寿命が尽きるまでの数十年の歴史の中でも運命的な出会いを果たす者は少なくない。

 

 それが数千年ともなれば人間の寿命の数十倍にもなるのだから、確立も跳ね上がる。

 だからと言って、意図せず出会う確率はたかが知れているのだから、互いに意識の外であれば会うことそのものは奇跡的なものといって差し支えはない。

 時には味方、時には敵であった。


 明確な命の取り合いなどは互いに無意味であることを理解しているからこそ皆無だったのだが、ぶつかることそのものは芳しくない。

 しかし、環境が差し向けるのだから従わざる負えないこともある。

 抗えないことが、両名共に理解しているからこそ不仲にはさせなかった。


「そうね。私も別の誰かに変わったみたいだと思っていたもの。大事なことを忘れてしまって、外に出ることも億劫になっていたのに……おかしいわね」


「まだ、探していたんだ。問題がわからないのに、答えを探す無謀なゲームをしてるみたい。前にも言ったけど、敢えてもう一度言うけど。ダーリンと一緒にいれば問題も、答えも両方見つけられる気がする」


「やっぱり、根本的に貴女とは気が合うのかもしれないわね。私も不思議とアマトさんは答えに辿り着ける気がするわ。それも、私よりも先に……」


 ディアナは嬉しそうでいて儚げな表情をみせる。

 ルナが気がつかないわけもない。

 表情を読むのはゲーマーとしては基本であるのだから、その一瞬見せた遠い過去を想う吸血鬼の長い長い旅路を思わずにはいられなかった。


 そこには自分が辿った数億、数兆、数京……の命の旅路に重ねていた。



「自分の事よりも、他人の事に興味を持つなんて不思議な感覚……みんなに会えなかったら、この娘がいなかったらわからなかったよ。無限と言えるくらい長い刻の中で、幾度も人の姿になってきて、依代に身を置いても今のボクとは違ってたんだ」


「この出会いはあなたにとっても私にとってももう二度とない奇跡……次はもうないのね」


「ボク達である限りもうないね」


「よかった。ルナがルナで」


「……」


 ディアナはルナの過去数千年を知る数少ない人物の一人。

 その彼女がいうのだから、客観的に見てルナをルナたらしめるものがあるのだ。

 それは根源において本人であるという事。



「本当のボクって誰なんだろう……。今のボクはボクだけど僕じゃない。だけどボクであることは解ってる」


「今この瞬間にここにいるのが誰なのか、それを解っているなら、風を感じるならルナはルナってことじゃないかしら」


 ここは寝室、まして高級ホテルの一室なのだから隙間風などというものはない。

 結界に守られ、分厚い壁に覆われ、幾人の守りが完全に外界からの侵入を防いでいる、

 それでも、ルナは時の流れを、遥かなる風の遡行を肌に感じた。


「風を感じる」


 広い世界で出会った二人にはまだまだ話をする時間がある。

 今まで溜めこんでいたものを吐き出すように。

 ここでも、次のステージに進む道しるべが示される。


 少女が目覚めるまでまだ、時間は必用だ。




 三人ではやはりこの特別な客室は広すぎる。

 全員が揃っていても、この広さに寝室を余らせていたのだから余計に空しくなる。

 皆、一様に思うところはあるが、全員が納得して事にあたっているのだから、受け止めなければならない。


 万が一に備える事がもっとも重要なことなのだ、確率はそれほど低くはない。

 ゼロでないのならばそれは百も同じなのだ。

 この状況はチャンスとなりえるものならば放ってはおくまい。


 


 宿の周りは何者かに囲まれている。

 結界が有る為殺気さえ、内部には伝わるすべはない。

 ルナの気配を読む力は結界さえも透過し、情報を得る事ができる。


 このまま放っておいたとしてもこの宿にいる三人には影響することはない。

 問題は底ではない。

 披露して帰ってくる仲間が迎撃にあたらなければならないという懸念があることが問題なのである。


 最も披露している時こそ命の危険に晒されるのは道理である。

 ならば、排除するしかない。

 ルナは立ち上がる。


 

「きみになら、ボクも安心して任せられる。ここは任せてもいいよね」


「長い付き合い……とは言えるのではないかしら」


「寂しくなるころには戻ってきてあげるから……行ってくる」


 ルナが敢えてここを任せなければならない程の、手練れが敵の中に存在している事実にディアナは気付く。

 素直に任せる事ができるのはルナを信用しているからに他ならない。

 この娘が目覚めたときに本当に必要なのは、傷を肉体の傷を癒す者ではなく心のケアができる者。


 それは自分ではないと思う。

 遠い時の中で魂がすり減り心が摩耗し朽ち果てる寸前ではとても他人を癒せない。

 ルナならできる。


 幾年の時で磨かれた魂をもつ者だから。




 扉の外は静かだった。

 このフロアに来られるのは宿泊客と一部の従業員のみで、他の宿泊客は侵入を許されていないはずだった。

 ならば、扉の前にいるこの女性は何者なのだろうか。


 服装は従業員のそれである。

 素直にここを素通りなどできはしない。

 気配という気配が感じられないという、一つの違和感が見逃すという選択肢を消してしま。


 存在感がないというのは一見すれば、問題などない物のように思うだろう。

 それも時と場所による。

 今、このシチュエーションにおけるこの女性の存在は異質としか言えない。


 客に不安を与えない為の配慮も無ければ、防犯の概念からの欠如、極めつけは待ち構えるかのように日が暮れてからの来訪。

 疑う以前の問題であるが、今のルナでは分が悪いと初見で感じさせる圧倒的な力の差を隠すことなく露見させたところだ。

 オンオフの切り替えで戦意を喪失させることを目的とはしていないのだろう。


 表情は変わりはしない。

 ルナの頬を汗が流れ落ちる。

 この女性もまた、神域に据える者の一人なのだと思わずにはいられない。


 容姿こそ、何か特徴があるかと言えば特に突出したところが無い、黒髪に中肉中背の人間で人ごみに紛れればもう追うことは適わない。

 そんな人間は存在しない。

 一人として同じ人間がいないのだから。


「久しぶりね。もう数千年も前に会ったきりだから、さすがに覚えてはいないようだけど……。私たちにとっては数刻前のこと、人間に近づき過ぎて失うようなものではないと思うのだけれど?」


「思い出せない……。ボクを知っている……。ボクは……知っている? 敵じゃない!?」


「本当の目的を思い出して……。違う、本当の目的に辿り着かなければいけない。それもこの世界が無くなるまでに、時間はまだあるけど今はその時ではない。また会う日が楽しみね」


 女性は一瞬黄金に輝く翼をみせ消える。

 消える。

 存在。

 

 記憶から消える。

 ルナはこの数刻の出来事が消えた。

 記憶からも、時間からも消えた。


 時間は流れていない。

 起こっていない出来事は思い出すことができない。

 事実が消失したのだから。




 多数の気配の中でも一際目立つ存在がある。

 悠長に待っていてくれているわけではない。

 待ち伏せの優位を崩さぬために、敢えて状況に変化を起こさぬようにしているのだろう。


 しかし、存在が明るみになっているのも事実であり意図まではくみ取れない。

 相手が人である以上、計算された勝利への筋道が張っているのかはたまた純粋な発想によるひらめきによる空白の閃きか。

 後者であれば、姿を見せてしまえば見えないシナリオが次々に作り上げられていくことで両者に思わぬ展開をもたらしかねない。


 一階ホールの誰もが知ってか知らずか、数刻前と変わらぬ様子である。

 そこに違和感はない。

 客の出入りも変わりはしない。



 

 どうしてこうもこの世界は面白くて仕方がない。

 命というものを軽んじているわけではない。

 今、死ねば少女の存在意義が失われてしまう。


 少女は二度死んでしまう事になる。

 なんとしても生き残り、いまも眠り続けている一時を共にした仲間の忘れ形見を守らなければならない。

 扉が開かれ、宿の中へと入ってくる客と入れ違いに外へと出る。


 雨は止み、街灯が地面に映り込む。 

 人影には目もくれず、真っ直ぐと歩き出す。

 すべての敵意を惹きつけ散らす為に。




 おかしい。

 その一言に尽きる。

 この街について疎いが上に気にもしなかった事実だ。

 

 この時間に客の出入りが多いことは、間違っている。

 事実はいつも単純なことの連なりであって、複雑な者が全てではない。

 出入りしていた人間はこの街の人間ではない。

 

 どう振る舞おうが普通であることが、普通ではない。

 すでにルーチンとかした烏合の衆は人であって、、人ではない。

 敵の駒、こちらからすれば人質。


 何もかも計画通りに動いているのだろう。

 おもしろくない。





 この身体ではまだ、これだけの人数を相手にはできない。

 迷うことなく、宿から離れる事を選択していた。

 周囲には種族もばらばらの意識を他者に握られた街の住人たちがひしめいている。


 その人数は両の手では数え切れるものではない。

 一人でさえ命を奪う事が出来ないならば、一も百も同じである。

 何度も似た状況下ではあったが今は一人で切り抜けなければならない。


 

 足並みのそろわない人間というのは厄介である。

 まとまりのない、統率などありえるはずもない動きが不規則にくねくねと揺れながらルナを襲う。

 武器などなくとも、人間の体積がぶつかってくれば小柄な少女の身体には凶器以外の何者でもない。


 躱すことができないのは、そこに空間が無いからであり互いに互いを庇う形で互いを潰し合うスタイルにもなりえる動きからだ。

 これでは守れば体制を崩され、避ければ街の人間が傷つく。

 迷えば誰も守れない。




 追い込まれ、後がない。

 時間のながれはみな平等であるというのに、この一分一秒は無限に感じられる。

 人間嫌なもの、すぐに終わってほしい時間程長く感じられるものである。


 この自分にとって絶望的な状況は見ようによっては好機である。

 その体躯に似合わず奇抜な動きを見せる腰の曲がった年老いた獣人が低い体勢から杖を突きあげ、ルナの顎をかすめるぎりぎりで空を切る。

 そのままバランスを崩す老獣人は盛大に足払いをする動きのまま転倒をする形御なるが、止まっているのならば余裕をもって躱すこともできる。


 年端もいかない少女の手にはナイフが握られている。

 その影にはその少女の弟だろうか、とても刃物など持ったことがあるとは思えない握りの甘さで刃物を握りしめている。

 操られようが、物理的にできない事もある。

 

 同情でも誘おうというのならばこれほど策として有効だとはおもえない。

 



 一際強大なオーラを纏った人間は兵士の鎧を着こんでいる。

 動きこそ、周囲の兵士と変わりはしないが溢れ出すマナといい隠すつもりもないことに違和感を抱く。

 この街の守りを行っているはずの人間ですら操られてしまえば、敵の兵器と変わりがない。


 まして、本来鎮圧する立場の人間が街を脅かしているのだ。

 幸いこの異常な風景の中では目撃した者も尋常ではない狂喜じみていると一蹴できる環境は整っている、

 どうとでもなる。


 生き残り、発生源を叩くまでが問題なのだから何かが変わるわけではない。





 街灯こそ灯っているが、日中に比べようのないのは明らかであり、一方的に不利なのは人間の肉体をもち環境に適用ができない者だ。

 有象無象は操られている人形のようなものなのだから、影響下にないものとみて間違いない。

 それゆえに、常に暗闇の中でも正確に襲い掛かってくる。


 華麗というには機械的であり、そこに意識なんてものはない。

 意識を奪う為にあて身を盛大にかましたところで、白目をむいた状態で起き上ってくる、

  



 ゾンビ宜しく、徘徊して廻るのは見ていて気持ちの良いものではない。

 まして、まだ生きているのだから迂闊に命を奪うような事があってもいけない。

 この時間だと、洗脳下にない人間以外は出歩いていることがほぼないことが救いだ。


 ここから人数が増すようなことがあれば最早物理的に対応ができない、

 今、ディアナたちのいる場所に踏み込まれてしまえば後がない。

 宿の従業員がどこまでこの状況に対応できるかも不明瞭である以上ここは一人で乗り切るしかない。




 追い詰められれば追い詰められるほど、狂人の手はルナへは届かない。

 空を切る手も次第に周囲を取り囲む者達間でぶつかる様になってくる。

 これはコントロールする司令塔が問題ではなく、操られた人たちが疲弊し肉体をすり減らしているからである。


 人間は動くためにはエネルギーを消費する。

 しかし、エネルギーを外部から供給されたからといってそれに耐えうる造りは有していない。

 無理に動き続ければ耐える事が出来ず怪我もする。


 鍛えていない者なら影響も少なくない。 



 次第に限界を超えた人間から崩れ落ちていく。

 これは好機ではない。

 時間を掛ける事によって、無為に無関係な人々が傷つくのだからこのままでいいはずはない。


 肉体と言えばそれまでだが、具体的には身体を支える部分だけではない。

 心臓や脳であれば命にかかわるだけではなく、今後生きていく為の機能に損傷をもたらす可能性すらある。

 ならば、おちおち回避に専念していては被害が拡大するだけで解決は難しい。

 

 ルナは覚悟を決め、全身に電撃の膜を張る。

 これはスペラのスキルを流用したものである。



 強力な電撃を発することは出来なくとも、神経系にダメージを与えるにはちょうど良い。

 あくまでも前回可能であり今この時のみ有効であることが大前提であるが、軽い電気ならば問題はない。

 微弱な電流を纏うだけで耐性のないものは触れるだけで感電死倒れていく。


 脳に負荷がかかれば最早電気信号で動く生き物であれば指一本でさえ動かすことは出来なくなる。

 それでも耐えぬくものは一定以上存在するのも事実。

 初めから使わなかったのもそのためだ。 

 


 長期戦になった時に決め手がない状態が好ましくない。

 初めから打つ手なしであればことさら騒ぐことはないが、耐性をつけさせたことでチェックメイトとならなかったというのであればゲームが成り立たない。

 破綻している論理であるならば諦めはつく。


 しかしながら打開策を打ち出せないことというのは歯がゆいものだ。

 

 


 ルナの身体は狂人化した街の住人よりも消耗が激しいのか、既に限界を超えていた。

 それでも動き続けていられるのは、魔力によって補強しているからでありそれにも限界はある。

 無理やり戦闘を継続している条件に差異はなくとも、感情の有無は大きい。


 故にこの茶番に付き合わざるおえない、

 本気で殺意を向けるでもなく、意思を挫くことに重点を置くスタイル。

 それならば、手を抜いてよいかと問われれば否である。


 休める感覚を見つけて気を抜いたところを絶妙なタイミングでつぶしに来るのだ。

 全力でなければ死んだところで自業自得だと言わんばかりに責めたててくる。




 常に限界を超える水準を保ち続ける攻防が永遠に続く。

 次から次へと絶え間なく入れ替わる不毛な戦闘に、ルナの身体はぎしぎしと嫌な音を立てる。

 生物であろうとなかろうと疲労が蓄積されれば結果は明らかだ。


 魔力によって補強されていたとしても壊れてしまえばその限りではない。

 あえなく片膝をつくことになる。

 その隙を突くようなものはいない。


 そこでようやく遠目にこのゲームをコントロールしていた全身鎧すがたの兵士が、真っ直ぐとルナの元へと迫る。

 見え上げる形となって初めてその兜の狭間から瞳が垣間見えた。

 その瞳は良く知る色をしていた。



 兵士の鎧は誰が着ようと同じだと思えば実際はそうではない。

 その内なる姿を想像するまでもなく女性であることは、誰しもわかるものだ。

 それも本人がわからない通りはない。


 空気がガラッと変わる。

 有象無象、烏合の衆、暴徒表現のしようもなかった街人たちはまるでいままでの事が全て夢であったかのように意識を取り戻し各々のあるべき場所へと戻っていく。

 中には電撃を浴びていた者もいたはずだが、全快している。



 しかしながら、空の月は確かに西へと進んでいる。

 時間は確かにすすんでいるというのに、自分の周囲だけが巻き戻されたかのような明らかな差異が発生した。

 突然その事象がおきたのだから、笑っていられない。


 これはゲームではなく現実に起きている事なのだ。

 兜の狭間から視線がルナを捉えて離さない。

 ここには、もう二人だけしかいない。


 

 

「君よりも長い時間を生きている……。何千、何万、何億……って時を生きてきた君よりもだよ。押し問答も数えきれないほどしてきた……」


「ボクは今初めて君と話したんだけど、初めてって気がしない。教えてはくれないんだよね?」


「その答えは知ってる。でも、どれが答えかはわからない。知識はあっても知識として引き出せなければ知らない事と同じって事だよ。そして、気がつかなければ……」


「君と同じ道を辿る……か、ボクの存在が消えるか……。想像もつかないね」


「世界は無限に存在することは知ってる。それを終わらせるか続けるかの選択は一人一人が決める事だよ」


「ボクが諦めても、別のボクが選択した世界で同じことが起きるかもしれない」


 同一の存在が同じ世界に存在することができない。

 はたしてそうか。

 目の前の存在は確かに姿こそはっきりとしてはいないが同一の存在である。


 だが、別の個体であることも事実。

 ならば、同じ存在ではない言える。

 別の命、別の魂であればタイムパラドックスのようなことが起こりえる通りはない。



 悪魔とはその性質上、存在が悪とされている。

 現実世界において、物に執着する人間の勝手な物の見方だと言われればそれまでだが、彼らはそれを受け入れる代わりに別次元の力を人間に与えた。

 ならば、この悪魔もまた何らかの形で契約を結んでいるのは塑像に難くない。


 しかし……。

 

「ボクが君に架したのは、誰かの意思ではなくボク自身が望んだ結果とだけ、言っておくよ」


「ダーリンの意思ではないってことだねっ」


「それはボクにはわからない。無意識のうちに臨んだ結果が同じだと良いとは思うけど、もう確かめるすべは……少なくともボクは知らない」




 この世界はルナのうちなる心の中では一本の道の半ばであるとしている。

 そこに別の異世界の、それも自分と同じ性質の人間がいていいなど思わない。

 だが、アマトもまた別の世界の人間である。


 その矛盾をおしてもなお、撃たなければならない。

 それなのに、身体が動かない。

 これは少女の意思。


 敵ではないと言っているかのように。




 これから先のことを考えるよりも、今この瞬間のことを考えなくてはならない。

 皆が戻ってくる場所にいるという安心感と、ここを守らければ後がないという思いがせめぎあう。

 それを知っている。


「知られてしまったのも一度や二度じゃないけど、君が動きを止めて攻撃をやめたのはそんなに多くはなかった……。百回くらい? 疲れるよね」


「流石にボクも楽しめる気がしないよ」


「まあ、それでもそれほどつまらなくもなかったんだけどね。はじめのうちは」


「百回で少ないことと、パターンが数百……数億、数兆考えてみると、わくわくする……」


「味わってみないとわからないこともあるってことだけど、若しかしたら同じことを経験するかもね」


「遠慮しておくよ。ボクにはやらなければならない事があるしね」



 

 やらなければならない事って、何だろう。

 自分が楽しめる事か。

 アマトのの目的を果たす為か。


 そこに自分の居場所はあるのか。

 ここで、命を懸けてもう一人の自分を葬ることがもっとも近道ではと思う。

 最終的に誰が残るかを合理的にはんだすることができる。


 それが悪魔であるはずが、それができないのはもうルナは人間に感化されているからであると言える。

 人は本能の赴くままに生きる以外の選択肢を持つことができるのから。

 悪魔であろうとそれは変わらない。


 それは矛盾だ。



 もうすでに、お互いに戦う意思もなくこの瞬間に流れるのは時間だけとなっていた。

 しかし、これ以上二人の時間は流れない。

 凄まじい轟音が木霊するとルナと宿の扉にスペラが全身に雷を帯びて舞い降りた。


 これで撃ってでる好機と思いきや、そこに鎧をきた悪魔の存在は無くなっていた。

 ルナにも、いつ存在を見失ったかを気づかせないところをみると、明らかに格が違っていたという事を匂わせる。

 


「あいつ何者にゃ?」


「ボクであってボクじゃない、敵とも思えないんだよね」


「どうするにゃ? 追いかけるのかにゃ?」


「どこに行ったのかもわからないし、方角でさえ分からなかったんだよ。今のボク達……、追い付けるのかな。いつか………」


「追い付ける。だってルーニャ。自分が信じられなくてもアーニャなら信じてくれるはずにゃ。ミャーが信じてるみたいに」

 

 盲目的に信じているスペラの言葉はなによりも信じられる。

 



「帰ろうかな。もう、これ以上無理しても結果は解ってるから」


「ルーニャがそういうなら、そうするにゃ」


 静まり返った大通りには置いてけぼりを喰らったように二人がいるだけで、先程までの戦闘が嘘のようである。

 街灯は、今までの町にあった炎を使わない石が使われているせいか揺らぐことがない。

 これでは、時間が止まっていると言われても不思議には思わないだろう。




 ハーフエルフの少女はここでは世界の事を思い出していた。

 何も今になって不意に物思いにふけっていたわけではないのだが、夜の街というのは懐かしくも悲しい気持ちになるのだ。

 学校が終わると電車に乗って最寄りの駅から歩いて帰るのだが、雰囲気が似ていた。


 世界でも治安が良い国だと言われていたのは単純に、夜に外出する人が少なかったからだと言われていたからなのだが、その事実を知っていたわけではない。

 社会的に暗くなったら外出を控える風潮が浸透していったからだ。

 この世界ではそれが徹底されている。


 気配を消す為に結界を張らなければすぐにでも兵士に見つかってしまうのが、すべてを物語っている。




 路地裏など人通りが少ないところでさえも、不規則に巡回する兵士のほかにも治安維持活動を行う組織が見回りを行っているのが分かる。

 別段、高い身体能力があるわけではない。

 犯罪を抑止することに意味があるのだ。


 それでも完全ではないのだが、効果は絶大であるだろう。

 


 夜の街は静かで、いましがた命のやり取りをしていたことなど夢のようだ。

 この時間に営業している店が一店舗もないのも、徹底した管理のなせる業であろう。

 今まで便利な生活の中で生きてきて、この世界でその生活から離れてみてわかったことがある。


 元の世界に徐々にではあるが未練が無くなりつつある。

 時間の経過は時に残酷だというが、それはこの世界に慣れてしまったからなのだろう。

 それとも、ここにはそれ以上の何かがあるのではないのだろうか。

 

 この世界には秘密がある。



 

 人のいない大通りは静かであるが、時々周囲の建物から物音が聞こえるとここが無人の都市ではないことが実感できる。

 裏を返せば、音が周囲に漏れ出ないほど防音に長けている造りの建物が多いという事が言える。

 勿論日が沈むと眠りにつくというのが常識であり、大多数を占めているのだから静かであることは不思議ではない。


 そこを鑑みれば。元の世界よりも文化レベルは低くも感じられる。

 照明機器が発達していないわけではないというのに、文化レベルであったり宗教というものを重視すればそうなるのはわかりきっていた。

  


 

 みんなが敵を倒して宿へと戻っているのか気になる一方、自分にできてみんなに出来ないことはないという思いもまたある。

 それは、この世界に来てから得た力というのは元の世界で言うところの他国に行ってその国の言葉をおぼえるようなものだからだ。

 皆母国の言葉を話すように、ジブから見て特別な力を用意につかっているように見える。


 それで終わるはずもなく、圧倒的な力で追随を許さない。

 アマトに至っては、数百万人分の力を与えられているという。

 狭い世界にいた自分でも天秤を持たずに来てしまったのだ。


 皆の元へ戻るのが怖い。





 そうこう考えている前に宿の前まで来ていた。

 スペラも戻ってきていた。

 疲弊しているルナに手を貸しているところを見るに、此処で一戦を交えたのだろうと予想できた。


 そう考えられるのはそれだけこの世界が争いにまみれているからだろう。

 だが、不思議と笑みがこぼれていた。

 ほんの一瞬前まで怖かったというのに、いざ二人を見ればその不安と恐怖が吹き飛んでいた。


 私はまだやれる。



「ルナがここまで追い込まれるところは見たことなかったかな。いったい何があったの?」


「ダーリンが帰ってきたら、みんなの前で話すよ。そうしないといけないことは僕にはわかるから」


「アーニャは帰るのが遅くなるって言ってたにゃ。ルニャはゆっくり休んでおいたほうがいいにゃ」


「そうさせてもらうよ」


 ユイナもルナに手を貸して宿の中へと入っていくことにした。

 アマトを外で待っていたとしても、それはアマトの望むところではないと思ったからだ。                                               

 


 それでいていつ戻ってくるともわからない。

 帰ってくる保証などどこにもないというのに、それだけは信じていることができた。

 真夜中の街には暗躍する者がいるとしても、ぶつかってみないとその脅威は理解できない、


 ロビーで夜を明かす者たちはそのことを理解しているという。

 部屋が空いていなくとも正規料金を支払えば追い出されずに済むのはそういうことだ。

 何も料金が支払えないから、人目に付くロビーであろうと恥を覚悟で居座っているわけではない。


 とは言えすべての部屋が埋まっていないのは、自分たちが泊まれたことで明らかとなっているのだが、それを責め立てるものなどいはしない。


 


 時間のたつのが早いように、状況は目まぐるしく変わっていく。

 留まれる残された時間は限られているというのに、一向に当初の目的を果たすことはできない、

 ロビーで夜を明かす人々を横目にそんなことを考えてしまう。


 自分の時の流れと周囲の人間とでは時の流れこそ同じでも、客観的に見れば違うことを理解できていないのだ。

 そうでなければ、気づけたこともあったはずなのだ。

 それが、後に影響を与えるとは微塵も思わない。 




 


 夜の街に人がいない。

 元の世界でも24時間営業の店を見なくなって数年が経っていたが、出歩く人を見かけないほど徹底した管理はされていなかった。

 確かに、日が落ちてから出歩く人は少なくなってはいたが職業によってはそれを余儀なくされていた、


 この街では兵こそ見かけるが一般人はほぼ見当たらない。

 車のような乗り物もない為、事故、事件の類も見かけない。

 『ない』ものが多いのだ。


 


 パソコンも携帯電話もないというのに不思議と不自由だとは思っていない。

 まるで元々ないことが普通であったかのようにさえ思えてくる。

 それでいい、


 俺に限らず人間というものは失ったことを引きずり続けることはない。

 ここでも、それは変わらない。

 これから先、失うのが『もの』だけとは限らないのはわかっているというのに、どうも現実味がない。


 近い将来、明日からも知れないという不安だけがまとわりつく不安となって足を止める。




 宿を前に立ち尽くしていると、不意に扉が開き思わず一歩後ろに下がっていた。

 扉を開けたのは、吸血鬼の少女だった。

 まるで見計らったかのように俺が帰ってきたタイミングで出迎えたかのようであったが、たどり着いてから一刻を数えていた、


「おかえりなさい、アマトさん」


「……ただいま」


「無事に帰ってくるって信じてました。みんな、戻ってますよ」


「良かった……」




 命を懸けている以上、なにがあるかわからないのだから絶対ということはありえない。

 ディアナの言葉を聞いて安心したがそれでも、早く無事な姿を見たかった。

 先ほどまではまるで悠久のはざまに取り残されたかのようなものであった。


 それでも、今この瞬間でさえ一瞬のことだとは思わない。

 ロビーも照明はわずかに残されるだけでほとんど何も見えないほど暗くなっている。

 至る所に人が横になっているのはわかるが、眠っているのか静かなものである、


 


 元の世界では、このような場面に出くわしたことはほとんどない。

 しかし、何度か目の当たりにしている。

 それは有事の際であったのだから、この状況が常時あり得るとは思いにくいが危機感などというものは誰からも感じられない。


「この街では徹底して夜で歩くことが制限されているのです。この方たちはここの街の住民ではないので一時的にここに滞在されているのです。私たちが優遇されていることはあまり公にはされないほうがよいでしょう」


「通りで街には兵は見たが、一般人はあまり見なかったわけだ」


 特に夜に出歩く理由がなければ治安が良いほうがメリットこそあれ、デメリットは少ない。

 

 

 

「モンスターがいないからこそ人がモンスターの代わりになるのよ」


「腐敗した国を立て直すのは簡単じゃない。だからこそ先に手を打ったということか。国民から不満は聞かないが……」


「治安が悪くなるようなものは手を出さないように前もって手を打ってるから」


 エレベーターで最上階に上がる。

 皆が待っている。

 


 部屋の前にはユイナが出迎えに出ていてくれていた。

 ディアナといい、誰かが自分の帰りを待っていてくれていたと思うと嬉しいものだと改めて思う。

 一人暮らしを始めてからというもの人恋しかったのだろうか。


 実家に帰りたいとは思ったことはなかったが、一人でいることにも慣れてなどいなかったのだ。

 結局は楽がしたい、それだけだった。

 それを誰かに理解してほしいなんて思ったことはない。


「お帰り」


「ただいま。無事でよかった」


 ユイナは静かに扉を開ける。

 まだ、少女が目を覚まさないのはそのしぐさで理解していたからこそ足音に気を使って部屋へと踏み入れた。



 夜明けも近いというのに、スミレを除く全員が眠らずいてくれたようだ。

 というのも誰かが看病をしていなければいけない都合上仕方がないのだが、俺が戻ってくることをだれ一人疑っていなかったことがうれしく思う、

 夜が明ける前に戻れる保証などなかった。


「アーニャ、お帰りにゃ」


「ただいま」


「早かったね。もう少し遅くなると思ってたよ」


「思いのほか、早く帰ってこれた……。一歩間違えれば何年、いや……戻ってこれたかどうかも怪しいところだった」


「ダーリンのところもボクとほとんど似た状況だったんじゃないかな? ボクのところにはおそらくだけど別の世界のボクが現れたよ」


「……、続きを聞かせてくれ」




 異世界からこの世界に召喚された身としては、別段取り立てて騒ぐこともないように思えた。

 しかしそれが必ずしも常識といわれればそうではない。

 ルナの話を聞いてみなければわからないことはあるだろう。


「ボクも初めてのことで驚いてるよ。でも、もう一人のボクはそれを数えきれないほど経験してるみたいで、ボクの考えてることまで見抜かれてるようだったよ」


「同じ人間は二人存在できないなんてのは成り立たないってことか。バタフライエフェクトも親殺しやらシュレディンガーも破綻する論理だな」


「聞いたことがないけど、それは何の話?」


「これもこの世界にはない言葉だから仕方がないが、理屈は単純だ」




「別の世界があるってこと?」


「ルナがいた世界とも違う、別の次元が確実に存在しているってことさ。それも、時間すらも超越してるときた……そうなってくると事はそう簡単じゃない」


「もう一人のボクも別の世界から来たってことでいいのかな」


「そうとも言えるが、どうも違う気がする」


 別の世界があったとして、まったく同じ人間がいていいものなのか。

 それが気がかかりでならない。

 それならば、もう一人の俺もいる可能性があるからだ。



 仮にいくつも異なる世界が存在するとして、同じ記憶であったり同じ歴史をたどってきたのならばそれは全く異なる世界とは言い切れない。

 こればかりは明確に対処するすべがない。

 ルナの言う通りもう一人の自分であるというのならば、こちらの手の内は筒抜けであると考えられる。


 先に行動を起こしたつもりでも、後手に回っていたというのではすべてが手をくれである。

 確かめるすべもない。

 それでも明確にこちらをつぶしに来ないのだから、まだ俺たちの命まで奪うつもりはないのだろう。


 ことと次第によってはことらから打って出ることも考えなくてはならない。

 どちらにせよ、目的は知りたい。

 取り返しのつかなくなる前に。



「ミャーももう一人いるのかにゃ? あってみたい気もするし、会いたくない気もするにゃ。アーニャの敵になるならニャーと同じ顔してても容赦はしないにゃ」


「私とアマトの同じ姿? いるのかな……」


 ユイナが疑問に思うのは理解できる。

 俺たちはこの世界にとってはイレギュラーな存在であるはずだ。

 

 もともとこの世界とは別の世界に存在していたものであれば、ルナが体験したような接触はないと思うのだが、その根拠は弱い。

 そもそも、前提が奇跡のようなものだ。

 特異な存在であるのは確実だといえる。




 絶対にありえないことに対して議論をしていても、何も起こりはしないというのにこの世界ではその大堰堤すら容易に崩れてしまう。

 次の瞬間に目も前に全く知らない人間が突然現れても恐らく驚きはすれど、疑問に思うことはないだろう。

 疑問は持てども、否定をしてはいけない。


「ありえない……と思いないところだが、現に俺もユイナもこうしてここにいるんだ。可能性は低くはない。できれば会いたくはない」




「そういうのなんて言うか知ってる?」


「わかっていても、言いたくなるもんだ。しかし、この世界には元の世界以上に言葉に宿るものは大きい……。気を付けるさ」


「それよりも、そろそろ寝ようよ。もう限界」


「ルナはお子様にゃ」


「否定できないけど、人間らしさと思えば不思議といやな気はしないよね」


「そういうものなのか……」


 俺はといえば、それほど眠気というものを感じてはいなかった。

 それは俯瞰的なものの見方であって、自分自身の感想ではない。

 矛盾しているようで、腑に落ちる。


 


 不毛な議論で時間を無駄にするのも惜しいと思うと、次第に眠りにつく体制が出来上がっていく、

 要するに意識的に眠ることも可能であるということはできるということだ。

 こちらの意図を組んでユイナは照明を落とす。


 きょうもいろいろなことがあった。

 短いようで長い日がようやく終わりを告げる。

 どういうわけか、俺のベッドにスミレを除く全員が集まっている。


 ここで、再び振り出しに戻すようなこともせず黙って眠ることにする。

 何かあればすぐにスミレの元へと行くというのは、此処にいる誰もが最低限構えていることはわかっている。

 明日の事は明日に回して考えるのをやめた。




 12日目の朝がやってきた。

 思っていた以上に寝心地の良いベッドだったせいか、囲まれていた環境が良かったかは定かではないが朝起床するまで一度も目を覚ますことはなかった。

 安心して眠りにつくことができたのは何十にもほどこされた結界によるためだった。


 絶対安全かと言われればそうではないのかもしれない。

 それでも、危険な時というものはどれだけ警戒していても意味などない。

 こうして無事に次の日を迎えられたのだからそれでよかったと思えばよい。


「……」


 無言でスミレが俺たちのベッドに腰掛ける。

 目を覚ましたことに対する安どの気持ちと、なんと声をかければよいのかわからない葛藤に苛まれて言葉が一向に出てこない。

 気の利いたことも、自分を取り繕う台詞もない、


 聞こえてくるのはユイナの寝返りで布団が擦れる音、ルナの耳を澄ませてようやく聞ききとれる寝息の音。

 スペラが枕を床に落とす重たい音。

 ディアナの服の着崩れる音。


「目を覚ましてくれて、ありがとう」

 


 全員が目を覚ましたころに、食事を運んでよいかどうかを確認しに宿の人間が上がってきた以外にこのフロアには誰も足を踏み入れていないようで、音に敏感なスペラが目を覚ましたのが最後であった。

 そこからは食事を運んでくるまでは速やかで、作り立ての食事を温かいまま運んでくるところにプロの技量を感じていた。

 朝から、肉料理を中心に食べられるのも活力が出る。


 文化として、昼食をとらないからこそ朝か夜に手の込んだものを食するという。

 そこは元の世界と変わらない。

 日中に食事ができる飲食店はないので、朝食事をしなければ必然的に夜の晩餐まで食事の機会はない、


 食事も終われば、この後はのんびりしていられない。

 



「お兄さん……。連れて行ってほしい。敵なんて取りたいわけじゃない、それでもけじめはつけさせてもらいたい」


 あたりを見渡してみても、誰一人反対することはない。

 ここまで誰にも否定をされないことがは行く感じるとは思わなかった、

 すべてが自分の思うようになることが必ず正しいとは限らない。


「そのつもりだった。理由はどうあれ、バニティーの真意は確認しなければならない」


「お兄さんの役には立てる。必ず……ね」




「俺は同情していると言っておく。その意味はわかるだろ?」


「憐れむな、同情するななんて言わないし思ってもいない。それがあたしの境遇であることは変わらないんだから。情けをかけられたくないなら、結果で示して見せる」


「いつか、昨日までのことを思い出すことがあったら起こるべくして起きた出来事だと割りきっているだろう」


 きれいごとでも何でもない。

 人間はだれしも平等ではないのだ。

 運動が得意なものがいれば、苦手なものがいるように生まれながらに不幸を背負っている人間はいる。


 だからと言って、それに気づいていながらに認めないことはその境遇に甘んじていることを意味する。

 皆、他人を慮ることで有意性を保っている。





「というわけで今日も手分けして情報取集に当たりたいと思う。スミレも、この街に住んでいたとしても、すべて把握しているわけではないだろ? 今まで足を運んだことがない場所からなんでもいい。少しでも多く情報をかき集めてくれ」


「「「了解」」」 「わかった」


「了解」


「別に言い直す必要はないんだが? まあいい、頼んだぞ」


 俺と仲間たちの間に格差があるとは思いたくはないが、確実に存在する壁。

 それは言葉では表しきれない。

 

 


 

 今日一人で行動しても、誰もついてこようとはしない。

 昨日念入りに単独行動ができるようにふるまっていたからである。

 行き先がぶつからないように、各自散らばった。


 そして、西のひときわ細い道を進んでいく。

 この街は高低差が激しく北へ向かうほど緩やかに高度が上がっていく。

 北西もまた、見晴らしのいい地形であるにもかかわらず、背の高い建物がひしめき合う郡状態であるから日が昇ったにも関わらず暗く鬱蒼としている。


 人は暗く人通りが少ない場所には好んで近づかないという。

 それでもまばらではあるが、人の行き来があるのは今が日中であるからだ。

 治安が良いということは、一見危険な路地裏でも大路地と何も変わらない。


 ここが数百万の人間が生活する年だというのならば、なおさらである。

 すなわち、死角は少ない。

 それでも、ここが大通りに比べて圧倒的にさみしいと表現できるというのは紛れもない事実。


 ならば、ここに人を呼び込む人間というのはどのような職業の人間なのだろうか。

 裏の職業か。

 人に言えないような、違法を生業としているのか。




 この街に足を踏み入れた時から違和感を覚えていた。

 この世界に来てから初めて味わうもの得あったからこそ、肌で感じることができたのだろう。

 階級社会には見えないというのに、どうも格差を感じていた。


 そこに、あきらかに異質な男が俺の周囲をうろついていたことにルナは気づいていた。

 その染みついた奇抜さというものは街の中心街では異常でも、この裏道では不自然に思えない。

 寧ろ、これが正しい形だと納得できてしまう。


「いつになったら来てくれるのか、心配していたんですよ。勇者様」


「心配していた? 意味が分からないな。それに俺が勇者だと?」


「勇者に恩を売る機会なんて、そうそうありませんよ。それこそ、一生に一度あれば奇跡。そのチャンスをこうして手に入れることができたというのに、あなたは自分の心に素直にならないのです。身を案じてしまいますとも」


「良くしゃべるやつは好かん。要点を言え」


「自分を裏切らない存在はいりませんか? あなたの奴隷です。あなたがこの街で見て見ぬふりをしてきた存在です」


 俺は目に映るものをすべて信じているわけではない。

 



 目のまえの異質な男は、胡散臭い小太りであったり、鞭を握りしめているわけでもない。

 紳士的な小綺麗な燕尾服に身を包んだ初老のどこかの貴族の執事のような装いである。

 ここに来るまでに見たことのある格好をしているというのに、隙がないのだ。


 抜けているところがないというのは人としては優れているといえよう。

 だが、完璧に近づけば近づくほど人間味がなくなっていくといえるのではないだろうか。

 極論だといってしまえばそれまでだが、この男は人間の領域からずれている。


「あいにく、間に合ってる。裏切られるならばそれはその程度だったんだろうな。それが俺自身が原因なのか、相手の都合なのか、それともタイミングが問題なのか……そんなことはどうでもいい。絶対服従ということはそこには絶対の信頼関係はないってことだろ? 冗談じゃない」


「信頼とは形のないものでございます。そこには何も残らないのです。あなたはそれを知っている」


「素性の知れぬ者が何を言おうと無意味だ」


 

 おそらくこちらの素性はある程度情報を得ているのは間違いない。

 こちらの手札は筒抜けだというならば、せめてその情報を過去のものにできるだけの思考を巡らせなければならない。

 優位性というものはもともと持ち合わせている情報だけで成り立つものではない。


 時間の経過でも変わりゆく程度のものだ。

 それでも事前情報の有無は戦況を左右うることは揺るがない事実である。


「勇者様に不利益は一切ありませんよ。それでもこの取引が成立することの意味を理解できない勇者様ではないでしょ?」


「胡散臭いと言っているんだ。お前に何のメリットがあるんだ? 薄っぺらい詭弁など求めてないと言っている」


「この国の王が私に依頼しましたと言ったところで信用してはいただけないでしょうね。ですがそれが事実です。それを敢えて申していることで私はあなた様の信頼を得られると思いますが、どうでしょう」


 奴隷商人のイメージと国王の依頼であることを明かす危険性はデメリットこそあれ、メリットはない。

 こちらが奴隷にマイナスイメージがある以上、国王の侮辱ともとれるからだ。

 

 



「根拠も、証拠もない。それで信頼できる関係性が築けるって?」


「もちろんですとも。ですが、すぐに信じてしまうようでは私が個人的にあなた様には失望はしてしまってました。国王は無条件にあなた様を信じておられるようですが、私はそうではなかったのです」


「その、国王が何者か知らんが、俺はあいにく身分なんてものに縛られている世界に生きてこなかったんだ。いくらその国王とやらの差し金で融通されたからといって信じるには足りないな」


 民主主義といえば聞こえはいいが、それもいきすぎれば上下関係がなくなる。

 人向前は先輩後輩の関係ですら、絶対服従といっても言い過ぎではないほど立場の違いは明白であった。

 しかし、それも昔のことで能力さえあれば歳、学年、役職ですら意味をなさない。


 この世界のこの国の王がどれほどの力を有しているかわからないが、この男は対等に見ている節がある。

 立場を超えて、信頼関係がある東野ならば元世界に近い価値観がそこにはある。

 ならば、一考する価値は少なからずあってもよい。


 


「そろそろ、話を進めさせてほしいのですが? このままここにいても時間だけが過ぎていくばかりですよ」


 どこかのタイミングで受け入れるつもりではいた。

 いかに多くの情報を聞き出すかを考えながらだ。

 そして、ここで提案を受けるべきである。


「わかった。お前が言うように俺も暇ではない。実際にどうするかは実際に見て判断させてもらう」


「わかりました。では、ご案内します。いずれも質が良いのでご満足いただけるはずですよ」


 執事風の男は赤レンガ造りの周囲とは一際色合いが明るい建物へと、引き付けられるかのように向かっていく。

 この辺りはどちらかというと暗い雰囲気が漂う地域に分類される。

 ならば、この建物は不自然といえるのではないか。




 実際に、導かれるまま足を踏み入れてみるとそこは、俺たちが滞在している宿に引けを取らないほどの豪華な装飾品と誇り一つない清潔な空間があった。

 現在は客の姿はないが、3名体制の受付は混雑時に対応するためであろう。

 ここで奴隷の売買を行っているなど考えにくい。


 そして、ここにもエレベータがあり宿と作りはほぼ変わりない。

 だが、向かうは中央エレベータではなく離れた場所に設置されている螺旋階段。

 吹き抜けになった2階ロビーに階段を昇っていく。


 そこには、個室が数部屋用意されていた。

 促されるまま部屋に入ると、何も映し出されていないディスプレイが合計30を数える。

 紳士が操作をすると、そこには椅子が映し出された小部屋が映し出された。


 


 再び操作をすると各部屋の奥から続々とあらゆる種族の人間が出てくる。

 服装も特に華美ではなくとも質素ではない、

 俺のイメージしていた奴隷とは明らかに異なっていた。


 場合によっては街で生活している人たちよりも環境に恵まれているとさえ思える。

 ここで見たものが真実と決めつけることも総計であり、奴隷の基準がここであるのかも甚だ怪しい。

 確かめるすべがなければそれは一種の答えとさえいえる。


「皆さん、お客様が参りました」


 奴隷商人が呼びかけると、自分の部屋から小部屋に移動してきた奴隷が一度椅子に座ると、正面に向か

って思い思いのアクションを起こす。

 魔法が使えることを示すもの。


 鍛え抜かれた肉体をアピールするもの。

 歌を歌うもの。

 何もせず正面をじっと見つめるもの。


「これは何をしている?」


「この中から気になったものと面談を行っていただき購入していただきます。各奴隷のプロフィールはこちらになります」


 渡された資料は名前と売られた経緯などが記されている、

 ぱらぱらと流し読みして分かったことは、やはりここにいる者たちは恵まれてなどいないということだ。

 そして、映し出された中で他の選択肢を奪われる一角があった。


 


 眼帯を巻いた全身傷だらけで今にも倒れてしまいそうな獣人の少女がそこにはいた。

 うつろな目をしていて、生気がない。

 ここまではっきりと周囲との差があることに違和感があった。


 おなじスタイルでは、微動だにしない者はいる。

 しかし、犬耳の少女は演技をしているようには見えなかった。

 相当ひどい仕打ちを受けてきたのではないだろうか。


 だが同情で手を貸すつもりなど毛頭なかった。

 今仲間たちの足を引っ張るような人間をどう来させるつもりはない。

 まして購入してあとは自由に生きろというのも酷な話だ。



 なによりも人の命をやり取りすることに抵抗がある。

 ペットを金で買うのと何が違うのか。

 何も違わない。


 命というのは同じでそこに責任が伴うのも同じである。

 違うのは、その立ち位置にある。

 同じ人間というだけで、地位まで確立することはない。


 そこには」絶対に揺るがないものが存在している。

 人を人とも思わない者にとっては人間を買ってすきに人生を握ることさえ、両親が痛むことはない、

 こればかりは倫理観を確立してしまったあとではそうそう変わりはしない。

 

 

「どういうことだ? 明らかにほかの奴らと違って体調が悪そうなのがいるが、健康管理もろくにしていないのかよ」


「あれは仕方がないのです。ここにやってきたときにはすでに体のあらゆる機能が失われてしまっておりまして、生きているのが不思議なくらいです。ですが、われわれも慈善事業ではありませんので……」


 どうにも信用ならない。

 俺はもとよりここにいる奴隷を救いに来たわけではない。

 それは、一人を助けることはほかの奴隷を助けないという選択をするからだ。


 ここで奴隷を助けて一緒に世界を旅するなんてことは想定はしていない。

 ここまで来るのに自分が仲間たちに救われてきたという自覚があるからこそ、安易に人を金で買うことなどできなかった。

 物語の主人公なら、まとめて奴隷を救い出すことも、良き相棒を見つけ出すこともできただろうが俺にはそんなことはできはしない。


 そうこうしているうちに、犬耳の少女は椅子から崩れ落ちてしまった。

 心が大きく揺さぶられたような気がした。

 何が起こっている。


「どういうつもりだ……」


「どういたしました?」


「どうもこうも、あいつ死にそうだろ! 早く医者に見せるなりしなければまずいだろうが!!」


「安心してください。あなた様のお買い物が終わりましたら速やかに処理いたしますので」


「処理だと……、ふざけるなよ。人の命を何だと思ってやがる!!」


 俺は顔色一つ変えずにたんたんと答える奴隷商人に怒りを覚えていた。

 今ここで他の誰かを選べば、あの娘は死んでしまうかもしれない、そんなことを考えてしまった。

 迷っている時間はもうない。


「あいつはいくらだ!! いくらなら売ってくれるんだ!!」


「お金はいりません、私についてきてください」




 この茶番はなんだと言ってやりたくなる。 

 最初から俺に選択肢などなかったのだから、思い、悩んでいたことさえばかばかしく思えてくる。

 ここで食って掛かことは簡単であるが、すでにレールに乗って進みだしてしまっている、


 どこまでもこの世界は俺をどん底へと引きずり込もうとしてくるわけである。

 誰かが望んだことを叶えるのは誰かであって俺の仕事ではない。

 そのはずが、偶然なのか必然なのか収束する先に俺がいる。


 エレベータを何度か行きしたさきに厳重に隔離された部屋があった。

 映像では他の奴隷たちとは同じ作りの同じ管理体制で、生活していると思っていたがそうではない。

 ここは彼女のためだけに用意された部屋だ。


「ここから先はあなた様にお任せすることになります。奴隷との主従契約の仕方は首輪にあなた様の血を注ぎ契約を実行するといってください。準備はできています」


「彼女を連れて戻ってくるぞ!!」




 床にあおむけに倒れている少女は微動だにしない。

 駆け寄って抱きかかえるがぐったりとしていて、心配はすでに停止している。

 心臓が動いていないのだから、もうすでに生きていないといえる。


 俺は自分が死んだ人間を生き返らせることが溺愛ことを知っている。

 だが、諦めらめきれなかった。

 そう、元の世界であればおそらく手の施しようもなくあきらめていただろう。


 とっさにとった行動が自分の魔力を瞬間的に流すことだった。

 そこからは人工呼吸、心臓マッサージと思いつく手は尽くしたが、もともと弱り切ってしまった状態では無意味であった。  




 自分にできることはすべてやれたのだろうか。

 目のまえの少女はこのまま二度と目を覚まさないという責任は誰がとるのか。

 いずれにせよ、残るのは効果だけではない。


 今ここで、こうして命を救おうとした責任は取らなければならない。

 人の生死にかかわったのが、それを生業とする者ならば救うことができないことも少なくないだろう、

 だが俺はそうではない。


 生半可な気持ちで手を尽くそうなどとはおもっていない。

 失敗をしたことによって命を落とすことになるならば、少なくともこの初めての経験は枷とする。

 少女の首に自分の血と誓いをささげる。


 この時魂無き者との契約が無効であるということは知らされていなかった。

 そもそも魂のない者は人と呼べるのか答えを知らなかった。

 結果的にこの縁は途切れることはなかった。



 

 奴隷として少女と契約を結んだことで、義務を架せられた。

 奴隷の命は俺の中にある。

 主の命令は絶対である。


「死ぬな!!」


「……ッ」


 今、確かに少女がピクリとはねた。

 それは一瞬のこととはいえ確かにこの世界に魂が繋がれたことを意味している。

 命令とはいえ、実現不可能なことを行うことは現実的には不可能である。


 それなのに肉体が反応したのは、完全ではない場合実現可能な限界の値まで命令を遵守することの証明であった。

 魂は確かに肉体につながれているのだから、人間の体は完全に息絶えるまで贖い続ける。

 生きた数億、数兆の細胞により構成されているからこそすぐに終わりはしない。 



 


 本人の生きる意志がなければ、これも無意味だ。

 後は治療薬をあたえることしかできなかった。

 意思表示ももろくにできない状態ではパーティーにも組み込むこともできない。


 このままでは本当に死なせてしまう。

 頭をフル回転させ、できることを探す。

 そこで、一つの可能性を見出す。


 ディアナのアビリティによる吸血鬼としてのものだ。

 吸血鬼といえば血を吸い眷属をつくイメージが根強いが、その逆もあるというのだ。

 



 内情を何も知らないまま仲間として引き入れることは簡単なことでない。

 結局のところ、契約で締め付けてしまえばここぞというときに必ずほころびが出る。

 直接的にも間接的にも所有者に逆らえないとしても、意図せぬところで必ず報いを受ける時が来る。


 俺はそれが分かっていながらもここで見捨てはしない。

 一人のエゴによってこの世界に及ぼす影響なんてものは蚊が知れていると思っている。

 少なくとも思い上がるのにも再現くらいあってもよいとしているのは事実である。


 自分自身に刃を立て処女の口に流し込んでいく。

 眠っている者の口に血はおろか飲食をさせることは危険としか言いようがない。

 しかし、この血は確実に体内に取り込まれ一体化する。





 できることはすべてした。

 そのまま祈るように蘇生術を続ける。

 この時間が長く感じる。


 力を籠めすぎればこの小さな体を壊しかねないため、細心の注意を払いながら続けていく。

 経験したこともないことだからこそ、今が果たして終盤に差し掛かっているのかはたまた瞬く継続せざる負えない状況なのかが定かではない、

 終わりの見えない、だからこそ不安で仕方がない。


 一瞬、力を必要以上にかけてしまった。

 それが果たして功を奏したのか少女は口から血を噴出し心臓が再び鼓動を響かせる。 

 弱り切ったにくたいにはそぐわないその力強さで、安堵したのもつかの間。


 意識が戻らない少女に俺は不安がぬぐいきれなかった。



 

 まるですべてを見ていたかのように奴隷商人が部屋へと入ってくる。

 すべてが気泡となりはじけ飛んだというならば、諦めこそできなくとも一つの区切りにはなっただろう。

 これが命をこの地にとどめる結果とあったならば、最早ことは単純ではない。


「この結果、知っていたな」


「私は未来を知ることなどできようはずもありませんよ。ですが、あなた様は私どもの期待を裏切ることはありませんでした」


「ふざけたことをぬかすなよ。こいつは目を覚まさない……」





 責任を転嫁された当事者になってみれば笑い事ではない。  

 なんとか死なせずに済んだというだけで、いつ目を覚ますかわからないのだから穏やかではない。

 俺は抱きかかえた少女のあまりの軽さに目頭が熱くなる。


 自分の無力さとこんな自分によって死ぬことを拒まれたことをなんとするのか、目を覚ました時に何を言われるのかを想像するとやるせない。

 之からのことを考えられる余裕があるのだとすれば、この殺風景な部屋でさえ不思議と趣がある雅な風景に見えてくる。

 死を匂わせる空間であったことが嘘のようだ。


「私が言えることは、奴隷は生きてあなた様のものになったということだけのようですね。お帰りはこちらになります」


「おい、話は終わってないぞ!!」


「今日は早く帰られた方がよろしいかと存じます。形はどうあれ、近くお会いすることになるのですから」


 誘導されるがままに俺は屋外へと歩み始めていた。

 



 年端もいかない少女を抱えてでてくることになるどとは微塵も思っていなかった。

 そもそもこんな結果は望んでいないといえる。

 できることならすべての人間の自由を勝ち取り、大手を振ってまかり通りたいものだ。


 夢物語だとわかっていても一人を連れ出し禍根を残してくるなどあって良いはずがない。

 それがおごりだというのだ。

 だれかから指摘されたわけではない。


 奴隷商人はいつの間にか目の前から消えていた。

 先導されて外に出たというのにおかしなこともあったものだと笑えない。

 何から何まで掌の上で転がされていたのだと改めて実感させられる。 





 なるべく人目に触れないルートで宿へと向かっているはずだったのだが、いつの間にやら人の目など気にならなくなっていた。

 街の中心地に向かえば向かうほど人がいない場所などなく、右も左も視界には誰かが必ずいるのだから最早気にしていた方がかえって注目を集めてしまう。

 それなのに、俺たちの存在などまるで空気にでも溶けて消えてしまったかのように気になどされていなかった。


 逆の立場ならつい視線で追いかけてしまうそうだと思うのは、俺自身が奴隷などというものを特別視しているからに他ならない。

 人は誰しも平等ではないのは周知の事実であるというのに、受け入れ切れていないからだ。

 皆等しいというのならば俺はこんなところで命がけの旅なんてしてはいない。


 しかし、ここにいる誰しもが種族も性別も気にしている様子はない。

 それは機会が誰しも平等にあることを知っているからだろう。

 それは、街の影もまた同様であるのだが、それはこの街に限ったことではない。




 自分の今の状況になって初めて周囲にも奴隷がいることに気が付く。

 それも不当な扱いを受けている様子はなく、差別も偏見も見受けられない。

 誰しもが向上心の上に生きているため、自分よりも何らかの形でマイナス要素があったとしてもそれにとらわれている様子がないのだ。

 

「この街で過ごすのが幸せなら俺はそれでもかまわないと思う。意識がなくても耳から聞こえた音は何らかの形で響くと俺は思ってる。目を覚ました時そこに自由を約束する」


「…………」


 目を覚ました時に後悔するなんて悲しい。




 

 大通りに出るころには飲食店が軒並み店じまいをする時間帯になっていた。

 もしもこの娘が目を覚ましたならおなかが減っているかもしれない。

 そんな時に食事ができるところがないと不便にも感じたが、空腹だからと安易に食事をとることで体を壊すのは常識であり、理性があればそれほど重要なことではない。


 宿までの道のりが遠く感じる。

 次第に、周囲から奇異な目で見られているのではないかと思い始めてくる。

 先ほど前は俯瞰していたが、思いのほか賑わいを見せる街に無意識に影響を受けていたようだ。 





 人ごみを縫うように歩いているというのに、人とぶつかることはなく宿にたどり着けた。

 俺がぐったりと力なく眠っている少女を抱えていることで、気を使ってくれていたのか余計な問題になるような事態を回避しようとしているのかは定かではないが、良い方向に動いているのは間違いではなかった。

 少なくとも限られた世界では小さな平和は存在している。


 宿に戻ると部屋の前にルナが俺たちを待っていた。

 ルナが部屋の中ではなく、あえてエレベーターと部屋の間の誰の侵入にもすぐにわかる場所にいたのは偶然ではないだろう、

 奴隷の存在も知っていて、それでいてこの結果も恐らくわかっていた、


「ダーリン、奴隷は人の咎だよ」


「俺も人ということか」



「絶対に関わってほしくなかった、これ以上一人で抱えこまないでほしかった。だけど、こうなるのはボクはわかってたとおもう。違うね、ボク達ダーリンと一緒にいた誰もがそう思うはずだよ」


「改めて言われると、そうなんだと思うよ。俺はこの世界なら自分の思うことが何でもできる気でいた。実際はそんなことはないのにな。こうやって一人の一人の命を救うことすら危ういんだぜ?」


「大丈夫……すぐ目を覚ますはずだよ。魂はちゃんと身体にとどまっているから」


「それを聞いて安心した。俺には魂の在処はわからないから……」

 



 ルナに扉を開けてもらい、空いているベッドに少女を寝かせる。

 いつ起きるかもわからない。

 この部屋に案内されたときは俺達には広すぎるとも思っていたものだが、今となってはこの部屋でよかったと思わざる負えない。


 それに、まだ余裕があるというのだから驚きである。

 これからのことも考えるならば、これからの旅ではここの間取りを拠点に再現することも考えておいた方がよいだろう。

 一度味わってしまった感覚は良くも悪くもなかなか忘れられないものだからだ、



 

 日が暮れるころには全員が戻ってきていた。

 各自得られた情報を照合することで効率的に探索ができたことは明白であった。

 何よりもこの都市で過ごしてきた者がいることがその精度を高めた。


 事前にアスからこの街にはびこる闇の部分は聞いていた。

 それに、この国の王族が絡んでいるということも。

 暗い世界に少年を突き落とした形となっていることに後味の悪さを感じつつ、表舞台では俺たちが盛大に注目を浴びつつ目的を達しなければならない。


 何も、この世界をいきる者すべてを引き付ける必要はない。

 あくまでも害をなすものだけでよい。

 



 

「この状況の説明……、してくれるかな?」


「私の回復魔法でもすでに欠損しているところまで元には戻せません。それにしても、どうしてこんなことになったのかを教えてもらえますか?」


 口々に俺への質問が飛び交うが、その当人でさえまったく知らされていない以上答えようがない。

 髪で隠れていたからこそ見えないことでごまかしてきたが、少女には右の眼球がなかった、

 痛々しく見える。


 同情したところで何かが変わることもない。




「奴隷の存在を知った……。俺の世界にも何千年も前から現代まで俺の知らないところで制度として存在していることは知っていたんだ。それが合法であろうとなかろうと確かに生活に根付いていたってことは知っていた。それでもだ。俺のいた国では少なくとも身近ではなかった。だから、俺が救ってやればいい……金ならある。なければ力づくで解放してやればいい……そう思っていた。その結果がこれだ」


「答えになってると思うの、それで?」


「わかってる。奴隷商人の言うままについて行ってこの娘を無償で引き取った。はじめから俺に渡すつもりだったとしか思えない。しかも、どうやらこの国の王が絡んでいるらしい。本人に聞かなければいけないことがあるがいつ起きるかもわからない」


「私の知ってる知識と同じとは限りませんが、これだけ弱り切っているとなると今まで受けてきた事にたいするトラウマもあって目を覚まさないってこともあるかもしれません」


 ディアナが言うことは察しが付く。

 俺はまだ倒れる前の姿をわずかな時間だとしても、この目で見ている。

 絶望した生気のない表情の奥に、それでもこの世界に一矢報いる光を見た、




「これまでのことを掘り起こすように聞き出すつもりはないさ。これから起こることが今までよりもよかったって思わせたいだけだ。だけど、俺たちの未来だって明るくはない。場合によっては過去を塗りつぶして余りあるほどの絶望と向き合うことになる可能性も少なくない……」


「それを決めるのはあの娘でしょ?」


「アマトが思っているほど人は弱くないかな」


「それならそれでいい」


 俺たちが歩む先に待ち受けているものはあまりに暗い。

 問題はルナが見たもうひとりの自分だ。

 これから先、立ちふさがるも後押しするも、何らかの形でアクションがある以上放ってはおけない。

 

 


「先のことはこれから考えるとしても、一人で寝かせておくわけにはいかないよね。アマトにはなんにでも首を突っ込まないようにしてよねって言ってもどうせ聞かないし、そうする必要はないとは思うよ」


「ダーリンのいいところでもあるから、そこはそのままでいいけど……」


 珍しくルナの歯切れが悪い台詞に考えを見直す必要性を感じた。



 


 各自集めてきた情報をまとめると、首都でやらなければならないことがいくつもあることに気づくことになる。

 短い滞在では最終的に闇の軍勢には立ち向かうことなどできはしない。

 ゴールに辿り着くことのみに焦点を置くのであれば、行きつく先はおのずと情報収集の結果として答えは見える。


 だが、それだけにすぎない。

 あくまでも何をするかにかかっているということを忘れてはいけない。

 この首都という場所には少なくともこれから先、必ず必要になってくるであろうカギがある。


「明日は俺がこの娘をみているから、俺の分まで集められるだけ情報を集めてきてくれ」



 

「明日は私に任せてください、アマトさんがしなければいけないことはここにいることではないはずです」


 いつもディアナに任せきりにしておくことも、自由を奪うことにも抵抗があったがここは素直に従うしかなかった。

 理由は明白で、彼女に任せなければほかの誰かに見ておいてもらう必要があった。

 それが俺でもよいのだが、一人にしておくことはできない。


 なんらかのアクシデントがあった場合対応できるものは限られている。

 それが敵襲であれば、状況は悪くとも対処そのものは可能である。

 しかし、体調の悪化であればそうはいかない。


 無論、俺が命をつなぐことができたことは奇跡といっても過言ではない。

 選択肢を誤らなかっただけなのだから、 




 

 誰かが選択肢を奪われることはあってはならない。

 理解したうえで、任せなければならないのだからどうしたってうまくいきはしない。

 ここで俺がしなければならないことは一つ。


「明日までには戻る。もう一度奴隷商人にあってくる」


「私も行こうかな」


 ユイナは有無を言わせなず、立ち上がると俺の手を引いた。

 自分がついていくのではなく、自分だけが同行者として牽引することの意思表示なのは明らかである。

 そこには誰かが追随することは許されない。


「気を付けて行ってくるにゃ」


 どうやらこれは決定事項であれ、俺に選択肢はないようだ。






「時間もないし、夜に出歩くのはいけないんだからせめて完全に日が暮れる前にはその奴隷商人のところに行こうよ」


「それじゃ、ユイナと行ってくる。後のことは頼む」


「「了解」」

 

 一人で行くつもりでいたが、ユイナであれば一緒に来てもらった方が心強いと思えた。

 思い立ったらすぐに行動するしかない、

 日が暮れてから外を出歩いていれば衛兵につかまりかねない。



 正義のヒーローとは言わなくとも、いわれなき罪で捕まるようなことにはなりたくない。

 一度足を運んだ場所に行って帰ってくるだけだ毛の簡単なことだ。

 ユイナを連れて行くにしても同様に、何一つとして変わりはしない。


 昨日の雨も影響もほとんどない。

 大粒の雨が降ったというのに、水没することもなく水はけがよい道は急がなければならない俺たちにとっては非常に都合がよかった。

 特に高低差の激しい谷のような地形に位置する奴隷商人の拠点に行くのにはなおさらである。




「この辺りはずいぶん雰囲気が違うね。これから話を聞かないといけない奴隷商人がどういう人か心配になってくるかな、アマトを一人で行かせたくない気持ちもわかってくれるよね?」


「無事に戻ってきたんだ。そこは心配しなくても問題ないだろ。まあ、俺だって何度も好き好んであんなやつには会いに行きたくはない。できればあいつにはだれも会わせたくはなかった」


「本当にいつになったら信じてくれるようになるのかな」


「それとこれとは話が別だろ」


 みんなが俺に対して心配してくれているのはわかっている。

 だからと言ってすべてを打ち明けることもできない。

 それでも、抱え込むしかないことだってある。



 今から向かうのはユイナには馴染みのないせかいなのだ。

 人は平等ではないと思い知らされる場所の代名詞というのは、非現実的であってそこで生きる者にとっては日常である。

 それは自分自身で打開することを封じられてしまった閉じられた世界。


 甘んじて受け入れることは心を奪われるも同義。

 決して揺らぐことはないのだ。

 それをユイナはわかっているからこそ、踏み込んでこない。 


 人通りが少なくなってきたが、さびれているという雰囲気は全くない。


 


 日中でさえ入り組んだ地形と高低差と高い建物のせいで薄暗く、静かな街並みも数刻の後に別の顔をみせる。

 それでも、ゴミも落ちておらず汚れもない澄んだ空気は町中とは思えない。

 森を抜けてきたとはいえ、首都が淀んでいるとは全く感じなかった。


 それも、管理が行き届いているからなのだろう。

 自然の浄化作用とは違った人が作り出す、浄化された環境がここにはある。

 あと少し進めば目的の奴隷商人の元へたどり着くが、一人で来た時にはこんな気分ではなかった。

 

 今は一歩前に出れたのだろうか、



「これだけ入り組んでいるのに、迷わないでこれるものなのね。私だったら、迷ってたどり着けないと思うよ」


「俺だって一度しか行ったことがないところにこうもまっすぐ行けるなんて思ってなかった。不思議と足が進もうとする。それに従っているに過ぎないといえばいいのか……。まるで自分の意思とは関係ないかのようにさえ思える……」


「私はまるっきり別人になったわけだけど、アマトは違うんだよね?」


「いや、俺方が……」


 この先はとても言えない。



 俺の中には数百万人を超える人の魂があるようなものだ。

 それで元々の自分と同じだと言えるのか。

 時折力の根源が垣間見えるような気がするが、それが本来の自分の才能なのか与えられたものなのかはわからない。


 アビリティによって得られた力はそのどちらにも該当しないとしてもだ。

 明らかにならない不確定要素がこれだけ多く抱えているのは気持ちが悪い。

 人間そのものがブラックボックスのようなものだと、昔偉い人が言ったらしい。


 人間に限らず複雑な構造の生物というものは科学が進歩したところで、完全に解き明かすことなどできはしない。

 それが魂、意思というスピリチュアルと脳、心臓などのサイエンスがリンクすることがないことでさらなる深みへとはまっていく。

 

 


 

 辺りが次第に暗くなると、照明の揺れる光がまるで草木がなびくように路地裏を照らし出す。

 その光の数だけ人が住んでいるというのだから、この首都に集まり営む人数など予想もできない。

 どの程度管理できているのかも気になるところではある。


 それを確かめるのはいまではない。

 だが、此処は間違いなく裏であって表ではない。

 だからこそ見えてくるものもある。




 日が完全にくれる前に目的の場所までたどり着くことができた。

 多少なりとも迷うことも想定していたというのに、おそらく最短ルートを通ってきたのではないだろうか、

 それが自分自身の選択ではないとしても、今回ばかりは素直に結果に満足するしかない。


 不足分を補って余りある成果ならば追及して、本来得られた時間を無駄にするのは論外なのだから前に進むしかない。

 招かれざる形とはなったが、扉わきの呼び鈴を押す。

 鳴り響くかと思いきやその様子はない。


 出迎えにやってきたのは俺たちと年も近いと見えるハウスメイドが二人。

 ここが貴族の屋敷とでもいえば納得するやもしれぬが、俺たちはここがどこであるか知っている。



「お待ちしていました。どうぞこちらへ」


「待っていただと……」

 

「今は考えていてもしょうがないでしょ。目的以外は今は忘れて」


「そうだな」


「きになるでしょ? どうして私たちがあなた達が来たと同時に扉を開けたか。気にならないわけがないわよね」


「アマト」


「わかってる」


 何が目的化はわからないがメイドの一人は俺たちに対して、隠していることがある。

 メイドというのに数刻前に訪れた時には出迎えは愚か姿さえ見せなかった。

 それが、偶然であるならばともかく言動から察するにいとしての事だろう。



 すべては把握できずとも、その糸口くらいは知っておきたい。

 ここが普通でないというのならば、安心材料は欲しいのだ。

 俺一人ならば、どうとでもなる。


 ユイナも一緒にいる以上うかつなことはできない。

 隙を見て二人を屠ることはできるやもしれぬが、それでは今も眠り続ける少女を救う緒は見いだせない。

 ならばここは様子を見て、事の成り行きに従うほかあるまい。




 二度目だというのに案内される人が違うだけで雰囲気も変わって見える。

 それがこの異質なメイドならなおさらというもの。

 至る所に装飾品が施された彫像や絵画が目立つ。


 俺達に縁のない場所だと思いたいが、あいにく俺は足を踏み入れてしまっている。

 毒を食らわば皿までとは言わないが、一人の少女を救って終わりというつもりはない。 

 しかし、此処にいた奴隷には違和感があった。


 何かがおかしい。




 俺のイメージとあまりにも違いすぎていた為、眠っている少女との違いに気が付きもしなかった。

 身支度もできていたからこそ、小綺麗なであることの理由も付随していると思っていた。

 それはすべてが同じ理由ならばだ。


「ここでお待ちください」


「ここは、昼間に来た奴隷を選ぶために通された部屋だ」


「あのモニターに映し出されるんだね。今は何も映っていないみたいだけど?」


 ユイナが言うように今はなにも映されていない。

 以前は俺が入室した時にはすでにモニターは個室を映し出していた。

 それは俺に限らず、誰かがここで売買を行うことが決まっていたかのように。


 

 


「あのモニターに映った奴隷の中にいたんだ。度の奴隷も身なりはよかったんだが、一人だけ毛色が違ったってわけだ。だからってわけじゃないが、このありさまだ。まったく冗談ではない」


「アマトが助けなきゃ、あの娘は……、だめだったんだよ。今だって助けるためにここまできたんでしょ? 私はそのへんのことはわかってるつもりだけど」


「わかってるさ。言わなくても……、わかってる。俺だってやれることだけはやる」


「私はできないことでも、アマトならできると思っているからここにいるのよ?」


 足音もないままに扉が開く音が鳴る。



 

 

 そこに現れた人物に対して、意表を突かれた。

 当初は奴隷商人その人が、事の次第を説明するために待っているものと思っていた。

 それが、顔を隠した人間が出てくるとなると不信感が先に抱いてしまうのは仕方がない。


 顔の表面を四分の一を隠す木彫り人面のようである。

 俺の生まれた国の古来に催した催事で使用された面に似ているが、まるで生きているかのような質感が感じられる、

 遠目には面をつけているなどとは思えないだろう。


 しかし、目前では面であることは疑いようもない。

 そこが極めて妙なところである。

 



 悪意や敵意は一切感じられないというのに、どうも素直に信用する気にはなれなかった。

 どこか親近感を感じるのもその要因の一つと言っていい。

 一度も会ったこともない人間に感じる感情としては不可思議である。


 これが果たして偶然なのか、面を着けた者の筋書きに沿ってあるべくして起きた事象なのか。

 それはこの際関係がない。

 伝わってくるのは意思の念だけなのだから。 




 

「君に会えて良かった。正直、来なかったらどうするかなんて考えてなかったものだから、心底ほっとしている。改めて礼を言わせてほしい。ありがとう」


「礼を言われる覚えはないんだが。それよりも、あの奴隷商人はどこだ!? 俺が押し付けられた奴隷の少女について情報がほしっていうのに、なぜ出てこない」


「これはすまない。順を追って説明させてほしい。今ここにはいないが、私が代わりにこたえることは可能だ。あの子は私の妹だからな」


 自分の妹だというこの男は本当にあの少女の兄なのだろうか。

 犬耳の少女の兄だというのに、特徴的な耳は確認できない。

 長髪だからこそ髪に隠れているのだろうか。


「兄というのなら、なぜそんなに落ち着いていられるんだ。それどころか、今の現状に満足しているようにさえ見える。ふざけているのか……」

 



 自分ならばという思いが苛立たせる。

 感情的になることが良いことだとは思わない一方で、そうならざるおえないことも個性といえる。

 そう、この面の男には個性がない。


「妹の名前はユノン・イル・ファトル。私はユリフィス・イル・ファトル……この国の国王だ。妹は、命を狙われていた。だから、奴隷にして市井に紛れ込ませてしまうはずだった。だが、遅すぎた。顔も公表されていないというのに呪いを受けて死ぬ寸前だった。それを君が助けてくれたというわけだ。兄ならば命が救われたのだから安堵してしかるべきだろ?」


「だからと言って奴隷になんてしなくてもよかっただろ」


「この世界は綺麗ごとではどうにもならないことに溢れている。俺も特別な力があれば……。君にできることでも私にはできなかった。それがすべてだ」


 



「勝手に人を巻き込んでおいて、どいつもこいつも好きかって言ってくれる。それが国王だからって俺には関係のないことだ。結局はこの結末がすべてなんだからな。ユノンは生きてる……生きていたから、よかったものを、助からなかったときは俺を恨んでいただろ? 結果論なんてそんなものなんだよ」


 俺の言葉に怒りの表情を面の裏では作っていると思っていたが、一瞬で俺の元へ距離を詰めると耳元でそっとつぶやいた言葉に息をのんだ。

 やはり想像していた言葉と正反対であり、それでいて揺るがない『恨むことはない』という重い思い断言であったからだ。

 面の男の意図は読めない。



 

 迷いのない言葉にも種類があるが、感情を込めた言霊は今の俺には十分すぎるほど伝わる。

 それが嘘ではないということを、決定的なものとする。

 そこには特別はない。


 俺の返事も待つこともなく元の位置にもどる。

 威厳なんてものは微塵もない。

 ただそこに、面をつけた男がいるだけである。


 それなのに、目を背けることなどできはしない。

 確かに王の器ではない。

 王としての資質などなくとも、人を導く力を有している。





 

「妹の命がかかっているのだから、私のできる範囲で全力でサポートはさせてもらう。もちろん、君たちの旅にも全面的に協力する。残念なのは国としてのサポートまでは確約できないのだが、そこはりかいしてほしい」


「端から期待なんてものはしていない。そんなことよりもユノンにかかっている呪いはどうすれば解ける?」


 俺たちの誰しもが呪いの存在に気が付かなかった。

 それは、ユノンをみて判断ができなかったわけではない。

 何者かに、巧妙に隠蔽されていたということだ。


 断定することができる材料は、いくつもあった。

 俺たちを分散するように刺客が襲ってくることも、偶然ではなかった。

 



 呪いなどと回りくどい真似をしてでも俺たちの戦力を拡充する狙いを持って行動している者がいる。

 そこに巻き込まれたこの国も、いわば被害者といっても良いだろう。

 しかし、それに対して俺たちが責められることはなかった。


 無論、術者との関係がない国王であるから事実を知らないこともあるだろう。

 それでも恨み言の一つもないことに違和感は感じる。

 今、問い詰めなければ二度と聞き出せない可能性があるというのに絵安打言葉は違っていた。


「どうすれば呪いが解ける?」


「目を覚まさないと言っていたけど、呪いの本質は魔力の枯渇にあるのはわかっている。ユノンが命をつなぎとめたのは、おそらく君の仲間の治療によるものだろう。君たち全員の魔力をユノンに注ぐことだ」


「そんな、ことをしたら!!」


「それしか方法はない……なぜならユノンの魔力そのものに呪いがかけられているのだから」


  




「存在自体が怪しいものに呪いだと? まったなんでもありだな」


「私がその辺のマナをある程度自由に操れるのと似てるかもしれないかな。同じかどうかはわからないけど、私だって空気中のマナに付加することができないこともないし」


「少なくとも俺にはできない……ということは、誰でもできるってわけではないってことだ」


 誰しもおもうはずだ、じぶんならと。

 




 魔力というものは、血液のようなもので完全にゼロにすることは不可能に近い。

 それが事実であろうがなかろうが、関係などない。

 呪いを解くのであれば包括的に対処するか、呪いのみに的絞って対処しなければならない。


 その答えを知りたい。

 呪いよりも効果的な回復手段があったからこそ、命をつなぐことができたが、それも恒久的な対処にはなっていない。

 だからこそ。目を覚ますまでには至らなかった。


「君には呪術者を倒してもらいたい。無論、よくある術者を倒せば呪いが解けるなんてことはない。それをわかっていて呪術者を狙う意味は分かるな」





「呪いの解き方を聞き出すか若しくは……。当てがないわけはないが、必ずしもうまくいくわけではないと言っておく。それでも、俺にやれというのか?」


「君にできないのなら、可能性はないようなものだと思っている。呪術者を優れた術者が見つかる保証はないならな。それに呪術者はそう遠くない場所にいる」


「居場所がわかるというのか」


「わかるからこそ、どうしようもない。私は王としてここを離れることはできない」


「これ以上押し問答をするつもりはない。相手が誰であろうと、助けると決めたんだ。場所を教えてもらおうか。その厄介な種を蒔いた落とし前は、つけさせてもらう」





 

 

 相手が国王だろうと、神様だろうとそんなことは関係がない。

 所詮は一人の人間でしかない。

 それに、自分では成せないことをことをお願いする側の立場である。


 国王が勇者に世界を救ってくれなどというのはファンタジーの王道展開だというのに、それが妹ならば話も変わってくる。

 本来であれば助ける義理もなければ、従う理由もない。

 それでもかかわってしまった以上、捨て置くわけにもいかない。


  



「ここ首都から北東に20kmほど行ったカカラ村に潜伏していると斥候から連絡が入っているが、こちらの動きは読まれているのはほぼ間違いないだろう。おそらく、迎え撃つ準備はしているとみているに違いない」


「居場所が分かっているなら、早くいった方がいいんじゃないかな?」


「すぐに行くつもりはない。対策もないしうごいて取り返しがつかなくなることは避けなければならないだろ。初手ってのは最初で最後なんだからな。次は同じ手は通じなくなるんだ。失敗は許されないってことさ」


 どれほどの力を持つものかわからないが、呪いに関しては明らかにこちらよりも上なのだから油断などするわけがない。 


 



「アマトの言うことは間違っていないのはわかるけど、王様はそれでいいんですか? 早く目覚めてほしくないんですか!?」


「私の考えは変わらないし、この国を治めるのは私であって妹ではない。それに妹はこの国ではなく、この世界を救う存在になる。まあ、それは過程に過ぎないと言っておこうか」


「それを決めるのはお前じゃない。俺でもない……」


「そうか、それは頼もしい」


 国王が嫌味を言ってるなんてことはない。

 俺が、今眠ってる国王の妹の意思を尊重するといったことに対して、間違いなく、誤ることなく、踏み外すことなく正しい選択をする自信があるのだ。

 



「いまはこれ以上時間を無駄にするのも惜しい。ユイナ、戻るぞ。俺達には俺たちでやることができたようだ」


「思っていたよりも時間が経つのが早く感じるね、早く動かないと予定通りにはいかないかな」


「念のためというわけではないが、これを渡しておく。わかるだろ?」


 俺が渡されたのは手のひらに収まる程度の大きさの金印だった。

 本来であれば、国王がどこの誰とも知れぬものに渡すものではない。

 そもそもだ。紛失の恐れがあるものを個人に与えることが正気の沙汰ではないといえる。


 だが、こいつは理解を求めている。

 知っていることを知っている。

 予想はしていたが、この国といい、王といい、理に反している。



 

 

 メイドの一人が扉を開く。

 もう話すことはないことを暗示している。

 表情一つ変えないことが物語っている。

 

 俺はこのメイドが人ではないことはわかっていた。

 否、理解したのだ。

 この、メイドからは常に王の気配があった。


 王そのものといってもいい。

 そして、それは今も眠り続けている妹には感じられない何か。

 この男そのものが、この国だ。

 




 建物の外までメイドは送り届けると、いつの間にか姿を消していた。

 物陰から奴隷商人の姿を見た気がしたがおそらくそれは、見間違えではない。

 最初から最後まで奴の思い通りに動いていたにすぎない。


 しかし、それが間違った選択だとは思えない。

 それなのに、ユイナは俺と違った見解をしてると見える。

 いつも俺の考えに皆同調しているが、だからと言って何も考えなしというわけではない。


「アマト、私はすぐに助けてあげたい。それが、最善じゃなくても……国王の思い通りだったとしても……」


「ユノンを助けるために、呪術師を直ぐに討ちに行く。ユイナに言われたからじゃない、俺の考えが変わっただけだということははっきり言っておく」




 

 ここにきてなお、憂いは断っておきたい。

 みんながそれぞれの世界で生きていくためには、禍根が残るようなことはしたくはない。

 万が一失敗するようなことがあっても、責任はすべて自分にある。


 ユイナに何度言われようが、そうそう考えは変わらない。

 結果が指し示すというのならば、それに従って進んでいくしかないのだから納得もしない。

 それが価値観を押し付ける形となっても、この思いは忘れてはいけないのだ。


「もうすっかり日も暮れてしまったね」


「夜に出歩くなんて、ろくなことがないからな。さっさと帰ろう」



「お、落ちましたよ」


 震えた声で、少女が何かをそっと差し出してきた。

 確かに俺の懐から何かが落ちる気配はしたが、落とすものに心当たりがなかったばかりに気にも留めなかった。

 というのは建前で気にするだけの余力を失っていたのだ。


 しかしなぜ、そこまで震えおびえるほどの事なのだろうか。

 受け取って初めてその事実に頭を抱えることとなる。

 そこにはこの国で流通する最高単位の貨幣があったからだ。


 無論、最高額というのは巷に出回る貨幣とはわけが違う。

 俺が生まれた世界においても、生まれて死ぬまでの間に眼前に拝める機会すらないということもありえた。

 それを拾ったとなると、正気でいられないのもうなずける

 

「ありがとう。助かったよ、これは仲間みんなで稼いだ金なんだ。なくしたなんて知れたらただでは済まなかったよ。これは気持ちだ、受け取ってくれ」


 俺は子供に渡すには多少多いかと思える程度を渡した。

 渡しすぎても、少なすぎてもいけない。

 さすがに、この金額の何割かを渡すなんてことをしたら人の人生を変えてしまう。


「ありがとう!!」


「おっと、教えてほしんだが。よく知ってたな、どこかで見たことがあるのか?」


「学校の授業で習ったけど、本物は初めて見たよ」


「教えてくれて、ありがとう。優秀なんだね」


 少女は絵笑顔を浮かべて近くの建物へと消えていく。

 やはり裏通りであろうと治安が悪くない。

 教養もある人間が住んでいる以上、この国の未来は暗くはないだろう。


 



 首都の暗い部分は確かにあるが、それを正すのは俺ではない。

 今は、目の前の問題は目をつぶるしかないが順番に処理はする。

 物語を主観的に見れば一つの道にしか見えてこないが、俯瞰的に見たとき同時に問題は解決させることができていると知る。


「小さい子には優しいんだね」


「その言い方はやめろ。誰に対しても優しいとは言うつもりはないが、特別だれかに対して態度を変えているつもりはない」


「知ってるよ」


 


 このやりとりも幾度となくしているが、出会ってから間もないというのだから不思議なものだ。

 人間だれしも相性というものがある。

 最初からうまくお互いのことを理解することなんてできはしないと思っていた。


 今も本当の意味で理解はしていない。

 何を考えているのかも分からない。

 それなのに、おそらくこう考えているのではないかと思い行動したことがまるで決められた事象のようにうまくいってしまう。


 失敗したと思えばフォローが入る。

 だからと言って、自分ののぬりょくによるものだとは思っていない。

 ここでそれが、自分の力らだと錯覚するればこの関係は終わる気がしたからだ。


 

 

 街灯があってもこのあたりは入り組んでいるため迷ってしまいそうになるが、目的地が俺にはわかっているため、道に迷うこともない。

 この世界にきてすぐに抑えておいたところが今も十分に活きている。

 先ほどまで賑わっていた通りも今では誰もいない。


 日中も衛兵の見回りがあったが、日が暮れてからは明らかに人員を増員しているの間違いない。

 ところどころで拘束されている風景を見ることになるが、それが想像していたよりも多い。

 警戒体制が万全なためか、大きな騒ぎになるようなことにはなっていない。

 



 問題ごとに巻き込まれないように最小限に接触で宿に戻るルートを辿ることが、こうも難しいとは思わなかった。

 おかしな動きをすれば街の誰かに見られてしまう。

 気配を消せば問題ないなどと単純な話ではない。


 気配を消せる人間がいるということはその逆もまたしかり。

 見つけることに特化した人間も存在していることは必然。

 こちらが手の内をさらせば、漬け込む隙を与えかねない。


 ならば極力スキル、アビリティを秘匿する必要がある。

  


 


 衛兵の動きが一見不規則なようでパターンが決まっていることに疑問はなかった。

 それもランダムを作り出し、ルールとして縛る仕組みを構築することの難しさとその意味を末端に浸透させる管理体制。

 この国の国防に隙を見つけるのは簡単ではない。


 味方としてみれば心強いが、敵に回せばこれほど厄介な相手もいまい。

 個ではなく集団なのだからなおさらだ。

 日も暮れてしまったことで気温も下がり、肌寒く感じる。


 その分視界は澄み切っている。




 しかしだ。

 

(ちょっと、多くないか? これだけあからさまに目立つ動きはしていなかっただろ。昨日と今日とでこれだけ違っていたら、何かあったと思わないわけないだろ……、あいつはどこまで俺たちを……)


「アマト、見つからないように戻るのは難しいんじゃないかな? 屋根の上なら見つからないと思うけど……」


「さすがに何度も危険は冒せないだろうな、昨日のあれは思いのほか目立っていただろ。あいつの耳にも入っていた。ならば、これもあいつの狙いの一片だとみて間違いない」




 妹を預ける立場となってなお、俺たちを試すにしても回りくどい。

 目的は別にあるのだろうが、この状況はいささか煩わしい。

 できることなら一掃したくもある。


 油断すればいとも簡単にこの状況を覆すことができる以下らを持っているから、歯がゆくもありいらだちもする。

 兵士一人だって人生があるし、ストーリーがある。

 蹴散らすことはできない。


「それなら、もういっそのこと寝ててもらおうかな。まあ、誰がやったかわからなければいいんでしょ?」


「そうなるな。見つからなければ自然現象と変わりはしない」




「止めても、止めても……今回はやり通すけど、文句は言わないでよ!!」


「まかせるさ」


 周囲が目に見えて明るくなっていく。

 これ以上明るくなるようであれば、視界が完全に様々な光に覆いつくされてしまうのではないかと思えるほど圧倒的な光量であった。

 兵士たちは一切気づくことがないところをみるに、空気中のマナを感じ取る力がなければ今もなお夜の帳の中にいるに過ぎない。

 

 なまじ見えすぎていることが良いとも言えないが、この世界において感じることができないことはハンディキャップとなりえる。

 俺はこの光がマナそのものであるというものを理解しているからこそ、意図的にマナをみないという選択をとれる。

 しかし、根本的に今の状況を理解していない者の顛末は明らかである。


 兵士たちは突然、ぱたぱたとその場に倒れこんでいき見晴らしがよくなる。

 眠っているわけでもなければ苦しんでいる様子もない。

 遠目ではあるが、苦しんでいる様子は見受けられない。


 

 

「どう?」


「……」


「どう!?


「ベストな選択だ」


 ユイナが何をやったのかはすぐに理解できた。

 辺りとても常人では耐えることができないレベルのマナに満ちている。

 瞬間的に許容をオーバーしたことで意識を失ってしまった兵士たちが倒れて動かない。


 マナ自体が過剰に満たされたからといって命にかかわることは本来はあり得ない。

 しかし、瞬間的に取り込んだことで肉体は耐えることができなかった。

 ぎりぎりまで調整をしていなければ命すら奪うことができていた。


 

 


 ユイナは周囲の傍観者をも無力化してみせた。

 街の人間が飛び出してこないからと言って、なかったことにはできない。

 ならば、すべてを巻き込んで意識を刈り取らなければ万全とはいえないからだ。


「誰にも見られないようにしたよ」


「ありがとう。これで、だれも傷つけすに帰れる」


 


 俺の一言が引き金となった。

 ほんの一瞬の隙を狙った正確な小石の投擲がユイナ東部めがけて飛翔する。

 俺たちは気が付いていたというのに足が重たく伸ばす腕もまるで、漬物石でも持つかの如く重力に逆らうことができない。

 

 この一瞬が無限にも感じられる。

 ダメだ。

 このままではいけない。


 誰かユイナを救ってくれ。

 そう願うがだけで、何かが起こることもない。

 ただただ、一瞬が一瞬先へと進む。


 


『父上之為』


 誰かの声がかすかに聞こえた気がした。

 そして、何事もなかったかのようにユイナはそこに立っている。

 だが、すべてがなかったことにはならない。


 投擲した本人は状況が呑み込めずに、瞬き一つできずにこちらの様子をまじまじと見つめている。

 装備は兵士のそれだが、ユイナも俺をもたばかり正確に狙いを定めたその一撃は確実にユイナの命を奪うことができていた。

 あの声はいったい何だったのか。


 俺はガルファールにふれたまま、敵の出方をうかがっていた。




「消えた……? 一瞬、空間が避けたように見えた……」


 兵士の格好をしたお琴が口にしたのは、俺も知らない事実であった、

 すなわち、現状では俺たちよりも高い次元にいるということだ。

 ならば、ここは被せていくしかない。


「隙をついたつもりだろうが、詰めが甘いな。今は見逃してやる、こちらの質問にこたえるというのなら……だがな」


 迷っているのか、眉一つ動かさず俺をじっとみたまま動く気配がない。

 ユイナは一切の隙がなくなる。

 今ならば最悪の事態を回避できるという意思が感じられる。


 あとは、どちらに転ぶか。

 油断してはならない。

 奴は俺の方が格上だと思っている。


「条件を呑む。ただし、質問は一つだけだ。それ以上の情報をしゃべるならばここで死を選ぶ」


「それでいい。ここで眠ってる連中同様無暗に殺すつもりはない。では聞く。どうすれば俺たちの側に立つ? お前がほしい」





 想定していなかったことは容易に想像できるが、顔に出るほどの質問だったかと思いはしたが動揺するほどではなかった。

 次にどう返事が返ってこようが争うようなことだけはあってはならない。

 万が一があるようならそこで、俺たちに選択肢はなくなるのだ。


「何者かもわからない人間を仲間に引き入れようというのは流石に想定していなかった。次に会うことがあれば手を貸すと言っておこう。ただし、その時に俺が何者か答えられたらの話だ。それまでは互いの立場は何も変わらない。一応、俺もお前も無駄な血を流さずに済んだという事実には嘘はないからな」


「それでいい。お前もその時までに死ぬようなことがないようにしておけ」


「一言言っておく。今のお前では俺を殺すことはできない」


 兵士は最後に言った。

 最初からそこには倒れた衛兵以外に誰もいなかったような静けさを置き去りにして。

 質問次第では俺たちはここにはいなかった。


 


「早くいこっ!! 他にいないと思うけど……」


「ごめん」


 俺は動けなかった。

 先ほどまでの緊張感が今頃になってぶり返していたからだ。

 見抜かれていたにもかかわらず、どういう意図があったかは分からないが見逃してくれた形となっている。


 今更、取り繕うことも意味などない。

 街灯照らされているのは、倒れた衛兵たちだけで不穏な影もない。

 だからこそ、意表を突かれる形となった。


 ならば、此処にとどまることがいかに危険なのかは明白である。

 ユイナに手を引かれて宿へと走る。

 その横顔からは光の加減なのか定かではないが、うっすらと朱く見えた。




 

「起きないにゃ」


「アマトさんとユイナさんならこの子を助ける方法を見つけてくるはずです」


「助けられたばかりでみんなのことは知らない……でも、わかる」


「ディアナでも治せないってどうなのかな? ボク達の直接の敵ではないとしても、そこそこ面倒な奴がいるってことだよね。ダーリンが戻ってくるまでに邪魔な者は消しておくっていうのがいいと思うけどね」





「アマトさん達が戻るまで先回りして解決するような簡単な話ではないはずです。なによりも、そんなことができるなら、アマトさんを止めていればよかったはずです」


「そこまで万能じゃないんだよね。でも、そろそろ居場所が分かりそうだよ」


「さっきから、話が見えないんだけど……」


「ここから東……、そんなに遠くはないみたいだし動くなら早い方がいいって」


「止めなくてはいけないところですが、この機会を逃すことはできません」


 ディアナが皆を止めると思っていたスペラも息をのむ。

 ここで皆を止めなければ取り返しがつかなくなることもあると思えばなおさら、しっぽの毛も逆立つ。

 何度も味わっていたはずの緊張感も、身内だけではまた違う。

 





 スペラは態度とは裏腹に冷静だった。

 アマトは絶対的な神と同等かそれ以上の存在としているのだから、それに反する動きがあれば良しとすることはできはしない。

 しかし、ルナはアマトにとって最良であるというのであればそれを強行する用意がある。


 ディアナは今目の前にいる少女のためにできることを考えていた。

 そこに可能性があるというのならば、試す価値があるという認識は覆らない。

 追う者の宿命の呪縛に引きずられているに過ぎない。


 スミレは迷っていた。

 出会ったばかりだからこそ、判断がつかない。

 アマトに従うべきか、此処にいる新しい仲間と行動を共にすべきか。




「この子を一人にしてはおけないし、誰かが残らないといけないなら残ろうと思う」


 皆、スミレを残そうとは思っていなかった。

 ルナに至ってはアマトが戻ってくることを想定していたのだから、それが正しい選択だとせずとも意図して決めたのだから筋は通っている。

 だが、ディアナに至っては違う。


「さっさと片づけてアーニャに報告してあげたいけど、いくら何でもミャー達だけじゃどうにもならないにゃ」


「時間を稼げればいいのです。ここで逃がせば取り返しがつかないのですから」


「そういうことだよ。僕たちは止まらない」




[それなら、スペラちゃんはアマトさん達が帰ってきてから合流してください。できることはやらせてもらいます」


「話を聞いてほしいにゃ!! 時間稼ぎなんてできないにゃ!! 無駄にゃ!!」


「無駄なことなんてないよ? 無駄なことなんてね」


「それなら……力づくでも止めルニャ、スーニャ協力して二人を取り押さえルニャ!!」


「スーニャて私の事!? 止めるって言われても、止められないって!!」

 

 圧倒的にこの部屋から出れればいいルナとディアナの方が有利な立ち位置である。

 引きかえスペラは二人を全力を出して止めることはできない。

 スミレに至っては、立ち位置がはっきりしていないという条件としては最悪だ。



「ごたごた言っていても仕方がないにゃ。アーニャの邪魔をするなら、ゆるさないにゃ……」


「こんなこと…」


 スミレの沈黙はスペラにとっては願ってもないが、ディアナとルナにとっては感情を沸騰させる。

 明らかな時間稼ぎなのだが、ディアナとルナにとっては無dな時間でしかない。

 そのまま時間稼ぎに付き合うようなことはない。


 そこにはセオリーなどないのだから、争うこともせずどゆっくり歩いて部屋の外へ向かう。

 スペラはこれ以上止めることをしなかった。

 これ以上は意味をなさないと理解していたからである。



 ディアナとルナは宿を出ると向かったのは真東の城壁だが、検問を大津留盛は全くない。

 二人なら飛び越えることができないわけではないが、そこには結界が張ってる。

 それでも強行突破を選ぶ以外の選択はなかった。


「結界に穴をあけます。隠蔽をして結界はに戻すので発見されることはないと思いますが、早く抜けてください」


「任せたよ。街の外の衛兵はボクがダウンさせておくからダーリンたちが帰ってくるまでに辿り着かなくちゃ」






「アマトさん達の迷惑になる結果にはさせません。そのためなら、ここは是が非でも押しとおります」


「そうこなくちゃ、相棒」


「悪魔の相棒になった覚えはありませんが、付き合いは長いですからね。信じてじてはいますよ!!」


 ディアナは結界を張ることに関しては数千年の間で培ったノウハウとアマトたちと出会ったことにより増した能力がある。

 それは他者が発生させた結界に干渉するほどである。

 首都に張られた結界は取るに足らない。


 意識を向けただけでそこには結界のほころびによる穴が開く。

 城壁上空を先にルナが抜け首都の周囲を守る衛兵をなぎ倒していく。

 特別な力を使ったわけではなく、物理的に気絶させていくスタイルはあまりにも雑だが恐怖を与えるには効果的である。


 逃亡者など追いたくはないだろう。

 そこには、街を守る意義などないのだから、罪悪感は思いのほか存在していない。

 


 

 首都といえども内部の警備は万全であり、外敵からも強固な結界と守備体制が整っているというのに内乱が起これば総崩れするのは言うまでもない。

 すなわち、内乱など起こらないことがさも決まっているかのような体制がとられているということ。

 それは信頼によって成り立っていることを意味する。


 このディアナとルナのイレギュラーな動きなどあってはならなかった。

 だからこそ、どこまで行っても衛兵でしかないのだ。

 無論、本気で怪我さえさせるつもりはなかったのだろう。


 誰一人として、ディアナたちに手傷を負わせたものはいない。


「雲行きが怪しくなってきたわね」


「ボクたちがこれからすることに比べればまだまだだね」 



 完全に日が暮れてしまっているが月明かりに慣れてしまえば、寧ろ昼間よりも活動しやすい。

 それは、生物の大半が夜の活動を静止するからである。

 人間も同様に、日の光により活力を得ている。


 この世界における月明かりの正体によっては理屈は変わってくる。

 しかし、月明かりによって健康状態に影響があるというのであれば真夜中であっても油断ができない世界であることは言うまでもない。

 ディアナにとっての満月は感慨深いものであった。

 

 満月によって日中とは比較不可能なほどあらゆる能力が跳ね上がる。

 



「モンスターがいれば蹴散らしていこうと思っていたけど、首都の近くじゃたいしていないみたいだね」


「力は温存しておかないと何があるかわからないことはわかってるでしょ?」


「せっかくなのに、逃げ隠れするなんて面白くないよね」


 二人はは月明かりに照らされた草原を駆け抜け、モンスターを見つけるたび屠っていく。

 屍は消滅させるが痕跡は残していくことで道しるべとした。

 あとから合流するアマトたちが最短距離で追ってこれるように配慮する。


 結果だけが伴えばよいという、過程をないがしろにはできはしない。




 首都から出てしまえば、人に出会うのはまれである。

 もちろん、絶対はないが限りなく近いのだから敵意をもって襲い掛かってくればそのほとんどすべてがモンスターといえる。

 人間といえど、盗賊家業に身を落としたものもいるにはいるが、やはりこの辺りには出没しない。


 

  

「はっきりしたことはわかりませんが、嫌な感じがします。このまま進んではいけない……」


「奇遇だね、ボクも後悔してる。まだ村まで距離があるはずなのに、この感覚は不愉快だね、でも、ボク達は戻るわけにはいかない。そうでしょ?」


「もちろん、そのつもりです。そうでなくてはアマトさんとの約束を破ってまで来た意味がありませんから。それでも、このまがまがしい気配を一切隠すつもりがない……違いますね。私たちが今向かっていることを知っていて待ち構えているとしか言えません」


 目的の村まで半分は進んだところですでに終わりが見えた気がした。





 誰かに見られている感覚が二人の足を強制的に止める。

 そこには魔力だとかマナだとか超自然的な力は干渉しない。

 何もないからこそ、一定の知能を持つ者には恐怖、畏怖、尊敬など束縛させる形で具現化させられる。


 ディアナは恐怖した。

 ルナは尊敬の念を抱いた。

 必ずしも二人よりも優れた能力があるわけではないが、そこに至るまでのプロセスを二人は感じ取り様々な感情が湧き出す形となったのだ。


「一途な願い……それも村を守る……その意志の前では」


「ボク……じゃない、ボクはそれができなかった。それを刺激されるなんてね。おもしろい……やっぱり人間は面白いよ」


 




 距離にしてまだ十キロメートル以上の距離から干渉してきたとなれば、その力は人の域をはるかに超えている。

 もとより人間の仕業などとは思ってはいなかった。

 仮に相手が人間であろうと、類まれなる才能で片付けられない。


「私たちだってこのまま引き下がるつもりはないってこと!!」


 ディアナは魔法もマナも一切使っていない。

 しいて言えば気合を入れただけである。

 敵が何もしないをしてくるというならば、それなりの対処法はあるものだ。

 




 一瞬視界がぶれたような感覚に襲われただけで、それ以上の追随はない。

 過ぎ去ってしまえば脅威など感じない。

 ここで引き返すべきだというまっとうな思考とは裏腹にここで仕留めておかなければ尾を引く可能性があることを捨てきれない。


「なかなかやるみたいだけど、もうイッテが足りないね。これなら勝機は十分にあるって教えてくれたようなものだけど」


「その目で見るまでは油断はなしでお願いします。」


「全力でつぶしにいくんだけどね」



 

 草木が生い茂る土地に足を踏み入れる二人にモンスターが襲い掛かるが、総じて秀でた能力は持っていない。

 それもそのはずでモンスターが育っていない。

 幼体ばかりが目立つ。


 考えられる要因はいくつもあるが、明らかなのは何もないことなどありえないということだ。

 食物連鎖の上に立つものがいないことなど、そうそうあり得ない。

 たいしょするにしても、姿が見えない相手にはなすすべはない。


「結界は張っておきますが、このままというわけにはいきません」





「やられっぱなしはおもしろくない……なのに何もできないって……」


「以前の貴女ならここからでも、容赦なくこの世界から消し去っていたと思っていましたが……。今は敵が確実にこちらを狙えのですから、どこにいても安全ではありません。それならいかに早くたどり着けるか、考えていても仕方がありませんね」


 ふたりは止められた時間を取り戻すかのように、走る。

 

 

 

 時間がない。

 二人の生きてきた長い時間から考えれば、今の短い時間など取るに足らない。

 それでもこの世界に流れる時間はみな平等。

 

 ならば、身体能力を上げてその時間を少しでも稼ぐほかない。

 ディアナに至っては元々人間であったことで、根本的には人と変わりはしない。

 ルナは器が人間であるからこそ、身体を壊さない限界で急いでいる。


「少し走っただけでもう、疲れるなんて……さっきのがまだ効いてるってこと」





 二人は当初の想定を超える疲労をもってようやく村らしきものを見つかられた。

 モンスターよけを施されているせいか、壁で囲まれていないが危険を監視るようなことはなかった。

 それでも、内部から感じられるオーラはモンスターなんかよりよほどたちが悪い。


 村に足を踏み込むことはむざむざ敵の手中に臨むことを意味している。

 しかし、此処は進むしかない、

 覚悟などとうに決まっている。


「もう、隠れることもできないですね」


「最初からそのつもりだったよ」


 


  

 人の気配がまるでない村に違和感がある。

 時間が時間なだけに、出歩く人がいないことは容易に想像できるが、それにしても静かすぎる。

 耳を澄ましても生活音もなければ風の音もない。


 ディアナの結界は音を通す。

 今この一帯に風の流れがない。

 ディアナは周囲を警戒してはいるが、タイミングがまるで読めない。


「ますは、どこにいるか突き止めないといけませんね。気配を探っても全く反応がないなんて」


「ボクが僅かな痕跡も辿れない?」



 


 近くの民家の扉の前まできてようやく人の気配を感じ取れた。

 どうやら、人がいることは間違いないようだ。

 しかし、近づかなければまったく存在を感じられない。


 ようするにジャミングによって妨害されているようなものである。

 この状況で一軒ずつ当たっていったとしてたどり着ける気がしない。

 全て燃やし尽くしてしまえば解決するならば、選択肢に入るが失敗した時の代償が大きすぎる。


「じれったい、このままじゃダーリンたちが先に来るよね」 




「ちょっと待ってください、このまま闇雲に探すのはここでおしまいです。この村一帯を眠らせます」


「起きている奴が怪しい奴ってことか……。眠らせたらボクの本領発揮かな」


 ディアナが周囲に魔法による結界を張る。

 身を守るのとは異なる性質を有する、他者に反旗を翻す性質を有する結界。

 単なる頑丈な壁ではない。


 壁に触れる者、壁から発する魔力によって生成された睡眠を促す波長によって強制的に眠らせる。

 自発的に攻める守りの形の一つである。

 吸血鬼の性質は太古より受動的であった。


 互いに積極的に攻めないというのならこれが最適解だと判断した。






「今起きている奴の気配を探るだけなら、なんとかなるかもしれない。ターゲットを絞り込めば……」


 ルナはこの状況で挙動がおかしい者だけにポイントを絞って索敵を開始する。

 妨害されていたというなら、その妨害の発信源をねらえばいいが村の住人がその中継地点とされていた。

 だから、特定することもできなければ探知そのものがうまくいかなかった。


 だが今は状況が違う。

 発生源は一つに絞ることができる。

 中継地点にされていた村人は無力化されている。


 この条件下では、ルナが精神を研ぎ澄ますことによって結果は変わる。




「み、見える……」


「どこに、いるかわかりましたの?」


「ディアナッ!!! 今すぐここから逃げないとっ!!」


 ルナは自分の今の身体では太刀打ちできないことを、知った。

 あのまがまがしい力は、本来のルナの力には並ぶほどではなくともそれに迫るやもしれない。

 対して、ディアナは戦闘においては現在のルナをはるかに凌駕するが、やはりルナ本来の能力には遠く及ばない。


 二人で、かかれば何らかの痛手を負わせることこそできようとも、命を奪うことなどできはしない。

 対して、その代償は二人の死かよくてどちらかが辛うじて生き延びるだけである。

 それほど明白な未来が想像に難くない。


 



 刻は待ってはくれない。

 永久の時を生きるものでさえ、例外なく歩みを止めようとしない。

 だが、止める力を持つ者がいるのも事実である。


「ディアナ!! 早くこっちへ!!」


「わかりました!!」


 取り乱すルナに疑問などありはしない。

 古い付き合いだからということもあるが、今はそれ以上に深い絆で結ばれた間柄なのだ。

 精神の奥底でつながっている。



 



 二人が同時に踵を返したと同時に、周囲から音が奪われる。

 数秒もしないうちに、不意に二人は意識を焼失した。

 まるで時間が止まったかのような会陰の時間の中でディアナは現実に戻ってくる。


「〈ルナ!!〉」


 ディアナの声は決してルナに届くことはない。

 それはルナに触れていても振動は伝わることはない。

 空気のない世界というのは何もない世界ではないのだ。


「……」


 しかし、ルナは目を覚ます。

 ディアナは精神に訴えかけることで呼び覚ますことを試みたからだ。

 そして、ディアナも誰かに呼び戻された気がしたからこそ、窮地を出することができた。


 

 

 姿を現さない敵に対して逃げることはできるのか。

 出会わなければそれでいい。

 それが難しいことを二人は理解している。


 それでも、信じているからこそここまできてここから帰るのだ。

 その希望が姿を現す。

 明かりのない闇のな中に、希望の光を見た。


「二人とも無事か!!


 自分たちを心の底から心配していることは、声を聴かなくても分かった。

 それなのに、ディアナは光を失うことになった。

 彼女は触れてしまったのだ。





 ディアナの張った結界が意味をなさず、人の手が触れただけで光の粒子となって存在を抹消された。

 そこには恐怖だとか苦しみだとかそんなものはない。

 ただ存在がなくなることがどういうことかを身をもって退官したに過ぎない。


「ディアナーーーーーーーーーーーー」


「どうして……、何が起きてるの!?」


「何もわからないにゃ!?」


 仲間の死を前に理性なんてものはない。

 ただ事実だけが、存在している。

 姿をみせられてなお、何かができるなんて思いはしない。


 だが、この異常な力を持つものを倒すことでディアナを救うことができるのではないかと安易に思ったのだ。

 





「何が起きた!! ディアナは……ディアナは……っく!」


「こんなことって、これが……」


「言うなっ!! まだ、まだ手立てはあるはずだ、ここは俺たちの知ってる世界ではないんだ」


「でも、だからって」


 目のまえから完全に焼失したことを受け止め切れていないのは俺だけだった。 

 ユイナはこの世界においては元の世界と変わらない年月を過ごしている。

 その彼女がうろたえてしまうのだから、今がどういう状態なのか理解できないはずもない。







「ボクは、ボクが? 負けたって!? 取り返しのつかないことをしたっていうのなら!!」


 ルナはアマトに背を向ける。

 アマトでさえ心の奥底では意のままにできる存在だという侮りがあった。

 そのそれがこの顛末だというのならば、心を預けた者に顔向けができないと、自分の中の少女が思った。


 少女もまた、稀代の英雄に恋をしていた、

 それが悪魔と人間の深い絆を呼び覚ます。

 そして超えられない、境界線を地平の彼方へと追いやった。


 



 俺は無我夢中で駆けつけルナを羽交い絞めにする。

 ディアナは不気味な何かに触れられたことで消失した。

 それは彼女が最後に口の動きで辛うじて読み取れたからこそ、結論に至った。


 だれもあれに触れてはならない。

 闇夜に漂ううつろな影には実態がある。

 しかし、全容は見えない。


「ルナ振り返る必要はないが、ただ落ち着いてくれればいい」 




 

 ぬくもりを感じる。

 温かい鼓動が伝わってくる。

 荒ぶる心が伝播するように熱く、熱く熱気を帯びた吐息が行き場のない怒りに震えていることを仲間たちに共感をもたらす。


 解き放つことができないからこそ、伝わることもある。

 鬼気迫る中、どれだけの時間がたったのだろうか。

 一歩踏み出して、地面を踏みしめる感覚はなかった。


 ルナが『大丈夫』といった気がした。

 そこで右足には大地を確かに感じる感覚と、仲間たちの見守る視線を肌に感じたのは、最早語るまでもない。

  




 今抱きしめている少女は幼ない。

 とても命をかけて争うことができるとは思えない。

 そっ得に感じたのはそんな感覚であった。


 静まり返った小さな村には今凶悪が支配している。

 邪悪などす黒いオーラに包まれた、人型の何かがじわじわと迫りくる。

 距離を詰めてくる悪意は脅威とはなりえない。


 だからこそ、生かされているに過ぎない。

 


「言葉は通じるのか……試すしかないか……。それ以上近づくな!!」


 人の形に見える何者かに、訴えかけるが止まる様子はない。

 ただ敵意だけはしっかり伝わってくる以上、何らかの意思を持っているのは感じ取れる。

 だがそれだけである。


 このまま近づか羅れては危険だ。

 触れればこちらの存在を消し去るが、その理屈がいまだにわからない。

 ならば対策のしようがない。


「みんな、離れて!! 私が止めてみせる」


 ユイナは、杖を標的へと突き出す。

 静まり返った村からさらに空間を切り出して全く別の空間へと閉じ込める。

 膨大な魔力と引き換えに作り出した亜空間に閉じ込められ、そのまま消えてなくなるならばそれまでだ。


 呪いを解く方法もなく、倒せば呪いが解けるという理屈も時空の彼方へと飛ばされ、呪い先とのリンクが切れると解釈するにしてもだ。



 



 ユイナの首筋には大粒の汗が滴り、呼吸が荒くみるみる血の気が引いていくのがわかる。

 声をかけようにもとてもではないが、割り込める隙が見当たらない。

 本来切り離された遠隔魔法であれば術者に影響はない。


 しかし、維持するために膨大な魔力を惜しみなく注がなければ戻ってくるほどの強大な相手であれば別だ。

 まがまがしいオーラは今でこそ全く感じないが、はたしてこのままでよいのか。

 おそらく時間の問題だ。


 それほどまで力の差があるのだから、このままでよいはずがない。

  






 ユイナが力尽きるのも時間の問題なのは誰の目にも明らかだった。

 今はいない吸血鬼たる彼女の力は今でこそ必要だというのに、ない者江田理を射てしまうのは甘えではなく信じていたからだ。

 命を預けることができるのは金でも権力でも、能力でもなくただ信じられるかどうか。


 命を懸けていたからこそ失ってしまったといえばそれまでだが、それで片づけられるはずもない。

 俺の腕の中で落ち着きを取り戻した悪魔であった少女は言う。

 そっと、俺の手からすり抜けて自分のあるべきところでと向かう。


「わたしにできることだけをやるよ…」


「ルナ……」






 人は誰しも決められた範囲で生きている。

 しかし、それを決めるのは自分だけであり誰にも邪魔はできない。

 そして、一度失った身体を取り戻したというのならば再び立ち上がれる。


「アマトお兄さん、今のわたしならユイナお姉さんの力になれる」


「疑う理由はないが、具体的にはどうするつもりか教えてくれ」


「ルナをユイナお姉さんが作った結界に召喚します」


「そんなことができるっていうのか?」


「できます……」


 少女は迷いもなくつぶやくが、さみし気に見えた。






 あどけない少女が背伸びをしているようにしか見えない。

 止めなければいけないと直感した。

 すでに取り返しのつかないところまできているというのに、一言が出ない。


 天秤にかけたのだ。

 一人でも多くの命を救わないといけない感情と、今一度現世へと舞い戻った少女の命をつなぎとめなければいけない熱情がせめぎあう。

 今、この時でなければ歓喜していたはずの奇跡でさえも己を苦しめる。


 しかし、時間は愚か儚い後ろ姿も待ってはくれない。

 風が、首筋にまとわりつく。

 それだけで現実は青年を置いてけ堀にしていく。



 


 まるで天に祈りを捧げるように跪きそして、本当の意味で彼女の時は永遠に止まった。

 後悔しかない。

 希望を託すものと託された者でその立ち位置は異なるようで、何も違ってなどいない。


「ユイナ、今ルナが行く」


「くっ! うんっ……」


「持ちこたえてくれ!!」


 ユイナに直接魔力を分け与えるが心身のダメージを和らげるまでには至らない。

 それほどまでに窮地に陥っているのはこちらなのだ。

 打開策でも何でもない、ただの悪あがきだ。

 




 仄暗い海の底と見紛う揺らぐ世界に少女は佇んでいた。

 現世を憂いても虚しいだけだった。

 怒りも、悲しみも、あらゆる感情を相棒と共に失ったといえば聞こえはいい。


 まるでいままで他人を慮ることができるほどやさしい心の持ち主だったからこそのギャップで、心を閉ざしたようだ。

 もちろん、そのようなことはない。

 本質は楽しければそれでいいだけの存在なのだから。


 ならば、なぜ虚無を眺望しているのだろうか。

 そこには文字通りの無しかないというのに。

 時間は流れている。


 引き延ばされえる時間は限りなく無限に近い。

 外の世界では星が永遠に死と再生を繰り返す。

 心はどこかえ置いてきてしまった。


 友と失った。

 感情はない。

 終わりもない。


 はたして、どれほどの時間が経っていないのだろうか。

 少女の影が揺らぐ。

 二つの影が一つの影になり世界が加速する。 







 果てなどあるのかどうかも定かではない世界だというのに、目の前には人の形をした不定形の何かが確かに存在していた。

 見渡す限り何もないというのならば個と個がエンカウントする確率は高くはない。

 可能性があったからこそまさに対峙しているのだが、望んでなどいなかった。


 この状況を望んだのは召喚した少女だけだ。

 ユイナも想像もしていなかったはずだし、アマトでもどうすることもできなかった。

 外のユイナの状況は覚えていた。


 中からこいつをやらねばならないと。





 

 この果てしない世界に禍々しい闇の力と、闇を晴らす光の力が絡み合う。

 しかし、それは本来のありようではない。

 それを肌で感じつつ、一歩前に踏み出す。


 今、此処に存在するのは本来の自分の体でもない仲間たちには見せたことがない姿だ。

 その姿が失ったはずの仲間の姿と召喚した少女に似ていた。

 二人の思いを受けたことでその能力は、この世界でのみ具現化する。


 闇の化身に触れられて、一瞬で消し去られても瞬時に元の状態へと帰化する。

 なんど魂に触れられようと、少女の願いによりこの世界へと還元される。

 今のルナはこの世界の一部であり全。


 仲間の願いそのものである。



 


 悪魔の少女は、後方に跳躍し完全に身体が元に戻るのを確かめる。

 頷くと事象は確定する。

 完全な形で、確実に規模を縮小さると闇へと蔑視する。

 

「ボクたちができることだけをやる……。それは君を倒すことだよ」


「お前たちがいくら集まったところで、私が積み上げてきた時の前では無力よ」


「君にも会話を楽しめるだけの理性が残っていたとはね。知ってたけどさ」


「嘘はよくないわね、本当にわかっていたなら今の貴女はいないんじゃないかしら? そのかわり、あと二人死なずに……一人は二度も死なずに済んだのに……可哀そうに」


「悪いね。後悔はしてないんだよ、今はね。今は後悔よりもしなければならないことがある。それは君をこの世界から消し去ることだけ。わかりやすいでしょ?」


 




 感情の昂ぶりこそあ後悔に苛まれることはない。

 この空間では何も失うものはない。

 有限の時間の中でその事実は変わらない。


 幾度となく繰り返される攻防の中で数えられないほど命を落とし続けていく。

 それでも、闇をまとう魔女は一度たりとも倒れることはない。

 確実に消耗しているのは火を見るよりも明らかである。


 奴はなにに突き動かされていたのだろうか。


 






 この空間すべてに自分の血が流れているかのように感じられるほど、隅々まで神経が研ぎ澄まされる。

 黒いオーラがウィルスのように侵食し常に痛みのようにじわじわ、ひしひし、ちくちくとさまざまな苦痛を与えてくる。

 感覚としてもっとも精神に影響をもたらすのは痛みだ。


 それをシステムとして身体が覚えるのだから、これはすなわち危険だということであり放置などできようはずもない。

 同じ世界にいるからこそ、純粋にその本質が分かってくる。

 ことばではいい表すことが不可能な憎しみが、怒りが、そして、悲しみが襲いかかる。

 




 

 憎悪に充てられているからと言って、見失うことはない。

 失ったものの重みは十二分にりかいしている。

 しかし、その重さに違いはある。


 人の命の重さは人の数だけ異なる。

 このまま互いに粒試合を継続すれば、長引くことは間違いない。

 だが、それではユイナとアマトは限界に達してしまう。


 


 百を超えてからは、身体を失ってから構築するまでの時間が加速度的に早くなっていく。

 いつまで続くか果てない連鎖となっていく。

 お互いの魂の削りあい。


 ただ、魂を数るだけでは終焉を訪れはしない。

 憎しみの感情をそぎ落とすことで救うしかない。

 周囲を取り巻く黒い霧がわずかに晴れていく。


 




 この世界に、風が吹いている。

 狭まり、圧縮されて消えゆくだけの世界に新しい風が吹き抜ける。

 このまま勝敗は決することはないにしても、悪くない流れは出来上がりつつある。


 しかし、制限時間は残りわずかである。

 それを知るすべはルナにはない。

 いえるのは、このまま接戦えを演じていてはいけないということだ。


 全精力をかけて挑んでいるというのに、まだ余力を残しているこの禍々しい闇の化身は倒れない。




「もう、そろそろ楽になってもいいころ合いだと思うけど? そうでしょ」


「絶対に……絶対に……全てを消し去る、許さない」


「……」


「全部消えてしまえ……消えてしまえ!!」


(冷静に)


 怒りがこみあげてくるところに、失った友の声を聴いた気がした。

 許さないという、言葉に湧き出る感情は憎しみだった。

 会いたくてももう会えないのは、こちらも同じである。


 それも現況を目の当たりにしているというのだ。

 これでは納得なんてできはしない。

 ならば、ぶつけられる対象がそこにあればそれでいい。

  



 全身を包み込む優しい光と、その隙間を縫うように刺す闇の均衡が崩れて久しい。

 徐々に光が闇を晴らしていく。

 闇の核たる化身に、ラッシュをかける。


「ルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナルナ!! ……ボクの名前だけおぼえていればいい……」


 再生と消滅の先には何も残りはしない。

 本来の目的である、呪いの解呪法も分からずじまいになった。

 余韻に浸ることなく、ルナの魂は還っていく。


 次の瞬間、この世界は闇の因子と共に完全消滅する。

 そこには何も残りはしなかった。




 俺は安堵した。

 邪気が完全に消失したことからくる、安心感ではなく倒れていたルナがふらつきながらも立ち上がったからである。

 だからこそ、呪いをとく手がかりがなくなったと思ってもすぐに取り乱すようなこともなかった。


「ユイナ、ルナ……お疲れ様です。そして、ありがとう」


「これでよかったのかな。もっと、ほかにできることがあったんじゃないかなって、そう思うと納得できないよ」


「ボクは取り返しがつかないことをしたんだね……。二人の後悔はボクの判断が招いた結果だって、今ならはっきり言える。ボクは、もうここにはいられない……」


 ルナは、俺たちに背を向けたまま言うとそのまま歩き出す。

 それを、止めたのはユイナだった。

 つかまれた手首は振りほどくことは愚か、このままつかまれ続ければ引きちぎれてしまうのではないかと思うほどの力が加わっていたのであろう。


「痛いね……。心が痛いよ」


「責任から逃れることなんてしちゃだめだよ。逃げたいって思えるようになったなら、次は逃げないようにすることから初めていかなきゃ」


「ディアナは死んだ。殺した相手を殺し返しても生き返ったりなんてしなかった。この分だと、呪いが消えることもないだろう。でもなルナ、ここでルナまで失ったら俺は間違いなく後悔する。幸いにも今止めるチャンスがあったわけだ。なら、そこに俺は止めるさ」


「ボクを恨まないの? ボクが憎くないの? ボクは……」


「それでいい。何も感じていないかと言われれば、もちろんそんなわけはない。だからってな、もう終わったんだ。終わったんだよ」


 最後は自分に言い聞かせていたのはルナにも伝わったと思う。

 正直、涙を流していることで説得力に欠けていることくらい理解している。

 それでも、突き通さなければならない。



 



 失ったものは大きすぎた。

 そこに積み重ねてきた時間だとか、功績だとかは一切関係がない。

 ただ、あるのは目には見えないものだけ。


「この感覚は……」


「アマトも感じた?」


「忘れるはずもない、それなのに今まで全く気が付かなかったなんて」


 徐々に近づいてくる気配はこの死闘の後では忘れるにはあまりにも早すぎる。

 それなのに禍々しい気配ではない。

 寧ろ、澄み切ってさえいる。





 村人は誰一人として、表には出てはこないというのに明らかに不自然であった。

 何よりも懸念があるとすれば、俺たちは全員が消耗しきってしまっていることだ。

 再び戦闘をこなせるだけの気力はもう誰も持ち合わせてはいないというのに、不思議となくなったはずの魔力は徐々に戻りつつあった。

 

 それがそのまま次に活きるかといえば必ずしもそうではない。

 心で負けていれば、いつだって戦況は覆るのが世の常である。

 油断したことで、失われた命は少なくない。




 ようやく姿を現した女性は長い長い黒髪を引きずりながら、少しずつ少しずつおぼつかない足取りで迫ってくる。

 長すぎる髪が全身を包み隠しているが、それでも女性であることはわかった。

 そして、事の元凶であることも状況から理解した。


 ルナは臨戦態勢にはいるが、その場から一歩も動こうとはしない。

 それはみな同じである。

 恨み、憎しみはあるはずだがそれに呑まれた者の末路を知っているからだ。







 髪の毛に足が生えたようにしか見えない姿に先ほどの闇のオーラとは違った嫌悪感を抱く。

 身だしなみが伴わないというだけで、誰に迷惑をかけているわけでもない。

 ほんらいであればそれ以上のことなど気にすることはないだろう。

 

 だが、今は些細なことでも心を逆なでする。

 なぜなら。不快だからだ。

 人は誰しも気に入らない者の行動や姿から嫌気がさすものである。


 それが不幸の源だとすればこれ以上の理由が必要であるか。

 否である。

 ならば、語りたくもない。





「……ご、ごめんなさい……そ、それと……わ、私を止めてくれて、あ、ありがとう……それだけが言いたくて」


「俺は許せそうにない。だから、失せろ」


「今のボクは、殺したい……って思うよ。でも、それはしない。ディアナだったら怒りに身を任せたらなんてしない。今ならわかる……。もう……いいでしょ」


 ルナはそういうと再び来た道をもどり歩き出す髪の毛お化け。

 結局、俺たちは冷静ではなかった。

 それを止めたのはユイナだった。



 

「待って!!」


 髪の毛お化けは、驚いたのがわかるほどに髪が舞い上がった。

 まるで髪の毛一本一本まで命が宿っているかのようであった。

 不覚にも俺は感情を揺さぶられた。


「わ、わたしは……」


「あなたがやったことは許せないのはここにいるみんなと一緒、だけど……あなたが本当に悪人だって思えないの。自分でもおかしいって思う。だから間違ってないって思わせて」


「言い訳のしようもありません」


「そんなことを聞いてない。真意を聞いているんだよ。ユイナが止めなければ俺はなにも気が付かなかった……、いや、違うな。知らないふりをしていた」





「もう、数千年も時が過ぎたというのに鮮明に覚えています……あの日のことを……わ、私が私でなくなった日を……」


「この村のことと関係あるんだな」


「はい……もうこの村は死んでいるんです。死と再生を永遠に繰り返しているんです。でも、もうそれも終わりました。私が村を維持していたんです。だから、正気を取り戻してしまった今なら、村は崩壊するしかないんです」


 村人たちも俺たちに反応を示さなかったのも、普段と変わらない生活を続けていたのも納得できる。

 この村を囲んでいた禍々しいオーラは所謂鳥かごだったのだ。

 ならばもう、休ませてやればいい。




 自分が死んでいることも分からずに、同じことを永遠に繰り返す姿を見て精神が壊れないわけはない。

 その光景を見続けていたからこそ、このような結末を迎えることになったのか。

 まずは根源を問わねばなるまい。


「この村はもう終わりか。これは誰のせいか? お前のせいか? そうだろうな。きっかけはこれから聞くが、結果をもたらしたのは紛れもなくお前だよ」

 

「わ、わたしのせい……」


 その言葉を飲み込めないのは、なっとくをしていないからにほかならない。

 要するに自分を責める自分に酔っていたのだ。

 人は誰しも、落としどころを探している。


  



「そうだ、お前のせいだ。だからなんだ? お前がいなくても別の誰かが同じことになっていたってこともある。そうでないかもしれない。確かなのは俺の仲間が死んだって事実だけだ。許さない。だが、恨むのはその元凶だけだ。他はどうでもいい」


 矛盾していることはわかっていた。

 それでも、どうして抑えきれなかっただけだ。

 仲間がいるのだから、その言葉を代弁しなければならない。


 そうでなければ、いらぬ犠牲が出るだけなのだから。

 



 

「ど、どうしたら……」


「呪いを解いてもらう。今俺たちのところにはお前にかけられた呪いで苦しんでいる女の子がいる。解呪できるのは術者であるお前が必要なんだよ」


「私が? ……思い出せない」


「どうした?」


「呪いを誰かにかけた記憶がないんです……。私が覚えていないうちに勝手に呪いをかけたような、気持ちの悪さを感じるんです。でも、私がかけた呪いなら解けると思います」


「本当にできるのか」


 俺は語尾を強めていった。

 嫌な感じだ。

 本人の知らないところで起きたことに違和感しかない。




「た、たぶん……」


 そもそも、俺たちは他人がかけた呪いを解くことができないからこうしてわざわざ危険を冒して、此処まで赴いたのだ。

 その過程で大事な仲間を失うことにもなっているというのだから、あやふやな答えなど求めてはいない。

 それなのに、たぶんなどと言われた日にはあきれて、紡ぐ言葉が見つからない。


「できなくともやってもらうことになると言っておきたいが、誰がかけた呪いだろうが解けると聞こえるが」




「わ……わたしのできることなら何でもやります。だから、お願いします、わたしに最後のチャンスをください」


「早くいこう。今つらいのは呪いをかけられて眠っているあの子なんだから」


「そうだな、俺たちについてきてほしい」


 失った命は戻らない。

 だが、今救える命があるのなら一刻も早く救わなければならない。

 ここで失うようなことがあれば、もう自分を許されない。





 俺たちは急いだ。

 走ったのは心だけではない。

 気が付けば体が言うことを聞いていた・


「……」


 それも刹那なの事なのはいうまでもない。

 之だけ髪が伸びきるまで引きこもっていた人間がついてこれるわけもない。

 置いてけ堀を食らっている毛むくじゃらの彼女を待っているわけにもいかない。


「文句はなしにしてくれよ」


 俺は手に抱えきれないほどのそれを抱きかかえてステップを踏む。

 跳躍する。

 疲れるなんて言っていられない。


 歩こうにも、髪を踏んで転ぶなんて間抜けなことをするわけにもいかないのだから仕方がない。




 一度通った道を帰るのは思いのほか容易い。

 油断すれば何があるかはわからないのは変わりはしないが、守りを突破されることはないに等しい。

 どれだか生にしがみつくか、それだけである。


「ご、ごめんなさい」


「しゃべらなくていい。舌を噛むぞ」


「あわわ……」


「アマト、女の子なんだからもっと気を付けて運んであげないといけないかな」




「すまない……」


「い、いえ……」


 か細い声が辛うじて聞こえる。

 手にはふさふさの髪の毛のせいで人肌の感覚などまるでない。

 本当に人を抱えているのか不安になるほどである。


「また、変なこと考えていたんでしょ!?」


「邪なことなんて考えてはいない」


「女の子を抱えていると思ってないんじゃないかなって思ったけど、まさかそんなデリカシーのかけらもないこと考えていないよね。まさかねー」


「なっ!! そんなわけないだろっ!!」


 意識すると気恥ずかしくなってしまう。




「かわいい女の子に囲まれているからって、それはないよね?」


「自分でいうかよ……」


「違うの?」


「ち、違わないけどさ」


「聞こえないよ。もっと大きな声で言ってくれないとね。そうでしょ、ルナ」


「……」


 ルナは聞こえているのは反応を見ればわかる。

 だからと言って今はそれ以上に踏み込んではなしを広げるのは無粋だと、そう思った。

 わかっていて言葉を紡ぐ自分を許してほしい。


「ルナ、大丈夫………でなくてもいい。俺も今は弱い。俺の弱さが仲間を殺したんだ。それがたまたまルナの目の前で起きたっていうそれだけの話だ」


「それでも、それでもボクがディアナを巻き込まなければこんなことには!!」


「違う。何も変わりはしない。だってそうだろ? 一人で行かせていたら、失っていたのは……」


「アマト!!」


 

「ごめん」


「ボクの過ちはボクが正すよ。だから、それが果たされるまで一緒にいてもいてもいい?」


「いやだと言っても連れていくさ……仲間だからな」


 自分の力不足は仲間に補ってもらうしかない。

 これからの事なんて、その都度考えていけばいい。

 この結果を招いたのは自分なのだ。


 



 振り返ると滅びゆく村が見えた。

 数えきれないほどの死と再生に魂はその形を維持することはできなくなっていたのだろうか。

 まるで砂塵が舞うように、霧と化す。


 そこに村があったことなどもうわからなくなってしまった。

 浮かばれることのない魂の連鎖は、後にも先にも何も残さない。

 連鎖を打ち消したのは紛れもなく俺たちである。


 しかし、この村の存在を知っていたことに疑問を抱く。

 この村の本質におそらく気が付いていた。

 ならば、なぜ放置しておいたのかと。



「聞かないわけにもいかないか……」


「わ、私が知ってることならお話します」


 俺は彼女を抱きかかえたまま走るのをやめた。

 意図を理解しているからこそ、誰も俺急かない。

 時間がないことは変わらないが、やはりはっきりさせておかなければいけないことは多々ある。


「長い時間村にいたのに、都市を全くとらないことなんてあるのか?」


「あの村では時間は先に進んでもリセットして何度も繰り返すだけでした。私も人間にも関わらず結果的に生き続けていられたのですから」





「生かされていたの間違いだろ? 話を聞く限りではそこに意思は感じられない。寧ろ、今こうして俺と話をすることができることの方が不思議だ」


「そ、そんなことを言われましても」


「裏で糸を引いてる人がいるってことだよね。それにしても、何千年も昔から計画してたなら相当気が長い人なんだろうね。この世界の人でも何千年も生きている人なんてそんなにいないと思うし」


 俺が調べた情報でもそこはかわらなかった。







 俺の常識はこの世界では非常識だということは理解しているつもりだった。

 それでも、やはりこの感覚は一向にぬぐいされない。

 それもそのはずで、長い長い旅のようでまだ始まって数日なのだ。


 もう何年も仲間たちと旅をしてると言われても不思議に感じたりはしない。

 だれよちも充実した人生を生きていると思える。

 この世界に来なければ死ぬまでこの充実した生き方をすることはできなかったのは断言できる。


 学校に行って学んで、安全な家でゲームにうつつを抜かしていられたのは幸福以外の何物でもない。

 



「生きるということの概念がそもそも違うんだろうな。そもそも、不老不死になれば気が触れるから短い人生を精一杯生きなければならないなんて道理はないんだ。それは俺たち人類は軽々ンしたことがないから想像でものを言っているにすぎないってことだ。千年だろうと、何万年だろうと移り変わる世界の中では俺たちと感性は変わらないと考えていた方がいい」


「千年は長くないってことでいいのかな。それだと、まだ先があっても不思議じゃない……」


「終わってないってことだ」


「わたしの中では昨日のように感じてたことも、あの人からみたら些細な事です」


 本当にそうなのか。

 


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