第41話「異世界9日目」
対峙するは天空の覇者。
その巨体は目算で100メートルをはるかに超えている。
俺の知っている航空機でこれほど巨大な機体を知らないし、まして生物など見た事も聞いたこともない。
数千メートル上空から旋回しながら絶え間なく火球による爆撃を繰り返すドラゴンに、攻撃手段などない。
視認されていれば逃げる高尾は不可能である。
言ってしまえば、現在の高度を保つドラゴンの位置からならば数キロメートル移動したくらいでは一瞬にして追い付かれてしまう。
高度が上がれば上がるほど火球による有効放火範囲は増すばかりである。
ならば、物は試しだと割り切る。
何もしないでチャンスを捨てるなんてことはしたくはない。
「ユイナ、今だ!!」
上空に向けての最大魔力で生み出した水を圧縮し天に掲げる。
すでに外界の温度との差が有る為蒸発が始まり、辺りは水蒸気の霧に包まれるが爆発を起こすほどではない。
しかしそれも、上空から真っ赤に燃える小規模太陽が吹き飛ばす事になる。
結界の中にいるというのにこの星が爆砕し宇宙の塵にでもなるかのような凄まじい轟音が、鼓膜を通り越して身体の芯に響き渡る。
五感の全てが機能を停止しているのは分かる。
それどころか、表面の細胞の全てが破壊されてしまったを理解するのに時間はかからなかった。
肝心なのは直接衝撃を受けていなかったというのに、ここまで圧倒的なパワーがあったという事だ。
俺が地中深くまで魔法で地盤を液状化し、衝撃で地下深くまで吹き飛ばされてなお五体満足でいられなかったのだ。
結界を俺達を包む形の球体とするようにディアナに指示をしていなかったら、今頃皆ばらばらに吹き飛ばされ地中で窒息死していただろう。
現状では俺達を包む結界の球体を隙間なく液状化した土が囲んでいる。
すぐに魔力を込めて液状化した土を凍らせることで、ここまでの正確な位置を特定されないようにした。
後は地中を掘削して安全圏まで逃げれば何とかなる。
「ユイナ、ディアナ辛いとこすまないがみんなの手当てを頼む」
「結界を越える程の意力があるなんて思いもしなかったわ」
「いや、違うんだ。俺が魔法を使ったから結界に穴が開いたと思ってくれていい。結界に問題は何もなかった」
「アマトさんが魔法を使わなければ私たちは生きてはいなかったのですから、間違ってはいなかったのは分かります」
「無事だったんだから別にいいのにゃ」
「それよりもこれからの事を考えた方がいいんじゃないかな? このままここにいるわけにもいかないでしょ」
「とりあえず、このまま地中を進んでいくしかないよな。俺の体力が持つ限り掘削して首都を目指す」
「でも、地中だと息ができなくなるんじゃないのかな?」
「確かに土壌呼吸がある様に地上の酸素を吸収し二酸化炭素で満たされるわけだが、二酸化炭素も元を辿れば炭素、酸素の化合物。それにさっき地上へ向かって凍らせてうまくいったってことは水分を多分に含んでるってわけだ。それをまとめて分解すれば酸素は問題にならない」
「アーニャが何を言ってるかよくわからないけど、息できるようにするならミャーでもできるにゃ」
「スペラって意外な程頭が切れるよね」
「えっへんにゃ」
「褒められてるのか?」
「ドラゴンがいなくなるまではこれでいいと思いますが、食料の問題は解決しませんわ」
地中の酸化物を分解したところでそれは時間を稼ぐだけで具体的な解決にはならない。
一生地中で暮らす気など毛頭ないのだから一刻も早くこの状況を変えたい。
ディアナが光を灯してくれているからこそ、この状況下でも不安になることはない。
光がなければ完全な暗闇の中だ。
魔法により炎を燃やすことなく明るく照らすことが可能な為、無駄に器量な酸素の燃焼を抑えられる。
方向感覚もアビリティのおかげで狂う事もない。
ここまで条件がそろっているならば、むしろ地上を行くより安全ではないだろうか。
勿論そんなことはない。
地中深くの閉鎖世界だというのに人間を優に超える巨大な反応がいくつも点在しているのだ。
今すぐに襲われることもないなどとは到底言い切れない。
水中と違い、相手方も俺達同様この周囲を隙間ない障害物を掘削しなければいけない。
つまり、接触までに時間を有するという事である。
時間がかかればかかるほど対策を十分練ることができる。
裏を返せば短時間で接近されるようなことがあれば、退路がない以上痕が無いのも事実だ。
「それにしても、一向に火球の雨がやまないな。この暑さは上から来てるのは間違いないだろうし、いつまでもここにいてもしょうがないな。ディアナが言うように少量も心もとない。北上しよう」
ディアナには俺達の位置情報を完全に攪乱する類の結界を常時張ってもらっている。
それでもドラゴンの攻撃が止まないのは、こちらの情報を掴んでいる為かそれとも単なる気まぐれなのか。
無論可能性を上げればきりなどありはしないのだが、絞り込まなければそれこそ闇雲である。
俺は土に触れると、個体、液体、気体へと分解する。
結界内には必要な飲み水と、空気のみを供給できれば後は掘り進んだ空間の崩壊を防ぐ為圧縮し壁へと埋めていく。
それにより、密度が増した土壁が崩れてくることは無くなる。
掘り進んだ道を塞がない事にも意味がある。
必要以上に強度を増した壁は、コンクリートで固めた地下道のようなものであり破壊するにはそれ相応の力がいる。
モンスターであれどいとも簡単に破壊することは出来ないだろう。
使い捨てにするのならばそこまでする必要はないところだが、地上がこれほどまでに危険ならば安息の地下にこそあると思うのも無理もないだろう。
ならば、これを機に安全地帯を設けることにしたというのも安易であれ思うところであった。
道なき道を新たに築き上げて行くことで前に進んでいくことができた。
次第に焼き付ける暑さからも解放されていく。
そもそも、せっかく地中を凍らせて落盤を防いだにもかかわらず一瞬で溶かされてしまったのだ。
気が気でないのは言うまでもないだろう。
それに想像していたよりも遥かに身体的疲労がたまっていき、地上を進むルートの半分も進んでいないのは容易にわかる。
このままでは首都につくのがいつになるかわからない。
「ここまで来ればもう暑くはないかな」
「あいつもむやみやたらに暴れてたみたいだけど、諦めたのか追ってないな」
「まだ、結界をとくには早いわね。落ち着ける場所に辿り着くまではこのままの状態を保つしか……」
「ボクは結界には精通してないないからね。代わることができたら、ダーリンの役に立てたのになぁ」
適材適所で事にあたるのが最善なのだが、役割というのは偏ってしまう。
だからと言って遊んでいるわけではない。
そんな余裕はだれにもなかった。
必然的に役回りが偏ってくるのは仕方がない。
ユイナは俺の代わりに道を掘り進める作業を代わることは出来るが、今ユイナに消耗してもらうわけには行かない。
ユイナにできることは他の誰かが肩代わり出来ることばかりではないのだ。
傷をいやす魔法、精霊術は抜きんでている。
効率を考えても誰かに任せるよりは専念してもらった方がつごうがいいのだ。
それならば単調な作業は俺がこのまま推敲した方がいい。
穴掘りが好きなわけではないのだが、如何せんここは仕方がないと割り切ってしまう。
「おいおい、なんだこの揺れは? 次から次に冗談じゃない」
「地震かな?」
「アーニャもユイナもなんでそんなに落ち着いてるのにゃ!!」
「崩れることはないと思うけど、この揺れ方は良くないね。それにどんどん大きくなってる」
「結界を強化します!!」
「来るが!!」
俺の索敵の遥か外。
それも地中深くから、凄まじい速さで飛翔するかのように突き進んできた何者かが強固に張られた結界を掠めて地上へと消えた。
バニティーが出現のタイミングに叫んだことで、結界を強化するタイミングをピンポイントで合わせることができた。
微かに見えた影は紛れもなくドラゴンだった。
それを認めたくない感情と、冷静に分析し対処しようとする思考が入り乱れる。
しかも、飛び回っていた奴とは違っていた。
それもそのはずで、全体像がつかめていないとはいっても通り抜けていった穴が小さかったからだ。
せいぜい20メートル程度だろう。
それでも人間と比べれば大きく、単純な力は桁違いとなる。
元の世界では絶対に対抗できなかった。
この世界だからこそ臆することなく向き合える。
俺達でも手の届く距離に奴はいる。
「みんな備えろ!!」
「「了解」」
先程地上へ突き抜けていったドラゴンが必ず戻ってくると全員に警戒するように言ったものの、何時まで待っていても戻ってくる気配がない。
ただただ、長く感じるだけならばこれほどまで不安にはならない。
警戒を解いた時に襲われるよりは余程いいと思いつつもただじっと待つ。
「来ないにゃ……」
「ああ、どういうことだ?」
「諦めてくれたのかな」
「確かにボク達に対しての敵意を感じた……。これで終わりなんてことはないよ」
このじれったさはまさに生殺し。
来るなら来いと思いつつも時間だけが刻々と進んでいく。
いくらななんでも遅すぎる。
「結局、こんなところでも心の休まる時間なんてないのかよ……」
「あんなに硬い壁を木端微塵にするんだから、どこにいたって安心はできないかな」
「頭ではわかっていても目の当たりにするとつくづく碌でもないって思うよ。ドラゴンって奴は俺にうらみでもあるのかよ……あるか……」
俺は奴らと関係あるのかどうかはともかくモンスターは相当数屠ってきている。
もはやどこに身内がいたとしても不思議ではない。
モンスターの類にどれほどの知性があるかななんてものを考えてはいない。
確かなのは、脅威が完全になくなったわけでなくとも猶予ができたという事だ。
常日頃から同じことの繰り返しになっているとも思えるが、ルーチンというものはいつだって特別なことはない。
「すみません。少し結界を解かせてもらいます」
「魔力に余裕がないのか?」
「いいえ……スピリットブレイクを受けました……」
「大丈夫なのか!?」
「問題ありません……少し休ませてもらえますか?」
「あたりまえだろ!!」
不穏過ぎる一言に俺は息を呑んだ。
気がつけば日はとっくに暮れている時間となっていた。
ここが日の明かりも月の明かりもない空間だからこそ、気づかなかった。
ただすべてを忘れたくてがむしゃらに掘り進めていたが、それも地龍襲来で流れは経たれた。
「ここで一泊しよう。酸素濃度も朝までは十分に持つ程度には保たれてる。過信をするつもりはないが、ひとまずは大丈夫……それよりもディアナは本当に大丈夫なのか?」
「さきほどのドラゴンの意図は分かりませんが、結界が壊れなかったのは物理的でも魔法によるものでもなく魂に直接攻撃するものでした。それも確実に結界を張っていた私を迷わず狙っていました」
「大丈夫なのかにゃ? ミャーも似たようなことしたからわかるのにゃ。ゆっくり休んだ方がいいのにゃ」
スペラも同様に魂への干渉を行っている。
この世界での鍵は魂にあると言っても過言ではない。
ステータスという形で数値化した身体能力でさえ、意味をなさないのであれば深刻だ。
幸いにも命を落としたものはいないが、これから先必ずしもないとは言い切れない。
ならば対策は必須。
ディアナにも完全に回復してもらう一方、なるべく情報を提供してもらわねばならない。
ディアナからユイナへ守りの手を代わる。
結界の最大の目的は攪乱にある。
どれほど強固な壁であろうと攻撃を受ければ破壊される可能性がある。
逆に触れれば壊れる程脆くとも攻撃対象にならなければ、命の危険を気にせずとも良い。
ディアナはどちらも兼ね備えていたはずだが、現実に突破され倒された。
原因を解明せねばユイナも危ない。
結界は精神攻撃でさえも完全に防ぐ。
ドラゴンは俺達が思っている以上に化物のようだ。
そもそもあれは同じ理の中で生きているのか。
不穏。
これに尽きる。
玉座にで座っているわけでも、ダンジョンの最深部でもないというのに次から次へと湧いてくるのだからどれほど危険な存在なのか見当もつかない。
元の世界でも危険生物や、死に直結する細菌は日常生活に少なからず存在していた。
俺のいた国が地球上でも極めて安全とされていたからこそ、危機感を感じずにいただけだ。
海を渡れば殺人生物はわんさかいたし、向こうからも海を渡ってくることもあった。
それだけなのだ。
「見張りは俺一人でやる。みんなはゆっくりやすんでくれ」
「ミャーはなら大丈夫にゃ。アーニャも休んだ方がいいのにゃ」
「スペラはもう限界だろ? 海で無茶しすぎたんじゃないのか……。もうフラフラになってるだろ」
「ふゃにゃにゃ」
スペラはがっくりとうなだれてしまった。
もうだれしもいつ倒れてもいいほど体力の限界はすでに越していた。
ディアナはすでに倒れ、ユイナも結界の維持によって精神をすり減らしている。
唯一、しっかりしているのはバニティーだけである。
ルナは悪魔と言えど、普通の人間とさほど変わらない。
満足に休めるとは到底思えないが、如何せん進めるような状況ではない。
今できることは襲撃に備えつつ英気を養う事だけである。
俺だって考えるのやめて楽になりたい。
「ユイナ、結界をこの場所に固定、後は俺が維持する」
「お願いするね」
幾度もユイナの力を借りて戦ってきたからこそ、何ができて何ができない事なのか大凡わかる。
結界の維持を代わりに行うというのは風船の空気を入れる役を代わるようなもので、タイミングを間違えばそのまま風船の空気は抜けてなくなり、入れ過ぎれば割れてしまう。
俺は地面を可能な限り目の細かい粒子へと変えるに留めた。
その際に衛生上芳しくない不純物を抽出し地中へと戻すことで、一晩を明かす上で最低限の条件を満たせる環境を設えた。
本来であれば無菌状態を創る為には相応な設備と工程を必要とするが、原理さえわかっていれば魔法でどうにかなってしまう。
この世界には魔法がある。
されど、立ち寄った町も村もその片理が見えなかった。
正確には魔法を使っていた人間はいたが、それを活かしている様子が無かった。
水の一滴でも捻出できれば火さえ起こせるというのに、文明レベルが低いと感じた。
それでいて文字の読み書きは誰でもできるのは確認している。
すなわち魔法に対する意識が極端に低いことを意味している。
元の世界でも国によっては言葉も文字も存在しているというのに、読み書きができない地域が存在していた。
偏に生きる上での優先順位が低いと起こる現象である。
仮に読み書きができなければ食物を手に入れないという制約が存在したとしよう。
必然的に生き残った者は文字に精通していることになる。
この世界でも同様に魔法で同じことが起きている。
スペラも電気を操る魔法に長けているというのに照明機器は愚か、火を起こす為に魔法を遣おうとはしなかった。
旅をするうえで俺が戦闘以外で魔法を行使しているように、日常生活に取り入れていってほしいと思う。
しかし、こんな単純なことに誰一人として気づかないのか疑問は絶えない。
それとも、想像している以上に難しい事なのだろうか。
自分にできることが誰しもできることだと決めつけるのはいかがなものか。
恐らく何らかの制約が課せられている。
それも、個人が逆らう事が困難な程強大な力によるもの。
それも、仮説に過ぎないが確かめてみない事にはどうにもならない。
何せこの世界で人間が生き残る為には人類の生命力の底上げをしなければならないのだから。
今日は俺一人で一晩を過ごす。
思えば寝ずに朝を迎えることになるのはこの世界では初めてのことである。
眠ることがあたかも必要なことだと思っている人は多い。
だが、そのメカニズムは解明されていない。
完全に全てを読み解くことなど出来なくとも科学的に当りをつけてきた昨今。
ここまで謎めいていれば一種の気持ち悪さを感じる。
数日眠らなくても命にかかわらないというのに、それを続けて命を落とした者もいれば眠気に勝てずに倒れることもある。
強制的に眠らなければならないというのだから人間とは面倒な生き物である。
そういう俺だってこの世界にきてなお、眠気は感じていた。
今日だけは全員は万全な状態にするために見張りをかってでた。
それも交代なしで完遂することにした。
いつもなら、ユイナが世話を焼いてくるというのにその気配はなかった。
たかが小声で話せば寝ている皆には気づかれない程度に距離を開けて座っていた。
話し相手がいないとどうも退屈で、手持無沙汰になってしまう。
手近の土くれを魔法を使ってこねくり回して時間が経つのを待つ。
夢中になると退屈など何処かへ行ってしまう。
そんなこんなで異世界9日目は地中で迎えることとなった。
最早暇つぶしの次元を超えた作業は地上であれば既に日が昇ってしまっているじかんまで続いた。
土で作った人形に魔力を流すことで、まるで生きているかのように動きだすのだから気分は高鳴って止まない。
見てくれこそ煉瓦のような立方体を球体でつないだだけの拙い人形であるが、二足歩行で動き回るのである。
森で見かけた巨人をイメージして土をこね、魔力で動かす。
ただそれだけのことなのだが、簡単なようで難しい。
関節を球体にしたのも角ばっていると引っかかって動かないからなのだが、その辺の些細なことでも不思議世界だからと原理を無視してはくれない。
おのずとすべて許容されるわけではないことがわかってくる。
、
人形作りをしているとつくづく思い知らされる。
魔法なんてものがあるのに明らかに不自然なことは許されていないという事を。
重力だって元の世界と同じかほぼ変わらない。
不要になった土を固めて遠くに飛ばせば高速で壁を突き破ることもなく、自然な流れで地面に落ちる。
それにもかかわらず、巨大なドラゴンは悠々と天空を飛翔するのだ。
全く笑えない。
ここ数日であれば、もうすでに皆目を覚ますころだというのに誰一人として目を覚ます気配はない。
疲れを一切見せなかったバニティーですら起き上る様子はない。
日光が差し込まない地上世界であるからなのか、疲れのせいなのか考えだせばきりがない程思い当たる節がある。
皆の元へ行って、耳をすませば寝息は聞こえてくる。
皆一様に眠っているのは確認できた。
それならば無理に起こすことはない。
このまま誰かが目を覚ますまではここに留まって入れる。
できることならば完全に回復しきるまでは安静にしていてもらいたい。
特に度重なる死線を集注的に潜り抜けてきたスペラは限界を問うに越してしまっていた。
魂に深刻なダメージを受けたディアナは俺では想像もできない次元の痛手を受けている。
元の世界ではオカルトに精通はしていなかった。
スピリチュアルな事になるとお手上げと言わざる負えない。
皆が無事でいるのが確定しているのならばこの時間は大いにありがたい。
首都までは急いでこそいるが明確に期日は定まってはいない。
いつまでに辿り着かなければならないという事もなければ、闇の軍勢に滅ぼされるなんてこともない。
なぜ言い切れるのかと言われれば、結果を知るすべがないからだと言い切れる。
答えを知らないのだから、今確かに俺達が生きているという事実以外は確定していない事象に過ぎない。
ここでもシュレディンガーの猫に例える事ができるが、箱の中身は俺達その者かもしれない。
いつまでもこの時間が続く錯覚、そんなことはやはりなかった。
寧ろ、想定していたよりもはるかに早かった。
それに加えて一番早く目を覚ましたのは……。
「あれからずっと起きてらしたのですね」
「約束したろ? それよりも、大丈夫なのか、まだ寝ていてもいいんだぞ。まあ、少なくもみんなが起きてくるまでは休んでいればいい」
「大丈夫……」
「ならいいんだけど、無理はするな」
「はい」
歯切れが悪い。
しかしながら顔色もよくなり身体的には問題が無いようにも思える。
だからと言って、鵜呑みにはしない。
目に見えないからこその恐怖。
仲間の一人が、致命的なダメージを負う事が今後増えてきた時に対処できるビジョンがない。
誰もが唯一無二の存在であるからこそ、切り捨てることも出来ない。
戦力の一つとして切り捨てることも出来なければ、新たに得られるものもない。
犠牲の上に何も残らない。
ディアナは元の状態になどなってはいない。
今すぐ何かが変わるなんてことはなかった。
時間だけが過ぎていく。
ディアナは俺に休むように言うと、返事を待たずに結界は張りなおす。
二重にする事で信頼が増すと言っても、今更場所の攪乱などしても効果は薄い。
ならばここは任せたほうが良いと判断した。
結局のところ、万が一の事態が発生した瞬間にならなければわからない。
無理をして全体の回復を図ったばかりに俺のミスで全滅させる結果を招くことになった場合、その責任をだれが背負う事になるというのか。
これから先一切休むことができなくなる可能性だって皆無とは言い切れない。
ならば、答えは簡単だ。
「一時間だけもらう。そのあいだだけ頼む」
「わかりました……」
返事を最後まで聞く前に眠りに落ちていた。
まるで強制的に眠らされたかのように。
目が覚めたときには皆俺の事を待っていた。
時計も見なけれ良かったと思う。
まさか、太陽もてっぺんに登っている時間まで寝ていた。
その事実にただぼうぜんとする。
疲れがたまっていたからだと割り切れはしないがディアナが皆に説明した後だという。
ならばいまから取り繕う必要もない。
彼女には僅かな時間だけ任せたつもりが、結局任せきりとなってしまった。
しかし、全身麻酔でもかけられたかのような意識の落ち方はおかしい。
抗えない力があるとすればそれは脅威と言わざる負えず、予兆すら見据えて行動に移れないとあらば最早いついかなる時も死と隣り合わせであると言っても過言ではない。
今こうして、生きていられるのも仲間たちのおかげであって自分の力などとは微塵も思わない。
圧倒的な力があったとしても眠っていて目を覚ます事が出来なければないのと同じである。
こうして皆一様に目を覚まし、無事に次の日を生きられるというのはささやかな幸せであり奇跡。
それほどなでに一日の重みがまるで違う。
充実しているなどという生易しい物ではない。
「アーニャ、寝過ぎなのにゃ。起きなかったらミャーが背負って行こうかと思ったにゃ」
「それもありかもな」
「にゃにゃにゃ!!!」
「冗談だ」
「もう、ふざけてないで早く行こうよ」
このまま地中を進んでいくのも地上と比べればましだ。
だが、得られるものがない。
安全ではないことは僅か数時間前に判明したばかりだからだ。
ならばまだ、広がる自然を眺めていたい。
それを許してくれるかは今も空を飛び回っているだろうドラゴンの御心のままなのだが、確かめてみないことは物語は進まない。
試してみるしかない。
「予定は変更する。みんな、本調子でないところ悪いが、上に戻るぞ」
「誰も反対なんてしなよ」
「こんどこそ仕留めてやるにゃ」
いざ、ドラゴンを落とさんとする者達の戦いが始まる。
地上へ戻る為に手を使わずにするぎりぎりまで勾配をつけて道を作っていく。
真上に穴を開ければ直線距離では短く済むのだが如何せん効率は悪く、リスクの割にはメリットが無い。
できることなら労することなく地上へと上がりたい。
1で済むところを10も100も力を使うのであればそれに見合った成果を伴う必要がある。
そもそも、地上にいるであろうドラゴンに万全な状態で移動無であれば時間はかかればかあるほど良い。
降りるときは一瞬であったのに登るとなるとこれが意外と長い。
道は徐々に地上へと出られるように角度をつけていたが、ビー玉が僅かに転がる程度では左程意味などない。
しかし、この急勾配であれば階段を上がる程度の間隔で地上へと戻れる。
鉢合わせはしたくはないが、用心はしておかなければならない。
「もうすぐ地上だ。俺の索敵範囲には奴らはいないみたいだ。どこからくるかわからない……。油断せずに行くぞ」
眩しい陽射しに思わず手を翳す。
ドラゴンの何らかの攻撃だとしたら、俺は次の瞬間には悲惨な末路を辿ことになっていただろう。
だが、呼吸の一つも乱れることはなかった。
広がるのは昨日までの、鼻に突き刺さるような異臭漂う焼けた荒野ではなく自然が色濃く残る草原だった。
腰のあたりまで伸びきった野草が好き放題に生い茂っている。
隙間が一切ないというのに枯れ木が無いのは、この土壌がとりわけ豊かだからなのだとわかる。
辺りを見渡し、南東の方角に煙が昇っているのが辛うじて見えた事で昨日の攻防が夢ではなかったのだと思い知らされる。
まだあそこにいるのか、それとも場所を変えたのか。
どちらにせよ正面衝突は避けられた。
一日で移動できた距離なんて大した距離ではない。
地上を歩いて移動するよりも遥かに無駄な時間を過ごしたと思うか、皆の回復に時間を掛けた事への必要なことだと割り切るか意見の分かれるところだが結果として参事は避けられた。
ファンタジー世界よろしくドラゴンを一瞬で真っ二つになど出来ないのだから俺達は生きのこれただけましだと言える。
俺一人でも生き残れず、俺以外のメンバーだけだとしても生き残れなかった。
そうれは今だからこそわかる事であって、窮地に陥り余裕のない状態で果たして他に選択肢を見いだせていただろうか。
今となってはわからない。
「ここなら何が来てもすぐに隠れられるにゃ。暗くなる前に進めるだけ進んでおくにゃ」
「一人で突っ走るなよ。なんだかんだでスペラが一番無茶してるんだからな。俺も人のことは言えないが、人の事なら言ってやれる」
「私たちが隠れやすいってことはモンスターもどこかに隠れてるかもしれないってことだからね。アマトはわかっても私達が知らずにぶつかることだってあるんだから、ばらばらにならないようにしないといけないかな」
「ボクなら飛んでいけるけど、見つかってみんなの居場所が特定されるリスクには合わないよね。それにダーリンと何をしていてもばれないならなおさらね」
そういってルナはこれよがりに体を密着させる。
いつもなら止めに入るユイナだが、あまりにも密集している草の葉が遮り今一歩というところで手が届かない。
さらにごきげんなルナが顔を近づけるがそれ以上は許してはくれない。
「その辺にしておいたほうがよろしいのではないかしら」
「混ざりたいのかな?」
挑戦的な視線がディアナに向けられる。
それを見て、俺は心配し過ぎだったのかとつい誤った結論へと至ってしまった。
目の前の平穏な光景が永遠のものだと錯覚し正確な判断に翳を落とした。
モンスターの反応が疎らだが確かにある。
臆病なのか警戒心が強い為か俺達に対して無反応で、距離が多少近づいたところで引きもしなければ、襲い掛かってくることもない。
みんながみんなこんな感じであれば争いなんてものは起こらないと思いつつ、足早に北西を目指す。
生い茂る草木も背丈はばらばらで時には身の丈を遥かに超える高さのエリアをかき分けていく。
とりわけ草木の迷宮といった具合だ。
目印になりそうなところはない。
誰がこんなところに好き好んでくるのかと疑問に思うほど歩行に向いていない。
モンスターに襲われれば対処も困難であると容易に想像できるが、ここにきて目視できていない。
このまま無駄な戦闘は避けて早急に首都を目指したい。
ここに来るまでに遠回りをさせれてしまった。
だからこそ得られたものはあった。
それでいて、失ったものもあったのだろう。
兎にも角にもこのペースでは今日中に辿り着くのは難しい。
まだ太陽は天高くに見えるというのに距離感が分かるようになってきたのが、悲しいかな。
「歩きにくいにゃー。燃やしていいかにゃ?」
「俺達もまとめて丸焦げだな」
スペラに可哀想な者を見る目を向ける。
「嘘だにゃ……。怒らないでにゃ!!」
怒りなど微塵もないが、猫耳少女はびくびくと震えて見せる。
そこにディアナが何かを閃いたかのように軽く、頷く。
「それはいいかもしれません」
「いや、燃やすのはどうかと思うんだが……」
「通り道だけ凍らせてしまえば、脆い枝木を砕くだけで進めるようになります。燃やすよりもリスクは少ないとおもいますけどどうでしょう?」
「いけるか?」
「お任せください」
「まあ、そういうわけで、スペラのアイデアも周り廻って役に立ったわけだ。よくやった」
「アーニャに褒められたニャ」
スペラはにかっと笑った。
それでいい。
バリバリと崩れ落ち道が文字通りきり開かれる。
本来であればここに俺達がいたという痕跡は残すべきではないが、それを考えずともいい。
何せ、俺達が相手にしているのはこちらの索敵範囲を越えて付け狙ってくる連中なのだ。
しかしながらドラゴンは俺達を見失った。
一方的に攻撃を受けてこの程度で済むなどとは思えなかった。
意図してのことなのか。
確かめるすべがないのは何とももどかしい。
この瞬間にどれだけ有意義に行動できるかが鍵となる。
留まるも進むも地獄なら立ち止まってなどいられるわけがない。
果てが見えなくとも一歩いっぽ近づいている。
未開の地を探索していると思えばそれはそれで好奇心をそそられる。
怖いもの見たさとは、時として命を燃やしかねない。
それを証明するように村や町から離れたところで人の姿をほとんど見ていない。
まるで見えない壁に覆われているような錯覚すらする。
どうにもおかしくてたまらない。
「警戒は厳にしろ!」
「どうしたの!?」
「にゃにゃにゃ」
禍々しい気配が草原を吹き抜ける。
良くないことの予兆というものはいつも突然である。
これが結果としてではなくあくまでその前段階出ることが幸いである。
しかしながら、感じ取ってから対策を講じられなければ意味などない。
知っていて策を講じる前に相手に先行されるようなことがあれば、目も当てられない。
ならばもたもたしていられないだろう。
どう転ぼうと動いてみなければわかるはずもない.
嫌な感じが通り過ぎたかと思えば周囲にいたはずのモンスターの気配も消えていた。
やはり、相手にしないに越したことのない類のものだったのだろう。
不快感も今はまるでない。
「何だったのにゃ!?」
「ボクの知ってる誰かだと思う。よく思い出せないけど、向こうもボクに気づいたのにそのまま駆け抜けたってことはその程度の関係だったと思うけどね」
「まあ、今は相手にしなくてよかったと思うが次はこうもいかないだろうな」
「そうだね」
「ルナのゆかりの方なら、いずれまた会う事になるでしょう」
「できれば会いたくはないが、そうも言ってられなくなるんだろうな。その時が来たらルナ……わかってるな」
「そのころにはボクもこのままってことはないよ。ダーリンには付き合ってもらいたいけど、場合によってはボクもこんなこと言ってられないんだろうね」
「おらの武器が出来上がりさえすれば、今のままってことはないが」
ルナの武器は拾い物にしては良くもったほうだ。
手に馴染まないのも仕方がないと言えば仕方がないのだが、得物はオーダーメイドであった方がいいのも事実。
達人であれば武器を選ばないという話もあれば、馴染みの武器であれば限界を超えることすら可能であるという。
即ち、業物に越したことはないという事なのだ。
「何時頃、完成するんだ?」
「あと一回鍛えれば獲物としてはもうしぶないが」
短期間で武器を一つ手に入れることができる。
それも良くも悪くも一品ものなのだから、価値を見出さないわけもない。
大量試算されたものを使い捨てにしていたころとは何もかもが違う。
その道の人間が専用の部武器を拵えてくれるというのに時間が足りない。
予定よりも遠回りのルートを辿ってなおも、余裕というものが無い。
そこに相似があった。
昨日今日できる程簡単なものではないのだろうが、そんなことは素人には分かりはしない。
それどころか。PPを使えば容易に作り上げることが可能でさえある。
試してなくともそれくらいわかる様になっているというのだから、笑う事すら業とらしい。
「早は求めてはいない。首都に辿り着くまでにたとえ完成しなくても構わない。ここぞという場面で使い物にならなくなる方が致命的だからな」
「心配無用が。手を抜くつもりは毛頭ないが。んだが、忘れてはならないことがあるがよく聞くが。絶対に折れねえ剣はないってことが」
「絶対はないか……。わかっているつもりで、案外その時が来なえればわからないってことかもな。ガルファール……おまえもか?」
語り掛ける。
微かに返事をしたような気がした。
覚醒の日は近い。
モンスターの気配が無くなっただけで警戒に回していた労力を温存できる。
ディアナとユイナは交代で途切れることがないように結界を張り続けているが、こればかりはやめさせるわけには行かない。
モンスターなんかよりも意志ある人間、悪魔の類にピンポイントで見つかるのだけは避けねばならい。
結界を張っているからこそ、索敵範囲内のどこかにいるというあいまいな情報でごまかすころができていると思っている。
敵からすれば、結界の張られているところだけが不自然に見えているだろう。
それが、漆黒のフィールドに白く見えるのか。
はたまた、ここら一帯閑散としているように見えるのか定かではない。
あるはずのものがないのは不自然だという事なのだ。
「ペースを乱すのも癪だが、急ぐしかあるまい」
「やっぱり、追いかけるのね」
「ボクもダーリンなら放っておくはずもないって思ってたよ。それに方角が首都の方なんだから、ゆっくりしている理由はないよね」
「ミャーは最初からわかってたにゃ。アーニャ、先に追いかけてもいいにゃ」
「それはご遠慮願おうか。厄介事はさっきのだけで手いっぱいなんだよ」
「私も賛成です。結界も長くは持ちませんし、少し趣向を変えてみる必要がありますので……」
「もしもの時はおらが何とかしてやるが」
意見は満場一致で可決。
反対する意味がないというだけなのだが、これがどう転ぶのやらわかるはずもない、
当初の予定では一晩はキャンプするはずであったが、そうも言っていられない。
先程出会い頭で意表を突かれる形となってしまった為に抜かれてしまったが、何らかの形で足止めをするべきであった。
過ぎてしまったのだから、何を言おうと後の祭りなのだがまだ全てが決したわけではない。
そもそも首都に先に到着されると決めつけるのも早計である。
ならばあらゆる可能性を想定して動くまでだ。
その答えが当初と何も変わらない。
ただ、いそぐだけ。
陣形を崩すことなく走り続けているとはいえ、昨日の穴掘り移動に比べれば数倍の速さで駆けていた。
それでも、すでに奴を見失ってからその僅かな痕跡すら掴めていない。
まるで何も通り抜けていないように草木も変わりはしない。
寧ろ、辺りを凍らせ破壊し突き進む俺達の方が余程自然に干渉している。
つまり、この生い茂る自然の影響を顧みることなく進んでいる向こうの方が数段上手だということだ。
俺達が束になってどうにかなるビジョンがまるで見えない。
人恋しさもあり、早くこんな得体のしれない草の海から抜け出したい。
都会育ちという事もあって、あまりにも自然豊かな世界に馴染めずにいた。
無論、必ずしもビルの合間を埋め尽くす人の波に乗らなければ生きていけない類の者ではないのだが、文明からかけ離れた世界というのはそれはそれでさみしいとさえ思うのだ。
「私もハイキングに行くようなタイプじゃなかったからアマトの気持ち。わからなくもないけど、生まれも育ちもこの世界だと元の世界に対して未練も無くなるんだよ」
「それでも……」
ユイナの言っていることを肯定すれば、目的が失われる。
(俺は元の世界に戻りたいのか?)
問いかける。
異世界から元の世界へと戻ることを目的とした物語は数千年前から語られてきた。
そこが地獄のような絶望の世界であればそれも自然なことなのだろう。
しかしながら、ここは地獄と呼ぶには些か不透明である。
町には人が営み、森には自然が育んでいる。
今この瞬間も滅びてはいない。
即ち、この世界は継続的に存在し続けているのだ。
今もこうして俺達が無事でいられる以上必ずしも絶望の世界とは言えないのではないか。
それでも目的が変わることはない。
「ミャーにはわからないけど、アーニャがしたいようにするのが一番にゃ。だって……アーニャは間違えないんだから……にゃ」
迷いを断ち切るには時間も経験も足りない。
そんな俺達の前には行く手を妨げる草木。
数百キロを駆け抜けて、真っ赤な夕日も次第に色を失っていく。
幸いなことに月が明るく照らしてくれているおかげで、足元を気にせずとも走り続けることができる。
無限に空を埋める煌びやかな星も相まって、今日は一段と幻想的な世界を感じていた。
たかが一日だとしてもこの圧倒されるには十分すぎる神秘な世界を目にしていないだけで、感動は膨れ上がる気球のようだ。
放っておけば現実から解き放たれ自分の欲望のままに理想郷へ行ける錯覚さえするのだから、人間というものはつくづく利己的な生き物である。
こんなことなら、元の世界の自然というものを味わっておけばよかった。
文明というものは時として原始という壮大な事象の前では、無に等しいと感じえずにはいられない。
見渡す限りの草原地帯にもやっと終わりが見えてきた。
明らかに地面の感触が変わったのだ。
いままでは適度な柔らかさと栄養分を含んだ土壌特有の色の濃さからわかっていた。
それがこの辺りは地盤が固く、色までは確認できなくとも時たまに小石を蹴飛ばすことからも植物の成長にはあまり適していない。
足元近くまで背丈が低くなれば遠方も視認ができる。
そして、それはあった。
天上がそのまま地上に存在する光景。
一際煌く星。
手を伸ばせば届く距離に広がるというのでは、最早目を離すことも苦行でしかない。
星の流れる音も聞こえてくる。
地平線の先、辛うじて壁のような建造物が見えてくる。
気分は昂るばかりだ。
川岸に辿り着いてみれば、ゆるやかに流れる水面が見まごうことなく揺れる月を映し出す。
夜にここを渡らなければならないというのは、できることなら避けたいところではあったが言ってられない。
幸いにも膝したほどしかない浅い水深なのは、澄み切った清流故に見れば一目でわかった。
「みんな……」
「大丈夫だよ」
「行くにゃ」
誰一人として戸惑はない。
先陣を切って肌寒い星の海を渡る。
透明であるがゆえに足元を特に気にする必要もなく真っ直ぐに向こう岸へと向かえる。
身体能力が常人のそれではない俺達ならばなおさら苦になることもない。
多少流れが急であっても、深い水深があったとしても回避する条件はそろっている。
ならばただ急ぐのみ。
敵が待っていてくれる道理などないのだから。
あっけなく川を渡り切ると、次第に人工の明かりが見えてくる。
空から照らされる灯りとは違い、地上から淡く夜の帳を染める。
どちらも同じように趣があるのだがやはっり一目でわかるほど違って見える。
人が作る灯りには温かみがある。
感じ方の違いだとしても、自然が作り出す者とは一線を引いているのは間違いない。
もうすぐ、スタートラインに立てるのだ。
長かった。
まるで何年も旅をしてようやくたどり着くかのような感覚。
たった一週間程度の道のりで充実していた日々を過ごした。
「おかしい……」
「悪い事ばかりじゃないってことかな」
「それならいいんだが?」
容易に跳び越えることが困難な壁に、強固な門。
それを数名の門番が護る形を形をとっているが、誰一人取り乱している者などいない。
恐らく壁の中も変わり映えはない。
「ここを通りたいんだが」
「初めてのようですね。では、向こうで手続きをしてもらう事になります。案内いたしましょう」
軍服を着た爽やかな青年の後に続く。
そこには空港などでよく目にするゲートのようなものや、いかにも魔法使いな装いの男女が待ち構えていた。
これほど厳重なのはここが初めてであった。
それだけ首都が重要であるという事。
それも外界から来る知性を持った者に対する警戒が厳しいのだから、だれでも容易に侵入できる周辺の町や村とは違う。
ならば、俺達より先に侵入されたなんてことはないか。
俺達の身体検査は、男女別れて行われた。
なんでも、魔法使いの連中は投資ができるというのだ。
全くもって冗談ではないと言いたいところではあるのだが、ここで抵抗の意志なんてものは見せるべきではない。
悲しいかな。
彼らは無表情に淡々と与えられた責務を果たしていく。
他人の裸を見て表情一つ変えないどころか、ユイナが赤面していると「見慣れてますますので……」などと言う始末。
最早、恥ずかしいと感じる自分達の方が穿った見解を示しているかのようにさえおもってしまう。
だからと言って気分は最悪なことに変わりはない。
堂々としていられるほど、胆が据わっていないのも仕方がないのだが残念な事この上ない。
「皆さん、問題はありませんので登録を済ませてから門を通過してください」
「武器の持ち込みは問題ではないのか?」
「武器の使用は緊急時を除き原則禁止されていますが持ち込みは可能です。ですが、武器も登録対象となりますので扱いには制限があります」
「なるほどな」
「詳しいことは首都内だと役所で確認できます。活用ください」
「わかった」
それにしても、このメンバーで誰一人敷居をまたぐことができなかった者がいなかったの幸いとしか言いようがない。
無論、何も後ろめたい事なんてあるわけがないのだから敷居が高いなんてことはないのだが悪魔を差別するわけではないがすんなり許可が下りたのは何故だと疑問に思う。
悪だとか正義だとか人によりけりといえば聞こえがいいが、少なくとも俺の知る限りでは出会った悪魔はどいつもこいつもろくなのがいなかった。
「ようやく首都に入れるな」
「ボクは入れてもらえないと思ったでしょ?」
「こころを読んだのか……」
「違う違う。悪魔だって言わないとわからないからね。魂まで見抜けるのは一部の人だけだし、今のボクは人間の身体なんだからね」
「それよりも、透視する必要もない状態をなんとかしないとな。何故か俺に対して憐れむような視線を向けられるのが癪に障る」
ルナをこのままにしておくわけにはいかない。
本人に自覚がないのか、自覚があって敢えてこの状況を楽しんでいるのかが今一判断がつかない。
少なくともこの世界にも服飾の文化はあるのだから、周囲に合わせてくれてもいいのだがそれを言っても変わりはしなかった。
壁の厚みは5m程もあり、壁の真上に人影を見た事からも常時周囲の警戒が可能であることはわかっている。
守りと攻めの両立を可能とする堅牢な要塞都市といったところだ。
やはりここは突破不可能な不可侵地帯と化している。
それでも、俺達がこうも簡単に門を潜れるのだから油断は出来ない。
想像していたよりも静まり返っていた。
夜の街を歩いている者はおらず、街灯も寂しく辺りを照らすに留めている。
これだけ静かだと、人が住んでいないのではないかとさえ思ってしまう。
だが、確実に背の高い建物に人の気配を感じ取れる。
眠りについているのだろう。
動く様子はない。
遠目に門の外で会った服装の兵士が徘徊しているのだが確認できることから、迂闊に出歩くことが許されているとは到底考えられない。
良くも悪くも治安は良い印象がする。
どこの国でも夜中に出歩くことが犯罪に直結するのは決っている。
ところどころ窓ガラスから光が漏れ出ている。
それも火の揺れるような灯りではなく、電気の証明のように一定のパルスを感じる。
これは魔法なのだろうか。
それにしても元の世界だと言われても遜色ないとさえ感じるのは、その清潔感から有ろう。
実際にはモラルのない人間が集まるようになった母国では人目に触れる場所にも、ごみや害虫を目にするようになっていたというのにここにはそれがない。
門の中がまるで綺麗好きな誰かの住居のように清潔感が保たれている。
モラルの高さだけではこれだけ清潔な空間は保つことは出来ない。
このまま道の隅で横になっていても衛生面では問題とならないとさえ思えてくるというのに、野宿している者は見えない。
だからと言って全ての者に衣食住が保証されているとも限らない。
俺達はというと、いくつか宿を紹介された。
無論、紹介状も添えられていた。
拒否することは許されてはいなかった。
正当な理由のない、土地の占有が認められてはいないからだ。
不法占拠が罰則対象となるのだから、道端で寝ている者がいないことも屋台が無いことも納得できる。
ひとまず無用な処罰を避けるためにも宿に向かう。
石畳の床がところどころ亀裂が走っているところを見ると、地割れの衝撃はここまで届いていたという事である。
幸いにも倒壊している建物が見受けられない。
石畳を採用しているということは、地震が少ない地方なのだろか。
この世界に来てから自然現象をいくつも目の当たりにしてきて地震には遭遇していない。
しかし、地震の原因の一つの地中深くのプレートによっては安心はできない。
元の世界でさえ急激に環境が変化したのだから、なんでもありのこのん世界がずっとおとなしいわけがない。