第38話「迷走すればこそ思ふ」
俺はディアナともと来た道を急遽引き返していた。
ところどころに見受けられる灰と化した生命の痕を見るたび、不安と恐怖に苛まれるからである。
死がまき散らかわれている惨状から勝手に強大な悪意を想像してしまう。
「一体何をどうすればこうなるんだよ。何かわかるか?」
息を切らせながらもディアナに投げ掛ける。
急いではいるものの、ディアナとの距離は離れすぎず近すぎ過ぎることない絶妙な距離感を保っている。
本気で走ったところで彼女ならはぐれることなど無いのとわかってはいるものの、自分自身が落ち着き冷静に物事を考えられる時間というものを確保したいという考えあっての行動をとらざる負えなかった。
やはり見えざる脅威に対して臆していると言えばそれまでだが、頭の片隅で急ぐ必要などないと冷静に答えを出してしまっている節があった。
それが仲間を見捨てた末の結論だというのであれば非常だと言うほかないだろう。
だが、そうではない。
直感で物事を考えることが悪いわけではないが、論理的でなければマネジャー足りえない。
今の自分は一、グループの一員ではない。
ここにいない者達を導くリーダーなのだから、踵を返すことなく任せて然るべきだというのに心配して任務を放棄したのだ。
今していること全てがルール違反。
情に流されて行動することに人間的でありたいという理由づけをしたい。
それだけだった。
元の場所に戻ってきたがそこには誰もいなかった。
別れた三人は北に向かったのだから、ここに誰もいなかったとしても不思議ではない。
むしろ、この場にいれば別のハプニングに出くわしたと考えられるわけだが、如何せん誰もいないのであれば確認の仕様もない。
「ここに戻って来た形跡はありませんね。それに、他の誰かがここを通った痕跡も見当たりません。そもそも私たちが見つけた跡では正確な時間はわかりません。場合によっては私達と別れてすぐに遭遇している可能性も……」
ディアナが何を言っているのか最早、耳に入ってはこなかった。
わかりきっていたことだ。
この世の中は自分を中心に回っているわけではない。
物語の主人公というものは総じて主観的なものである。
人の数だけストーリーがある、客観的に考えればいいというものではない。
ならばどう考えればいいのかと問われれば、俯瞰的であれと答えは出る。
自分中心であれば目先の事で精いっぱいだが、この世界全てを見守る神の視点で見れば今この瞬間にも
ユイナ達が戦っているかもしれないと容易に想像できる。
否、もうすでにことがすんでいるかもしれない。
突然、クールダウンした俺の頭は冷静に物事を考えていた。
足は止まり、全てがばかばかしくなる。
先程、感じた三人は無事だという感覚はパーティーとしてのつながりがあってこその必然的なサインであった。
冷静さを欠いていれば当たり前のことも当たり前ではなくなってしまう。
それをこんな形で実感することになるなど、まだまだ精神面では幼いと自覚したのだった。
「三人は無事だ……って言う必要もないよな。それはディアナもも知っているだろうし、敢えて俺に付き合ってくれたんだから。取り乱して、悪かった」
「アマトさんには悪いと思いますが、人間味があって好きですよ。数百年も目新しいことがないと新しいことを経験しても退屈なのは変わらなかったにで。今生きてるって感じます」
ディアナは優しげに微笑んでくれた。
人に笑顔を向けられるというのはやはり、いいものだと思う。
それが、心のよりどころになるのだと思えば咎もなくなると感じた。
このあたりは人の出入りが盛んだと思えるほど足元は踏み均され、自然の森だというのに足元にそれほど注意せずとも歩みに支障はなかった。
これは最初に抜けた森との大きな違いである。
無論、人の出入りのないところまで行けば違ってくるのは明白なのだが問題はそこでない。
人の出入りがあるかどうかという事だ。
すなわち、俺たち以外の誰かと出くわす可能性があるという事に注意しなければならないという今までは気にし悪手もよかったところにまで気を配らなければならなくなった。
モンスターだと誤認することもある。
その逆もまたしかり。
油断は命取りだと気を引き締めていかなければならないのだが、なかなかどうして切り替えというものは簡単ではない。
森がざわめき出した。
まるで、歓喜に喜ぶ動物達が騒ぎ出したかのように生物の息吹を感じることができた。
そこでユイナ達が未知のモンスターを退けたのだと直感した。
まだ完全に全てが終わったのだと楽観的になることは出来ない。
怪我をしているかもしれないし、場合によってはそれ以上かもしれない。
それを確かめるほどの信頼関係を築けてはいなかった。
確かに出会ってから間もないが、歩み寄ろうとしていなかった。
結局何かあるまで気付くこともなく、後悔ばかりしている。
呆けている俺のことなど気にする様子もなく、ディアナは周囲の食べられるものをそそくさと集めている。
彼女の仕草を眺めているだけでは本当に足手まといなだけで、寧ろ怠けている人間がいれば邪魔でしかない。
周囲を見渡したところで、どれが食べられるものなのかわからない……。
だが俺には不可能を可能にする力がある。
どういう理屈なのか未だに見当もつかないが、メニューを開き『鑑定』のスキルをPPを消費して修得する。
文字通り見たものの詳細を数値も含めて事細かく視界に表示することができる。
パーティーメンバーの能力とは違い自分自身で取得したものは、100%効果を発揮することができるようだ。
熟練度というものがあるのかはわからないが使い続ければスキル、アビリティは強化されていくことはわかっている。
今は必要最低限食べられるかどうかがわかればいいので、毒の有無がわかれば事足りるのだ。
さっそくディアナが集めた木の実、茸を鑑定してみると「流石」だと感嘆の声が漏れる。
毒はもちろんなく、名称の横には『良』とついているものがちらほらとある。
何を意味するのかは言わずもがな……語るまい。
俺も早速手当たり次第、鑑定にかけ『良』とつくものをひたすら集めることにした。
それが果たして正しい選択なのかはまた別の話だ。
餞別していると物陰からこちらを窺う何者かの気配を感じた。
薄暗い森にかすかに光る瞳は鹿だろうか。
鹿と言えば、地域によっては害獣扱いされていたり天然記念物にしてされていたりと千差万別なわけだがこの世界ではどうなのだろうか。
気にしていてもしかたがない。
モンスターも、獣も正直違いがよくわからない。
魔力を纏っていない者が獣あればモンスターだというのだが、魔力を行使できなくともモンスターに分類されているというのだから境界線などないようなものだろう。
そもそもこの分類ならば、魔力を持つ人間もモンスターとさして違いなどないのではないだろうか。
要は誰が観測するかによって変わるという事で、当の本人にしてみればどうだって構わない問題に他ならない。
食べられるのならば、獣だろうとモンスターだろうと構いやしない。
今は目の前の得物を狩るという事だけ。
モンスターを相手にここまで生き抜いて来た。
その自負はあった。
案の定、いとも簡単に鹿を仕留めることができた。
狩りの経験など微塵もない。
それでも身体が勝手に動くのだから、不思議なものだ。
結局誰しも危機的状況に陥れば順応することなどそう難しいことでもないのだろう。
それでも、目の前に血を流す得物を目にすれば罪悪感が湧き上がってくる。
結局、それ以上刃を入れるようなことは出来ずよろよろとしたおぼつかない足取りでその場を離れた。
ディアナをそのままにしてはいたものの、俺が離れていくのを敢えて見送ったのだろうということは視線を感じたためわかっていた。
だからそれに甘えて後を任せることにした。
ディアナを見失わない程度に距離を置くと気にもたれかかるように座り込んだ。
冷たい風が首筋にまとわりつき、まるでこの世の者でなくなった何かに首をしめられているような錯覚がした。
まだ、日が沈むには早いというのに薄暗い森はまるで今の自分のようだと思わずにはいられなかった。
ひとりでいることで冷静さを取り戻した。
まるでいつも何かに怯えているようだと思うが、初めての土地と危険地帯という条件が揃えばそんなものだろう。
それでも、周囲を探せば意外と食べられそうなものは次から次へと出て来るもので拍子抜けもしていた。
これで名目もたつというものだ。
小枝を踏み均す音が徐々に近づいて来るのが聞こえる。
それだけではなく聞き覚えのある声も森に響きわたる。
本来であればある程度うるさいくらいの方が獣が近寄らない為、鈴やラジオをつけて森に入るのだが如何せん世界がこうも違うと今までの常識などあてにはならない。
案の定、俺の背後になじみの雑魚モンスターが飛び掛かってくる。
これだから力量の差などわかるはずもない程、低レベルなモンスターはたちが悪いと言わざる負えない。
俺としてみれば最早返り討ちにしたところでさして経験を積めることすら難しくなっている。
まさしく無意味な殺生として余りある。
しかしながら、絶対というものはないのだから油断して命を落とすことがないようにはしなければならない。
「合流する前に片付けておくか」
ガルファールを振るう手に力を込める。
刀を無造作に振るえば周囲の樹木に阻まれ、標的を一撃で屠ることは出来ない。
手数が増えるという事は反撃の機会を与える事になり、追い詰められた者ほど何をしでかすかわからなくなる。
気が付けば胴体を真っ二つにしたヴォーウルフが最後の力を振り絞って俺の死角となった足首に噛みついていた。
こいつに噛みつかれるのも初めてではない。
牙が食い込みじわじわと痛むが我慢できないほどではない。
冷静にガルファールを獣の頭めがけて突き刺し、最後の抵抗をここで終わらせてやる。
血がにじみ出ているが傷は徐々に塞がり、牙の痕は無くなっていきどこを噛まれたかも視認できないほど綺麗になった。
本来なら傷が塞がるまでに消毒をしなければならないところなのだが、自然回復には状態異常をも回復させる効果もあり猛毒でもなければ手当の必要のない。
どの程度が猛毒なのかは定かではないものの狂竜との戦いでも耐えられたのだから、ランク付けすれば上位であるのは最早疑う余地はない。
しかし、結局のところそれは個人としての能力でありパーティーで行動する以上はあてにはならない。
残りのヴォーウルフを全て片づけるためにかかった時間はおよそ一分と、時間をかけてしまった。
力を込めて樹木ごと切り倒せば、それが障害になり行動を制限されるため主に突くことに重きをおいて攻撃することにしたのだが、それでもガルファールの長さは想像以上に行動を制限した。
相対したのがヴォーウルフでよかったと安堵するのだった。
転がっている牛狼を拾い上げディアナがいる場所まで戻ることにする。
みかけは何とも言えないのだが、以前に口にしたときは美味だったのだから今更抵抗もない。
モンスターが食べられることは検証済みなのだから、貴重な食材を放置して駄目にしてしまうのも惜しい。
「食材は十分集まったな。後は三人と合流するだけか」
ディアナもこれでもかというほど果物、野草を中心に集めていた。
両手では持ちきれない程の食材を開けた場所に集め、そこには山のように盛られている。
しかしながらせっかく食べきれないほど集めたはいいが運搬手段がない。
異空間にでも格納できる手段がなければとてもではないが、持ち運ぶことは出来ない。
荷車にでも積んで運ぶことができれば良いというものでもない。
それでは自由は制限され、ここぞという時に足かせになることは目に見えている。
「どうするよ、これ」
食糧問題は常について回るのは予想の範疇だったのだが、やはり甘く見ていた。
目の前には食べきれないほどの食材。
仮に5人でおなかいっぱい食べたとして、明日から何も食べない生活ができるかと言えば答えは否だ。
常にパフォーマンスを維持するには安定した食料の確保と、常に食べたい時に食べられるという安心感。
一日一食であろうと安定して食することができればそれでいいのである。
肉であれば乾燥させて保存食に出来ないこともないとは思うのだが、物量と衛生面が重くのしかかる問題となる。
いずれは解決しなければいけないが、まずは空腹という思考を停止せしめる要因を早急に解消するのが先決だと確信している。
その時は間もなくである。
「おーい! アーニャはどこにいるのにゃ! 前が見えないのにゃ」
野兎を山積みに抱きかかえた少女がよたよたとこちらの方へ歩み寄ってくる。
勿論前が良く見えていないのだから明後日の方向へ行ってしまいそうなものだが、それは両脇にユイナとルナが寄り添う事でそうはならなかったのだろう。
その二人と言えば申し訳程度に獲物と野草などの食材を携えていた。
贅沢をしなければそれだけでも十分に足りるとは思うのだが、それを言ってしまえば元も子もない。
「みんな無事でよかった」
心の底からそう思ったら、口に出していた。
スペラの顔は見えなかったが満面の笑みを浮かべていたと想像に難くなかった。
各自が集めた食材は当初に予想していたよりも遥かに多く、数か月は足りるのではないだろうかと思えた。
兎にも角にもこのままでは鮮度が落ちてしまうので加工しなければ、せっかくの食材も今日一日ですら
もたず駄目になってしまう。
「これだけあれば当分は少量の心配もしなくてすみそうだな。正直驚いてる。みんな、ありがとう」
「にゃはは。ミャーがいればおちゃのこさいさいにゃ。もっと集めて来るにゃ」
スペラは踵を返し走り出そうとしたが、それをユイナががっちりと掴み離さない。
調子に乗るのは目に見えていたのだが、まさか飛び出していこうとするとはと呆れてしまう。
「もういいでしょ、これだけでも食べきれる量じゃないないし」
「ユイナの言う通りだ。全部持っていくのは流石に無理だよな……勿体ないけど選んで持っていける分だけ乾燥させておこう」
「私の使い魔を使えば半分くらいは持っていけますよ。といっても私の体力が持つ限りっていう条件付きにはなりますけどどうでしょう?」
ディアナはそういうと地面に手をあてると土から人型を生成し始めた。
大きさは成人男性とそうは変わらない、それが5体。
これで荷物持ちはこいつらに任せればいいというわけだが、結局は俺達5人の荷物を肩代わりしただけで負担はすべてディアナが背負う事になってしまう。
それは解決法としては弱い。
これは明らかに最善ではない。
考えなければ。
課題がまた一つ増えた。
しかし、それもディアナの提案を呑めば問題を先送りにすることができる。
「ディアナ、すまないが力を貸してくれ。無論、善後策を講じるのは……これ以上は言うまでもないな」
これ以上御託や屁理屈を言うつもりもない。
常に考え続けるのが力も知恵もろくに持ち合わせていない俺が唯一できる事なのだから。
「アマト、頼りにしてるよ」
「そうにゃ、アーニャなら良いこと思いついてくれるにゃ」
「ボクも力になるよ。ダーリンの為ならボクがこれ全部持ってあげたっていいしね」
ルナならば、それも可能だと思うのだがそれも愚策。
貴重な戦力を荷物持ちにするなどあってはならない……というより今の少ないメンバーで誰かが戦力外になること自体があってはならないのだ。
常に全員がエースで要なのだから遊ばせておくなどもってのほかで、仮に荷物持ちを専属で雇うのであったとしても兵糧が必要になりさらにリスクを背負う事になる。
いつの時代も貴重な財産を見ず知らずの他人に任せるのは危険と隣り合わせだ。
そのまま持って消えられた日には目も当てられない。
それを考えだしたらきりがないのだから、まずは腹ごしらえをしてから考えるとしよう。
ここに来るまでただ指をくわえていたわけじゃない。
師匠からもらったレシピを熟読した上で挑むからには、このミッションは確実に成功させる。
しかし、レシピには手順等も事細かく書き込まれているのだが如何せん異世界という事も有り想像もつかない食材がこれでもかというほど存在していた。
今、できることはおしまない。
PPを消費し「料理」技能を取得した。
先程まで意味不明に見えていた文字の羅列もいつの間にか得ていた知識のように感じられる。
どういうことなのかは考えるまでもない。
もう何度も体験したことなのだから。
職人が努力と時間を費やすのならば納得も容易いがそうではない。
ガルファールは料理には適さない刀にも関わらず、まさに料理をするために拵えたかのように自在に食材をばらすことに違和感が感じられない。
流石に野兎を瞬時に加工された肉へと変えていく手際の良さに唖然としている。
「自分でも驚いてる」
「私、料理は好きだけどちょっと自信なくしちゃうかも」
「にゃにゃにゃ!! どうなってるのにゃ!?!?」
スペラも目を丸くしている。
しかし、スペラは目をキラキラさせながら姿を変えていく野兎をなおも見詰めている。
それもそのはずで、鍋は愚か食器の類ですら持ち合わせていなかったというのに本格的な料理を進めているのだ。
俺は一晩を過ごした建物の錬成どうよう、地面に手を当て竈を作り上げ火をおこし一連の作業を全て一人でこなしていた。
規模が小さいこともあり、ユイナの力を借りずとも己の魔力のみですべてこなすことができていた。
細部までイメージした通りに形にしていく。
ユイナは竈を見ても特に気になる様子もないことから、この世界ではポピュラーなのか元の世界で見慣れていたのかどちらにせよ今後は得意料理をみせてもらえそうな予感がした。
「さあて、下ごしらえもしたことだしそろそろ焼き上げるか」
香辛料はじゅうぶんに練り込んだ。
それもディアナが集めてくれた野草、果物などがあったからこそである。
俺は小規模な発火魔法で薪に火をつけるとじっくりと竈にかけることにする。
甘く香ばしい香りが森中に漂いわたる。
気持ちが昂り、うっぷんが晴れていく。
(これが料理……。想像していたよりも楽しい!! なんだこれは。今までインスタントか外食で済ませていたのがもったいない。なんで気がつかなかったんだ)
思考が高速で頭をめぐる。
次から次に情報が溢れ出し、一瞬で数年間修行した職人のように技術を取得し気がつけばそこには素人が捌いたとは言い難い料理が完成していた。
一同の視線が俺の手元に集中する。
俺は完成した野兎の姿焼きをお手製の陶器の皿へと飾り付けると、勢いを殺さず次の食材に手をかける。
その流れる動作には一切の迷いがないのだ。
湯水のように溢れ出すイメージは好奇心と闘争心を駆り立て、立ち止まることをさせてくれはしない。
まるで何かに強いられるかのように馬車馬となったかのように止まらない。
アドレナリンを全開にしてひたすらに狼牛を捌き、各部位の最高のポイントを見極め厳選しそれにあったメニューがテーぶるに並ぶ。
いつの間にかそこにはアウトドアのバーベキューとは完全な別物。
高級食材で作られたかのような最後の晩餐もといフルコースが出来上がっていたのだった。
これだけ騒いでも周りからやって来る者がいなかったのは偏にディアナが張った結界によるものだった。
結界と言っても微弱な魔力を拡散するようなもので必要最低限の予防策に過ぎない。
ただでさえ使い魔による魔力の消耗もあるためあまり無駄なエネルギーを使わせるわけにはいかない。
俺も念のために周囲数メートル程度の足場は崩しておいた。
地を這う獣ならば足場を崩しさえしておけばいい。
こんな形で料理を振る舞うなんて夢にもおもっていなかった。
師匠から貰ったレシピもあり、技術があっても知識がないなどという事にもならずに済んだ。
どこで何役に立つかなんてわかりはしないが、手に入れられるものなら手に入れておいて損などという事はない。
特に胃袋を掴むという行為は閉鎖的な空間では特に意味を成すという。
人間の欲望の一つが食欲。
それを掌握するというのだから、無理もない。
勿論、代役はいてもらわないと俺が困るのだが其の一旦を担う事はやぶさかではない。
少なくとも当分の間はすべてこなせるくらいでちょうどいい。
適材適所に役割を分担するのは各自の適性が定まってからでいい。
今は戦闘に比重を置く。
このつかの間の憩いの時間を守ることくらいして見せなければ、示し何てつくわけがない。
後始末をしながらそんなことを考えていた。
ひとまず昼食を済ませることができた。
ゆっくりしていたいのはやまやまなのだが、生憎ピクニック出来るような土地ではない。
それに地図を見ればこの辺りは未開の地といえるのではないだろうか。
特に奥に行けば行くほど人の出入りはなく、獣道ですら生い茂った草木が足に絡みつき歩行を妨げる。
これだけ手つかずの自然は元の世界では限られていた。
特に島国であり、国土も世界的には非常に狭かった祖国では人が全く入り込んでいない場所など限りなく零に等しい。
一見自然豊かな森でも、近代社会で排出される人工物が辺りにちりばめられてしまっていた。
それがここには一切ないのだ。
この世界を満喫する余裕なんてどこにもなかった。
それなのに、今俺は何を思っていたのだろうか。
ざわざわと草木が風に打たれけたたましく鳴り響く。
「おなかもいっぱいになったし、眠くなってきたにゃ」
不意にスペラの杭から出たこの言葉に、本来なら気の利いたことでも言いたいところなのだが口が開かない。
ユイナでさえも必死に眠気をこらえているかのように見えたからだ。
食事の後に眠くなるのは何も意識的な問題ではない。
言ってみれば一種の反射。
生理現象なのだから、何も不自然なことなどありはしない。
「ボクも睡魔が……」
「これは強力な催眠作用がある花粉が風に乗ってここまで来たみたいです。でも、ここまで強力なのは初めてです。防ぎきれません」
花粉のサイズまで結界を適応させようとすれば空気まで遮断することになってしまい窒息してしまう。
それゆえに花粉の侵入を許したのだ。
脅威というのは何もモンスターだけではないという事だ。
こんなところでみんなで仲良く寝ていれば、危険なのは言うまでもないのだから。
このままここに留まることは危険だと頭でではわかっているもののどうすることもできない。
メニューを開き睡眠耐性のアビリティを取得しようと試みるも半分意識が落ちかけているせいで、視界がぼやけうつろい思うようにいかない。
薄れゆく意識の片隅にずんぐりむっくりな人影が見える。
この状況では魔力のない小動物にすら命を奪われかねない。
それが人型の魔物であれば少なからず智能を持ち合わせている可能性がある。
そうなれば生き残れる可能性も低い。
ならば、全魔力を放出して辺り一帯を火の海にでもしてしまう事すら止む負えない。
味方をも巻き込みかねないがやる価値はある。
人影はこちらに近づいてくる。
うすぼんやりとしているがどこをどう見ても森の妖精には見えない。
強いて言えば毛むくじゃらなゴリラのような生き物。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
俺は腹の底から魔力を越えに乗せ、放出を試みようとした。
これで結果はすぐに出る。
「やめれ!!」
毛むくじゃらのずんぐりむっくりが手を必死に振りながらこっちに向かってくる。
「早まったらいかんが!!」
俺は魔力が暴走する寸前で思いとどまり、息を止め意識が途切れるのを辛うじて耐え希望が来るのを待つことにした。
俺はどれくらい意識が飛んでいたのか、正確には覚えていないものの時計を見るに数秒から数分といたって僅か。
それでも、一瞬でも意識が無くなれば刹那といえど永久とも相違ない。
意識が急激に覚醒すると目の前にはドアップになった髭も髪も伸びきった毛むくじゃらの男の姿があった。
長い耳が尖っている為辛うじて神の間から垣間見える事からエルフの類だろうかと辺りをつけるが、妖精というよりドワーフのようにも見えるがいかに。
兎にも角にも意識が戻ったのは紛れもなくこの男のおかげである。
今は目がさえ頭が澄み切っている。
しかし涙があふれてくる。
唐辛子のような辛み成分が未だに鼻の奥に残っているようで、痛みすら感じる。
「完全に眠らなくて良かったっぺ。こんだらとこで意識さ失せっと危ねーがら」
どこの国の方言なのか、なまりなのかわからないが独特の言葉遣いをする男。
俺はこの世界の言葉をアビリティという翻訳機を使って聞いているというのに、項目背があるとなると一種の言語という扱いなのかもしれない。
「改めて、礼を言わせてもらう。ありがとう。助かった」
「んだ。おらが通らなければ危なかったんだぞ。おめえは運がええんだ」
男が言う事は最もだ。
出くわしたのがモンスターならば後がなかったのは言うまでもない。
運も必要だと実感する。
今こうして誰一人として欠けることなくここにいるのがまさに至高。
スペラはぐっすり寝むってしまっているが、あと三人はなんとか睡魔に打ち勝ったようだ。
しかし、安易に精神論で片付けてはいけない。
耐性がなければこればかりはどうすることもできないのだから。
スペラはまるで死んだように深い眠りについたまま起きる様子はない。
毛深い男が俺に使ったものとは違う深い緑色の水をスペラの口に流し込む。
眠っている人間に飲ませるのは危険だと思うのだが、よく見てみると液体はすぐに気化して舌にさえ直接触れてはいなかった。
どうやらある一定の量以下では液体ではなくなる特性があるようだ。
完全に密封された筒から出てきたわけではないので、空気に触れたら気化するというものではないことがわかる。
どの程度効果があるのか定かではないがまだ目を覚ます気配はない。
「それは俺達に使った薬ではないようだが、効果はあるのか?」
「んだ。こんでねえと三日三晩眠ったまんま起きねーよ。だども、すんぐ起きるわけねーんだが」
「はぁ!?」
思わず声が裏返っていた。
効果の程が怪しくなってきたからなのだが、結局のところ試して見なければどうすることもできないのだから早く目を覚ますことを祈るしかない。
いつも何かに祈ってるように思うが、他力本願なのは今に始まったわけではない。
結局のところうまくいかなければ他人が悪い。
世間が悪いのだと現実を逃避していた。
それも数日前までの事で今では考えが180度変わっていた。
全て自分自身の選択でどうにでもなると今では思える。
人間というのは極地にでも立てば性格すらも容易に変わるのだ。
そして今もまたこうしてどうするか決めかねている。
命を救われる結果となっているというのに、安易に手を借りてもよいのだろうかと。
これもこういう世界でなければ信じ切っていたのであろうが、半ば疑心暗鬼になっている今では苦痛を感じて余りある。
「なんばしとるか? ほら、ついてこい」
「ああ……」
疑いつつもほいほいついて行くというのだから自分の警戒心がそれほど高くはないのだと改めて思うが、それもここでは度胸だとしたい。
スキルが危険ではないというのだから、それを素直に信じていると言えばそれまでなのだがやはり鵜呑みにするのは些か不用心か。
そして、この男は礼儀とは無縁の存在だという事。
草木がを踏み均して森の奥へと向かう男。
俺達はこの男が何者なのか一切を知らず、名前ですらまだ聞けていない。
そもそも道端で出くわし安全な場所へと誘導してくれるただの善人というだけで事足りるのだ。
意味もなく名乗りだす人間など、元の世界にはそうそういなかった。
道を聞いただけで名前を聞かれたり名乗られたらそれはナンパな人間なのだと全く善人などとは思いもしない。
むしろ怪人以外の何者でもないなどと思うのではないだろうか。
国や世界が違えばやはりその場の雰囲気で、印象が変わってしまう。
しかしながら、周囲がざわめきはするものの獣が寄ってこない。
「アマト、ついて行って大丈夫なのかな?」
「理由はどうあれ俺達は生かされてる。放っておけば俺達はあそこで死んでいただろうから、取って食われることはないと思うが……」
「アーニャ……それは食べられないにゃ……むにゃむにゃ」
俺の背中でよだれを垂らして寝ているスペラの夢の中の俺は何かとんでもない物でも食べているらしい。
ルナと、ディアナも未だに睡魔から解放されていないようで足元がおぼつかない。
俺も時折視界が大きく揺さぶられたかのようにぶれる。
幸いにも背中の少女は軽く背負ってはいるものの負担になることはない。
それも生きている人間だからであるのだが、それは今はまだわかるはずもなかった。
気がつけば眠気が完全に無くなり、意識もはっきりとしていた。
ルナはたびたびふらついているように見える。
元が幼い少女だったこともあり、回復するまでには少々時間が必要だという事なのだろうか。
悪魔と言えば超越した存在だと思っていたのだがそうではない。もともとが人間である以上良い事も悪いところも両方を継承することとなったと予想できる。
これが人間らしさであり、今のルナを存在させているのだ。
男は立ち止まりここが終着点だと告げた。
そこには木造の一軒家が建っていた。
建ててから間もないのか真新しく見え、手作りとは思えないほど芸術的に精巧に作られていた。
これは一種の芸術品とも言えるのではないだろうか。
誰に見せる為なのか鳥や狼などが至る所に彫り込まれていて見ているだけで飽きるこはない。
それでいてこれも含めて建物を形作っているという不思議な雰囲気を醸し出していた。
これがこの男の本質なのだろう。
ここに来るまでに獣の気配は幾重にも感じていたが、結局辿り着くまで遭遇することはなかった。
この男と出会うまでは僅かな気のゆるみも許されない状態が普通だったことを鑑みれば異常としか言えない。
だからと言ってこの男に怯えていたとも思えない。
「んなところで突っ立ってねーでこっちさ来いが。荷物さ、衣紋掛にかけたらいいが」
建物そのものの外観もさることながら内観も彫り込みが目を惹く。
男に導かれるまますんなりと中へと入ったのも、警戒心より興味の方が勝ったからだ。
ユイナ達も壁一面に彫り込まれた紋様に魅入られている。
芸術には無関心だと勝手に決めつけていたルナでさえ興味深げに見つめていた。
ディアナは二人とは違い何か訝しげに目を細めていたが、それは罠の類ではなくあくまでも彫刻にである。
それもそのはずで、吸血鬼が人に噛みついている場面が刻まれていたからである。
ディアナは何を感じているかは表情から読み取ることは出来ない。
ただ、何か思うところがあるのは間違いという事は分かる。
他にも、俺の知っているファンタジーの世界が壁一面に広がっているのだから昂る感情を抑えることなど出来はしない。
あまたの世界がこの空間には広がっているのだ。
もしかしたらこの先、ここにある幻想に直面するかもしれないというリアルな可能性というのはこれ以上ない極上のスパイスとなる。
何の変哲もないなどとは言えないはずなのに、それ以上の非日常がここには確かにあったのだ。
周囲は整備などされていないというのに、この建物は上手く溶け込むように建てられている。
部屋の数もドアで区切られていないもののざっと三部屋あり、一つ一つの部屋も十畳程はあるのではないだろうか。
一人で住むには十分すぎるほど広く感じられた。
「壁ばかりなんぞ見とらんで、こっちさ来んが」
「これはあんたが彫ったのか? 俺が言うのもなんだが、こんなに魅入られたのは初めてだ」
芸術何て理解する感性など持ち合わせていないと思っていたのだから、そんな人間を引き込む程の技術と才能をこの男が持っているのだと思った。
それはここにいる誰もが思ったのではないだろうか。
「貴方の作品なら、詳しくお伺いしたのだけど如何かしら」
ディアナの瞳に見据えられた男は動じずにいる。
時間が止まったと錯覚した。
誰も微動だにせず男の返答を見守っていたからだ。
それほど、この壁面に彫られた情景は重要なものか。
その判断も出来ない。
重い空気の中、スペラの寝息が規則正しく聞こえてくる。
既に全員から注目を集めている男は眉一つ動かさず、何か考え込んでいるかのように僅かに視線を落とす。
僅かな表情の変化であったり、目線、仕草から何を考えているか読み取れるという。
それは何も異世界のアビリティやスキルなんてものを使わずとも心理学、医学、科学といった日本の最新の知識や技術で導き出せる。
嘘をついたり、こちらを品定めするようなことはないと判断したが全てを信じてなどいない。
場合によってはいつでも道程を違えることになるのは覚悟している。
まだ、数時間の付き合いなのだからここで決別したところで不利益はないはずなのだが利益もない。
要するにいかにこの場で投資を行えるかがカギになる。
ここでせっかくの縁を断ち切ればどうなるのか考える必要がある。
無論それは相手も同じである。
一方的にここで関係が断ち切られることもあるのだから、こちらから一歩歩み寄っていく姿勢が必要不可欠であるが、それは必要条件ではない。
答えなどは決っていない。
「美術館にもいったことないけど、絵画も彫刻も全部とても綺麗で感動しました。まるで写真見たいです」
「写真? なんだかわからんが褒めてくれてありがとな。でもな、あれは綺麗なんかじゃないんが……。あれは全部夢さ、出てきたのを掘っただけだが」
夢で見たものを具現化することなど素人には簡単ではない。
だが、不可能でもない。
それを再現するのはいくつもの要因が合わさって初めて具現化する。
この男は本物だ。
それなのに、何故か誇ることもせず謙遜もしているようには見えない。
「詳しく教えてくれないか。俺も興味がある。俺はアマト。こっちはユイナ、ルナ、ディアナ。寝てるのがスペラだ。改めて礼を言わせてくれ。助かった」
「気にすんなが。おらも打算がなかったわけわけじゃないんが。お互いさまだ。おらもまだ名前さ言ってなかったが。バニティーって呼ばれていたがそう呼んでくら」
男の名前は聞いての通りなのだが、呼ばれていたという言い回しに引っかかる。
些細な言葉尻を捕らえるようなことはしないが、仲間がいるのだろうか。
勝手に一人で暮らしているものだと決めつけていたが、たまたま出払っているだけだとすれば戻ってくる者がいる。
そこまでは考えていなかった。
「よろしく頼む」
俺はそれ以上深く考えるのをやめ右手を差し出す。
これも一種の文化の体現ではあるのだが、バニティーも同じく自然に俺の手を握ったことで確信を得るのだった。