第34話「深夜煌々」
瓦礫も軒並み流されてしまっている。
つい数時間前まで家々が疎らに立ち並び、村を形成させていた。それを知っているからこそ、哀愁漂う一面の空虚な空間に一種の虚しさに似た感情を抱かざる負えない。
知ってしまったからこそ湧き出る感情。
これを引き起こしたものへの怒りや、悲しみ。
知らなければいずれも起こりえなかったと言える。
ルナはこの元凶を絶った後にこの惨状を目の当たりにしているのだから、恐らくけじめを自らの手でつけたという達成感を感じていると俺は思っていた。
少なくとも俺ならば討たなければならない悪をこの手で撃ち滅ぼすことができたというのならば、この覆すことのできない結果を鑑みても妥協することができただろう。
一歩足を踏み出すごとに、湿った瓦礫が音を立てて崩れるのを耳にすれば反響するかのように周囲の瓦礫も音を響かせる。
自然に再生に向けて崩れていく人工の建造物は足元で無残にも姿を変えた、家庭雑貨など人が数世代代わったくらいでは造形が無くなることはない物とは違い元々の姿などわからなくなってしまっている。
遺跡などの起こりなど想像もしたことがなかったが、自然にも匹敵する圧倒的な力の前ではその存在すらも抹消せしめてしまうという事を身をもって体験することとなって糸も容易く理解した。
「欲しかった情報もろくに集まらないうちにこれかよ」
俺は誰に言うわけでもなく呟いた。
本心ではルナが応えてくれると思い口にした、弱音だった。
結局のところルナは何も答えることはなく、ただ目的を一つ失った事の喪失感だけが胸にもやもやとまとわりついたのみだった。
ルナは黙って俺の斜め後ろをついてくる。
一人気まずい空気などと感じてはいるものの、不思議と以後心地の悪さは感じない。
元々誰といようが、一人でいようがさして何か不都合があるなど思った事など無かった。
学校でも近すぎず離れすぎずの距離感を保ちつつ、当り障りのない会話をすることで協調性を見出していた。
それはどこの世界でもさして違いなどなかった。
今もルナと無理に距離を詰めることが最善ではないとの認識に間違いなどとは思わなかった。
相手が何を考えているかを全て理解できていれば最善ではあれど最適ではないのだから。
今の状態こそが常。
何か出来事が起こってからその都度、選択をしていればいい。
自分を含め誰もが選択している。自分が起こした行動すら相手がいればそこで相手も選択し再び選択を強いられることもある。
それを理解していることが重要だという事。
そして必ずしも選択は人のみが行っているわけではないという事。
超自然的な意思というものがあるというのならばそれもまた一つの選択。
辺りの空気が徐々に変わっていく。
人もいなくなりモンスター除けの鈴も機機能することのなくなって、境界線の無くなった村など村ではない。
そもそも建物の一件も残っていないのだから、最早村どころか人の住める土地ではない。
ならば、人でない者がこの地に足を踏み入れることなど容易でありモンスターに支配される事など想像に難くない。
予想しなかったわけでも、対策をしていなかったわけでもない。
ただ、あまりにも侵攻が早い。
元々別の種族の生物が住んでいたのだから、臭覚の鋭い動物ならば水が洗い流したとはいえほいほい穴を埋めるような行動はとらない。
野生動物ならばなおさら警戒心があって余りあるというものだ。
自分で奪い取った土地ならばともかく、正体不明な者達の争いに飛び込むほどの命知らずな行動は避ける傾向にある。
あくまで、それはセオリー通りならばという事であって、例外は決してないわけではない。
そもそも、元の世界の常識が必ずしもこの世界のじょうしきではないということ。
それはわかっている。わかっていて知識の一つとして押さえておけばそれでいい。
「さて、南西の森の方角からって事はユイナ達とぶつかることはないってことだ」
「アマト君!! 急いだ方がいい!!」
物音ひとつさせていないと言えば大げさだが、息をひそめるように静かだったルナが怒声を上げた。
直感でただ事ではない事態になっている事だけは理解したが、何が度外視しているのかわからない。
まるで時間が止まっているかのように思考が停止する。
それなのに、肌を伝う汗の流れる感触と風が頬を撫でる嫌な肌触りは時間が元の流れであることを念を押すかのように伝えている。
時間は待ってはくれず、じわじわと泥沼へと引き込むかのように体中を多い知らない未知の世界へといざなう。
早く答えを出さなければと思うだけで、肝心な事に気が付かない。
自分一人でできることなど限られているというのに。
ここは今一番身近なルナに助言を求めなければいけないということができない。
それこそがおごりというもの。
どれだけ優れた人間であろうと知らないものは知らないし、発想する感性も人の数だけある。
それに至らないのは、云わばちっぽけなプライドがあるからだ。
「ルナ、俺を助けてくれ!!」
「それが鍵!!」
「「契約により我は今、ここにあり。そして、これからも永久に有り続けよう」」
二人は心から分かり合う事ができた瞬間。
それと同時に、ルナが言った意味を理解した。
互いに互いの全ての意識が交差し、共有することで本当の意味で一つになる。
「行くぞ」
「了解!!」
ユイナ達がいるはずの方向から西の森へと進路を変えて全力で走る。
俺は全身にこれまで味わった事のない激痛と、熱を感じていたがこれが二人の意識がリンクしている状態だと最初から知っていたかのように受け入れていた。
痛覚に耐性があってもそれが意味をなしていないことから、精神的なものなのか魂に直接受けている苦痛だと理解する。
元の世界で魂が、精神的な苦痛などと言ってもそれが身体の苦痛となることはなかった。
そもそもそのような概念が存在していなかった。
全てを科学的に解明できる世界だったという認識はあながち間違いではなかった。
しかし、今は全く違う。
このままの状態が続けば間違いなく死に至る。
それを別っているのにリスクを負ってでもこのまま保ち続けなければいけないジレンマ。
ルナの心の痛みが伝わってくる。
これは俺が抱いた痛みのフィードバックであり、そのベクトルは俺に向けられている。
あまりにも激痛が終始続く状態では全身で空気の壁を突き壊しながら進む今でさえ、心地よく感じられる。
夜目も効くようになり後数刻もしないうちに標的に遭遇することもいち早く察知していた。
それは、アビリティの範囲外ですら強化された身体能力が上回っていた。
悪魔というものが人間をはるかに上回る力を所持していることを実感して余りある情報が流れ込んでくきて初めて実感する。
今の状況が自分のステータスを確認すればどれほど危険なものなのかが視覚的に理解できる。
MP、SP、WPが凄まじい速さで消費されているのだ。
10分ともたないだろう。
全身から溢れ出すオーラと汗が上気しているのがわかる。
恐らく何も知らない人が見れば異質な物の怪にでも見えるのではないだろうか。
しかし、今は体裁など気にしていられない。
何せ目の前に今までで最も多くのモンスターの群れが迫っているのだから。
俺は走りながら、ガルファールを鞘から引き抜きすべて殲滅することを決心し振り下ろそうとしたがここであることに気が付いた。
目の前には数万とモンスターが地響きを立てて駆けているというのに危険を知らせるアビリティは働いてはいない。
即ちこれらは直接的な脅威ではないことを意味していた。
見慣れたヴーエウルフもこれだけいれば悍ましい。
握りしめる拳もより強くなるというものだ。
しかし、敵意というものはまるでなく俺にぶつかって足を止める事すら時間が惜しいというように最少の動きで俺の後ろへと流れていく。
それはルナに対しても同様で、一刻を争う状況においての最善の行動をとっているだけなのだと理解できる。
理性を越えて本能で逃走を選択せざる負えないほど追い込まれているモンスターを見ることなど初めてで対応に困りその場で動くことも出来なくなっていた。
うかつに動けばこのモンスターの群れに蹂躙されかねない。
圧倒的な物量というのは何が起こるか全く読むことができず、この中の一頭でも強者がまぎれていたらそれで詰んでしまう事もあり得る。
そして、最大の問題はこのヴーエウルフたちが何から逃げているかという事だ。
アビリティの察知範囲外だというのにこのすれ違うモンスターの怯えようは尋常ではない。
俺は思考を巡らせながらもこの群れを飛び越えるように前方へ跳躍した。
その時。
俺の前方数百メートル先に突然炎の柱が天へと伸びた。
辺りはまるで昼間のように明るく照らされて昼夜が逆転したかのような錯覚すら感じてしまう。
炎柱はすぐに消えることはなく永続的にモンスターを焼き続けている。
柱が地と天を繋げ、熱風の余波がモンスター共を容赦なく消し炭へと変えていく。
俺はその柱目がけ飛び込む構図になっている。
「おわっ!! 冗談じゃない」
このままでは飛んで火にいるなんとやら、次は自分が奴らのようになってしまう。
そうならなかったのは身体が強化されていたからではない。
ルナが俺が消し炭コースのレーンに乗っているところを横からかっさらうかのように救い出してくれたからだ。
「今ならこのくらいの炎なら周りの雑魚みたいにはならないけど、熱いよ!?」
「なぜ、疑問形かなんて聞かないが助かった……。まあただで済む感じじゃないのはわかるしな」
「もう、時間もない。やるなら早くしないと」
「わかってる。あれだろ?」
俺の視線の先には5、6階建ての建物程の高さのトカゲを二足歩行にさせたような恐竜が炎を吐きつつこちらに向かってきていた。
動きは左程機敏には見えないが吐き続ける炎と、感覚を開けて炎の塊を吐くのが何とも厄介だ。
『狂竜・グレイル レベル51 』 ランクB 備考:グレイル種
今まで出会ったモンスターの中では最もランクが高い。
しかし、これだけ規格外な巨体と殲滅力を兼ね備えているというのに微妙な評価なのが気になるところではある。
上を言い出せばきりがないのは言うまでもないが、数千のモンスターを一瞬で消し炭にしたというのにランクではBだというのだから笑えない。
炎の塊は地面に落下されたと同時に天まで燃え上がる柱となって燃え続ける。
それが徐々に炎が弱くなっているが、火が消える要因はいくつもあるがその中でも最も危険な条件の一つだった。
俺は息苦しさを感じていたのだ。
一酸化中毒というのは息苦しさなども感じることなく意識が飛んでそのまま死に至るが、酸素が無くなるどころか大気中の全てを物理的に燃やし尽くしている事による一種の真空状態が出来上がりつつあるのだ。
それほどこの燃え盛る炎は高温でありただの火ではない。
魔力が込められた魔炎なのだ。
「さっきそのまま飛び込んでたら……」
「暑い!?」
「それで済むのはルナだけだな。俺は耐えられるとは思えないな。少なくとも今は」
「試してみるのも悪くないけど、そろそろボクもここにいるのが飽きてきたかな」
「最初からこんなところに長居するなんて御免蒙るっての!! さあて、狩りの時間だ」
俺はガルファールを景気よく一振りし旋風瞬刃波を放つが、微弱な魔力を乗せただけでは足を切断するまでには至らない。
空気の刃が切り裂き血しぶきを上げるもののなかなかどうしてしぶとくやられてくれはしない。
「この良くない気の流れはバックがいるみたいだね。言葉も通じそうにないし倒すしかないのが歯がゆいけど仕方がないってことでいいかな」
ルナはトルスラルという名の槌を恐竜の顔面へと叩き込む。
吐き出す炎を押し返すように捻じ込まれた鎚は轟音と衝撃を周囲に響かせて恐竜の頭の原型を変えた。
それでも暴れる狂竜となったモンスターは動きを止めることはない。
最早、本能だとかそういう事ではなく本人の意識の及ばないところで身体だけが暴走しているのだろう。
哀れでいて、同情してしまうような光景に罪悪感さえ感じる。
「誰の仕業かは知らないが、いずれぶつかるだろう……。その時は仇を取っ手やる。だから今は安らかに眠れよ……」
俺はガルファールを上段に構えると 月極燕落を放つ。
恐竜はあっけなく左右に分かれてピクリとも動かなくなった。
まるで俺の言葉を理解したかのように動きが止まったような気がした。
気のせいだったのだろうか。
仮にそうだとしても、託されたのだと信じたかった。
気が緩んだ瞬間身体から発していたあらゆる力の流れが止まったのがわかった。
ステータスを見れば全ての数値が一桁まで落ちている。
身体はピクリともむごかない。
立ったまま意識が半分何処かへ行ってしまったかのような錯覚すらする。
「初めてにしては上出来だと思うよ。本来なら命と引き換えにして得られる力だからね」
「!!!」
今とんでもないことを口走りやがった。
もちろん、意識を共有していた時にわかっていたもののそれを知らないふりをしていた。
それ以前に真名ではないのだから真契約というわけではない。
魂を真契約に対して、俺が与えた名による契約では本質的な魂を対価にはしていない。
だから、本来ならとルナは言ったのだ。
真名による契約がどれほどのものなのか、気にならないお言えば嘘になるが今はまだその時ではない。
だからと言って死んでやるわけにもいかない。
この一戦が終われば死ぬなんてことを考えていたら、とてもではないが戦いに赴くなどできなかった。
こんなところで力尽きて死ぬなんて冗談じゃないって思うから。
冷静であれと常に言い聞かせておかなければ、そこいらの雑魚モンスターでさえもまともに戦う事なんてできはしない。
ルナは真っ二つになり断面を露出させた恐竜に手を翳し何かを読み取っているが、どうやら結果は芳しくないようだ。
瘴気を纏った恐竜の死骸をこのまま放置しておくのは良くないような気がした。
モンスターの骸はその土地の浄化作用があれば処理されるという事は知っているが、この開けた土地にはそれは期待できそうにない。
ならばやるしかない。
「ルナ、そいつから離れてくれ。何が起こるかわからないからな」
ルナが俺の後ろへと下がるのを確認すると、別れた両方の骸にそっと両手で触れる。
イメージするのはこの恐竜を取り込むことのみ。
恐竜は俺の腕を通って体内に吸い込まれるかのように消えていく。
単純に考えれば俺を圧倒的に上回る体積のあるモノを体内へと取り込むことなど出来はしない。
しかし、数秒としないうちに恐竜は消えてなくなった。
最後に残ったのは瘴気を纏ったビー玉のような丸い宝石だけだった。
ルナはその宝石を拾い上げると、呆れたように言う。
「ゲームにしてはあんまり面白くない趣向だから、ボクは嫌いだって言ったんだけどやめる気はないみたいだね」
「どうにも気に入られてるみたいだ。冗談じゃない」
「これ、貰っていいかな? ボクならこれ、使えるようできると思うから」
「餅は餅屋っていうからな」
ルナは肯定だという事を理解して懐に収めた。
その時俺の身体に明らかに変化があった。
ステータスはすべてのバーがマックスまで回復している。
アビリティには『瘴気』『寒無効』スキルも『炎柱』『炎の息吹』の追加が有りステータスは軒並み上がっている。
純粋に肉体を鍛える鍛えるだけではなく、モンスターを取り込むことでもステータスを引き上げることができるのだが、雑魚モンスターを取り込んでも特に微々たる回復効果がある程度で目に見えて実感するまでには至らなかった。
戦場ではあくまで長期戦でもなければ取り込むメリットはほぼない。
取り込んだモンスターも何らかのエネルギーに変換されて取り込んでいるようで、空腹を満たすこともなければ取り込んだモンスターに変質するようなこともない。
都合のいいように思えてならないが、深く考えていても答えが出るわけでもない。
自分の事なのになにもわからないというのがこれほど不安になるものなのか。
自問自答は常に繰り返されるというのに、何時になったら答えが出るのだろう。
瘴気を放つ元凶がいなくなったことで徐々に空気は変わっていく。
淀んで星の一つも見えなかった空も霧が晴れて戦場を明るく照らし出していた。
月明かりが照らし出したのは……。
「ユイナ……」