第33話「自分にできる事だけをする」
太陽も完全に沈んでしまった。
それでも空には満面の星空が行く手を照らしてくれた。
ここはもともと村があったのだが恐らくすべて流されてしまったのだろう。星空の光を遮るものは何もない。
少なくとも俺が住んでいた世界でこれだけの星を見られるところは限られている。いや、空気が汚れてしまった地球ではどこに行っても見ることができないのではないだろうか。
今が危機的状況だというのに俺の心は幻想的な光景の元では浮足立って、高揚感に満たされていた。
スペラが必死にユイナの心配をしているのは耳に聞こえているのだが、その声に耳を傾かせる気にはまるでならない。
傍から見れば非常に見えるだろう。
「アーニャ!! ユーニャのところに戻るにゃ!!」
「スペラちゃん。アマトさんには考えがあるみたいよ。信じてあげなさいな」
「アーニャを疑う事なんてないにゃ!! でも、ユーニャが……。もしかしたら襲われてるかもしれないにゃ。早く助けに行かなきゃ、泣いてるかもしれないにゃ」
「アマトさん、これからどうするのか教えてくれたらうしいのだけど?」
「さて、どうしたものかな」
「「!?」」
「俺は自分のできる事だけをする」
「それって、どういう意味……」
「こういう意味だ」
俺は立ち止まる。
村の境界を越え東の草原へとたどり着くとそこは雨が降った形跡がなく、草木はそよ風にさらさらと靡いていた。
敵の気配も全く感じられない。
今なら、何でもできる気がしていた。
しかし、何時だって人は出来ることが限られている。何ができて何ができないのかを正確に理解することで高みを目指すことができる。
二人を地面におろした。
そして、全力で真南に向かって駆ける。
幾重にも放たれた見えざる矢がどこから放たれていたのか、それを走っている最中にマッピングしていた。
そして、大凡の方角は確定していた。
後は狙撃手を打ち取ればこちらの勝ちだというところまで来ていた。
ユイナには悪いが順番を違えれば意味はない。
先に敵の撃破を優先することで人間味がない、薄情者だと罵ってもらっても構わない。
どちらも一度にこなせるヒーローなどではないのだから。
視界には生き物は愚か所外物すら見えないというのに、この先に何かがいるとアビリティによる警戒信号が頭をよぎる。
見渡す限り開かれた草原地帯だというのに、狙撃のような真似をするなどおかしいとは思っていた。
本来安全な位置から標的を狙うのが狙撃。
まして矢を使うのであれば、長距離を狙う場合は曲線を描くように放たなければならない。
森の中のような場所では狙うことは出来ない。即ち、西の高い山と麓から伸びる森からとは考えられなかった。
その結果、南と東に当りをつけていたが、まさか見えざる秘術のようなものを使う輩とまでは予想していなかった。
「ずいぶんと好き勝手やってくれたな。特に、その見えない矢はどういうからくりなのか向学の為にも教えてもらえるとありがたいんだけど」
「……」
「黙ってないで何とか言ったらどうだ!? 悪いがお前の……。ぐっ」
胸を激痛が走り抜ける。
何かが刺さったようなような感覚がある。引き抜こうとするが空をきった。
胸からは血が流れ落ちているのがわかる。
しかし、胸には傷痕こそあるが凶器となった物はすでになかった。
今まで矢が地面に落ちるところは水しぶきで確認はしていたが回収することは愚か、ふれることさえできなかった。
矢そのものが術によるものなのか、実態を維持していられない類のものなのか推測の域をでない。
それに、いるのはわかっているのだが言葉を一切発することがない為に何とも言えぬ不気味さがある。
何らかの言葉が聞ければそこからある程度推測することができるのだが、一切言葉は離さず息遣いも聞こえてこないことで性別も年齢もわからない。
(ったく、一言くらい声をかけてきてもよさそうなものだけどな)
至近距離では、矢を躱すことは難しい。
傷が痛むふりをして辛そうに軽く膝を曲げて立つことで油断を誘う事にする。
傷は再生能力によりもうある程度塞がっている。
生身の人間ならば胸を矢が射抜くようなことがあれば致命傷にもなり兼ねない。レベルが高ければ矢もはじくのだろうかと勝手な想像をしていた。
そこでふとおかしなことに気が付いた。
自分は今、鎧に身を包んでいる。
そして、鎧には風穴など開いてはいないというのに、胸から血が流れた。
ぽたぽたと滴が垂れて、足元の緑が赤く染まる。
ギャラリーがいるかと思いきや、気配は目の前数メートル先にいる一人だけ。
厳密には遠くの方に徐々にこちらへ向かっている気配が数十人規模で感じられていた。それが何者なのかまではわからないが歩が遅くなったように感じた。
ガルファールを構え、精霊術が使えない為微弱な風を剣先に集めて標的へと牽制の旋風瞬刃波を放つ。横一文字の風の刃が標的へと向かう。
人間であれば避けなければ上下に真っ二つになるところだが、動く気配がない。
そして、風は標的のいるはずの場所を通り過ぎて霧散して消えた。
草木は静かに凪いでいた。
そこにたたずむのは一人だけ。
胸に痛みを残した俺だけが、虚ろな眼で周囲の気配を探る。
目の前には正体不明の何者かが存在しているはずなのだが、気配はすれど認識することは出来ない。
万が一、第二、第三の敵が乱入するようなことがあればとてもではないが対処などできはしない。
覚悟を決めて力いっぱい地面を蹴り標的へと跳躍し、左ひじを突き出すようにタックルをかます。
このまま突っ込めば確実にぶつかる。
そのはずだった。
避ける気配は愚か全く動かず微動だにしない正体不明の敵をすり抜けたのだ。
それにも関わらず、すれ違い際に脇腹へと近距離から矢を放たれ右わき腹を射抜かれよろよろと力なくうつ伏せに倒れた。
未だに正体の緒も見いだせず一方的な状況にたたされている。
変化の兆しを狙った一閃も捨身の一撃も効果は見いだせないだけでなく、ますます状況の不利を思い知る結果となった。
仮にこちらの方が力が強くとも、力比べ等をする前にこちらの敗北は決まってしまう。
言うまでもなくこちらからは感知できず、相手からは見えているのだろうからフェアではない。
だからと言って同じ場に立つことが必ずしも平等化というとそうではない。
決められたルールに則て試合をしているのではなく、言うなれば死闘である。いや、相手が一人だとは限らないのだから戦争といえる。
いつの時代もルールに縛られそれを守っていたら戦争には勝てない。
それはどこの世界でも同じだろう。
ここは異世界、そもそも自分がこれまで生きてきた世界とは根本から違っている。
ただ一つだけ同じなのは死、ただそれのみは変わりはしない。
この世界で死を身近に感じて確信が持てた。
だからと言ってそれを受け入れることなどできずにいるのだから、環境の変化というものはなかなか慣れるものではないのだろう。
ただただ痛みに耐える情けない自分に嫌気がさす。
再生能力があったとしても、痛みまではどうすることもできない。
痛みへの耐性があっての痛みであるとするならば、耐性のない今までの自分だったならもがき苦しむかそのまま気絶するか死んでいたかもしれない。
むしろ、そのまま苦しみ続けるくらいならそのどちらかの方が辛い覆いをしなくてすんだと諦めたほうが良かったとさえ思える。
だが、俺はこうして生きて茨の道を進むことを決めた以上足掻き続けるしかない。
そんな事を思った矢先だった。
再び矢が放たれ俺の胸を貫いたのは。
「っ!」
声にならない叫びをあげた。
二度目だからと言って慣れるものでもなく、躱すことも出来なかった。
この二度目の矢は敢えて受けたというのに、手掛かりは一向に掴むことは出来ない。
(あれっ!? おかしい……意識が急になくなっていく……死ぬのか……)
俺は薄れゆく意識の中で何かできないかものかと思ったが、想定していないことが突然起こった時に対応するのは非常に難しい。
ただそれだけがわかっただけだった。
瞼が完全に閉じられる間際、天空から舞い降りてくる天使のような人影を見た。
天使など見た事もないというのに。
「間に合わなかったのかな……。早く来ても遅く来ても結果はかわらなかったけど」
ルナは目的を賭して、夜空から舞い降りた。
そして、アマトがルナへと用意した得物を手にすると一振りする。
それだけで、目の前が蜃気楼のように揺らいだ。
そこには、先程前には存在しなかった男が上下別たれ倒れ伏していた。
異様な光景と表現するのも難くはない。
別たれた半身は不自然に引きちぎられたような断面と、鋭利な刃物できられたかのような断面とが混ざり合い形容しがたい状況に成り果てていた。
「可哀想に中途半端に空間から切り離されたみたいだね。こうなっては楽にしてあげるしか方法はないんだよ。少なくとも僕には……」
物言わない男へとルナは言った。
下半身がなくなってしまった人間を前にルナは冷静であった。
本来あったはずの半身は異空間に置き去りになってしまったというのをルナは理解した。
アマトが異世界からこの世界へと召喚されたように、この世界とは別の世界が無限に存在している。
それが隣り合った身近な物なのか、はたまた魔法などない遠い世界なのかはわからないが確かに存在するのだ。
何者かの強力な力が大地を割り、空間を引き裂きそれに巻き込まれたのがこの男だ。
正体はこの時点では知ることは出来ないが、のちに強大な組織に属した人間だと知ることになる。
それも、これまでに出会ったどの組織にも属していない新たな敵となることなど知る由もなかった。
天使のような真白な翼の悪魔の少女が一人の青年を抱きかかえている光景は、天に召される束の間の一刻であるかのようにそこは切り取られた世界だった。
表現のたとえなどではない。
時空を切り裂きコンマ数秒の刹那、世界は遅れてやってくる。
その百万分の一時を経験したものはまた一つ周囲とは足並みが合わなくなる。
そのずれはしだいに大きくなっていく。時計の針を進めたり遅くしたりしたことはないだろうか。
わずかなずれも次第に大きくなるが、いつから遅れているのか認識することは難しい。
そう、時計の針は次第にずれていくのだ、
俺は眠っていたのだろうか。
目を開くとルナと目が合った。
気恥ずかしい気持ちと現状を把握しなければいけないという意識が混在して動くことができない。
何か柔らかい物を枕にしているのだと思う事が精いっぱいだった。
それがルナにひざまくらをされているのだと理解するのは容易いはずなのに、素直に受け入れられない。
それを認めてしまえば恥ずかしさでおかしくなりそうだった。
たかがひざまくら、されどひざまくら。
恐らく何度経験しても慣れることなど無いのではないだろうか。
などと考えているとルナは口を開いた。
「よかった」
満面の笑みで一言呟く少女はやはり悪魔なのだと思った。
不覚にも可愛いと思ってしまったのだから。
今、この時。
俺の物語のページに新たな一場面が描き足された。
物語というものは常に登場人物の心情により変化がもたらされるというのに、時間というのは待ってはくれない。
仮に時間が止まっていたとしても、泊まった時間の中に物語は存在する。時間が流れれば描かれていない裏でも必ず別の物語が紡がれていく。
俺が眠っていた数刻の間にもやはり物語は紡がれていた。
その時俺は恐怖した。
僅かな時間だということを時計の概念がある俺は理解している。
その感知のできなかった空白が恐ろしかった。
それを払拭する為に、天を仰ぐ。
涙を浮かべた瞳から、英気とはとても言えたものではないが取り繕うすべを知らない俺が僅かに残った希望を零さない為に。
水面から月光を望むように淡い虹色が心を満たす。
澄み切った空には星空が広がり、雨によって空気中の微細な塵も洗い流され今までにないくらいその輝きを増している。
この世界にも巨大な機械のロボットがいるのだから元の世界と同等とまではいかなくとも空気を汚すような施設もあるのだろう。
この辺りは村も町も小規模で化学などとは程遠い。
工場などもなく光源も火や電気を必要としない、エコな自然の鉱石のようなものが主流となっている。
「また、遠くを見ているね。アマト君にはこの世界がどう見えているのかな」
「俺のいた世界じゃ、こんなに空は明るくなかったんだ。空よりも地上の方がはるかに明るくて、眩しいくらいだった。まだ一週間も経ってないのに遥か昔の事のように思うんだ」
「ボクもアマト君と同じ……。じゃないね。でも空が綺麗に見えるのは同じだよ。ボクがいた世界はもっと色がなかったからね」
「ありがとう」
「何が?」
「月を見ていたら自然にね」
「月?」
「あの空に浮かぶ丸くひときわ大きい星が二つ、どっちが何か何てわからないけど俺のいた世界じゃ月って言ってたんだ。そしてその月にちなんだ言葉が世界中にちりばめられて、特に俺のいた故郷では感慨深いものが多かった。この世界の人には通じないし、意味もない……。もう昔のことさ……」
俺はそこで言葉を紡ぐのをやめた。
今は過去を振り返ることは許されない。
しかし、今まで培ってきた知識や経験はこれから先も必ず必要になる。目を逸らすことは出来着ない。
「ボクも短くない時間を過ごしてきたけど、まだ知らないことが多いみたいだね。月っていう言葉も初めて聞いたし、アマト君といると飽きるってことがないよ」
「それはどうも」
「次、何をするか……」
「ああ、飽きさせないシナリオは出来てる。だが、その前に三人を迎えに行かないとな」
「そうだね。楽しいことはみんでやらないとね」
ルナの笑顔は無邪気な少女そのものだった。
静まり返った草原を歩き出す俺達。
向かうのは三人がいる元々村があった、開かれ瓦礫が散乱する廃村というにはもどかしい土地。
改めて振り返り向かう先を見ればそこは見渡す限り遮るものがなく、星の明かりが滴る地面を垂らして蒼茫の華が咲いていた。
時間にすれは左程経っていないというのに、半日で今まで人が作り上げてきたものが消えてなくなり無に帰す。
幾度となく現実離れした光景は見てきたつもりだった。
だが、これから先も常に非日常が付きまとうのだと思わずにはいられない。
高揚感と喪失感が鬩ぎあう。
何かを失う恐怖と、新しいことに出会う喜びが拮抗しているからこそ生きていることを実感できるのだと思うのだ。
ルナはアマトが不敵に笑うのを見た。
普段はどこにでもいるような年相応な普通の青年だと言えばそれまでで、何かあるのだとすればその特別な力くらいなものだった。
なのに、唯一無二の存在に惹きつけられるような感覚がある。
一瞬垣間見た笑みこそがそれだった。
勿論笑った顔が好みだという話ではない。
アマトは特別なのだ。
この世界にも、この少女にも。
二人は並んで月明かりの元、離れ離れになった仲間を目指して歩き出した。
身体はけだるげで意識が取り残されるような感覚が襲う。
本当ならば一刻も早く合流を果たすべく駆け出していただろう。
しかし、それを許してはくれない。
目先の脅威が去った今であれば急ぐ必要もないという甘えがあるのも事実なのだが、三人の気配がある一点を中心に動きがみられないことでより一層足を重くした。
安堵していたのだ。
ユイナが二人に合流したのだから、急ぐ必要もない。
置き去りにしたことへの罪悪感よりも、生きているという事がわかったことへの安心感の方が強い。
軽蔑されたとしても甘んじて受け入れられる。
それくらいには信頼しているの。
「アマト君は気づいていたと思うけど、この辺りは周囲から観察されていたよ。7つの何らかの集団に属する者が空から確認できたけど、実際に動きを見せたのはさっき相手をした者だけ。結果を見届けてみんな元の居場所に帰っていったみたいだけど」
細かく聞いておきたい。
「正体までわかれば教えてほしい」
「ごめん、詳しくはわからない。種族や衣装からの推測で照会したわけじゃないからね。それにボクもこの世界での知識はそう多くはしらない。ルナの人生経験も長くなかったからね」
「そうか」
ルナを頼りにしすぎるのは間違っているという事はわかっていた。
この世界に常に存在していたわけではないのだと聞いている。
ディアナとも面識があったことからも、この世界が初めてではないにしろ空白期間が数百年単位であるのだから現代に疎くても仕方がない。
「ルナが雨の発生源を叩いたんだろ?」
「ただ止めただけ。結果的には敵の思うが儘になってた」
「囲まれてたのはそういう事か。なるほどな」
「ずいぶんあっさりしてるんだね。どちらにしろ結果は変わらないんだから深く考えない方がいいのかもしれないけど」
「それは違うな。結果は出てしまっていても、考えることはやめるつもりはない。
複数の組織に姿を見られている今だからこそ、冷静でなければならない。
油断すれば人間に後ろから襲われかねないのだから。