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第32話「偽青天の霹靂」

 ルナはユイナを残し、診療所へと向かってすぐ東へと方向転換し一層加速しまるで水中を弾丸が突き抜けるように突き進む。

 上空から飛来する大粒の雨は質量が増す事で、最早プールの水をそのまま地上へとひっくり返したような大きさで一つの形を成していた。その重さは数百トンにも及ぶが圧力で押しつぶされることがないのは偏に空気の抵抗と一つなぎに形成された水だからである。


 例えるならば深海の魚。数千メートル深くとも圧死することはないと言えばわかるだろう。単純に水の重さイコールでは計ることは出来ないという事だ。

 そうでなくては雨に打たれただけで生物は命を落としてしまう。


「ボクが人間の心配をするなんて、この子の意思なのか情が湧いたのか……」


 つい口からこぼれた言葉は本来悪魔が持ち合わせていない感情から来るものであった。それはルナが悪魔という器から昇華するする為の一歩となっていることにまだ気が付いていない。

 なぜ、善悪の概念を持たない悪魔が悪魔と呼ばれているのか。


 その垣根を越えたときに訪れる日を終末というのか。

 この時は誰も知る由もなかった。

 本人でさえも自分の存在に疑問を抱くようになったのだから、他人がそれを理解することなどできようはずもない。どれだけ理に聡くとも物の分別がわかる程度の蒙昧でない人間だろうと等しく理解の及ぶことではない。


 


 ルナは長い水の壁を突き抜け平原へと降り立った。そこは太陽が地平線に沈む風景とアクアリウムの檻のような風景とがあいまって幻想的な光景が広がっていた。

 相変わらず濁流が村から放射状に広がっているが夕日に照らされ宛ら真っ赤な海のようで地上であることを忘れてしまいそうになる。


 上空に視線を送れば雲が堆く伸び辺りに漂う雨雲を取り込んで大きくなっていくのがよくわかる。そのせいで村の周囲は雲一つない晴天が広がっていた。

 だが、それを引き起こしている張本人を見つけることは出来ない。


 正確には肉眼で視認することができないということで、どこにいるのかは感じ取ってしいた。

 

「降りてこないなら、こっちからいくだけ」


 ルナは村を見下ろすように上空へと舞い上がる。雨が降りしきる村には入らず、それを外から眺めるように飛び上がった。

 目指すは入道雲の真上。

 

 たしかに人の姿を確認した。

 雲が邪魔でシルエットが薄らと映し出されたのみだが、まるで何もない空中にたっているかのような影がそこにはあった。

 

 ガラス板でも張られているかのようにまったく微動だにしない人型の何かはこちらを見据えている。

 

「案外早かったな。それに勇者じゃない」


「勇者じゃなくて悪かったね。でも今やボクもその勇者の仲間ってわけ。行く手を阻むなら無理にでも通らせてもうけど、今すぐこの無意味な事をやめる気はない? 痛い思いはしたくないでしょ」


「それはできない相談だ」


「そういうと思ってたけど、ボクとやるには君は力不足だと思うけど」


「それはどうかな」


 そういうと、雲が邪魔をしていて全貌が見えなかったシルエットが姿を現す。

 そこには中年の男が文字通り立っていた。




 一歩ずつルナの方へ歩み寄る男は外見こそ中年の男性なのだが、実年齢は遥かに超えており人間では到達できない域に達している。

 その男は何もないはずの宙を歩いているのだから、その能力も飛びぬけて優れていると言える。


 ルナは同じ舞台に立っているわけではない。

 それでも宙に浮いているという現実が、その男との距離を縮めている。

 両者の距離は少しずつ埋まり、二、三歩踏み込めば接敵するところで互いに動きを止めていた。


 にらみ合いなどそうは続かないという事はお互いに十分理解していた。

 



 先に刃を振るったのは男の方だった。

 魔神と言えどルナ相手では油断などすることは許されてはいない。その力量差をわかった上で先手を取ったのだ。


 先手のというのは相手に手の内を先に見せることになるのだから、本来ならば敵がどう動くか見極めたうえで行動を起こす方が手堅いと言える。

 しかし、相手の力量が勝っているならば自分の行動順が回ってくることがないこともある。


 そう、ルナの方が能力的には大きく上回っている事を瞬時に察し先に動いたのだ。

 僅かな反射的な動作によってルナの懐へと潜り込み、鋭い切っ先を押し当てる。

 ルナのわき腹を両刃の剣がかすめる。


「油断も隙も無いなぁ。ボクの方が君よりも強いとわかっていてなお挑んでくるのはいいんでだけど、おもしろみにかけるよね」


 ルナはあしらう。

 それが仮に神だとしても。






 暗雲蠢く上空で繰り広げられるのは一方的な猛攻と、それを紙一重で躱す軽やかなステップで踊る悪魔の演武。一向に攻撃に打って出ることのないルナの方が傍から見れば押されているように見えるだろ。

 しかし、ルナは少ない動作のみで躱すにとどまっており体力の消耗もなく何か行動を起こそうとしているのかもわからないと言った完全な未知数を装っている。


 これは素直に眺めていても結果までは予想することは出来ないだろう。

 魔神はそれでも攻撃の手を休めることなく氷の刃を飛ばし、牽制しつつも際どく斬りつけてくる。

 剣そのものの技術はさして脅威ではないものの魔法を多様化した戦法は確実に、ルナへと迫りつつある。




 ルナは剣戟を紙一重で躱しつつ、氷の礫も迸る稲妻も易々といなしすが反撃に出ることはない。

 あくまでも手の内を全て曝け出すまでは分析に努める。一見思った事をすぐに口に出す真っ直ぐな無鉄砲な印象が強い少女に見えるのだが、実際はパーティー内では最も用心深く周囲を観察していた。


 ユイナの事を心配しつつも、敢えて脅威を排除する為に行動を起こしたのも自分が一番適した役割だと踏んだからだ。

 そうでなくては神に匹敵するような相手には単身で挑むようなことはしない。


 即ち勝算は十二分にあり、なおかつ被害を蒙るようなこともないことを確信していての行動なのだ。

 現実として目の前には、魔神にも関わらず自分に手も足も出ない男がいるだけである。


「そろそろ、無駄なことはやめて家に帰ったほうがいいと思うけどなぁ。じゃないとボクも本気で相手をしないといけなくなる」


 ルナは髪を靡かせ男に向かって言う。

 感情のこもっていない言葉はまるでゲームやドラマの台詞を読み上げているようである。


「そういうわけにはいかない。俺がここで死ぬようなことがあってもここを離れることはない」


 中年の髪も髭も手入れされていない男はその身なりとは裏腹に全くぶれることなく言った。

 足元にはなおも激しい水が滝のように地上へと流れている。

 それを男は一瞥すると、口元を緩ませる。


 それは一瞬だったのだが、ルナは見逃さなかった。

 攻める手を緩めることはないが本気ではない。それはわかっていた。

 だからと言って本気で攻めたところで何かが変わるわけでもない。


 ただ、この男の目的は確かに他にある。それだけは確かなのだが、そこまでは現状の少ない情報では当りをつけることは出来てもそれ以上の事は何もわからない。

 

 わからない。

 




 悩んでいても仕方がない。

 推測できるというだけで状況は悪化の一途を辿っているのは間違いない。

 このまま放置することも出来ず、周囲を警戒しつつ目の前の男を探ることにするのだがこのまま時間を無駄にすることもできない。


 誰かに見られているような感覚はあったが、ついに気配を探知できる範囲まで近づくものが現れたようだ。

 魔神の男の目的もわからないうちに着々と状況が悪くなる。


 それに子の気配の正体はモンスターお類ではなく意志ある人間だということだ。

 上空にいる自分たちをも認識できるというのならば、ただの野次馬という事はないだろう。


「これだから人間というのは面白い……って言いたいところだけど、ゲームは自分でするのは好きだけど観戦されるのは好きじゃないんだよね」


 ルナの口調は単調。

 怒りの悲しみもなくただただ感想を言うだけ。

 しかし、空気は変わった。


 受け流すだけで状況分析にのみ意識を集注していた悪魔は動く。まるで重力がないかのようにふわっと風に流された風船のように不意に魔神へと向かう。

 その意表を突く予測不可能な接敵に魔神は身体が反応することができず、硬直してしまった。


 隙を見せたのは刹那、時計の秒針でさえも動くことができない世界。それでもルナには十分過ぎた。

 鋭い手刀が男の首を袈裟斬りにするように鋭く振るわれた。

 上空に膝をつき意識を刈り取られた男が、下界を見下ろす光景が出来上がった。


 男は魔法で足元に見えない床を作り出すことで宙を歩き渡ることができていたのだ。それはルナが男の前に一歩踏み込んだことで確かなものとなった。

 既に物言わぬ男には問いただすことは出来なくなってしまったが、魔法が持続していることで恐らく設置型の魔法だという事は推測できた。

 

 相変わらず村はダムの底のような光景のまま水の塊は下界に降り注ぐが、邪魔する者がいなくなった以上この邪魔な雲は散らすことができるようになった。

 男はそのまま放置することにして、蠢く雨雲の中心に手のひら大の高速回転する空気の塊を投げ込んだ。


 一見すれば意味のないこの行為も台風のように周囲の雲を取り込み気圧を低下させる雲であるならば効果は覿面である。

 空気の塊は高速回転しながら急激に膨張し周囲の雲を巻き込み弾け飛んだ。


 凄まじい爆音が響き渡ると、散り散りに霧散する水蒸気の塊が風に流され消えていく。

 徐々に正常な空を取り戻しつつあったが、その元凶たる魔神の姿はもうどこにもなかった。

 まるで雲と一緒に消えてしまったかのように気配を感じさせることなく去っていったようだ。


「ボクの目を欺くなんて、少し侮りすぎてたかな」


 ルナは止めを刺すことはしなかった。

 それは詳しい詳細を聞き出す必要があると感じたからなのだが、逃げられるくらいなら息の根を止めておけばよかったと後悔した。


 


 逃亡を許したことで事の全貌を把握することもできなくなり、なおかつ現状で今起ころうとしている事すらわからなくなってしまった。

 情報がないのであれば、何か新しいことを見つけ出すことなど出来はしない。無から有が生まれない典型的な例だと言える。


 しかし、周囲の環境の変化は着実に起こっていた。

 それを理解すればこのまま放置するわけにもいかない。独り気ままでいられない今だからその結論にいたる。

 このまま上空から辺りの様子を窺いつつ、警戒態勢に入る。


 凄まじい雨が止んだ今ならばユイナも無事に診療所にたどり着いているだろうと思い、あえて留まる事を選んだ。

 

 

 ユイナは激しい雨と濁流の中を一歩ずつだが確実に来た道を辿っていた。

  


 数刻もすれば辺りの建物はすべて濁流に飲み込まれて住居があったなど思いもしない光景に変わってしまうだろう。残りわずかの辛うじて原型を留めている建物を見てユイナは思った。

 恐らく辿り浮くころには診療所も無くなってしまっていると思わざる負えなかった。


 だが、突如上空を覆っていた分厚い雲がはじけ飛び夕日が空を紅く染め上げたのだ。

 水中にでもいるかのように激しく降り続いていた雨もぴたりと降り止む。


(ルナがやってくれたんだ)


 ユイナはルナが想像していたよりもずっと優れていることに、誇らしさと尊敬の念を覚えた。仲間としての信頼も確かに感じていた。

 自分の力の無さを思い知ったからこそ、素直に力ある者に対しては敬う事ができる。それが自分自身の成長に繋がると理解しているからである。


 雨が降り止んだからといって尋常でないほど降り注いだ雨の爪痕はすぐには消えはしない。それは今もなおユイナに襲い掛かる濁流が証明している。

 それでも徐々に水量は減っているのは一目瞭然。

 

 このまま進み続ければ、確実にスペラ達の元へたどり着ける。それだけはわかっているつもりだった。 それなのに、安心感が得られないのは偏に元凶を絶ったはずのルナが戻ってこないからだ。もちろん先にスペラ達の元へと行った可能性も皆無ではないが、果たして先に戻るだろうか。


 ならば、考えられるのはまだ状況は何も変わってないという事だ。

 恐らくそれを解決する為になおも状況を継続している。それはルナでなければ対処が難しいのだろう。


 歯がゆい。

 結局何もできないのだから。

 それだけを思いつつスペラ達の元へと向かう歩を早めるのであった。 




 スペラは三人が診療所から出てから数刻も経たぬうちにここがもうすでに限界だという事を直感的に感じていた。

 このままここにいては建物の崩壊が先か建物ごと流されてしまうかの二つに一つ。

 迷っている時間の余裕はない。


 決断は早かった。

 誰かが戻ってまでここに留まっておくことは困難だと判断した瞬間には、荷物をまとめていた。

 ディアナを一人置いて行くこともできない為荷物は前に抱き込み、ディアナを背負い外へと出ようと扉のドアノブに手をかける。


「にゃっ!!」


 思わずドアから飛び退いた。

 あまりの水圧に耐えきれずに扉が破壊されて濁流が流れ込んできたのだ。

 すぐさまベッドの上へと跳躍するが、水かさは一瞬でベッドの高さまで達してしまう。

 

 結果的に退路を塞がれてしまうのだった。




 しかし、スペラだからこそこの場面に対応する手段を持ち合わせていた。

 ユイナ、アマトでは現状退路を防がれた状態での手段はないが、依然森の中で巨人と一戦交えたときの手段を使えば脱出は不可能ではない。

 テーブルから壁に向かい圧縮した電撃をを放ち壁に人二人が辛うじて通れる程度の穴を開けると水面に電気の膜を張りその表面を高速移動し、建物の外へと抜ける。


 手近な住居の屋根だったものを見つけるとひとまずこしを落ち着かせることにした。数分もしないうちに先程までいた診療所は崩れて濁流にのまれてしまった。

 あのままとどまっていたら今は崩れた建物に飲み込まれてただでは済まなかったに違いない。


 そんな事を思っていると濁流の根源たる上空から降り注ぐ雨が突然ぴたりと止んだ。

 空も分厚い雲が嘘のように消えてなくなり、赤い夕陽が差し込み一面真っ赤に照らされていた。

 それがあまりにも急激な変化だったためアマト達の誰かが元凶を絶ったのだと思った。

 根拠などなかったが不思議とそう思う事に違和感などなく、まるで神か何かの奇跡のように受け止めていた。


「ディアナ、早く目を覚ますにゃ……」


 空が晴天だというのならば、もうここに留まる理由はない、すなわち残す問題は未だに目を覚まさない少女の現状のみ。

 今襲われるようなことがあれば、とてもではないが守ることなどできはしない。


 


 スペラは嫌な予感がしていた。

 現状生物の気配は一切感じられないのだが、誰かに見られているような気配を感じたのだ。

 本来のアビリティでは感じ取ることができなかった力も次第に強くなり、その索敵距離も徐々に広がりつつあった。


 この気配の先には悪意が感じられる。そこまでわかっているというのに何もできない。

 身を隠すこともできない。

 その時、かすかに声が聞こえた。


 それは状況が変わる瞬間。

 悪いことばかりではないのだとスペラは思うのであった。




 

「こ、ここは……」


 目を覚ましたディアナが絞り出すように小さくつぶやいた。

 吸血鬼という超再生能力を持ってしても回復するまでにかなりの時間を要したことを鑑みると、意力が凄まじいわけではなく何らかの特殊効果が付与されていたとみたほうがしっくりくる。


「ディアナと初めて会った村にゃ。と言ってももう村とは呼べそうもないけどにゃ」


  スペラは苦笑いして見せた。

 冗談を言うつもりがあったわけではないのだが、村が水没した光景はあまりにも壮絶で経験したkとがない以上状況を未だに飲み込めてはおらず説明のしようがないのだ。


「見逃してもらえたみたいね……。はじめから殺すつもりなんてなかったみたいだけど……」


 それはスペラもうすうす気が付いていた。

 黒ずくめの青年はどこかアマトと似た雰囲気があり悪意のようなものは感じられなかったのだ。

 言うなれば黒い勇者、アマトと正反対に位置する別次元の英雄。


 襲われたというのに憎む気がしなかった。

 ディアナこうして目を覚ましたからなのか、他に理由があるのかわからない。

 ただ、また近いうちに出会うことになるのではないかという予感がしていた。



 

 スペラはディアナの目覚めに楽観的なっているわけにはいかなかった。今は身を隠すすべがないのだから狙撃でもされれば防ぐすべがほとんどない。

 それでも、新しい友達の目覚めは心に安心感を確実に与えていた。


「スペラちゃん、ありがとう。今も私たちの事を見てる人たちがいるけど、それでも私の事を気にかけてくれて」


 ディアナは意識のない時のことはわからずとも今の状況は瞬時に理解したようだ。

 その言葉からはこれから何をしなければならないかを思考しているのが読み取ることができた。

 雨は完全に止んだとはいえ、激しい濁流が自分たちを奈落へと確実に運んでいるのは間違いない。


 この流れる濁流が向かう先は間違いなく大きく開かれた谷でそれは目にしただけでめまいがするほどの高さがあった。

 即ちこのまま子の板切れの上に留まっていれば死を免れることなどできようはずもない。


 しかし、ここで濁流に飛び込んでも完全に回復していない体力では流れに耐えることができずに結果は同じ。

 スペラの力で水面を移動するにしても限界がある以上、辺り一面が水没している村からの脱出は不可能である。

 まだ、無駄な体力の消費を抑えるところだ。



 

 もうすでに僅かに残っていた建物も完全に無くなり、最早村の面影など完全に残されてはいなかった。

 僅かな時間だったとはいえお世話になった診療所が跡形もなく消えてなくなって、多少なりとも感傷に浸ってしまったのだから住んでいた村が沈んでしまったのを村民が目の当たりにすればと思うとその比ではないだろ。


 スペラはすぐに切り替えて今の現状の打破へと思考を巡らせることにした。

 そもそも感傷に浸ることなど今までなかったのだから、心境の変化があったのは間違いない。

 

「スペラちゃんは私と出会った場所も無くなってしまったこと、気にしてるんでしょ」


 言われてスペラの耳はぴくっと震えた。

 運命的な出会いになった場所が無くなって何も感じないわけもない。だからと言っても失われてしまったものはもう取り戻す事など出来はしないのも理解していた。


「仕方がないにゃ」


 そう、一度失ってしまったものは命であろうと物であろうと戻ってはこない。

 だから人は思いでというものを胸に生きているのである。

 

「そう、仕方がないこと。だけど全てを割り切ってしまうのが必ずしも正しいことじゃないのよ。もう長く生きてきて何度も失ってきたのだけれど、未だに慣れることはないんだから」


「どうすればいいのかわからなくなったにゃ。いつでもこの身一つでなんでもできると思ってたにゃ……。でも、何もできないって思い知ったにゃ。結局アマトたちの足を引っ張ることしかできないってわかったにゃ」


「私だって数百年も生きているのにさっきみたいなことになるのよ。まだ若いスペラちゃんがそこまで言うのは傲慢じゃないかしら。生まれながらにして完璧な人なんていないんだから、これからいくらだって力をつけることができるんだから。まずは今、やるべきことをしましょう」


 そう言って、意識を周囲に向けるディアナ。

 辺りに何もないという事は敵からはこちらの位置が完全に筒抜けになっている。

 反対にこちらからは360度どこに隠れているかを目視することは叶わない。


 しかし、ディアナの索敵範囲はスペラを軽々と越えルナにも匹敵する。

 即ちディアナが目覚めた今であればこちらから打って出ることもできるというわけだ。

 もちろんその場合は、接近するまでの術が必要になる。


 ディアナは体力が完全に戻っていない為動くことが辛うじて出る程度と、魔力が不安定な為行使することができない。

 ここまでを読んでいたとなれば黒勇者は相当切れ者だと二人は内心で思っていた。

 できれば二度会いまみえたくはないというのも同じ思いだった。




 アマトは空が晴れ渡るのを見た。

 村の南端は中心部に比べれば比較的雨は強くない。それでも数メートル先が見通せない程なのは中心部と変わりはない。

 幸い足首辺りまでしか水は溜まっておらず、移動する分には差し支えはなかった。


 村があった方角は最早何もない更地のような状態にになってしまっているのをみて危機感を覚えた。

 誰かがこちらを窺っているのはわかっているのだが、今はそれどころではない。

 まずは仲間の救援へと向かわなければならないと思った。

 一番安全だと思っていた場所が今では最も危険な場所になってしまったのは、完全に自分の判断ミスである。


 安全な場所などどこにもない。

 今できることは一刻も早くもスペラ達の元へと向かう事。


「みんな無事でいてくれ」




 ユイナは少し、また少しゆっくりと確実に前に進んでいると思っていた。

 それが間違いだと確信したのは奇しくも目の前の光景だった。視線の先に見えたのは濁流により奈落へと流される二人の姿だったのだ。


 真っ直ぐ向かっていればぶつかるはずが、大きく西へと逸れてしまっていたのだ。ここからでは合流することは出来ず、そのまま流されて行くのを見ているしかない。

 だが、一度通り過ぎるのを待ってから流れに逆らわずに斜め方向に追う形であれば追い付けるかもしれない。


 問題は流れの速さが思いのほか速いことだ。

 追い付くことができなければ、三人とも奈落へと落ちてしまう。

 ユイナもまた迷うことなく二人の方へと向かう事を選択した。




 流れに逆らうのではなく身を任せることにしたことで、想像以上に早くスペラ達の元へとたどり着くことができそうだ。

 遮るものも何もない。


 少し方向を斜めにするだけでそちらへと流れていく。

 水量は次第に減ってきてることもあって思った方向へと行くことができる。

 あと少し、あとわずかでたどり着く。





 ユイナの向かう先には二人の姿がある。

 二人もユイナを見つける。


「アーニャーー!! こっちにゃ!!」


 スペラが手を振っているのが見えるのだが、思いのほか流れが強く思っていたほどスムーズに近づくことができない。

 早く辿り着かないといけないと思えばと焦る気持ちが余計にうまくいかなくさせていた。


 吸血鬼の少女も目覚めたのだろう。

 横に力なくも座り込んでいる彼女も小さく会釈したように見えた。

 なおさらこのまま最悪の結末を迎えさせるわけにはいかないとユイナ思うのだった。



 

 徐々に水気がひいて行き足にまとわりつく嫌な感覚も和らいでいく。

 踏み込む力も次第に増していく。

 

「もう少し、もう少しで追い付ける。待ってて、すぐに行くから」


 ユイナは渾身の力を込めて跳躍を試みた瞬間、足首に激痛が走る。


「痛っ!!」


 声にならない悲鳴を上げユイナは膝から崩れ落ちた。

 幸い水位がひざ下まで下がっていた為、溺れるようなことにならなかった。


「ユーニャーーーーー」


 スペラの悲痛な叫びがどんどん遠ざかっていくのが聞こえる。

 足から流れ出す血がじわっと広がっていく。

 水は濁り、水量もあるというのに目に見えて赤く染まるところからも出血の量は少なくはない。


 咄嗟に手で押さえたユイナはすぐに回復魔法を足に施し傷を塞ぐことができたのだが、失った血は戻ることはない。

 何が起こったのかもわからない状態で迂闊に動き回ることも出来なくなった。


 水中からの攻撃なのかはたまた、遠距離から狙撃されたのかもわからぬまま見えない敵に文字通り足止めされることになってしまった。

 

「このままじゃまずいよね」


 みるみる距離が離れていくスペラ達を助けることができない自分がみじめでならなかった。

 



 アマトはユイナが突然、不自然に倒れ込むのを見た。

 ユイナには不完全ながらも風の魔法により空を飛ぶことができるはずなのに、飛ぶ様子は見られなかった。

 それは周囲からなめまわすように見られているこの気配のせいだろう。


 その数は次第に増していくのを感じていた。

 留まる事を許されず、進むこともかなわない。

 八方ふさがりにも関わらず、ユイナの姿を見つけてからは不思議と不安を感じることはなかった。


「ユイナっ! 大丈夫か!?」


 膝をついて息も絶え絶えのユイナに俺は肩を貸して、立ち上がらせた。

 傷は自分で治療したのだろう。

 深い傷は見当たらなかった。それにも関わらず、顔色は悪く辛そうに見える。


「ちょっと、血を流し過ぎたみたい……。それより、私はいいからスペラ達を助けに行ってあげて。このままじゃ間に合わなくなるから」


「わかった。スペラを連れて必ず戻ってくるから、少しだけ待っていてくれ」


 俺はゆっくりとユイナを下すと、スペラ達がいる方向へと全力で駆ける。

 その瞬間足を何かがかすめた。

 目で見たわけではないのに、まるで矢が太ももを掠めたのではないかと思った。それは矢ならば構造上先端の鏃から伸びる箆と矢羽が肌に触れた気がしたのだ。


 だが、周囲にはそれらしいものは何も見当たらない。

 思いのほか厄介な技を使う輩がいるようだ。

 今は足を止めるわけにもいかず、ぬかるむ地面をジグザグに走って狙いをつけづらくして走り抜ける。


 スペラ達を補足した。油断せずに追い付いて見せようと意気込む。




 一気に距離をつめ、なんとかふたりの元にたどりつく。


「アーニャ!! ユーニャが!!」


「わかってる! 一緒にユイナのところに戻るんだからこんなところで死なせるわけにはいかないだろう」


「スペラちゃんが言っていた通りの人みたいね」


「ディアナも起きたんだな、このままだとまずい。二人とも俺に掴まれ!!」


 俺はディアナを抱き上げ、スペラを背中に背負い流されていく板切れから飛び降りた。

 



 予想を裏切らない。

 俺が地面に着地する瞬間を狙いすましたかのように見えざる矢が飛んできたのだ。

 その矢を受けてやる必要性などないのだから軽くステップを踏んで躱して見せる。


 そして、この矢は連続で放たれることがないのも今までの流れで予想はしていた。

 もしも連続で放てるのなら、間髪入れずに留めの矢を放ってもよいのだから最早疑う余地はないだろう。

 ならばこの隙に体制を立て直せばよいのだ。


 ただし身を隠すすべがない居間は非常にまずい。

 それはなにもかわらない。




 結局は俺は走り続けている。

 ゆっくり休んでいられる余裕などなく僅か数刻前まで村だったところを、ただひたすら東へと駈けていた。

 踝ほどまでの水位となった今では動きやすさが格段に上がっている。しかし、足元は泥水に満たされている事と身が暮れてきたために視界が悪く障害物や足元の状況が全く把握することができない。


 アビリティによって危機的状況をある程度回避することができることで何とか走り続けることができているのだ。

 敵は依然として姿をみせず、こちらの索敵範囲外から一向に近づくことをしない。

 

 このままでは敵に近づいているのか離れているのかもはっきりしない。

 矢の着弾位置から南からの攻撃だと辺りをつけていはいたのだが、必ずしもそのままの位置に居座っているとも限らない。

 下手をすればそのまま並走しているか、もともと東から南の位置についたか歪曲して攻撃するすべが有るのやもしれない。


 何一つとして確証が持てないというのに移動することは危険を冒していると言ってもおかしくはない。

 それでも移動せざる負えなかった。

 ユイナから敵を引き離す為には囮になるほかにないからだ。


 そもそもの狙いがわからない以上、再びユイナが狙われる可能性もある。

 だが、ユイナはあの後攻撃されず俺に数分の感覚を開けつつ攻撃を放ってきていた。

 

「どこに行くにゃ!? ユーニャはあっちにゃ」


 スペラはユイナのいる方を指しながら訴えかける。

 








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