vs賢者
「水の壁⁉︎」
高さ10メートル、横に20メートルほどの巨大な水壁に思わぬ足止めをくらい面喰らう。地面からとめどなく溢れるよう出ている水の反対側では、兵士達が小躍りして喜んでいる。
「賢者様だ!賢者様がやってきたぞー!」
「我らに歯向かったことを後悔するがいい!」
騒ぐ兵士達は癪にさわるが、今はそれをよそにする。兵士達が先ほどから呼ぶ、賢者様というのが最後の切り札などだろう。
ならば、その賢者とやらを倒せば全員撤退するはず。
しかし、
「(どこにいるんだ……⁉︎)」
見えるとすれば、アースガルドの兵士達と、未だに水壁の向こうで僕達の家を燃やし続ける炎だけだ。
「ーーどこ見てるんだい?後ろだよ?」
無機質な声がが背後から飛んできた。
驚いた僕は咄嗟に横に跳ぶ。するとそれまでいた場所一点に緑色の雨が降り注いだ。。その雨は普通のものではなく、かかった雑草はたちまち溶け、地面は白い蒸気を上げている。
僕はそれを間近でみて寒気がした。
もしあのまま浴びていたら、僕は骨の髄まで溶けていただろう。横っ飛びから地面に足をつける。
「ヘぇ、今のを避けるんだ」
「…………賢者?」
「そう、賢者。知ってて嬉しいよ。リク君」
「ッ⁉︎」
教えたはずのない僕の名前を呼ぶ賢者を、両の手で
全身を覆う黒いマント。ついで黒いフードを目深かに被り、相手の顔は分からない。なにより肌を全く出していない。その姿は黒ずくめのせいで賢者というより小汚い盗賊という印象だった。
だが僕が驚いたのは服装のことではない。
賢者が立っている位置だ。
「飛んでる………ッ⁉︎」
賢者は庭の踏むのではなく空中に50センチほど浮かんでいた。糸に操られた人形のように、不気味に宙に舞う賢者を畏怖を込めた眼差しで睨みつける。
頭の中に機械音が聞こえたのでパラメーターを見ると、魔法の欄に一つの魔法の名が書かれていた。
:<浮遊>
意味は読んで字のごとく、己の身を実際に浮かばせる魔法らしい。
珍しい魔法なのだろうか、賢者にまだ知られていない分これは有効に使える。もしも万策尽きた時には、こと魔法を使用しよう。
賢者を相手にどう対応するか攻めあぐねている。
「来ないの?じゃ、こっちから行くよ!」
浮かんだまま猛烈な速さで僕との幅を埋める賢者。さっき戦ったヒーリスの突きよりも早いかもしれない速度で飛んでくる敵に短剣で応戦する。
「やぁっ!」
フードを被った頭から突っ込んでくる賢者にそのまま胸元めがけて短剣を沈ませた。
「あっ………」
近くでないと聞き取れないほどの小さな悲鳴を賢者が漏らす。見事に短剣を突き刺した僕は内心でニヤリと笑うが、次の瞬間、それは驚きに変わる。
賢者の全身が水へと変化したからだ。フードや黒いローブごと液体と化したその水は地面の上に落ちる。
突き刺さった短剣からは手応えが消え、空を刺した。
数秒間地面を眺めると、ふいに上から耳ざわりな音が鼓膜を刺激する。
見上げると、庭一帯を覆い尽くすほどの黒い雲が雷の渦を巻いていた。
その手前には、賢者が僕を見下ろしている。
「なかなかやるね、きみ。身体能力、体の使い方は私が知る限りでは上位に入るくらいだ。最初は様子見だけにしようと思ったんだけどーーー手加減するのはやめだ」
その上からものを言う賢者に、僕はなにも言い返せなかった。
今までのが様子見なんて化け物じみている。
そこで僕は、どんな敵を相手にしているのかと嫌にも思い知らされた。
あまりの出来事にぼーっと突っ立っていると、黒い雲から雷鳴がけたたましく鳴りはじめる。
それを見て慌てるもつかの間、ついに賢者の魔法が完成してしまった。
「これが、私の本気。高級魔法サンダーロアー!」
魔法名を叫ぶと同時に、金色の光が視界を埋め尽くした。
空気を切り裂き、大音量の雷鳴を響かせる稲妻が目にも留まらぬ速さで落ちてくる。
だが、賢者の魔法サンダーロアーは、すんでのところで軌道が逸れた。
地面に落ちた金色の稲妻は、地面を深く抉りとり、周りの芝生を黒焦げにした。
僕の前10メートルほども逸れたサンダーロアーに、賢者は首を傾げる。
「あら、外れちゃった。でも次は外さないよ」
そう言うと、再び魔力を込み始める賢者は渦を巻く雲にさらに拍車をかけ、雷雲は逆円錐形のーー竜巻のように形状を変えた。
「………ッ!今しかない!」
足に力を込め、覚えたての魔法を行使する。
体から重力が無くなったかと思うほど軽くなり、一気に宙を駆ける。
「(と、飛んでる………!)」
数分前と似たような感想を述べながらも目的地へと体を進める。飛びながら魔力が減っていくのを感じ、相当量の消費を使うと理解した。浮遊は今の僕では何回も使えないだろう。
高度100メートルほどの賢者との距離を数秒で詰める。
飛ぶ間に賢者に一矢報いるために、使い慣れた魔法の詠唱を唱える。
「その身を焦がせ!我に宿る内なる炎よ!」
詠唱に反応し、賢者がこちらに気づく。だがもう遅い。
賢者に両手を定めると、全ての魔力をはき出すつもりで魔法を放つ。
「ファイヤショット!!」
今までで最大火力となった魔法は、正面からもろに受け生じた爆炎で賢者を中心に包み込む。
真紅の炎が小爆発を起こすと連鎖的な勢いで次々と活発に活動していく。
「(終わったのか………?)」
誰に問うのでもなく、心の中で安心したかったのか……。
正直僕の体は、ヒーリスとの戦いでかなりのダメージが蓄積させられた。
細剣で突かれた肩や太ももなどは感覚が麻痺して動かない。
半ば願うように祈った僕は、大きく裏切られることとなった。
炎の渦も収まり、黒煙がはれた賢者の姿は、無傷だったからだ。
…………いや、無傷ではない。よく見ると、頭から深く被っていたフードはファイヤショットの威力に耐え切れず焼け焦げていた。
しかし、その中の正体はまったく予想だにしていなかった姿だった。
「お、女の子………⁉︎」
「……そうだよ。でも、きみの何倍も生きてるから子供扱いはしないでね?」
ノイズがかかっていた声質とは明らかにちがう高く透き通るような賢者の声。
攻撃を食らったのにもかかわらず、飄々とした風な上からのもの言いは変わらない。
その姿はシアンにも負けない白い肌、そして凛々しいが、少し幼さもある顔立ち。染めたのかと思うほど濃い青色の長い髪をヘアゴムで後ろにまとめ、腰まで垂らしている。
そして、その煌めく瞳で僕を見下ろしていた。
僕は何度目かの衝撃を受け固まっていると、突然賢者の顔色が柔かな顔となる。
「しっかし驚いたよ。高い身体能力に加えて中級魔法まで使えるなんて……。しかもそれは私の浮遊じゃないかな?見ただけで覚えたのかい?まったくエルギス君のところの子は末恐ろしいわ」
賢者が早口でまくし立てる。
賢者から離れ態勢を立て直すが、僕にはもうなにも無い。これだけの実力差があってまだ生きてるのは、ひとえに運がいいのか、それとも賢者が手加減しているのかはわからない。
身構えている僕に、賢者は突然ぶっきらぼうに言った。
「降参してくれないかな?」
ーー降参。賢者は僕におとなしく従えと命じたのだ。
それを聞き、体の中が猛るように熱く燃え上がるのを感じた。
「ふざけるな!何が降参だ!僕達の家をめちゃくちゃにして、こんなこと許されると思ってるのか!」
内に秘めた炎を全て吐露するつもりで賢者に吼えた。
だが賢者はそんなの意に介した様子もない。
「許されるもなにも、私はただムウサ君に手伝ってくれって言われたから、エルギス君を捕まえに来ただけなんだよ?
あとの事は全部そこにいる兵士君たちがやったんでしょ?だったら私じゃなくてあっちを責めてよ。困っちゃうわー」
「………………ッ!」
にこやかに、どこまでも不遜な態度に、僕は精神が酷く揺らぎ頭を抱えたくなる。
真剣勝負。生きるか死ぬかの戦いの最中に両手を広げて戯ける仕草を見せる敵は、まだ言い足りないのかお喋りを続ける。
「遠路はるばるこんな地図の端っこまで来たんだよ。私も早く終わらせたいの。どうしても降参してくれないのかな?」
「当たり前だ………ッ!」
「……………………そう」
短く嘆息し、冷たく告げる。
「じゃ、ーーまたね」
怒号。上から空気を叩いて僕にのしかかった衝撃波でやっと気づいた。
賢者は僕の気を逸らすためわざと隙を見せて喋り続けていたのだと。
ほんの目と鼻の先に、逆円錐形の竜巻だったはずの黒雲が、まるで細長い棒状の筒のように形状を変えていた。真ん中は空洞で、その中では雷が線を引いて中央で丸く集まっていた。
賢者は大きく息を吸い込んで魔法を発動。
「サンダーボルト!!
ーー生きてたらまた会いましょう……」
雷は雲の筒の中で極限まで巨大化すると、刹那の速度で僕に直撃した。
結局僕は賢者を倒すことも、一矢報いることも出来ずに、意識を暗く深い沼へと落としていった。