1. 猫と花、兎と出会う
初投稿です、よろしくお願いします。
※挿絵がありますので苦手な方はご注意ください。
「み」
「どうした、何か食い物でも見つけたか?」
小雨が降る山の中は、湿気と木々の薄暗さで昼過ぎだというのに鬱蒼としている。そんな場所に、大小二つの人影があった。
「み、み」
「引っ張るなって!…まったく、自主的に食糧を見つけるのは助かるが、そもそもお前が食う量を人並みにすれば問題ないんだよ!!」
男の声が山に響く。二つの影は、青年と子供だった。子供の背丈は青年の腰ほどで、子供に袖を引っ張られる青年は身長差のため中腰の状態で歩く。
青年は額に深紅の布を巻き、丈の長いコートを着ている。背には旅道具が一式入っているのか、大きな荷物を背負っていた。
子供の方も撥水加工がされたコートを着込んでいる。目深に被ったフードからは、柔らかな白金の髪を二房垂らしていた。
子供は一言しか呟かない。しかし青年はその一言の意味を理解しているのか、傍からみるとなぜ成り立っているのかわからない不思議な会話は続く。
「本来ならまだ二日分は食糧持つはずだったんだがなー…、肉類全滅だし。あ、ウサギとかだったら鍋にするか寒いし」
「…う!」
青年から今日の夕飯の献立を聞いて、子供が相槌を打つ。フードのため顔が隠れ、返事も相変わらず呟くだけで抑揚にも乏しいのだが、どこか嬉しそうである。
そして、子供によって青年が導かれた場所には…
「う?」
「……うん、確かに”ウサギ”ではある。けどな?」
ぎゅきゅるるるるー
「いや腹の音立てられても”この子”を食べないからな!!」
「…ヒィっ!?た、助けて、食べないで下さいぃ…」
黒髪には『ウサギの耳』、小さな尻からは『ウサギの尻尾』。
そこには足を怪我して身動きのとれない、『兎族』の少女が座っていた。
* * *
「捻っただけか。薬も塗ったし、しばらく包帯を外すなよ」
「あ、ありがとうございます。…ホントに食べませんよね?」
「俺に食人癖はねぇがな…、なんなら食欲魔人のコイツが喰うか試してみるか?」
「…う?」
「ぅきゃあごめんなさいごめんなさい!?もう言いません!!」
兎族の少女は足首を捻ってしまい歩けず座り込んでいたが、青年の手当でだいぶ楽になったようだった。食べられると勘違いし泣いて喚いて包帯を巻くのも一苦労したが、包帯が巻き終わると共に精神の方も少しは落ち着いたようである。…青年は治療をしてやっているのに泣かれ怯えられ理不尽な思いをしたが。
食欲大魔神な子供が少女を食べるというのは冗談だ。子供の口から涎が垂れている気がするのは見間違えだと思う。
「みー」
「なんだ、どうした…って、嘘だろもうあのパン食べ切ったのか!?」
青年が少女を手当てしていると、子供が空腹だと訴えてきた。みーみーうるさいので保存食のパン(長旅に向いた非常に硬い長パン。基本スープに浸してなどして食べる)をそのまま与えたのだが…。その小さな身体に見合わない旺盛な食欲には、硬さなど関係なかったようである。
「ふざけんなまだ足りないってか!?もう何も残ってねぇよ!その辺の草でも食べとけ!!」
「みー!?」
青年が子供の頬を伸ばし、子供も青年をぽこぽこ叩く。
「……あのー、猫さんたちは“旅人さん”なんですよね…?」
本人たちは大真面目だが傍から見ると微笑ましく争う二人に、兎の少女はおずおずと尋ねる。
「ん、ああ確かに俺らは旅人だ。それがどうした?」
少女の問いに、白毛の髪から猫の耳が立ち、コートからは長い尻尾が出ている青年は応えた。そして、少女の様子がおかしいことに気付く。
元々出会ったときからおどおどしていた少女は、その可愛らしい顔を歪めている。―――まるで、何かに脅えているようだ。大きな黒い瞳は、冷たい雨ではない、温かい水分で揺らめいている。
「お願いします!あたしと一緒に、『銀砡草』を探してください…!!」
* * *
ナナは兎族の村の少女だ。薬師を営む父と祖母の三人で暮らしている。
母は幼い頃に亡くなっており、ナナの記憶に母の姿は残っていない。だが祖母が母のようにナナを愛してくれたので、あまり寂しさは感じなかった。
「…おばあちゃん、起きてよ」
その祖母が、目の前で命を枯らそうとしていた。
永く降り続ける雨の影響で、祖母は体調を崩した。最初は大したことないと笑っていたのだが…、追い打ちをかけるように最近流行っている熱病が祖母に襲いかかった。
家は村唯一の薬師だ、大概の薬は揃えている…が、祖母に罹った病には、ある特定の薬しか効果がないという。最近できたその薬はこの村にはなく、慌てて父が麓の町まで買い付けに走った。
「お父さん、まだなの…?」
だが、父はまだ帰ってこない。村と町には距離があるが、それにしても遅い。実は帰り道が、長雨のせいで流れた土砂で埋まってしまったのだ。しかしナナにはそれを知る術はない。
ナナは祖母の看病の際に、何度も声をかける。しかし返事は返らず、ナナの声の後には雨音だけが部屋に響いた。雨もナナの焦燥も止まらない。どんどん不安が大きくなっていく。
『―――私がナナと同じぐらいの歳に、この村に“旅人さん”が来たんだよ』
ふと、祖母の寝物語が脳裏に過ぎった。
『この村には宿屋なんてないから、その旅人さんはウチに泊ることになってねぇ。私は旅の体験談をせがんだら、色んなお話をしてくれたんだよ。ナナにも話したかね?東の島国の亜人さんや、飛べる羽衣の物語だよ』
『お話の他にも、旅で手に入れた珍しい品々を見せてくれてねぇ』
『竜の髭に、角白馬のたてがみ、不死鳥の尾羽根…、え?本物だったかだって?さあねぇ私も同じ質問をしたけど、旅人さんは黙って笑っていたねぇ。
あと、銀の涙。あれはキレイだった』
銀の粒子が浮かぶ、小さな雫。冷たくないのに氷のように固まったそれは、触るとぐにぐにとする。光に翳すと粒子が煌めき、それはそれはキレイだったという。
別名「銀の涙」と呼ばれるそれは『銀砡草』という薬草から採れ、とても高価な薬の材料だという。
『驚いたことに、その銀砡草がこの山で採れたって言うんだよ。それこそ信じられなかったんだけど、翌朝には旅人さんは旅立ってしまってねぇ。真実はわからず仕舞いになってしまったよ』
そう言って遠い目をする祖母。その後旅人さんと会うことはなかったという。祖母が大人になり薬師になったのは、その“旅人さん”とまた会いたかったからかもしれない。
「ねぇおばあちゃん、あたし旅人さんのお話聞きたいなぁ?…ねぇってばぁ…!!」
祖母の眠る布団を握りしめて囁いても、返事はない。父は、まだ、帰らない。
薬、薬が必要だ。
嘘か真か解らない、古い思い出話に縋って、
少女は、止まない雨の中、山を駆け登った。
* * *
「で、慌てて走ったらぬかるんだ地面に滑って転んで足怪我して動けなくなったって?」
「……はい」
猫は呆れたようにナナに確認する。そして、大きく溜め息をついた。
「仮に、その“旅人さん”とやらの話が本当だとして。どうやって銀砡草を見つけるつもりだったんだ?」
「え、っと…、銀色の水粒が付いた草を探して…」
「あのな。
この雨の中、水滴の付いてない草なんてないだろうが」
…少女ははっとする。当たり前過ぎることを指摘され、そんなことにも思い当たらなかった自分に顔を赤く染める。
「だいたい、お前『銀の涙』がどう採れるかも知らないだろ。それは葉っぱに付いているものなのか?花の蜜か、または種から絞るものかもしれないだろ。」
「…あぅぅ…」
「それに、雨もどんどん酷くなって来ている。とにかく一度家に帰って父親の帰りを待……うぉっ!?」
猫が驚いた声を上げる。彼の指摘にうつむいてしまった少女は、瞳に溜め込んでいた涙をぼたぼたと零していたからである。
「…だってぇぇぇ…っ!?お、おばあちゃんが大変なときに、あたしだけ何も、しないなんてぇ…!!」
「いや何をするも、お前が探しても見つからないから帰」 べシッ!!「ぎゃああああッ!? 」
突然、ナナを諭していた猫が悲鳴をあげた。ナナには鞭で叩かれたような音が聞こえた気がしたが、辺りを見回しても何ら変わったものは見当たらない。
「なー」
そこで、先程まで沈黙していた子供が、ナナの前でしゃがんだ。地面に転がって顔を抑えている猫が「アルてめぇぇぇぇ…ッ!?」と怨嗟の声をかけるが、それも無視して子供はナナを覗きこむように顔を近づけた。
近くで見る子供の顔はとても整っていた。しかしその表情は乏しく、何を考えているかまるでわからない。真白の肌にフードから二房溢れる白金の髪、そして大きくとても深い青色をした瞳の容貌は、まるで高価な人形のようだ。
「なー?」
短く呟いて子供はナナの涙に濡れた目を、己の手が見えないほど長い袖で拭ってくれた。そうして、子供は猫の方に振り向き「みー」と言う。
「くっ…!探さないとは言ってないだろうが…!!」
「え?……きゃあっ!?」
起き上った猫の頬には、何か細いもので打たれた様な一筋の赤い痕が残っていた。そしてナナの身体を横抱きにして抱え上げる。
「まぁ雨季で肌寒いし多分あるだろ。アル!お前は自分で歩けよ!!」
「う」
「え?ふぇぇ??」
猫と兎と子供の三人は、雨の中山を登り始めた。