近づくな
どうなるのか、正直分かりませんが…お付き合いいただけると嬉しいです。
お弁当を食べ終え、教室に戻った。千花の席は窓側の一番後ろ。千花は自分の席に座り、香織と智絵は隣と前の椅子に座った。
注意をしなくても、色々な視線が向けられていることがわかる。何か言いたげな女子の集団。面白そうに見ている男子たち。
「…もし、千花に何かあったら、瀧山の奴、シメてやる」
「というか、よく考えたら、あの上からの発言がそう言う意味で言ってるのか疑わしくなってきたよ、私。…だって、知ってたけど、瀧山くんを好きな人ってこんなに多いんだねしかも、皆、綺麗」
千花は周囲を見回す。恋する乙女はやはり可愛くなるものなのか。睨みを利かせている人たちは皆、綺麗に見えた。
「千花、呑気すぎ」
智絵に頭を軽く叩かれる。
「俺も、そう思うよ。伊藤さん」
「藤沢くん」
片手を上げ、千花の後ろに立っていた一人の男子。
千花は椅子を少しずらし、顔を見る。
徹や敦と比べると地味と言えるが、藤沢も2人と並ぶほど、整った顔立ちをしていた。髪は黒く、短い。県大会まで出場するサッカー部のエースである。クラスの学級委員を務め、皆に慕われていた。
徹や敦より親しみやすい分、告白される回数は2人より多いのかもしれない。
「恋する女子は時に怖いものだよ」
「それ、体験談?」
智絵が笑って尋ねる。
「そうそう。…って、違う!色々見てきた結果だよ」
「それって、つまり体験談でしょう?」
「やっぱ香織って時々黒くなるよね」
「だから黒くないってば」
「…俺を忘れるの止めてくれる?」
「もう、香織、智絵ちゃん。…藤沢くん、何か用があるんじゃないの?」
軽く首を傾げた。
少しだけ声が高くなる。
千花は藤沢が好きだった。格好良いなと思ったし、優しいと感じていた。サッカーをしている姿を見るとドキドキした。けれどそれが「憧れ」の範囲以上の好きなのかどうかわからなかった。それでも藤沢の前では少しでもよく見せたかった。
「別にとくに用事があるわけではないんだけど、伊藤さんが呑気な発言をしてたから思わずね」
「呑気な発言なんてしてないよ」
「いやいや。女子の結束力はすごいからね。注意しておいて損はないと思うよ」
「…私、何もしてないのに?」
「まあ、あそこで頷いたら何かされるのは確実だったろうけどね。…頷いてもだめ、断ってもだめって…本当に、伊藤さんはすごい人に好かれちゃったね」
「…好かれたのかな?」
よくわからなかった。冗談でないことはわかっていたし、からかうような人でもないことを知っていた。けれど、「好き」だと伝えられたわけではない。視線から感情を読めるほど、千花は「好き」を知らない。
「あんなに大勢の前で告白だよ?」
「あれ、告白?」
「いや…ま、瀧山なりの告白じゃないかな?」
そう言って藤沢が笑う。胸が鳴った。
「まあ、いいよ。千花に何かあっても、私と、香織と藤沢が守るから」
「俺も?」
「何?文句ある?」
「もちろん、ないよ。伊藤さんは大切な友だちだからね」
「うん。ありがとう。香織も智絵ちゃんも」
笑いかける。その一言が嬉しかった。
「ガタッ」
突然の音。
視線が一か所に集まった。音の発信源は徹だ。
教室の引き戸を勢いよく開けたようだった。大股で近づいてくる。
気が付けば千花のすぐ後ろにいた。
「おい」
低い声。それと同時に藤沢の顔が少しだけ歪んだ。
「いたいな~」
藤沢のおどけた口調が静かになった教室に拡がる。
徹が藤沢の腕を掴んでいた。力を入れていることが見て取れる。
小さな動きで徹の手を振り払う。両手を上げて、降参のポーズを取った。
「俺、大事なサッカー部のエースなの。怪我とかさせられると困るんだよね」
「藤沢くん!」
千花は思わず立ち上がった。藤沢の掴まれた腕を触る。
赤くなっていた。
「大丈夫だよ」
そう言って、藤沢は手を軽く前後に動かす。
「ね?」
安心させるような笑顔。それでも、左の手で、手首を覆っていた。無意識だろう。
不意に藤沢の肩を徹が掴んだ。千花を指さし言う。
「こいつに近づくな」
「それは、了承しかねるかな。今、守るって約束しちゃったばかりだしね」
「こいつは俺が守る」
「何から守るかもわかってないのに?」
「…」
黙る徹に藤沢はきつい視線を向けた。低い声。
「お前の行動が伊藤さんの迷惑になるってことも考えろよ」
「は~い。ごめんね。藤沢くん。それから、千花ちゃんも」
一触即発。そんな雰囲気を壊したのは、敦だった。
自然に徹と藤沢の間に入り、2人の間に距離をつくる。
「とりあえず、徹は藤沢くんに謝れ」
「……悪かった」
「ほら、この通り謝ってるから、許してあげて」
「別にいいよ。怪我したわけでもないし」
「さすが藤沢くん。男前だ~」
そして「ちょっとごめんね」と千花たちを見て笑いながら、徹の肩に手をかけた。
「ってか、徹。お前、作戦は!」
「…あ、忘れた」
「おまっ!…せっかく色々考えてやったのに」
「必死にアピールしろって言っただけだろう。何が、考えただよ」
顔を近づけひそひそ話が始まった。
しかし、注目が集まっている中では無意味である。
藤沢は呆れたように微苦笑を浮かべた。
「あの…」
躊躇いがちに千花が尋ねる。
「あ~ごめんね、千花ちゃん。こいつ野蛮で。でも、本当に千花ちゃんが好きなんだよ」
微笑む敦。
千花の顔がほのかに赤く染まる。
敦は俯いた千花の顔を覗き込んだ。近い距離に思わず肩が上がる。
「照れてるんだ。そういう反応今時珍しい」
「えっ…いや、あの…」
「可愛いね」
直後、「いてぇ~」という声が響いた。敦が頭を押さえている。
「急に殴るな!つーか、マジで痛いし」
「近づくな。というか、見るな」
「いや、見るなって、んな無茶な」
「それでも見るな」
「…本当に、お前は千花ちゃんが絡むと周りが見えなくなるんだな。んでもって、数倍怖くなる」
「…」
「…ねぇ、見るなとか何様なの?」
傍観していた智絵が聞いた。苛立ちが含まれている。
周りを見れば、ほとんどすべての人物が千花たちを見ていた。廊下には上級生や下級生までいる。
千花は突き刺さる視線を痛いほど感じた。特に女子のそれが鋭い。徹だけでなく、敦、藤沢までもいるのだから仕方のないことかもしれないが。
智絵は腹が立っていた。徹はきっと、千花を渦中に引きこんだ自覚などない。先ほどの発言だけでもこれから先大変そうなのに、さらに渦を大きくする気なのか。
「そうだよ。付き合ってるわけでもないのにね」
香織も怒りは同じだった。意識すれば聞こえてくる声。
「不細工の癖に」「釣り合わない」それはすべて千花に向けられていた。
千花が付き合いを申し込んだのでもなければ、それを受けたのでもない。なのに、どうしてそんなことを言われなければならないのか。
何も考えず自分の気持ちのみを伝えてくる目の前の男に一番腹を立てた
「…」
「ま、確かに付き合ってはないよな」
「…徹。正論を言った藤沢くんを睨まない」
「……悪い」
「えっと…あ、あのさ。皆、もうすぐ授業始まるよ」
「キーンコーンカーンコーン」
タイミングよくチャイムが鳴る。
「とりあえず、席に着こう?」
藤沢の腕が大丈夫ならそれでよかった。とりあえずこの場を終わらせたかった。




