タクシーのカナリア
終電を逃してしまった。
余りにも忙しかったせいで、まだ夕食も取れていない。疲れ果てて長いガードレールを回り込む気力もなく、横着にも街路樹の脇の隙間から道路に降りてタクシーを停めようとしているのが今だ。
今にも雨が降り出しそうなこんな夜に限って、なかなかタクシーが捕まらない。白い服なら夜でも目立つだろうと、肌寒く感じても上着を脱いで立っていた甲斐もなく、何台ものタクシーが目の前を通り過ぎて行く。先にどこかで食べる物を手に入れて、その間にアプリで呼ぶ方が早いか。と溜め息をついたところで、やっと1台が停まってくれた。
どちらまで、と訊かれて道順を告げる。国道に乗って仕舞えば曲がるところが2回だけのコンビニ駐車場と言う、非常に説明しやすい道のりだ。後は着くまで眠っていても良いのだが、今日は話し好きの1台に当たったらしい。あれこれ話しかけて来るのに応じていると、こんなことを言い出した。
「それにしてもお客さんには足があるようで、ホッとしました」
「…はい?」
「白い服の女性が、深夜に、木の下でタクシーを待っていたので」
いつの間にか座席から消える乗客の怪談ですね。判ります。おまけに私は髪も長いからね。って、言われてみれば怪談のシチュエーションそのままだった。タクシーが何台も素通りして行ったのも納得だ。タダ乗りされた挙句、座席を濡らされては、次の客も取れないし。内心でビクビクしつつも、停まってくれた運転手さんに感謝である。
「なんか、そう言う怖いことに遭ったご経験があるんですか?」
「そうですねぇ。ベタですけど、都心の一等地にある墓地の下を通るトンネルですかね。あそこ通るとラジオとか無線とか、必ずノイズが入るんですよ。男性客しか乗せてないのに、女性の声がしたり…。
そう言う時に『運転手さん、今の聞こえた?』って訊かれるのすごい困るんです。聴こえたって言ったら、何かに居座られそうな気がしないです?だからそう言う時は、ホントお客さんには申し訳ないんですけど、何が聞こえてても『何がです?』って空っとぼけることにしてます」
「聴こえちゃうんですか。運転手さん、波長が合いやすい人なんですかね」
「やめて下さいよぉ。怖いの苦手なんですから。そのトンネルも出来る限り通らないようにしてますし」
どうも結構な怖がりであるらしい。それでいて怪談自体は好きそうなのが面白いところだ。せっかくなので、役に立ちそうな話をしてみよう。
「私、仕事でカナリアをやっていて」
「カナリア?」
「不動産屋が取り扱いを決める前に、物件を調査する仕事です。事前に危ないところを察知して、手を出さないよう助言するんですよー。鉱山のカナリアみたいに使われるから、カナリア」
「へー。初めて聴きました」
「業界内でも一部にしか知られてないですしね。ただ仕事柄、怪談には事欠かなくて」
「本職でした!聴く前から怖いです!」
「本職と言っても、カナリアって言われるくらいなので、普通の人より弱いんですよ」
「人より弱い」
「何も見えないけど、危ない物件だと入れない。下手に近付くと倒れちゃう」
「だいぶ弱いですね」
「例え普通の人にも見える幽霊が住んでいても、危なくなければ平気。そして見えない」
「お客さん、バランス悪すぎじゃないですか?」
心なしか運転手さんのツッコミがだんだん鋭くなっている気がする。
「見えたり聴こえたりしたら、もっと仕事が楽だと思うんですけど」
「いや、見えたり聴こえたりはしない方が良いですからね?」
「見えも聴こえもしないのに、どんな奴が何言ってるのかは概ね解る」
「なぜ」
「つい先日も何かいる物件に呼ばれて行ったんですよ。あ、何かいるとは言っても、私が入れた以上危なくはないんですが」
「危なくなければ良いってものじゃないと思います」
「新盆なのに、男が墓参りに来ないとアヒル座りで泣いてる何かがいて」
「思ってたより詳細に判ってた!」
「もう女がいるなんて生前から浮気してたんだーって、部屋をジメジメさせてました」
「最悪の加湿器ですね」
「新規入居者には除湿機をプレゼントすることにしたその物件が、右手に見えるあのマンションの1室です」
「今後引っ越す時には、おまけ付きの物件は避けることにします。絶対」
「それにしても、墓参りに来て欲しいのなら墓場に居れば良いと思いません?無関係の部屋じゃなくて」
「そうですね。……って無関係なんですか?住んでたとかじゃなくて?」
「そうなんですよー。男に墓参り行かせたら気が済むかと思って、その部屋の過去入居者当たったんですが、男のほうも含めて該当者なしで」
「なにそれ怖い」
そうこうしているうちに、目的地が近づいて来た。支払いのためにアプリを立ち上げようとしたら、何とスマホの電源が切れている。カバンを探るも、こんな時に限ってモバイルバッテリーも忘れて来たらしい。
「すみません、運転手さん。スマホの充電器あります?」
「いやー、ウチはレンタルやってないんで、持ってないです」
「じゃあ、申し訳ないんですけど、一緒にコンビニ行って少し待ってもらえますか?電子マネーで支払うつもりだったし、手持ちの現金だと足りなくて」
「お金下ろしに行かれるんですか?」
「いえ、キャッシュカードも今日はないのでレンタル充電器借ります。清算さえ出来ればいいし」
「なるほど、わかりました」
と言う訳でコンビニに寄ってもらったのだが。
「充電器なのに、電源入ってないと充電できないって何なのー!!」
叫ぶ羽目になった。充電するためには、アプリが必要ならしい。何のための充電器だ。ふざけんなや。腹が立つ以上に焦る。どうしてくれよう。
「どうかしましたか、お客さん?」
顔見知りの店員さんが声をかけて来た。夜中に奇声を上げる客で大変申し訳ない。カクカクシカジカと事情を説明すると、店員のお兄さんが首を傾げた。
「お客さん、ご近所さんですよね?お財布取りに帰ったら良いんじゃないですか?」
「いやー、それは運転手さんに乗り逃げの心配かけちゃうだろうし、悪いと思って。かと言ってウチまで着いて来て貰うのも何ですし」
「あー、それもそうですね」
お兄さんがウンウンと頷いている。
「うーん、じゃ、俺の充電器貸しますよ。10分もあれば支払いぐらいできるでしょ」
「ありがとうございます!助かります」
「軽食コーナー、時間外ですけど使ってて良いですから」
週5で夜中のコンビニに通う生活が、変なところで信用を産んでいた。ひとまず安堵しながら、隣に腰掛けた運転手さんに謝った。
「お待たせしちゃってすみません。ホントに。飲み物買うくらいの現金はあるので、好きなもの選んでください」
「それでは遠慮なく」
飲み物を3本買って、1本はレジにいたお兄さんに差し入れる。その後は、軽食コーナーで充電待ちである。
「それにしても、お客さんがまともな人で良かったです」
「え、どう言うことです?」
運転手さんの言葉に素で返してしまった。現在進行形で迷惑かけまくっている上に、自分で言うのも何だが、どう考えても普通でない職業の人間だと言う自覚はある。まともとは程遠い。
「車の中で色々怖い話お聴きしましたけど、こう言う仕事をしてると、一番怖いのはやっぱり人間なもんで。さっき店員さんとお話しもされてましたけど、乗り逃げしようとする人は時々いますからね。お金とってくるとか降ろしてくるとか言って、待たせようとするんです。そう言うのは戻って来ないって相場が決まってるので、対応も会社で決められてます」
「どうするんですか?」
「交番前で降ろします」
「あー、なるほど」
「その点、お客さんは最初から一緒にコンビニに行こうって言われたので、乗り逃げする気はないのが判ってホッとしました」
「私は仕事柄、悪因悪果とか因果応報とかを目にすることが多い立場なので、小悪事働いて良いことないのは身に染みてますからね」
「因果な商売ってヤツですね」
上手いこと言いながら苦笑した運転手さんの気配が、少しだけ変わった。
「会社からは絶対にお客さんの家には上がるな、とも言われているんです。荷物を運んで欲しいとか、酔っ払って独りで歩けないとか、支払うお金が足りないとか言って、家に誘って来ることがありましてね。それで美味しい思いをしたってヤツもいるにはいるんですが、美人局だったり、言いがかりをつけられたりとトラブルの方が多いんですよ。上がってしまうと人の目がないですからね。悪魔の証明ってヤツで、何もしていない証拠は出せないですから、どうしても上がり込んだ方が不利になってしまって。揉めると大変なんです。まぁ、それでも…生きて帰って来られたなら、それだけで幸運なんですけどね」
その辺で、何とか電源を入れられる程度に充電が出来た。何度も御礼を言いながら支払いを済ませて、駐車場を出るタクシーを見送る。人のいい運転手さんで良かった。うっかりしたら交番で降ろされるところだった。交番で充電させてもらえれば、支払いできるからそれもアリではあるが、確実に帰りは遅くなる。お腹も空いているし、これ以上遅くなるのは避けたい。店内に戻って食べるものを見繕うと、もう一度レジに向かう。
「充電器ありがとうございました。ホント助かりました」
「いえいえ。こちらこそコーヒーありがとうございました。それにタクシーの怖い話聞こえて来て、結構面白かったです。でも最後の方、運転手さん少し様子おかしくなかったですか?」
このお兄さん、カナリアの資質があるのかもしれない。私も途中からは耳で聴いた話ではなかったし。特に最後のセリフは、絶対に言葉じゃなかった。きっと帰って来られなかった誰かが、人の良い同業者を心配して憑いて来ていたのだろう。隣にいても平気だったから、とりあえず危ないモノでないのは確かだ。
「だいぶお疲れだったみたい」
「運転、大丈夫ですかね?」
「タクシー戻ったらシャキッとしてたから、大丈夫だと思いますよ」
「それならよかった」
コンビニを出て、家に向かう。今日は長い1日だった。それにしてもあの運転手さん、ホントに波長が合いやすい人だったんだなー、と思う。今後も危ないモノには遭わないと良いんだけど。運転手さんの幸運を祈りつつ、行儀悪くも歩きながらパンを齧った。
カナリアはいつか書きたい架空の職業です。屋号といってもいいかもしれません。曾祖父の代から物件の心霊的な危険を察知するのを家業にしています。苗字は有仲さん。当夜の所持金は1000円でした。
カナリア奇譚、いつか形になるといいなぁ。その場合、彼女は主人公ではありません。




