――第九章 世界の値段
軍の残存部隊が去ったあと、空気は微妙に変わった。
生存者たちは、僕を見る目を少しだけ変えた。
畏怖でも、感謝でもない。
距離だ。
近づきすぎれば、
この世界が成り立たなくなると、
無意識に理解している距離。
「外に出る」
そう告げると、誰も止めなかった。
瓦礫の街を一人で歩く。
崩壊は止まったが、修復はされていない。
世界は、支払うべき“代価”を、
至るところに刻み込んでいた。
割れたガラスに映る自分の顔は、
思っていたより老けて見えた。
「世界を救う」
その言葉が、頭に浮かぶ。
かつては、
一人の命と引き換えにできるほど、
軽く扱われていた言葉。
――その値段は、本当に妥当だったのか。
遠くで、倒壊した学校の校舎を見つける。
中庭には、落書きが残っていた。
《世界なんてどうでもいい》
《生きたい》
《助けて》
誰かの叫びだ。
誰かの本音だ。
「……高すぎるな」
誰に向けた言葉でもない。
世界を続けるために、
誰かを“材料”にするなら、
その世界は、本当に続く価値があるのか。
瓦礫の影で、小さな影が動いた。
「……!」
身構えると、
それは一匹の犬だった。
痩せて、怯えている。
「生きてたのか」
しゃがみ込むと、犬は後ずさる。
それでも、逃げなかった。
手を差し出す。
「大丈夫だ」
同じ言葉を、
何度目だろう。
犬は、恐る恐る近づき、
指先を舐めた。
その温もりに、
胸の奥が、少しだけ緩む。
「世界はな」
独り言のように呟く。
「こんな小さなものでも、
続いてしまうんだ」
完璧じゃなくていい。
正義じゃなくていい。
それでも、
誰かが誰かを選ぶ限り、
世界は続く。
集落に戻ると、
子どもたちが、犬を見て声を上げた。
「わんちゃんだ!」
怯えていた子が、
少しだけ笑う。
その光景を見て、
はっきりと理解する。
――これが、世界の値段だ。
誰かの命を切り捨てることじゃない。
誰かの命を、引き受け続けること。
ユイが残した選択は、
僕に、その“支払い”を課した。
「……重いな」
空を見上げる。
それでも、
払えないほどじゃない。
世界は救えなかった。
だが、世界が続く理由を、
僕は一つ、見つけてしまった。
それが、
君の命と引き換えに得た答えだとしても。
僕は、歩き続ける。
この世界の値段を、
最後まで払い切るために。




