――第六章 生き残った者の朝
朝が来たことを、空の色でしか判断できなかった。
太陽は見えない。
だが、灰色だった空が、わずかに薄くなっている。
ユイを埋めた場所には、墓標も十字架もない。
瓦礫を積み、彼女が最後まで握っていた絵本を、その上に置いただけだ。
風が吹けば、ページがめくれる。
まるで、まだ読んでいるみたいに。
「……行ってくる」
返事がないことを承知で、そう言った。
この世界に、指示も任務もない。
それでも、歩かなければならない理由が一つだけある。
――彼女の命の意味を、無駄にしないために。
地上へ出ると、崩壊は完全に止まっていた。
破壊されたまま、固定されている。
建物は半分消え、道路は途切れ、
世界は「壊れた状態」で安定している。
完璧な終末。
そして、不完全な存続。
遠くで、人影を見つけた。
最初は、幻覚かと思った。
「……人、か?」
声をかけると、影が動く。
二人。いや、三人だ。
近づくにつれ、彼らの表情がはっきりする。
疲労、恐怖、そして――警戒。
「止まれ」
銃口が向けられる。
だが、引き金は引かれない。
「もう戦う理由はない」
そう言うと、彼らは戸惑ったように顔を見合わせた。
「軍か?」
「元、だ」
「〈崩壊〉は?」
「止まった」
それだけで、十分だったらしい。
一人が、崩れ落ちるように座り込んだ。
「……生きてて、いいのか」
その呟きが、胸に刺さる。
「いい」
即答だった。
「理由は?」
少し、考える。
「誰かが、そう望んだからだ」
彼らは、その意味を深く追及しなかった。
追及できないほど、世界が壊れていた。
その日、僕たちは瓦礫の街を歩いた。
生存者を探し、声をかけ、
見つけた人間を一箇所に集める。
人数は、少ない。
それでも、ゼロじゃない。
夜、焚き火を囲みながら、誰かが言った。
「世界を救った英雄がいるって、聞いた」
視線が、こちらに集まる。
「違う」
否定は、早かった。
「英雄なんかじゃない。
世界は、救われてない」
「じゃあ、なぜ止まった?」
答えは、胸の中にしかない。
「……たまたまだ」
嘘ではない。
真実でもない。
焚き火の向こうで、空が揺れる。
崩壊の名残が、まだ世界に残っている。
それでも、人は眠りについた。
怖れながら、希望を手放さずに。
僕は、一人で空を見上げる。
ユイがいたら、何と言っただろう。
――それでも、生きて。
その声が、はっきりと聞こえた気がした。
「……ああ」
小さく、頷く。
これは、贖罪の物語だ。
英雄譚ではない。
復興譚ですらない。
ただ、
世界を救えなかった男が、
一人の命を背負って、生き続ける話。
夜が明ける。
生き残った者の朝は、
静かで、残酷で、
それでも――確かに始まっていた。




