もう呼び戻さないでください
私の婚約者、ユーシス様には以前、私とは別の婚約者がいた。
不慮の事故で亡くなってしまったそうなのだが、十年経った今でも、彼はその亡くなった婚約者が忘れられないのだという。
「悲しい別れだった。彼女は十三歳、僕は十一歳だった。燃え上がる恋だった。あんなに深く誰かに恋焦がれることは一生、永遠にないだろう」
「彼女は全てにおいて完璧だった。心優しく聡明で、美しく努力家で……」
「君も、彼女のことを少しでも知れば、彼女の素晴らしさがわかると思う。ある時、彼女は……」
私は婚約してから、ずっとその亡くなった彼女について聞かされていた。どれほど完璧で、どれほど素晴らしかったか。
「それに比べて……」
というわけである。
いくら美男で資産家の跡取りという優良物件でも、これじゃあね。
「心優しく聡明で、美しく努力家で欠点がない?そんな完璧な超人、神話の中にしかいないわ。亡くなった人を美化して崇拝してるのよ。なんて不毛なのかしら」
私はある夜、そう言って眠りについた。
「ホントそれなのよね」
突然声をかけられて、私は飛び起きた。
「いや、起きてないよ。これ夢の中だから」
(……夢の中?)
「そう。ところではじめまして。ワタシが例の元、婚約者の女です」
(元?なに?え?亡くなった……?)
「そう。あ!怖がらないで、って言っても無理か。アナタに悪いことなんか、なんにもしないから!とにかく、順を追って説明するからさ、聞いてくれない?あんま時間もないの」
(そ、そうね、説明してもらわなきゃ)
「いいねぇ、順応力もあって。ユーシスにはもったいないお嬢様じゃない」
(そうですか?嬉しいです)
「ところで、説明してもいいかな?」
(その前に……、私、言葉を一言も話していないのに、ちゃんと会話できているのですね、不思議です)
「まずそこ?えーと、あなたはケイティさんだっけ。面白い人だね。あんなことがなくてワタシがまだこの世界で生きてたら、いいお友達になれた気がするよ」
ユーシス様の元婚約者、夢の中に現れたその方は、ちょっとだけ遠い目をすると、説明し始めた。
ユーシス様の元婚約者様はエミリー様とおっしゃるそうで、彼女の説明によると、エミリー様がお亡くなりになってしまったのは、なんでも天使様の手違いだったのだとか。
「ヒドいでしょ?」とエミリー様は苦笑する。天使様方は、一斉にエミリー様に「ドゲザ」をして謝ったそうだ。それはあちらの世界の謝り方で、それもお話の中でしか見ないような最上級の謝罪なのだとか。天使様がずらりと並んでドゲザ。壮観かも。
そうやって謝り倒してきた天使様方は、『元の世界には戻してあげられないけれど、ここよりずっと進歩していて平和な国に生まれ変わらせてあげる』と言われたとか。他に道もないエミリー様はそこで暮らしていたそう。そこそこ幸せな日々だったと述懐された。
ところが、エミリー様にまた突然、不幸が襲いかかる。ある時エミリー様は、自分の意識が強くどこかに引っ張っていかれる感覚を味わったとか。痛みや恐怖から覚めたエミリー様が気付くと、エミリー様にとっての過去で、ユーシス様や双方のご家族がエミリー様のお墓の前で慟哭しながら「帰ってきてくれ、エミリー、戻ってきてくれ!」と叫んでいる場面だったらしい。
「天使様たち、大慌てでワタシを回収しにきたわよ。そして驚いてた。何が起こったのか、天使様たちにもわからなかったらしいの。でもその後、元々こちらの魂だったワタシは、あまりにも強く呼びかけられるとあっちの世界から呼び戻されちゃうってわかったの。その上、魂がぬけたあっちのワタシの体はまた死んじゃって、元には戻れなかったのよ。ヒドくない?」
私は頷いた。言葉にできない状況だ。
「でね……。ワタシ、こっちに呼び寄せられるのって、これで二回目なんだよね」
(えぇえ?二度も?)
「うん、そう。一度目の時は、とにかく驚いて、何が何だかよく飲み込めないうちに新しい人生を始めたんだけど、こんなことが二回目ともなると、さすがにもう勘弁してほしいんだ」
(それは、そうかもしれませんね)
「今回、ワタシの魂を呼んだのが、ユーシスやユーシスの家族だったっていうのでビックリ。ワタシの元家族は、もうワタシがいないことを乗り越えて、魂を引き寄せるほど激しい思いは持っていないけど、しょっ中お墓には遊びに来てくれてるって天使様が言ってた。その方がよっぽど、健全だとワタシは思うのよね」
(はぁ、完全に同意です)
「もうそろそろ、忘れてもらっていいと思うんだよね。ユーシスがワタシのこと、ずっと大切に思ってくれるのは嬉しいけど、どう考えたってユーシスの言うワタシ、ワタシじゃないんだもん!そんな美化されても困る」
(おっしゃる通りですが、それで私に何を?)
「だから、どうすればこっちに二度と戻らなくて済むか、ケイティさんならわかるかなって。ケイティさん、なんとかしてくれない?」
(いえ、私に相談されても、私にできそうなことはもう、すでに試しました。私にできることはありません)
「でもユーシスの今の婚約者なんでしょ?ねぇ、ワタシ、こっちで一回、あっちで二回も、若くして死んじゃったの。その度に新しい人生をやり直しているんだけど、家族とも仲良くて、好きな人なんかも見つけて、これから進展しそう!って時にまた死んじゃう。一度死んじゃうと同じ人物に生き返れないから、その度にお別れで、辛くて怖くて痛い思いをするし、あっちの家族や友達も、その度に悲しませちゃうし。あんまりだと思うんだ。
でも天使様は生きてる人には干渉できないらしくって。天使様も、元の世界から呼ばれるなんて現象、初めてだって言って、こうやってワタシが生まれ変わりを待つ間、イロイロ手を尽くしてくれるの。で、ケイティさんとユーシスの夢の中に入れるようにしてもらえたってワケ。お願い、なにかいい手はないかな」
(ないんじゃないですか?)
「そんな。あなただって今の状況、なんとかしたいと思ってるんでしょ?」
(ユーシス様は、いつでも私とエミリー様を比べ、いかに私が不出来か、いかにユーシス様はご不満かをずっと言われ続けてきました。あなたにあやかれ、と、お墓にも何度も行ったことがございます。でも、どれだけ努力をしても、私があなたに並ぶ日は来ません。だってあなたはもう、いないんですもの)
エミリー様は顔を歪ませた後、しばらく俯いて、言った。
「それはなんというか……、気の毒ね。ごめんなさい」
(いえ、あなたが望んだことでは全くないことはわかっています。ですが、何度も恨めしく思ったことは事実です。あなたのご不幸に比べれば私の境遇などちっぽけですけれど、天使様の手違いとやらで不幸になったのは、あなただけではありません。ちっぽけと申しましたけど、あのユーシス様と一生、夫婦としてやっていかなければならないなんて、結構な不幸だと思うんですのよ。天使様方には、私にもドゲザをしていただかなければならないですわね)
エミリー様は私を見つめて、何度も力強く頷いた。
「それは、そうかもしれないわね。じゃあ、ユーシスに、もっとあなたを大切にするように言うわ。ワタシが言えばユーシスだってちょっとは……」
(おやめになったほうがいいと思います。今回、エミリー様が呼び戻されたのには、私たちの婚約破棄騒動が原因だと思うのです。
先日、ユーシス様の元にお邪魔しました折、ユーシス様がいつもの調子でしたので、これ以上の努力は不可能ですから婚約を解消したい旨を申し入れました。すると、ユーシス様とご両親は、三人して私を取り囲み、「そんなことを言うなんて」「エミリーならばこんな時、決してこんな行動はとらない」などと責め、おいおいと泣きながら、エミリー様に戻ってきてくれと懇願されていましたよ。
エミリー様がユーシス様に、私を大切にするよう言ったところで、あの方がどう反応するか目に見えるようです。「エミリー、なんて優しいんだ、やはり君は最高だ」「それに引き換えケイティ、君は……」そうして、エミリー様に戻ってきてくれと泣くのです)
「そ、それは困る。やっぱりなんとかしないと。それに、天使様たち、こんなことが続くのなら、そもそもの根源から正さなければならないって言ったの。何が起こるか、教えてくれなくて、怖くて……。あなたたちにだって、きっと影響があるわ。それは、イヤでしょう?」
泣き落としの次は、脅しか。私は色々なものへの怒りを覚えた。だがぐっと押し込め、考え続けた。
(……そうですね。では、こんなのはどうでしょうか)
エミリー様は、二、三度瞬きされると微笑んだ。ユーシス様がおっしゃる通り、それは美しい笑顔だった。
「ケイティ。昨夜、エミリーが夢に出てきたんだ……」
あれから少しして、ユーシス様が私を訪ねてきた。
「いつもの夢ですか?よかったですわね」
「それが、いつものエミリーの夢とは全く違ったんだ。エミリーはいつもの愛らしく可愛い十三歳のエミリーではなく、あれから成長すればきっとこんな風だろうと思えるような、美しく華やかな成人女性の姿で現れたんだ。そして僕に告げた。
「あなたがいつまでも嘆き悲しんでいては、ワタシは生まれ変わることができない。ワタシは愛し合う二人の元に生まれてきたいのだ」
……って。声すら美しかった。ともかく、エミリーが再び僕の元に戻ってくるには、君と愛し合う夫婦にならなければならないんだ。だから、君ともう一度、向き合いたい。エミリーが言う通り、君はエミリーではない。エミリーのように完璧でないのは仕方がない。お互い歩み寄りが大切だと思うんだ」
私は呆れて、ユーシス様をまじまじと眺めた。エミリー様が何をどう言ったのかは知らないが、それがどこをどうしたら、こんな話が出てくることになるのだ。エミリー様はもう、こちらに生まれ変わることはできないのに。
私がエミリー様に言ったのは、そんなことではなかった。ただ本当のことを告げてやればいいと言ったのに。
エミリー様はもう、ユーシス様を愛してはいないこと。ユーシス様ではない、別の「好きな人」ができて、進展しそうだったと言っていたではないか。
エミリー様は、ユーシス様が思い描くような天女のような理想の人物ではないこと。「美化されても困る」と言っていたではないか。
エミリー様は、生まれ変わってユーシス様のいない新しい人生を歩みたいと思っていること。「呼び戻さないでほしい」と言っていたではないか。
それがどうして、こんな話になる?
「つまりユーシス様は、エミリー様に娘として戻ってきてもらいたい、つまりは、その子供に会いたいだけなんですのよね?それで本当に、妻になる方を心から愛していると言えるのでしょうか?エミリー様は、「愛し合う二人の元に」と言われたのでしょう?娘より奥様を心から愛していないといけないのに、矛盾していませんか?」
ユーシス様は両手を握りしめて苦悩の表情を浮かべた。どうせ、エミリー以外を愛するなどできないが、エミリーと会うためなら仕方ないとでも考えているのだろう。それが矛盾しているというのですよ。
「それは、努力する……」
私はため息をついた。
「エミリー様は、「愛し合う夫婦のもとに」と言われたのでしょう?それは、あなたが私を愛するだけではダメなんですのよ?私もあなたを愛さなければならないのです。そして、それはかなり難しいと言わざるを得ません。私はあなたをこれっぽっちも愛していませんから」
ユーシス様は心底、驚いた顔をした。なぜそんなに驚くのか。
「少し考えればわかることではないですか?亡くなった想い人と比較され続けてきたのですよ。そんな方を愛せますか?」
ユーシス様はブルブルと震え出した。怒っているのだろう。
「こんな時、エミリーならば、僕に寄り添って……」
「ほら、また。また私をエミリー様と比べて。そんな方を愛するなんて、私には無理です。あなたは私に完璧を求めますが、それなら私だってあなたに完璧を求めます。私にもあなたを深く愛してほしいんでしょう?それなら私だって、全てにおいて完璧で、心優しく聡明で、美しく努力家な方がいいですわ。あなたはそんな人物ですか?違うでしょう?そんな超人、存在しないんです。あなたが考えるエミリー様は虚像です。あなたは自分に都合が良い理想像を勝手に作り上げているのです。私はそんな便利な女ではございませんので、あなたを愛することなど不可能なのです。エミリー様は、「愛し合う夫婦」と言われただけで、別にあなたと私との間にとは言われなかったのでしょう?どなたか別の方を探されては?」
ユーシス様は途中から、私の言葉など聞いていないようだった。真っ赤に怒って私に近付くと、拳を握って振り上げた。使用人たちが悲鳴をあげて駆け寄ってくる。
殴るなら殴れ。私は冷静にユーシス様を見返した。長年、言ってやりたかったことを投げつけたおかげで、全く怖くなかった。
使用人たちが私に覆いかぶさったり間に入ったりしたので、ユーシス様は拳を下ろした。そして肩で息をしていたが、やがて言った。
「……君がそんなに情のない、無礼な女だとは知らなかったよ。婚約は破棄させてもらう」
私は笑い出した。すれ違うにも程がある。修復不可能とは、このことだ。
「そうですね、ぜひそうしてくださいませ。私には荷が重すぎます。そして新しい婚約者には、自己犠牲の塊のような、夫を深く愛しているのに夫の最愛の生まれ変わりを産んでくれるような、かなり奇特な方をお探しになるとよろしいでしょう。もう私を、呼び戻さないでくださいませ。それでは、幸運をお祈りいたします」
私はドスドスと足音を立てて退出するユーシス様の背中を見ながら考えた。果たしてそんな女性を見つけることができるだろうか?無理に決まってる。それに、騙すとかなんとか、どうにかして結婚して娘が生まれたとする。それでユーシス様はどうするのだろう。エミリー様の生まれ変わり(とユーシス様が信じているだけ)とはいえ娘なのだ。できることは成長を助け誰かに嫁ぐのを見守るだけである。それでいいと思っているのだろうか。いや、想像するのも厭われるようなとんでもないことになりかねない。なぜそのことに思い至らないのだ。一方、ユーシス様は結婚せず、どこかの愛し合う夫婦にエミリー様が生まれ変わっていると信じて探し回る、という未来も見える。
どうであれ、ユーシス様に心の平穏は訪れそうにない。ざまみろと思う私は、悪い女でしょうかね?そうかも。もうそれでいいです。理想の完璧な人物には、到底なれません。
さて、しばらくして、ユーシス様と私は正式に婚約を解消した。おかげで私は、心穏やかな日々を過ごしている。ユーシス様は、あれから何度も婚約が破談になっていると聞いた。さもありなん。そのうち、評判の仲良し夫婦に生まれた女児を引き取りたいと申し入れていると噂になっている。あのね、深く愛し合う夫婦は、二人の愛の結晶を簡単に手放したりはしないものなんですよ、しかもあなたのような醜聞の絶えない男に。
こんなこともあるだろうと考えていたユーシス様の身の上だったが、その後、しばらくして、私も予想だにしないことが起こった。
ユーシス様が不慮の事故で亡くなったのだ。
衝撃から覚めた私は、色々考えた。
さてはユーシス様、またエミリー様を呼び戻したのではないか。三度目とか、エミリー様もお気の毒に。
そして天使様方は、「根源から正す」を実行したんだろう。つまり、こうなって考えると、エミリー様の「手違い」とは、不慮の事故で亡くなるのは本当はエミリー様でなくユーシス様で、根源から正されたユーシス様は本来の運命通りに不慮の事故で亡くなったのではないだろうか。
もしそれが本当なら、私が婚約していたのは、亡くなっていたはずが「手違い」で生き残った、もういないはずの人物で、私はその人の理想像とやらに振り回されたということになる。天使様のドゲザくらいでは済まない気がする。
ともあれ、恨みつらみの募る相手とはいえ、突然の不幸とは悲しいものだ。ユーシス様の魂に平穏あれ。エミリー様は、今度こそ生まれ変わった世界で天寿を全うできますように。そして、もう二度と「手違い」が起こらないことを、私は心から祈った。
いや手違いの責任者、出てこい!って、責任は作者か。どうもすみませんでした(ドゲザ)。
この作品の中では、あちらとこちらの世界の時間の流れは異なり、天使といえど時間を巻き戻すことはできないようです。そして本来の運命をたどっただけのユーシスは、エミリーのいる世界に生まれ変わることはできません。残念!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。