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彼女の前世がニホンジン? 2 聖妃二千年の愛  作者: さんかくひかる
8章 アタランテ(母の試練と門出)
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85 花婿の母

 春の日差しがアルゴス王宮前の広場に降り注ぐ。朝から群衆が詰めかけ、都は喧騒に満ちていた。

 王宮の門前には祭壇が設置され、重臣たちが厳かに取り囲む。十七年前の犠牲の儀式を思い起こさせるが、アトレウスが王となってから、過去のものとなった。


 この十七年、北部火山の噴火など、災害のたびに賢者たちは生贄を求めたが、アトレウスは断固拒否し、国を富ませ災害に備えた。

 ゴンドレシア大陸の二十国は七国にまとまり、大陸の三分の一をアルゴスが占めていた。


 祭壇は、犠牲の式のためではなく、アルゴス王第一王子イドメネウスと、前王メレアグロスの孫、クリュメネの婚礼のために置かれた。


「天におはす竜よ。若き二人に祝福を」


 賢者の長ランペイオスは、八十過ぎの老体をおして、杖を振り上げ祈りを捧げる。


 新郎イドメネウスは十五歳。貴族の男子ならそろそろ結婚する年齢だ。父親譲りの青い目と黄金の髪。王子は逞しい戦士となり、今、政にも携わっている。

 王子は月桂樹の冠を被り、緊張のためか顔をこわばらせている。

 

 新婦クリュメネはベールを深く被り俯いたままだ。

 若い花婿は指を震わせ、花嫁のベールをあげる。十九歳の花嫁はうっすら涙を浮かべていた。

 王妃アタランテは祝福の笑みを浮かべながらも、胸の痛みを覚える。


(小さなクリュメネが美しく育って……)


 幼い頃から可愛がってきた娘の成長は、二人の王女と同じように感慨深い。

 クリュメネはイドメネウスが生まれた時から、良い姉だった。

 幼馴染二人の結婚に、何も問題はないはずだ。しかしアタランテの気は晴れなかった。


 イドメネウスの前に、栗色の髪を編み込んだ少女がしゃがんだ。震える手で薔薇の冠を王子に捧げる。新郎の指と少女の指がかすかに触れた。その瞬間、少女と新郎の肩がこわばり、花嫁の顔がさっと青ざめた。アタランテは、若い三人の緊張と動揺を見逃さなかった。


 冠を捧げた少女は、厨房でよく働いている。

 花婿は少女の震えが写ったかのよう、薔薇の冠を震わせて花嫁に被せる。王アトレウスも重臣たちも満足そうに頷いた。

 しかし群衆の歓声の中、アタランテの心は晴れなかった。


(イドメネウスが愛しているのは、クリュメネではないのに!)


 息子の結婚式では、多くの母が我が子の誕生からこれまでを振り返る。

 アタランテも多くの母と同じだった。



 イドメネウスは三歳から、アトレウスの命で戦士の訓練を始めた。

 王妃は早すぎると反対したが、夫の決意は固かった。

 アタランテは赤子の王女アイトラを抱え、イドメネウスの訓練を見守った。指導者の戦士に「無理はさせないで」と頼み、子供が怪我をすれば、彼女は癒しの力で傷を治してやった。

 が、すぐにアトレウスに阻止される。


「イドメネウスが怪我をしてもお前の力は使うな。痛みを知らなければ、戦士にはなれない」


 母にできることは、過酷な訓練から戻る幼い息子を抱きしめ、湯に浸からせることだった。赤子のアイトラを侍女に任せ、王子の体をさすり寝かしつける。しばしばそのまま、息子と朝を迎えた。

 目覚めたアタランテは、アトレウスに「夜、あなたを迎えず眠ってしまい、申し訳ありません」と慌てて詫びる。

 男は優しく妻を背中をさする。


「着替えぐらいひとりでできるから、気にするな。お前こそ子供二人の世話で大変だろ? デイアネイラの母上に頼み、侍女を増やしてやろう」


「それこそ申し訳もありません。王宮の侍女たちは忙しいのに」


 夫は優しく妻を包み込んだ。



 イドメネウスは七歳となった。アタランテは王女ミュリネを産み、三人の母となった。

 ある日、息子がひどい怪我をして戻ってきた。目の周りのあざが痛々しい。いつもの訓練の怪我と様子が違う。息子に尋ねても「何でもない!」と突っぱねられる。

 アトレウスに尋ねても「そのうち自分でなんとかするだろ」と、取り合わない。


 母はこっそりイドメネウスの後を着けた。息子は幼いなりに槍を器用に回している。

 が、指導者が去った後、イドメネウスは十人の少年たちに囲まれ、王宮の裏手に連れていかれた。

 少年たちは「偉そうにするんじゃねえ」と悪態をつき、寄ってたかって足蹴にした。

 アタランテは耐えきれずその場に躍り出る。


「げっ! 王妃様!」


 少年たちは顔を見合わせ逃げようとする。が、王妃は緑色の眼を輝かせ、我が子に暴行を加えた者をにらみつける。途端、少年たちの動きが止まり、その場に崩れる。


「年上の者たちが徒党を組んで、幼い子に乱暴狼藉とは、それでもアルゴスの戦士か!」


 少年戦士は「うわああ」「やめてええ」と首をかきむしる。

 イドメネウスがフラフラと立ち上がり、アタランテの元に駆け付け、しがみ付いた。


「母上、恥ずかしい! やめて!」


 はっとアタランテは顔を上げた。年若の見習い戦士たちが、のたうち回っている。

 少年たちは「助けて~!」と走り去った。

 アタランテは「可哀想に!」我が子をひしと抱きしめる。

 が、愛しい息子は抵抗して母の腕を振りほどく。子供は瞬く間にアタランテの前から消え去った。


 少年は食堂に顔を出さず引きこもる。アタランテは共にパンとチーズを持ってイドメネウスの部屋を訪ねた。

 母は、寝台でうずくまる息子の背中をそっとなでた。しかし息子は「触るな!」と身を震わせる。

 後から来たアトレウスは、強引に息子を立たせ、頬を叩いた。アタランテは「やめて!」と夫の腕を押さえるが、振り払われる。


「お前を案ずる母になんという態度だ! 今すぐ詫びろ!」


 息子は渋々と「母上、申し訳ありません」と頭を垂れる。

 父は容赦なく畳みかけた。


「王宮の外には、もっと凶悪な敵が待っているぞ」


 子供は力なく「は、はい父上……」と項垂れるだけだった。


 その夜、アトレウスは王妃に冷たく言い放った。


「俺はお前に、王宮では心を操る力を使うなと言ったはずだ。お前はこれ以上、関わるな」


 男の青い双眸に見つめられる。王者の事業を継ぐものを育てるには、妥協は許されないのだろう。アタランテは黙って受け入れた。



 王妃の力を恐れてか、息子は青あざを作って帰ることはなくなった。が、以前にも増して顔色が悪く俯き、笑わない。

 アタランテはどうしても気になり、息子を陰からそっと見守る。指導が終わると、前と同じように少年たちに取り囲まれる。


「お前、今でも母ちゃんのおっぱいしゃぶってるんだろ?」

「王妃様にチクリやがって卑怯もの」


 少年たちは肉体の暴力をやめた。そのかわり言葉の力で幼い子を責め苛む。


(私の力が、かえってあの子を苦しめてしまった)


 物陰で母として気を揉んでいると、風が通り抜けた。


「卑怯者はあんたたちよ!」


 黒髪の勇ましい少女が躍り出て、少年たちの輪に入っていった。


「げっ! クリュメネじゃねーか」「やばいやばい」


 王子を言葉で傷つけた者たちは、一目散に去っていった。

 アタランテが幼い頃から親しんできた少女クリュメネは、王子に口を尖らせる。


「やられっぱなしじゃ駄目じゃない! 未来の旦那さんがこれじゃ、私、困るの!」


「うるさい! 僕はお前なんかごめんだ!」


 子供は顔を真っ赤にして走り去り、あっという間に消えてしまった。

 アタランテは少女の元に駆け寄る。


「ごめんなさい。イドメネウスがひどいことを言って。クリュメネ、ありがとう」


「いいえ、王妃様。だって私、イドメネウスを守らないと……」


 クリュメネはまっすぐな黒髪をたなびかせて微笑む。少女は十一歳になった。美しく成長した。もう幼子ではない。


「私はお母様……デイアネイラ様に、クリュメネをお嫁さんに迎えたいと言ったけど、そんなことを気にしなくていいのよ」


 クリュメネの顔からさっと笑顔が消える。


「アタランテ様、私は王子様の妃に相応しくないのですか?」


 王妃は言葉の選択を後悔する。クリュメネを抱きしめた。


「違うわ。あの子はまだ子供よ。結婚を押し付けたくないの。他に好きな人が現れたら教えてほしいの。クリュメネが誰を選んでも、私にとっては大切な娘よ」


 アタランテは身を離して微笑んだ。


「私は、両親に幼馴染との結婚を勧められたの。でも十八の時、アトレウス様に出会って変わったのよ」


 クリュメネも王妃に微笑み返す。


「おばあさまがいつも言ってます。王様と王妃様の仲が良くてうらやましいって」


 夫と結婚してそろそろ十年になる。母メロペは『あの手のいい男は、一人の女じゃ満足しないよ』と警告したが、今にいたるまで親密な女性はいない。夜は必ずアタランテの元で休む。息子への厳しさも、跡継ぎを育てるために必要なこと。


(私は、あの人の妻になるために生まれたのよ)



 数日後、イドメネウスの様子が変わった。俯くことなく静かに前を向いている。アタランテが「訓練は大丈夫?」と聞いても、答えてくれない。

 またこっそりと訓練場に覗きにいった。訓練の後少年たちは、イドメネウスを囲み「お前、今日の突き、カッコよかったなあ」と媚びを売っている。幼い王子はそれらの媚びに反応することなく、槍の手入れに忙しい。

 王妃は少年たちが去った後、指導の戦士に何があったか尋ねた。


「私も王様から、王子様がいじめられても助けるなって、言われてたんで……イドメネウス様、あいつらを自分で掘った落とし穴にはめたんですよ」


 王妃は何も返せなかった。



 その夜アタランテはアトレウスに、イドメネウスの仕返しの件を知らせた。


「聞いている。なかなかやるな」


 男は嬉しそうに笑った。


「そ、そうですか? でも……乱暴な子になったら……」


「言っただろ? 王宮の外には、凶悪な敵が待っていると」


 もうすぐ十年になる結婚生活で、アトレウスは何度も戦ってきた。政情が不安定な隣国に干渉し、時には出兵して国を支配下に置く。アルゴスの領地は拡大していった。


「それより疲れた……休ませてくれ」


 男は妻を引き寄せ、唇を重ねた。

 温かな腕の中、アタランテの戸惑いは消え、何も考えられなくなった。


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