82 星の光の剣
ヒッポメネスの反乱に勝利した戦士たちは、捕らえた魔法使いを連れて都に進む。
アルゴス王と王妃も、帰都の支度のため、小屋に戻った。
前王メレアグロスは、アトレウスの顔を見るなり、縋り付いた。
「お前の言う通りにしたぞ! 王宮に戻してくれるんだろうな!?」
アトレウスは意地悪そうな笑みを浮かべ、アタランテをチラリと見た。
「ああ、約束は守る。このような騒ぎを起こさなければな」
アタランテは呆れ顔で、夫と元の王を見比べる。メレアグロスが、魔法使いたちの前でアトレウスを讃えたのは、交換条件だったようだ。
「わしは本当になにも知らなかった! 大人しく荒れ地の岩を除けておったわ」
「そのようだな……」
アトレウスは、立て掛けてある赤金の鋤を取り、じっと見つめた。
「刃がこぼれている。真面目に開墾していたんだな」
「魔力を失ったわしには、他にやることはないからな」
若き王は鋤を見つめ、元の壁に立て掛けた。
「では戻るか。メレアグロス殿。王宮では好きにしていいが、アタランテに手を出したら、地獄に落としてやるからな」
王はアタランテを強く抱き寄せ、メレアグロスを睨んだ。元の王は首を振る。
「魔力と共に、そんな気は失せたわ……今はただ、一目でも……」
初老の男は肩を落とす。その様子はいかにも哀れで、強引にアタランテを妃にしようとした王の面影はなかった。
車は、都を目指して進む。アタランテは傍らの夫に口を尖らせた。
「王様が御者を務めなくてもいいのに」
アトレウスは器用に手綱を捌き、馬を進める。
「俺が御者をしないとあんたと同じ車に乗れないだろ? そうだ。三人乗りの車を作るか。馬は御者に任せて、俺はあんたと楽しく遊ぶ」
「もう、変なことばっかり……あ、ごめんなさい! 止めて!」
「おい! どうした!?」
アトレウスは慌てて手綱を引き、車を止める。アタランテは突然の吐き気に襲われ、車から降りて茂みにうずくまった。
夫は妻の背中をさすった。
後ろで見守っていたキュニスカが駆け付ける。
「実は、デイアネイラ様が気にかけてらして……その……」
女護衛は、咳払いをする。
「アタランテ様、お子を身籠られたのでは?」
アトレウスは顔を真っ赤にして「なんで無茶をするんだ!」と叫び、キュニスカを「知ってたなら止めろ!」と睨んだ。
王宮への帰り道は、口うるさいアトレウスに代わって、キュニスカがアタランテの御者を務めた。
「アタランテ様、お伝えしなくて大変申し訳ございません」
「ううん。私、もし赤ちゃんのこと知っても、助けに行ったわ。ありがとう、気を使ってくれて」
今思えば、月のものが止まり、食が細くなった。が、戦支度に揺れる王宮の雰囲気に呑まれ、気づかなかった。あれほど子供を心待ちにしていたのに。
「ごめんね。私、ひどいお母さんだわ。どうしてもお父さんを助けたかったの。許してね」
車の振動に揺られ、アタランテはまだ変わらない腹をそっと撫でた。
アトレウスは意気揚々と都に戻り、王宮に凱旋する。
中庭で、デイアネイラがアタランテに駆け寄った。
「無事に戻って良かったわ。具合は悪くない?」
「ありがとうございます。あ……」
デイアネイラの隣には、クリュメネの母ペリポイアが赤子を抱いて寄り添っている。クリュメネは、その太ももにしがみついていた。
「私、ペリポイア様のご出産のときは、クリュメネちゃんをお預かりすると言ったのにすみません」
アタランテは、赤子の顔をのぞきこみ、頬を軽く突く。しゃがみ込んで、クリュメネの頭を撫でた。
「クリュメネはお姉さんになったのね」
「うん、アタさまは、おかあさんになるんでしょ? ばばさまが、おしえてくれた!」
「えっ!」
デイアネイラの顔を見上げると、思わせぶりに微笑んでいる。
「そうね。お母さんになれるといいな。赤ちゃんが生まれたら、クリュメネ、遊んでくれる?」
「うん、ひみつしよ!」
笑いあう女たちに、初老のメレアグロスが割り込み切り出した。
「お前……元気そうじゃな……」
初老の男はデイアネイラに細い腕を伸ばすが、男の妻は顔を背ける。
「あたくし、下がらせていただきますわ」
女はキトンを翻し、渡り廊下に去っていった。
肩を落とすメレアグロスに、クリュメネが「じじさま~」とすり寄る。
娘のペリポイアも「お父様、お久しぶりです」と、涙を浮かべる。と、幼女がアタランテに首を傾けた。
「アタさま。じじさまに、ひみつしちゃだめ?」
アタランテは顔を輝かせる。
「ええ、おじいさまにひみつ、教えてあげて」
王妃は幼女の母に目配せをする。心得たとばかりにペリポイアは子供二人を連れ、老いた父に微笑んだ。
男は背中を震わせる。
「お前たちに会えた……それだけでいい……」
メレアグロスは孫娘の手を引き、ペリポイアと裏庭の茂みに消えていった。
玉座の間で、王と王妃が並んで座り、重臣たちがテーブルに着く。
戦士の長エケモスが「アトレウス様。私は信じてましたよ」と立ち上がり、張り付いた笑顔で王の手を握りしめる。
賢者の長ランペイオスは「王の衣に竜の娘の力が込められていたとは、魔法の賜物ですな」と、感嘆する。
アタランテは顔を曇らせた。
(アトレウス様を見捨てた癖に、帰ったらこの態度の変わりよう! なんなの!)
王妃として口を挟みたくなるが、なんとか堪える。
ランペイオスが目を細め「これからは魔法を侮ることなく慎重になされよ」と付け加えた。
アトレウスは機嫌がいいことこの上ない。
「そうだな。私も二度と炎に巻かれたくない。アタランテの衣のお陰とはいえ、なかなか熱かった。今でも身体中がヒリヒリする。そこで、だ」
王は立ち上がり、テーブルの周りを歩き出す。
「二度と反逆させないよう、各地の村に王宮から人を派遣し見守らせる。それぐらい、いいだろ?」
アトレウスの言葉に、ランペイオスは眉を寄せるも押し黙る。
「今回の勝利は全て私の妃、アタランテの力だ。しかし今、妃は一人の体ではない。戦には巻き込めない」
アトレウスはエケモスの背後に回る。
「これからの戦いは、私の力で成し遂げねばならぬ。もっと強い力がほしい」
王は、戦士の長の肩を叩いた。
「お前の家に代々伝わる黒鉄の剣を貸してくれないか? 私を信じると言ったな?」
アタランテは首を傾げた。
「黒鉄の剣? あれは特別な剣で、私のティリンス村にも一振りしかないわ」
武器も農具も赤金で作るのが常だ。黒鉄の剣は、星の光が落とした竜の石に魔力を注ぎ込んで作られる。ティリンス村では主に儀式の獣を天に捧げるために使われた。
王宮では、エケモスや前王の王子たちなど、ごく一部の貴族が所持している。
アトレウスは元の身分が低いため、赤金の剣で戦っていた。
「アタランテ。今までの王は魔法使いだったから、剣が必要なかった。黒鉄の剣は、戦士である私に相応しいと思わないか?」
「ええ、アルゴスでアトレウス様ほど黒鉄の剣が似合う方は、いらっしゃいませんわ」
王と王妃の二人にじっと見つめられたエケモスは唇を噛み、腰の剣を鞘ごと外した。アトレウスの足元にひざまずき、剣を掲げる。
「では貸すとは言わず、私の剣を差し上げますよ」
「ありがたい! 俺がエケモス殿に引き取られたときから憧れてた黒鉄の剣か……」
アトレウスは、おもちゃを与えられた赤子のように剣を振り回す。
「この黒鉄なら、炎の竜も倒せる! エケモス。剣だけでなく、黒鉄で鋤や鍬も作れば、荒れ地もあっという間に耕せるぞ」
「王よ。竜の石は貴重なんで、民の農作業に回す分はありませんって」
「ではアルゴス中の民に命じて、竜の石を見つけさせよう」
「いいえ! 竜の石は、私らの一族でなければ見つけられません!」
睨み合う二人に、ランペイオスが杖を握りしめて割り込む。
「黒鉄の剣は魔法の結晶。民に広めれば、魔法の価値が貶められます」
「そうか、エケモス一族の力と魔法が必要か……わかった。これからも私を助けてくれ」
アトレウスは、黒鉄の剣を高く掲げた。
「エケモス様もランペイオス様も、あなたをなんだと思っているかしら!」
若い王妃は、寝床に当たり散らすように、羊毛を敷き詰める。
「アタランテ、気にするな。腹の子に悪いぞ。あんたのお陰で、民を虐げる村長がいないか調べられるようになったし、念願の剣も手に入った」
アトレウスは寝台に腰かけた王妃の額に唇を寄せる。
「エケモス様は竜の石を独り占めにして渡す気がないのね。ランペイオス様も渋い顔だったわ」
「誰だって自分の技は教えたくないもんさ……俺ができなければ、こいつに任せるよ」
男は妻の隣に座る。小さな肩を抱き寄せ、まだ膨らみが目立たない女の腹部にそっと触れた。




