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81 言葉の力

 北の森では火の竜が暴れたにもかかわらず、幸いにも火事が起きなかった。

 敵も味方も、荒れ地の奴隷小屋の前に集まり、裁きを待つ。


 裁く側の二人は、小屋の裏手の茂みで揉めていた。

 アタランテは、草むらに横たわるアトレウスの上で甕をひっくり返し、思いっきり水をかけた。


「お、おい……もう少し丁寧に……そうだ、あんたの魔法で治してくれよ」


 男は妻の小さな手を取るが、ピシャリとはねられた。


「火傷にはこれが一番効くんです! キュニスカに水を用意してもらって良かった」


 アトレウスは「やれやれ」と身を起こし、傍らの青色の布を手に取って見つめる。


「あんたは本当に竜の娘なんだな……こいつのお陰で俺は命拾いをしたよ」


 炎の竜から男を守った布地は焦げることなく青く輝き、金糸の薔薇はほつれ糸すら見られない。

 男はそのまま青い布を体に巻き付けた。女が薔薇のブローチで布を止める。王者は風格を取り戻した。

 茂みを踏み抜く音に、二人は振り返った。


「仲良くやってんだな。良かった良かった」


 ローブを羽織り杖を手にした中年男が現れた。アタランテの父、タラオスだった。


「え! お父さん、どうして? ま、まさか……」


 村長たちの反逆に、ティリンス村の長として加担したのかと、娘の顔が青ざめる。

 が、アトレウスの顔は晴れやかだ。


「お父上、お陰様で、助かりました」


「本当はアトレウス様の元、術師として戦うべきでしたが、お許しください」


「いやいや、お父上に怪我でもさせたら、アタランテが悲しみます」


 王妃は二人を見比べる。

 ポカンと緑色の眼を丸くする妻の疑問に、夫が答える。


「魔法使いの反逆は、お父上が知らせてくれた」


 ティリンス村の長タラオスは王妃の父なので、反逆の誘いはなかったが、事情を察知した彼は密かに王に知らせ、荒れ地の小屋に忍び込んだ。

 戦いの場には出なかったが、王に魔法攻撃について助言した。


「お父上は、優れた術師は風に逆らい火を操ると、教えてくれたんだ」


 そこでアトレウスは、人の意志で動く火なら避けられると考えた。火に襲われる直前でかわし、術者の魔力が切れるまで逃げればよい、と。


「な、何考えてるの! あなたは王様なのよ! 自分を大切にしなさい!」


 若い夫婦の諍いに、父親が割り込む。


「おいおいアタランテ。王様に失礼だろう」


「父上、アタランテはこれでいいんです」


 夫は、頬を膨らます若妻の頭を撫でて宥めるも、きっと口を結んだ


「では、そろそろ始めるか」


 男は妻の父と顔を見合わせ頷く。

 村長である百人の魔法使いを束ねた男は、若き術者ヒッポメネス。

 アタランテは、森の上空で踊る火の竜を見た時から、ヒッポメネスの影を感じていた。

 風に逆らい完璧に火を操れる魔法使いは、数少ない。あの火の竜は、ヒッポメネスが生贄の儀式で披露した竜に形も動きもよく似ていた。

 結婚も考えた幼馴染の裏切りが、王妃の心に重くのしかかる。


「アタランテ、あんたはここで待ってるんだ」


 アトレウスは妻の気持ちを察したのか、背中を撫でた。


「いいえ……行きましょう」


 逃げたい。しかし王に反逆した男が幼馴染だからこそ、逃げてはいけない。

 三人は小屋をまわり、勝利した戦士たちと囚われた魔法使いたちの前に姿を見せた。


 キュニスカが凛とした声を張り上げる。


「王様! 全てはこの者の仕業です!」


 彼女の足元には、縛られたヒッポメネスが転がされている。

 女戦士は滔々と顛末を語った。


 ティリンス村から行方を眩ませていたヒッポメネスは、村々をまわる。村長たちに、前王メレアグロスが、王位を取り戻したいと各地の村長たちに救いを求めている、と説得する。新王アトレウスの干渉に辟易した村長は、協力してメレアグロスの元への集結を誓った。


 アトレウスが疑問を投げる。


「俺に腹立つ気持ちはわかるが、村長たちは、よくそんな話を信じたな」


 キュニスカは、小さな布の包みをアトレウスに手渡した。


「こちらです。ヒッポメネスの荷袋に入っていました」


 アトレウスは手のひらに載せ、無造作に包みを開く。


「なんだこれは?」


 王は首を傾げるが、王妃は「ああっ!」と声を上げる。


「あれはあのとき、メレアグロス様がヒッポメネスに渡した……」


 アトレウスの大きな手のひらで、黄金の盃が陽光を反射して煌めいていた。

 女戦士は忌ま忌ましく吐き捨てる。


「酒杯には確かにメレアグロスの印が刻まれてます」


 青い双眸が酒杯の底に注がれた。「なるほどな」とアトレウスはつまらなそうに頷き、うずくまるヒッポメネスの顎を持ち上げた。


「俺を殺すのはともかく、嘘ついて他の魔法使いを巻き込むのは、感心せんが」


 ヒッポメネスは灰色の眼で王を睨み付けた。


「嘘ではない! 僕は、メレアグロス様の気持ちを推し量って動いただけ!」


 アトレウスはキュニスカに目配せを送る。女戦士は心得たと、小屋の戸を開く。

 戦士に両脇を抱えられた前王メレアグロスが現れた。


「おお」「なんとおいたわしい」と、縛られた魔法使いたちが口々に哀れむ。

 元々彼は年齢より老いて見えやせ細っていたが、粗末なキトンから伸びる枯れ枝のような手足は、群衆の哀れを誘う。

 アトレウスは前王に微笑みかけた。


「さて、メレアグロス殿。貴殿の気持ちを聞かせてくれないか」


 前王は声を振り絞った。


「あ、アトレウス……さ……様こそ真の王である……決して反逆などしてはならぬ……みな……よく仕えるのじゃ」


 他の魔法使いたちは「な、なんだと」「騙されたのか」と騒めく。ヒッポメネスは「そ、そんなメレアグロス様! 嘘だ!」と狼狽えるばかり。

 アトレウスは微笑みを絶やさず、メレアグロスに黄金の盃を見せつけた。


「ところでこの酒杯がヒッポメネスの荷物から出てきたのですが」


 前王は「よ、よく覚えておらん。アトレウス様の好きにするがいい」と首を振るばかり。

 アトレウスは「では、ヒッポメネスの処遇も好きにしてよいということで」と群衆に向き直る。


「待ってくださらんか!」


 割り込んだのは王妃の父、ティリンス村の長だった。


「王よ! ヒッポメネスは我がティリンス村の者。俺にその身を預けてもらえませんか? 俺が生きているうちは、こいつは決して村から出しませんので」


「お父上……いやタラオス殿はこの件では大変世話になった。全ては任せよう」


 タラオスは王に感謝を伝え、杖を地面に置き、人々に呼びかけた。


「こいつの杖はどこだ!?」


 キュニスカが、長い曲がりくねった樫の長い枝をタラオスに渡す。村長は額に汗を滲ませ杖をへし折った。


「村長、僕の杖が!」


 魔法使いの若者が、縛られたまま村長に縋る。が、タラオスは若者を蹴とばした。


「ヒッポメネス! 俺の生きているうちは、お前に魔法は使わせん!!」


「村長! 僕から魔法を取らないでください! 僕はただ、アタランテを、アタランテを……」


 切ない声で名を呼ばれた女は、身を震わせた。

 魔法使いたちの反逆は、アタランテがヒッポメネスに曖昧な態度を取ったためなのか? 自分がヒッポメネスと結婚すれば、この戦いは起きず、アトレウスや戦士たちが危険な目に合わなくて済んだのか?


「あ……私は……」


 口を開きかけたアタランテの前に、アトレウスが庇うように立った。

 アトレウスはもの言いたげなヒッポメネスを無視し、捕らえた魔法使いたちを見据えた。王者の微笑を湛えて。


「アルゴスの魔法使いたちよ! 私はお前たちを嬉しく思う!」


 戦士たちも魔法使いたちも戸惑い顔を見合わせた。ざわめきが荒れ地を駆け抜ける。


「これまで人は、竜が選んだ王を何も考えずただ崇めた。しかしお前たちは私を王と認めず、メレアグロスを選ぼうとした。素晴らしいことじゃないか! 人が竜に頼らず、自分たちで王を選ぼうとしたのだ!」


 ざわめきが治まり、魔法使いたちの眼に驚きと敬意が宿る。


「この私に不満があるなら、いつでもかかってこい! 待っているぞ! ただし」


 アトレウスはアタランテの肩を抱き寄せる。


「アタランテは私のものだ! 王位はくれてやっても、この女は絶対に渡さんぞ!」


 寄り添う王と王妃に「アルゴスの王よ!」「アトレウス様!」と、戦士たちが叫ぶ。敵だった魔法使いたちも、ためらいながら声を重ねる。

 ヒッポメネスは力なく項垂れた。


(この人……私のように「力」を使っていないのに、言葉だけの力で、人の心を憎しみから尊敬に変えた)


 アタランテは傍らの夫を見つめるばかりだった。



 縛られた魔法使いたちは、戦士たちに引かれ都に向かう。

 ヒッポメネスはアタランテの父タラオスに引きずられる。

 アタランテは去り行く幼馴染に呼びかけた。


「ヒッポメネスは、すごく頼りになる私のお兄さんだったよ」


「兄ね……だから君は僕ではなく、あの男を選んだのか。いかにも女たちが好きそうな王宮の戦士を」


 ティリンス村生まれの若い女は、頷くしかない。


「あ、あの……ヒッポメネスは、豚飼いのお父さんとお母さんをよく手伝っていたよね。魔法がなくたって、ヒッポメネスはヒッポメネスだよ」


 兄とも慕った幼馴染は悲し気に微笑み、村長に引きずられていった。


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