78 王妃立つ
アルゴスの若き王妃は、王が消えた後、群臣に呼びかける。
「アトレウス様は戦を起こすつもりなのですか?」
戦士の長エケモスが笑いかけた。
「なにを大げさな。ここは私らに任せて、王妃様は休んでください」
エケモスが武骨な手を差し伸べるが、アタランテはピシャリと叩く。
「この一月、見知らぬ商人が出入りし、鍛冶職人も機織り女たちも部屋に籠もりきり。旅の荷に布がかぶせてあったけど、金属の音がした……武器や盾を積んだのでしょう?」
戦士の長はなおも手を揉むが、賢者の長が杖を掲げた。
「王妃様に全てを明かすべきだ!」
エケモスは「まあまあ、ランペイオス殿」とニヤリと笑い、デイアネイラは「王妃様を煩わせてはいけませんわ」と食い下がる。
アタランテは拳を握り、不敵に笑った。
「私は、アトレウス様のお考えを妻として知りたいのです。みなさん、私の力はご存知ですよね?」
重臣たちは顔を見合わせ、頷く。竜の娘は緑色の眼を輝かせ、場にいる者の心を操るのだ。
一同は玉座の間に移り、王妃に仔細を明かすこととした。
重臣たちはテーブルを囲む。アタランテは、数えるほどしか座ったことのない王妃の座に着く。
エケモスが口火を開いた。
「王妃様、アトレウス様はただ、魔法使いと力試しをしたいって出かけただけですよ」
ランペイオスが割り込んだ。
「そんなものではない! そもそもアトレウス様の軽挙から始まったのだ」
賢者の長は立ち、杖をついて場を練り歩いた。
アトレウスは即位してすぐ、アルゴスの村々を訪ね、農地の実態を調べだした。アタランテの父が村長を務めるティリンス村をはじめ、協力的な村もあったが、ほとんどの村が反発した。村の収穫物の一部は都に税として納められるが、多くの村が収量を偽り、少なく納めている。
メレアグロスは、自身が贅沢に暮らせれば満足したので、多くの村が美女や若者を王に献上し、歓心を買っていた。
メレアグロスは王宮内では富を独占し、賢者や戦士を侮る王であったが、村長たちにはむしろ、ありがたい王だった。村長が民からどれほど農作物を搾取しても咎められないのだから。
しかしアトレウスは、村長の搾取を正そうと干渉した。
村長は、みな魔法使いだ。無名の戦士アトレウスが王として君臨するなど、誇り高い魔法使いには耐えられない。
アトレウスは従わない村長に「なら私と貴殿のどちらが強いか勝負しよう」と持ちかけた。
たとえ魔法使いでも、一対一の勝負ではアルゴス一の戦士には敵わない。彼らは屈辱のうちにアトレウスに従わされた。
「それでアトレウス様は、いつも怪我をして戻ってきたのね」
彼が魔法使いを戦士として育てたのも、従わない魔法使いに対抗するためだったのか。
アタランテは王妃の座を立ち、ランペイオスに近づく。
「王妃様! 私は何度も慎重にと申し上げました。なのに王は、自分の力がわかれば、反抗的な村も従うだろうと……あの方には、魔法使いの誇りがわからないのです!」
アタランテは緑色の眼を歪ませる。
「魔法使いの誇り? 魔法は生まれながら備わる力で、努力や人柄とは関係ありません。己の幸せに驕る魔法使いより、日々体を鍛える戦士の方がずっと尊いわ……すみません。続けてください」
賢者の長は咳払いをした。
「こちらこそ失礼。ともあれ辺境の村長である魔法使いたちは、前のメレアグロスの方が良かったと、メレアグロスが奴隷たちと開墾している荒れ地に集まったのです。百人ほどかと」
王妃は唾を飲み込んだ。
「百人の村長は王宮に乗り込み、メレアグロス様を復位させるつもりなの?」
「アトレウス様は、先にメレアグロスのもとに乗り込めばいいと、おっしゃいました」
「まさかアトレウス様は、百人の魔法使いと戦うつもり?」
「私は止めましたよ! ですがあの方は、誇り高い魔法使いなら、寄ってたかって襲いかかることはしないだろうと」
アタランテはわが身を震わせる。
「馬鹿な! 三十人の戦士だけでは、どうにもならないわ! 今からでも戦士と魔法使いを行かせて!」
しかし、ランペイオスは頑として首を縦に振らない。
「竜から託されたこの力で、人を殺めるわけには参りません。まして同じ魔法使いにこの力をぶつけるなど」
「あなたは王に仕える賢者の長なのに、王を見殺しにするの!?」
老人は杖を王妃に突きつけた。
「こちらが言いたい。あなたはなぜあの愚かな奴隷上がりを王に選んだ!」
「ランペイオス様! お言葉ですが、私は夫を選んだだけ。王を選んだのは竜です」
「まったく……あの方はお調子者の美男子で、若い娘なら惹かれよう。しかし、なぜあなたはその辺の娘と同じ軽薄な選択をした! 竜の娘の自覚がないのか!」
王妃は唇を噛み締めた。女が愛する男を夫に選ぶ。当たり前の行為なのに、なぜ責められなければならない?
「まあまあ熱くならずに。お二人とも」
黙っていたエケモスが割り込んだ。
「エケモス様、ランペイオス様はどうにもなりません。だから、あなたにお願いします。戦士たちをあと百人、アトレウス様のもとに行かせましょう」
戦士の長は笑顔を崩さず首を振った。
「大丈夫ですって。アトレウスが死んだら、竜は別の王を立てるだけです」
王妃は我が耳を疑う。
エケモスは顔色を変えず続けた。
「誰が王になっても、私らがアルゴス王宮を守りますから」
「待って……アトレウス様が子供の時、盗賊に襲われたあなたを助けた縁があって、あなたは姉君デイアネイラ様と共に、アトレウス様を我が子のように可愛がったのでしょう?」
「もう少し物分かりのいい男だと思ってたんだが、王になった途端、みんな勘違いしやがる……アルゴスを支えるのは王じゃない。私らの一族なのに」
ランペイオスが杖を突く。
「それは同意しないが、私もアトレウス様には失望した。もっと我々魔法使いを尊重してくれる方と思ったのに」
アタランテはブルネットの巻き毛に指を滑り込ませ、頭を巡らせる。
ランペイオスもエケモスも、アトレウスの即位を歓迎していた。
しかし彼らは、政を知らぬ奴隷上がりの戦士なら、重臣たちの言いなりになると思っただけなのか? アトレウスの能力や人柄を認めたわけではなかったのか?
身震いが止まらない。
政には干渉しないと決めた。竜の娘の力を封印した。王宮の采配は、全て前の王妃に託した。
ただの普通の女として夫に仕え、糸を紡ぎ、機を織った。
しかし。
夫が死んでしまっては、意味がないのだ。
「もういい……私ひとりで行きます」
アタランテは群臣に宣言した。
玉座の間を去ろうとする王妃を、ランペイオスが引き留める。
「王妃様! 御身を大切にしてください! 万が一のことがあったら、あなたが次に選んだ男が、王になるかもしれませんぞ」
「気持ち悪いこと言わないで! 私の夫はあの人だけよ!」
賢者の長を振り切るアタランテを、戦士の長が引き留めた。
エケモスは「王妃様、女一人では北の荒れ地にたどり着けませんって」と宥める。
アタランテの眼が光を帯びた瞬間。
「いいえ! 私がおります」
王妃の護衛キュニスカが名乗り出た。
「キュニスカ! でも、ランペイオス様もエケモス様も反対しているのよ」
「私の役目はあなたを守ることです。どうせあなたは私が止めても、不思議な力で王宮を脱出するんでしょう?」
女戦士がいたずらっぽく微笑む。
「みんなに声をかけましょう。アトレウス様に恩義を感じる若者はたくさんいます」
二人は重臣たちが引き留める声を無視し、玉座の間を飛び出した。
中庭でアタランテとキュニスカは、アトレウス救出を呼びかける。女たちが賛同し、荷造りを始めた。若い戦士たちが駆け付け、百人ほどの所帯となった。
集まった若者たちに、キュニスカが呼びかける。
「私と王妃様ほか十人は先に出るが、残りの者は小さな班に分かれて宮を出発してください」
アタランテが後に続く。
「みんな、ありがとうね。力を合わせて、アトレウス様を王宮に連れて帰りましょう!」
戦士だけではなく、革の胸当てを着けた魔法使いが十人、加わった。アタランテは彼らを気遣う。
「魔法使いが来てくれると助かるけど、ランペイオス様に叱られない?」
若者たちは顔を崩す。
「私たち、ランペイオス様に言われたんです。アタランテ様を守るように」
眉を寄せると、中庭に賢者の長が現れた。
「アタランテ様……何度も申し上げますが、御身を大切に」
王妃は「お気遣い、感謝いたします」と儀礼的に頭を下げる。この老人が守りたいのは、アトレウスの妻ではなく、竜の娘の力なのだろう。それでも、魔法戦士を寄越してくれるのはありがたい。
アタランテは車に乗り込んだ。キュニスカが御者を務める。
前の王妃デイアネイラが見送りに現れた。
「あなたはもしかすると今……いえ……どうか体に気をつけて。キュニスカ、アタランテ様を守るのよ」
女戦士は力強く頷くも、デイアネイラの顔色は冴えない。
無理もない。前王が今の王と対決となれば、たとえ王宮を支えてきた一族とて、立場は危うくなる。元夫に愛はなくとも、その身が危ういとなれば、気が沈むのも無理はない。
王妃は、ぎこちない微笑みを見せる。
「私、儀式のたびにいつも、お母様からお褒めの言葉をいただきました。この力で、アトレウス様も、メレアグロス様も守ります」
贄の儀式でアタランテは、群衆の心を宥めてきた。あの儀式を繰り返さないため、今、立つ。
一行は、北の荒れ地を目指す。
(余計なことするなって、あの人に叱られるわね。妻でいられなくなるかも。それでも……)
刈り取ったばかりの小麦畑に、暖かな風が吹き抜けた。




