71 決意
玉座の間で抱き合う若い二人の前に現れたのは――よりによってアタランテの両親だった。
「嫁入り前の娘が、なにやっとる!」
ティリンス村の長タラオスの怒声が石壁に響き、アタランテとアトレウスは弾かれたように身を離す。だが、もう遅い。
タラオスが大股で二人の間に割って入り、娘の腕を力強く掴んだ。成りたての王アトレウスは慌ててその足元に膝をつく。
「お父上、お母上! どうかお嬢様との結婚をお許しください!」
父は目を吊り上げ、杖を握り潰す勢いで睨みつけた。
「竜が定めた縁に、今さら俺が反対したって無駄ですよ。だが、未婚の娘とこんな場所で抱き合い、田舎の村長に頭を下げる男に、アルゴス王が務まるんすか?」
「お父さん! アトレウスさんにひどいこと言わないで!」
アタランテが叫ぶが、タラオスの視線は冷たいままだった。
アトレウスはゆっくり頭を上げた。
「村長よ、私はただの戦士です。だが、アタランテ様の願いのために、生涯を捧げましょう。このアルゴスから竜の生贄をなくしてみせます!」
「叶える? 魔法も使えねえのに?」
タラオスが杖を振り上げると、先端からゴウッと炎が噴き出した。火球がうなりを上げ、アトレウスに向かって飛ぶ。
「お父上の攻めなら、いくらでも受けます!」
若い王は床に座り込み拳を握り、歯を食いしばった。
「あんた、いい加減にしな!」
母メロペが夫の腕を引っ張る。アタランテの顔がさっと青ざめた。彼女は父の前に立ちはだかり、燃え盛る杖に手を翳した。
「いくらお父さんでも、許さない!」
アタランテの指先が触れた瞬間、火球がシュッと消えた。メレアグロスの魔法を打ち消した時と同じように、少女は父の炎を無に帰した。
アトレウスが立ち上がり、アタランテを抱き寄せる。
「危ない真似はするなって言っただろ!」
少女は小さく首を振る。男から離れ、両親を睨みつけた。足元から熱い力が湧き上がってくる。
「私、王妃になります。この人を――アルゴスの王を、私の力で守ります!」
竜の娘アタランテの声が玉座の間に響き渡った。群臣が息を呑み、少女の決意に耳を立てる。
アトレウスの頬が緩み、笑みが溢れた。
「アタランテ……逆だろ? 俺がお前を守るって約束だ」
「いいえ。王様が守るべき者はアルゴスの人たちよ。だから私は、この王宮のみんなと一緒に、あなたを守るの」
二人は見つめ合い、微笑みを交わした。
母メロペが寂しげに笑う。
「そうか……仕方ないね。そう決めたんなら、がんばるんだよ」
父タラオスは気まずそうに杖をつき、頭を下げた。
「……アルゴス王、数々の無礼、申し訳ありません……娘をよろしく頼みます」
アトレウスは弾けるような笑顔を向けた。
「お父上からは不思議な魔法を見せてもらいました。私を認めてくださり、ありがとうございます」
賢者たちと戦士たちが手を叩き、新たな王と王妃を讃えた。前王妃デイアネイラは口元を緩め、アトレウスをじっと見つめていた。
村長夫妻はアトレウスや戦士長エケモスと話し合った。今日は王宮に泊まり、翌朝ティリンス村へ戻り、一月後にアタランテを花嫁として送り出すことが決まる。
当のアタランテはぼんやりと立ち、自分の両手を見つめていた。
(私……自分で王妃になるって言った。アトレウスさんを守るって……)
アトレウスの傍にいたい。確かな気持ちはそれだけ。
槍や盾で守ることはできないが、この不思議な力で、悪しき魔法から彼を守れる。
それなら。
自分こそ王妃に相応しいのではないか。
十八歳の少女の胸に、青白い炎が静かに灯った。
親子三人がティリンス村へ帰る道中、アトレウスの命で王宮の戦士が護衛についた。
竜の娘アタランテが選んだ男が王となったことを、竜が国中の魔法使いに知らせたのか、どの村でも親子は歓迎を受けた。
故郷では夜ごと、アタランテの結婚を祝う宴が開かれた。
だが、幼馴染ヒッポメネスの両親である豚飼いの夫婦は、どこか窮屈そうだった。
ヒッポメネスは村に帰った後、行先を告げず旅に出たらしい。
村長タラオスが呟く。
「すまんな。こんなことになって。ヒッポメネスは何も悪くないのに」
母メロペが豚飼いの夫婦に詫びた。
「娘がいつまでもはっきりさせなかったからですよ」
アタランテは「その通りです。ごめんなさい」と頭を下げるしかなかった。
彼女は両親に打ち明けた。前王メレアグロスに結婚を迫られた時、アトレウスに助けられたと。
母メロペが苦笑する。
「それじゃ、あんたがアトレウス様に惚れるのも無理ないね」
少女は顔を赤らめた。だが、ヒッポメネスが自分を見捨てたことは話さず、「王宮からいなくなった」と誤魔化した。
父タラオスが首をかしげる。
「そういえば、都へ行く途中、ヒッポメネスとは会わなかったな」
幼馴染は気まずさからか、アタランテの両親を避けて村に戻ったらしい。彼がメレアグロスから受け取った黄金の酒杯を抱え村を出たことは、誰も知らない。
(もしあの時、ヒッポメネスが助けてくれたら、好きになれたかしら?)
アタランテは首を振って迷いを払う。自分はアトレウスを選んだ。幼馴染のことを考えても意味がない。
自室で荷袋を開き、薄汚れた布切れを取り出した。
「これ、儀式で私が血を浴びた時、アトレウス様から借りた服……洗って返さないと」
翌朝、少女は河原へ向かった。
川の清流に布を浸し、ゴシゴシこする。
「すぐ洗えばよかったけど……落ちない」
布を広げて日に透かすと、薄い染みが残っている。アタランテが浴びた血しぶきだけでなく、アトレウスが戦士として浴びた血の痕かもしれない。
河原では村の女たちが洗濯に精を出していた。
「お嬢様がここに来るなんて珍しい!」
若い女にからかわれる。
「あ、あの……アトレウス様から借りた服だから……」
「だから一生懸命洗ってるんですね。お嬢様、いつもは『どうせ汚れるから適当でいいのよ』って言うのに」
「そ、そんなんじゃない! アトレウス様は特別だから……」
少女は俯き、再び布をこする。
村に戻ってから、母メロペは口酸っぱく繰り返していた。
『あの手のいい男は、一人の女じゃ満足しないよ。あんた、覚悟するんだよ』
アトレウスの笑顔とたくましい体躯を思い浮かべる。こすっても染みは消えない。
「お嬢様、新しい衣を織ってあげたらどうかしら?」
村の女の声に、アタランテはハッと顔を上げた。
布をバサッと広げ、日に透かす。そこには輝く戦士の姿が浮かんでいた。
出立前夜、村長夫妻は広場で特別なご馳走を振舞った。
メロペが魔法で水を呼び出し、タラオスが炎で沸かす。村人たちは魔力で温められた羊肉のスープをありがたく味わった。
幼い頃、アタランテはぼやいた。
『お父さんとお母さんが毎日作ってくれたら、水くみも薪拾いもしなくていいのに』
タラオスは苦笑した。
『毎日は勘弁してくれ。魔法は疲れるんだぞ』
メロペが諭す。
『無暗に魔法を使うと竜に叱られるのさ。自分勝手に使って、魔法を奪われた村長もいるんだよ』
前王メレアグロスは私欲のために魔法を使ったから、竜の怒りを買い王位を失ったのか?
(アトレウス様は魔法が使えない。私が選んだから王になった。だから……恐れることはないはず)
翌朝、アタランテは豪華な花嫁支度で車に乗り、護衛に守られてアルゴス王宮へ旅立った。




